深い谷底の花 9
ウォルターが表れ、まず距離を詰めたのはアネットだった。
「もしかしてお前か、あの龍の正体は」
この場がざわつく。
アルト以外、その言葉の意味が理解できなかった。
だがエルメナは、アルトや龍と同じく、ウォルターにオーラがないことに気がつき、「はにゃぁ」と何度も頷いた。
「ああ⋯⋯昨日は申し訳なかった。あなたたちを驚かせてしまい」
全員の視線がウォルターに向けられる。中には警戒して敵意を向けているものも。
しかしウォルターは一切動じる様子はない。
集団の中にいたアルトを見かけ、軽く微笑んだ。
そして、ウォルターは手のひらを下に向け、大きく息を吐きながら、全身に力を込めた。
川の水が不自然に揺れ、足首程度の深さしか無い水が、ウォルターの腰の高さまで盛り上がり、小さな龍の姿へと変化した。
「僕の力は、水の性質や形を自在に変えること。これで君たちを追い払おうとしたんだ」
小さな龍は礼儀正しい子犬のように、ぺこりとお辞儀をして水の中へと溶けていく。
「なぜ襲った?」
グッベルが前に出る。
「⋯⋯僕を追いかけてきた奴らかもしれないからさ」
「⋯⋯なにか追われるようなことをしたのか?」
ウォルターは俯いて黙ってしまう。
もしかしたら、この国で罪を犯した手配犯かと、グッベルは槍に手をかけそうになった。
「もし罪人であるなら、国の兵としてこのまま見過ごすわけにはいかん」
国を護る役目があるグッベル達兵士は、一斉にウォルターを睨みつける。
ウォルターは怯えることも、敵意を向けられたことで怒る訳でもなく、溜息をつきながら頭を抑えた。
「やっぱりこうなるか⋯⋯だから出たくなかったんだけどな」
ウォルターは神妙な顔で下を向きながら、なにかを決心するように唾を飲み込んだ。
「残念ながら、僕はあなた達が思ってるような存在じゃないよ。まあ、ホルテルの発生源と一緒にそれも教えてあげるから、信じるならついてきてよ」
全員が顔を見合せ、ヒソヒソと話す。
グッベル達兵士は、話を聞いても信じられずにいて、アルトとアネットとエルメナは、既について行くつもりでいる。
グッベル達の話し合いは並行し、ひたすらこの男を信じていいのかという内容を続けている。
「あの」
グッベル達に任せてはいつまでもかかりそうなので、アルトが間に入って説得を開始した。
「実は私⋯⋯彼と少し前に話したんです。彼は水を操る祝福を受けたらしくて、私を水の中へと案内してくれました。ここは私を信じて彼についていきませんか」
「はぁ⋯⋯アルト様が言うなら」
拍子抜けするほどあっさりとグッベルは了承し、逆にアルトが戸惑った。
(私信頼されすぎてません⋯⋯?)
グッベル達はアルトのおかげで戦争が集結したと思っているので、当然アルトへの信頼度は、現状なによりも高くなっている。
「わかった。案内してくれるか」
事情を知らないウォルターは、アルトの信頼度が異様に高いことに困惑しつつも、ついてくると言ってるので、その支度を始めた。
「わかった。じゃあみんな1箇所に集まってくれ。できるだけ近いほうが助かる」
言われるがまま、アルト達一行は1箇所に集まって密着した。
ウォルターが手を上にあげ、アルト達に向けて開くと、どこからともかく現れた水の塊が、アルト達に襲いかかる。
「お、おい!?」
「うわああああっ」
兵士たちの悲鳴が上がる。
大量の水が被さり、みな一斉に息を止めてその場に踏ん張ろうと力を込めた。
皆の心配を他所に、水はひとつの物体となって
一行を包み込んだまま動きを止めた。
皆が必死に息を止める中、アルトはエルメナの肩を叩いた。
エルメナが目を開くと、普通に口を開けて、息をする様子を見せてくるアルトの姿があった。
もしやと、恐る恐るエルメナも口を開ける。
水が口の中に入ってこない。軽く吸ってみたら、ちゃんと息ができる。
エルメナはすぐにそれを隣の兵士に教えてやり、その教えが全員に伝染していく。
「ほら、大丈夫でしょ? ウォルターは水を完璧に操れるんです」
なぜかアルトが鼻を高くして言う。
同じ祝福持ちということで、親近感を持っている。
「そういうことだよ。このまま君達を連れていくから」
いつの間にか同じように水の中に入っていたウォルターが皆に告げる。
「でもウォルター、行くってどこへですか」
ウォルターはいちど俯くと、また顔を上げて、谷の左側の森を指さした。
「⋯⋯魔界の入口だよ」
「ま、魔界!?」
もう何度目か、また一斉にウォルターを皆が見るが、魔界と聞いたからって、「お前は魔界の手先か!」などと言う者はいない。
「あの、魔物⋯⋯ホルテルでしたっけ? マカイのやつなのですか」
「ああそうだよ。この谷の西にある魔界へのゲートから出てくるんだ」
「ま、魔界へのゲート⋯⋯」
この世の中に、魔界と人間界をつなぐ扉があることは知っていたが、実際に目にしたことはない。
アルトだけでなく、アネットも、グッベル達も実際に目にしたことはない。
「だがそれなら合点がいくな」
グッベルの部下のひとりが顎に手を当てて呟く。
「今まではあんな魔物いなかったわけだから、魔界の扉が急に現れてあいつらが出てきたってことなら、全部辻褄が合うじゃないですか」
確かにそうだと皆が相槌をうつ。
全員を包み込む球体は、ゆっくりと浮上し始め、どんどん山の頂上へと登って行く。
浮遊する感覚なんて、みんな初めてだから足が震えるし、高揚感で子供のように無邪気に、変わりゆく景色を眺める。
「すっげぇ」
「おい見ろ、今朝の街だ」
「やばい、俺高いところ無理」
中には初めての高所に怯え、蹲って目を閉じている者もいるが、そのひとりを除いては皆、現在の状況を楽しんでいる。
水でできた足場は、踏みしめると沈むように伸びるが、すぐに反発して元の形に戻る。
側面を指で突いても同じで、ウォルター曰く、世界一の鍛冶屋が作った槍でも貫けないとの事。
実際試したことはないらしいが、ウォルターはそれだけの自信を持っている。
山頂を超えた物体は、森林の木の頂点に沿うように低空飛行し始めた。
「それにしても上から見たら怖いくらい深い森にゃぁ」
左手を額にかざしながら、エルメナが周辺を見渡す。
広大な森がはるか先まで広がり、その全容が見えてこないほどだ。
「ここの森を有効活用できたらこの国はもっと発展するんだろうな。魔物が多くて伐採どころじゃないが」
グッベルがぼんやりと下を眺めながら言う。
「まあこの森を使おうとするとまた戦争になる可能性があるから勘弁して欲しいがな」
ボソリとつぶやく言葉には、つい最近まで戦争の
当事者であった苦労が伺える。
一行はゆっくりと飛行を続け、谷からどんどん離れていくと、森の中に不自然に光る場所を見つけた。
「あれはなんだ」
アネットがその場所を指さす。
木々の葉に隠れてはっきりとは見えないが、1部分だけやけに煌々と輝きを放っている。
淡いオレンジ色の光は、直径3メートルほどの円形をしていて、一行からは点々と光っている場所だけが見えている。
「あれだよ。魔界とこの人間界をつなぐ扉」
「あれが魔界への扉ですか⋯⋯」
アルトは水の壁に両手をつきながら、じっとゲートがある場所を見つめ続けた。
水の塊がゆっくりと下降する。
木々に覆われたなかで、どうやって降りるのか思いきや、そのまま木々の間を水は枝に触れて形を変えながら落ちていく。
こじ開けるように下に降りた瞬間、水がはじけ、液体となってあたりを水浸しにした。
森の中は薄暗く、どこからか魔物の走る音や鳴き声が聞こえてくる。
だが皆は、初めて見るゲートに目を奪われていた。
ゲートの全容が明らかになる。
オレンジ色の光を放ち、中心部はやや白っぽくなっている。
光が並のようにゆらゆらと揺れ、白っぽい部分を中心に、ゆっくりと濃いオレンジの部分が時計回りに回転している。
「これがゲート⋯⋯なんか魔界に繋がってるにしては眩しいですね⋯⋯でこれは偏見か」
アルト達は魔界のことについてほとんど何も知らない。
ただ魔界には恐ろしい魔物がうじゃうじゃいて、時折迷い込んできたりするということくらいだ。
「しかし、ここに来たのはいいが、この扉は破壊できるのか? それともまさか、私たちに魔界で魔物退治しろとか言うつもりじゃないだろうな?」
アネットが腕を組みながら、後ろにいたウォルターに顔を向けた。
「そんな事言わないさ。まあゲートを壊すなら魔界に行く必要があるんだけど⋯⋯それだとほんとに危険だから」
ウォルターの視線がアルトに向けられる。
「アルトに体力を回復してもらいながら、このゲートを土かなにかで囲んでしまえばいい」
「あ、」と一同が口を開く。
「なるほど⋯⋯たしかにアルト様がいれば体力は無限⋯⋯このゲートを塞ぐことも可能か」
早速グッベルは頷かながら、考えても仕方がないと、指示を飛ばす。
「ならあの魔物やサミーウルフ達の対策で人を分けよう」
そうしてグッベルの指示の元、魔物に備えて待機する組と、土を掘って壁を建設する組に別れた。
アルトとアネットとエルメナの3人は当然のように待機組になり、ウォルターは特に何も言われず、傍観していた。
「魔界⋯⋯ですかぁ」
「なんだ? 行ってみたいのか?」
早速始まった作業を眺めながらアルトが呟くと、アネットが尋ねた。
「行きたい⋯⋯とかじゃないんですけど、どうやむたら魔界からこっちに来る魔物を減らせるのかは気になりますね」
「たしかに⋯⋯こういう類のものが他の地域にも沢山あるんだもんな」
2人が眺める先では、兵士達がゲートの周辺に土を集め始めていた。
土は剣で掘り、道具がないので手ですくって何度も往復した。
途中から、衣服をモッコのように使い始め、土がどんどんと集められていく。
(ウォルターは手伝ってくれないのでしょうか⋯⋯それとも魔物に備えてくれてたり?)
ぼんやりと大木にもたれかかっているウォルターが気になった。
ウォルターが水の力を使ってくれれば、直ぐに終わりそうなのだが、近くに水がないからダメなのだろうか。
それとも、時折ゲートを眺める目が切なげなことが関係しているのだろうか。
「うわああああああ!」
土を運んでいた兵士が突然叫び声を上げた。
何事かと振り返ってみれば、3メートルはゆうに超える大太刀を持った化け物がゲートから身を乗り出すように現れていた。




