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深い谷底の花 10

 ゆうに3メートルは超え、人3人分はありそうな肩幅に、人の胴体並の太さの足を持つ魔物は、鼻が猪のように突起し、口から長く長く太い牙が弧を描気、天に向かって伸びている。

 大きな耳は耳は鋭く上に向かって立ち、深い眼窩の奥には、赤い瞳がキョロキョロと動いている。


 全身が赤茶色の毛で覆われ、黒い半袖のシャツとスボンに、大きな靴といった姿の獣は、右手に握った人の全長くらいはありそうな大太刀を輝かせている。


「化け物だぁぁぁぁぁぁ」


 魔界から現れた得体の知れないもの怪物に兵士達が慌てふためきながら森の中へと走り出す。


「ま、待てお前ら!!」


 森の中にはどんな危険が潜んでいるか分からない。グッベルが必死に皆を呼び止めようとするが、皆は聞く耳を持たない。


「あー、変なとこに出ちまったなぁ」


 魔物はアルトたちを見下ろしながら、呑気に頭を掻いた。


「オークだと? 何故こんなところに」


 ウォルターはゆっくりとオークに近づきながら、その全身を見据えた。


「オーク!? あれが⋯⋯」


 アルトは後ずさりしながら、ウォルターの近くへと向かう。

 本でオークを見たことはあった。

 人間の何倍もの力を持ち、斧をひと振りしただけで大木を切り倒したり、岩を砕くほどの怪力を持つ魔物だと、その本には書いてあった。


 オークは身体を揺らしながら、当たりを眺め、刀身がむき出しになった大太刀を肩に乗せた。


「なんだお前ら?」


 偶然か必然か、オークの赤い目が、エルメナの双眸とかち合った。

 オークは大きな一歩を踏み出しながら、目を細めて薄ら笑いを浮かべた。


「んにゃ? 私になんかようにゃ?」


「まさか人間界にこんな上玉がいるとはな」


 オークは口を開いて薄気味悪い笑みを浮かべた。


「ま、まじ?」


「まあエルメナって顔は間違いなくいいですから⋯⋯中身があれすぎるだけで」


 エルメナがオークに見初められているところを、アルトとアネットは目を丸くしながら見ている。

 エルメナの自由気ままで奔放な性格を知っているんえに、エルメナが誰かから見初められるという事象に困惑した。


 オークは周りのことは気にもとめず、エルメナに向かって背中を曲げた。


「どうだお前、俺の女にならないか? 俺が集めた金銀財宝分けてやるぜ?」


(安い口説き文句ですねぇ⋯⋯こんなの引っかかる人いないでしょ⋯⋯)


 アルトはオークの安直さに呆れ、俯きながら笑いを堪えた。

 最初見た時に抱いた、得体の知れない魔物への恐怖は薄れている。

 口説かれたエルメナは、オークを見上げたまま首を傾げ、ぷぷっと侮蔑するように目を細めて笑った。


「なんにゃぁ? ナンパのつもりかにゃぁ? そんな誘い文句今どき引っかかる子いないにゃんよぉ。そもそもわたしぃ。毛深い男は嫌いなんだにゃぁ。私と付き合いたいならその体毛全部剃ってからその無駄にでかい鼻も切り落としてから出直すにゃぁ」


(ひ、酷すぎる⋯⋯いや流石にこれは可哀想⋯⋯哀れなり名前も知らないオークよ⋯⋯)


 容赦のない物言いに憐憫を抱きながら、堪えていた笑いも失せ、ただただ俯いて目を閉じた。


「ぷっ。なんだこいつは」


 アルトの堪えていた笑いが譲渡されたかのように、アネットは吹き出して口元を抑えた。

 アネットはオークに背中を向けながら小刻みに震え、微かな笑い声を漏らし続けている。


「あ?」


 オークが握っている大太刀が地面に突き刺さると共に、周りの空気が一変した。

 大太刀は深く地面に突き刺さり、その衝撃が風となって皆に伝わる。


「おい女⋯⋯今俺のこと笑ったか?」


 オークの丸い目が、きゅっと縮こまる。

 普段は泰然としているアネットも、倍近い体躯を持つ魔物に睨まれては、後ずさる他ない。


「てめぇ⋯⋯人間が調子乗ってんじゃねえぞ」


 オークは地面に刺した太刀を引き抜き、また肩に乗せた。

 自分より下等な生物である人間が自分を笑うことに苛立ち、目に殺意が籠る。


 オークの意識が、口説いていたエルメナからアネットへと移る。

 その隙を見逃さないものがひとり。


 波打つ黒髪を跳ねさせながら、腰に隠していたナイフを構え、エルメナはオークの喉元目掛けて切っ先を突き刺した。


「うおっ!?」


 住んでのところでオークは身を捩るが、首筋に僅かに傷ができ、血がこぼれる。


「な、なにすんだ!」


「あ、しまったにゃぁ⋯⋯」


 オークの背後へと着地したエルメナは、ナイフについた血を振り払ってから、苦笑いして振り返った。

 オークについた傷はあっという間に塞がり、血が止まる。

 血は毛に付着したがそれ以上流れない。

 血が止まったことに気づいたオークは、何度も切られたところを触った。


「え、は!? あれ、もう治ったんだが⋯⋯どうなってやがる」


 傷が一瞬で塞がるという不可解な現象に戸惑いながら、オークはその場で足踏みして一周する。

 

「ま、まさか⋯⋯俺は目覚めたのか⋯⋯治癒の魔法が⋯⋯」


(このオークさてはお調子者じゃ⋯⋯)


 緊張感が抜け、アルトの身体から力が抜ける。

 そっとアネットを隠すように前に出ながら、オークを見据えた。


「それならいい。せっかくの記念だ。お前ら人間の皮を剥いで土産にするか」


 自分が力に目覚めたと勘違いしたオークだが、アネットへの殺意は変わらず、自分に斬りかかってきたエルメナにも敵意を向けた。


「お前は無理矢理連れ帰って可愛がってやるよ」


「へぇ⋯⋯ならその前にその毛皮剥いで売り飛ばしてやるにゃんよ」


 エルメナは舌なめずりしながら、ナイフを頬に添えた。

 ひんやりした質感と、冷た差が頬に伝わる。

 エルメナはニヤリと笑いながら、右足を引いて腰を低くした。


「アルトはあっちいくにゃぁ。あーいや、別にいっかぁ。再生するならその分剥ぎ取ればいいんだにゃぁ」


 エルメナの目に狂気が写る。

 顎を上げながら、オークを見上げているはずなのに、はるか頭上から見下ろしているような圧力がる。


「何言ってやがる⋯⋯」


 オークは大太刀を持つ右手に力を込めながら、足を引いて臨戦態勢に入る。


 黙って見ていたグッベル達残った兵士が、臨戦態勢に入ろうと武器に手をかける。

 それをアルトが手で止めた。

 ぐっベルの前に立ち、手で前を塞いだ。


「アルト様?」


「少し見守りませんか⋯⋯」


「で、でも、確かに彼女は速いし強いですが⋯⋯あの魔物相手には無理ですよ」


「⋯⋯そうでしょうか」


 アルトは顎を引き、目を据えて対峙するオークとエルメナを凝視した。

 エルメナの尊大な態度は、ただの驕りなのか、確固たる実力への自信があるのか。それを見極めたいと思った。


(エルメナへの得体の知れなさが少しはわかるかもしれませんね⋯⋯)


 グッベルを後ろへ下がらせる。


「とりあえず⋯⋯しばらくは近くで見守りましょう」


「治癒範囲内で戦わせるのですか?」


「念の為です。あのオークも不気味がって魔界へ帰ってくれるかもしれないですし」


 距離を取りながら、アネットや兵士達が近くへと集結する。

 ウォルターが木の影に隠れているのがアルトの目に映る。


(ウォルターは静観ですか⋯⋯やはり水が近くにないから? それとも⋯⋯)


 ウォルターは木の影から半身だけ出してオークとエルメナを眺めている。


 皆がオークとエルメナに意識を向ける中、ふたりの戦闘が始まろうとしていた。


「にゃはははっ」


 エルメナが左足を蹴り出し、高く跳躍する。

 オークはすぐさまエルメナを見上げ、迫ったところで太刀を振ろうと下段に構える。

 だがエルメナは、腰にぶら下げた革袋からホルテルの肉を取り出すと、それを投げつけた。

 ホルテルの肉と僅かに滴る血が、オークの顔に襲いかかり、慌ててオークは顔を拭った。


「にゃはは。いっくにゃぁぁぁ」


 視界を奪ったところで、1度地面に降りてもう一度跳躍し、容赦なく首に刃を突き立てる。


「ぐっ、」


 まだ視界が戻らない中、直感的にオークは横へと足を蹴り出して攻撃を回避する。

 

「へぇ⋯⋯いい感してるにゃんねぇ⋯⋯」


 ニタニタと笑ったまま、エルメナはまたオークとの距離を詰め、今度は腹部へナイフを横に切り払った。


「ぐあっ、」


 浅かったが、切り傷がオークの身体にくっきりと浮かぶ。

 斜めに入った傷から血が零れ落ち、ようやく視界が回復したオークは大太刀を振り回しながら後ずさった。

 無造作に振り回される太刀をしゃがんで交わし、エルメナも下がって距離を図る。


 オークの傷はまたすぐに癒えた。


「またか⋯⋯やっぱり⋯⋯人間界が俺に力を与えてんのか」


 オークの口が開き、くくくっと勝ち誇った笑みを浮かべる。


「うーん。なんか頭お花畑すぎるから教えてやるにゃぁ」


 エルメナは首を傾げながら呆れたように苦笑いし、また祝福について教える時のように、自分の右腕を切りつけ、すぐに再生する所を見せつけた。


「残念ながらこれは君の力じゃないんだにゃぁ。そもそもオークがそんな高度な治癒魔法使えるはずないんだから勘違いも甚だ図々しいにゃぁ。オークはオークらしくブンブン鉄の塊振り回しとけばいいんだにゃぁ」


(なんかまた危ない発言してますけど⋯⋯やっぱりエルメナ脳では確かですね⋯⋯)


 アルトが集中して観察していると、治癒が自分の力じゃないことに戸惑うオークに、エルメナが容赦なく襲いかかる。


「にゃはははは」


 狂気的な笑い声を響かせながら、エルメナはオークの身体を縦横無尽に切りつけていく。

 わざと深い傷はつけず、弄ぶように切っ先だけを肉に抉らせ、オークが反撃とばかりに大太刀を振るう度、それらを軽々と避けてみせる。


 まるで、キャンパスにただひたすら色を塗る子供のように、エルメナはナイフを振って何度も再生するオークの身体に傷をつけていく。


「ぐおっ、こいつっ!!」


 頭に血が登りながら、オークは次第に防御に徹するようになる。

 ただひたすら無造作に大太刀を両手で支えながら身体を守ろうと動かすが、エルメナの小さな刃は全てをすり抜けて身体を傷つけていく。


「そろそろ帰ったらどうかにゃぁ?」


 エルメナは頬を吊り上げながら、左手を引いて勢いよくオークの腹部に突き刺した。


「ぐおっ⋯⋯」


 がはっと咳き込みながら、オークは前のめりに倒れそうになって踏ん張る。

 何が原因か分かってなくても、傷は治ると分かっているが、腹部を刺されれば、その痛みは絶大だ。


「はやく諦めて帰ってくれないかにゃぁ? そろそろ飽きてきたからほんとに皮剥ぐにゃよ? それとも⋯⋯心臓一発で抉られて死ぬかにゃ?」


 オークにだけ聴こえる氷のように冷徹な声を放つ。

 エルメナは目を細め、警告するようにオークを睨みつけた。


「にゃぁ? どうするかにゃ?」


 聴きながら、突き刺したナイフを腹の中で回した。


「あがっ、、、わ、わかった⋯⋯消える⋯⋯だから許してくれ⋯⋯」


 いちども攻撃を加えられず、ただひたすら痛めつけられるだけの時間が続き、オークは戦意を完全に喪失していた。

 痛みに悶えながら、オークは唾液を零しながら幸福宣言をした。


「わかればいいにゃぁ。じゃあさっさと消えるにゃよ。次来たらほんとに殺すにゃ」


 勢いよくナイフを抜き、血を振り払って腰に戻した。

 傷が癒え、痛みも消えたオークは逃げるように一目散に、魔界へと繋がるゲートへと走った。

 ゲートに触れると、オークの身体は吸い込まれるように消えていき、その場から消失した。


(強いとは思ってましたけど⋯⋯あれは強すぎでしょ⋯⋯これからちょっと態度は気をつけましょ⋯⋯) 


 

 

 






 

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