深い谷底の花 8
二人の目の前に、大型犬程の大きなさの生き物が10体近く現れた。
ウォルターの情報通り、全身が焦げ茶色の体毛で覆われ、頭部や背中など上の方が白い毛で覆われている。
瞳は、見かけだけなら愛玩動物のようにつぶらで可愛げがある。
前足には鋭く弧を描いた爪が五本、敵意を向けて開いた口にも、皮膚を貫くなど容易いような牙が上下に日本ずつ、顕になっている。
「まさかあれが? でもなんでこんなタイミングよく」
「運が悪いとしか言えませんけど⋯⋯特徴的には奴らです」
「神の加護はどうしたんだ神官さん⋯⋯」
軽口を叩いてはいるが、アネットの手が若干震え、顔が強ばっている。
ホルテルと呼ばれる魔物の数は10体前後、集団でこられたらひとたまりも無い。
戦うにしても、武器を持ってるのでさえ、アネットひとりではどうしようもない。
ホルテル達は一斉にふたりを警戒し、身を低く這うように睨みつけてくる。
ウォルターの情報通りなら、ホルテルはサミーウルフよりも遥かに厄介だ。
ただでさえ戦闘要員がひとりしかいないいま、戦うという選択肢は無かった。
「アネット⋯⋯私から離れないでくださいね」
アルトは了承を得る時間も煩わしかったのか、アネットの後ろに回りこみ、両手でアネットを抱き抱えた。
お姫様抱っこの形を取り、非力なアルトは一瞬腰が沈みそうになったが、持ち直して反転した。
「ちょっ!? アルト!! なにしてるんだ!?」
突然のお姫様抱っこに理解が追いつかず、顔を真っ赤にしながら、慌ててアルトを見上げる。
アルトは必死な様相で走りながら、追いかけてくるホルテルを振り返って確認した。
ホルテルは一斉に駆け出しながら、甲高い鳴き声を上げて一瞬で距離を詰めてくる。
(池まで戻るのは無理か⋯⋯それならっ⋯⋯)
足でブレーキをかけ、アルトは身を翻し、反転してホルテルの群れに突っ込んだ。
「ちょっと痛くても我慢してくださいねっ」
「お、おいっ!?」
アネットはアルトの首にしっかり腕を回している。
突然反転したことにより、ホルテル達の反応が遅れ、ほとんどがアルトを追い越してしまった。
しかし、後ろから追いかけていた1体のホルテルの爪が、アルトのふくらはぎを割いた。
「んぐっ⋯⋯」
最初に大きな痛みが来て、僅かにじわじわとした痛みが襲いかかるが、傷と痛みはすぐに治まった。
祝福がなければ、今の一撃で足を止め、生きることを諦めていただろう。
「祝福様々ですねほんとっ⋯⋯そもそも祝福が無ければこんな所にいませんが⋯⋯」
カーネリアンへの感謝と戸惑いがごちゃ混ぜになりながら、アルトは夢中で走るが、すぐにまた追いつかれて囲まれてしまう。
囲まれてしまえば、走り出すことも困難になり、ゆっくりと円形を保ちながら距離を狭めてくるホルテル相手に、ただキョロキョロ顔を向けることしか出来なかった。
それでもアルトはアネットを離そうとはせず、むしろ力を入れて抱き寄せ、少しでも高い位置で抱っこした。
「噛まれたりしたらすみませんね⋯⋯」
プルプルと緊張で震えるアルトの頬を、アネットは抱っこされたまま小さく叩いた。
ペチン。
軽快でよく響く音が、周囲へ僅かに広がった。
「バカ⋯⋯お前の祝福があるんだから気にするな」
「いや気にしますよ⋯⋯」
「私より自分を心配しろ」
だが足元を確認してみれば、噛まれた部分の肉と布は修復されている。
「大丈夫ですよ。祝福のおかげで」
「やっぱり⋯⋯こうやって使えば強いんだな」
「ええ⋯⋯逃げ切れるならですけどね」
人間の、それも運動音痴のアルトが、四足で走行する魔物に足でかなうはずがなく、また取り囲まれてしまう。
だがアルトは強引に、ホルテルに飛びつかれながらもアネットを庇いながら突っ走った。
アルトの足に、腕に、ホルテルの鋭い牙が突き刺さる。
振りほどく余裕もなく、両手も塞がっているアルトは、痛みを堪えながらただただ走り続ける。
離れてくれれば、すぐに治癒されて痛みが引くが、噛みつかれたままブラ下がれたりすると、痛みが持続して苦痛で声がもれる。
「っ⋯⋯」
回復するからと言って、痛みへの耐性ができるわけではない。
痛いものは痛い。だからこそアルトは、アネットを庇いながら、自分を壁にするように走った。
「しかしこれ⋯⋯どこまで走ればいいんでしょうね」
谷を進むが、ホルテルが諦める様子はない。
ホルテルはアルトの肉を何度も噛みちぎり、その度に立ち止まってはいるが、すぐにまた追いかけてくるの繰り返しだ。
「さすがに参っちゃいますよ」
「もう下ろせ!! あいつらが諦めるまで叩き切ってやる!!」
見ていられなくなり、アネットが腕の中でもがくが、アルトは固く抱いて離さまいと走り続けた。
「おいアルト!!」
「そんなくだらない自己犠牲なんてさせませんよ⋯⋯残念ながら」
「じゃあお前はどうなんだっ、それはくだらない自己犠牲じゃないのか」
「ちがいますよ、これはカーネリアン様への感謝です」
「はぁ!?」
「あなたの祝福のおかげで我々は助かると示しているのです」
「狂信者だな⋯⋯」
事実、アネットが見上げるアルトの顔は、どこか恍惚そうで、何度も肉をもがれ、牙が突き刺さっているというのに、強かに笑っていた。
「あ、あそこにゃ!!」
前方からエルメナ達の1団が現れる。
1団は見たこともない魔物に襲われているアルトを見ていっしゅんたじろいだが、すぐ救出の為に全軍で突撃した。
味方の姿を見たアルトは、ほっと息を吐いて、すぐに痛みで顔を歪めた。
ホルテルが太ももに噛みつき、太い血管から血が多量に流れる。
それもすぐに治まったが、血が一気に抜けたせいか、足がもつれて転んでしまう。
「あ、アネット!!」
転んだ拍子にアネットの体が宙に舞う。
アネットは地面に転がり、すぐに立ち上がった。
「心配するな。むしろここまで感謝してる」
立ち上がりながら、アネットは歯を見せて剣を抜いた。
仲間達が合流し、ホルテルに囲まれながらも、臨戦態勢が整う。
隙を見てアルトは包囲を抜け出す。
1体のホルテルがアルトを追おうとしたが、エルメナが立ちはだかる。
「こいつらどっかで見た事あるにゃんねぇ」
「どうやらこいつらが旅人を襲ってるらしいな。気をつけろ。かなり強いぞ」
「まあ任せとくにゃぁ」
エルメナはナイフを構えながら、身を低くして目の前のホルテルに迫り、頭上からナイフを突き刺そうとした。
しかし、刺さったという感覚がない。
たしかに刃はホルテルの首辺りを捉えて引っかかってはいるものの、肉まで刃が届かない。
「硬ぁ!? ナイフが刺さらないにゃ」
全員がその声に振り返る。
ホルテルの特徴としては、全身が分厚い皮に覆われ、特に上部の白い毛と皮は刃の類をなかなか通さない構造になっている。
そもそもの気質が荒く、人や武器を恐れることなく、防御性能に優れ、傷ついても構わず集団で向かってくる気性が、単体ではそれほど強くないこの魔物を危険な魔物へと昇華させている。
「これは⋯⋯目などを狙うか、腹部を狙うかのどちからじゃないと戦えそうにないか?」
槍を構えて距離を測りながら、グッベルが味方に訪ねる。
「まあとにかく、あまり切り込まず距離を取りながら戦うんだ。盾兵も盾を捨てて剣を構えろ。こいつら素早いぞ」
アルトは祝福の届かない遠目で、荷車を運ぶ数人とともに戦局を見守った。
つねに最低でも2、3体の集団で戦うホルテルは、独自の陣形のようなものを組みながら、それぞれの人間の好きを伺いながら攻撃してくる。
だが、タジスト軍のほうが数が多く、リーチで勝っているという点が有利に働き、ホルテルに着実にダメージを与えていく。
「にゃはははぁ! これでも食らうにゃぁ!」
特に、容赦なく眼球を狙うエルメナによって、辺りにはホルテルの悲鳴が響き渡った。
「あいつヤバすぎるだろ⋯⋯」
その戦いっぷりにアネットは引き気味になりながらも、アルトが自らを傷つけても守ってくれた身体に傷ひとつつけまいと、間合いを保ちながらホルテルを躱し、攻撃を加えていった。
その場にいたホルテルが全滅したころ、太陽は頂点から西へと移動していた。
「こいつらは⋯⋯確かに襲われたらひとたまりも無いな」
ホルテル達の息の根が止まっているのを確認しながら、グッベルは額の汗を拭った。
身体に数箇所の噛み傷や切り傷がつき、服も1部大きく破れていた。
ほかの味方も、無傷でいるのはアネットとエルメナくらいで、ほかは皆どこかしら傷を負っている。
「全部死んでるな⋯⋯」
全てのホルテルが亡骸になったのを確認し、アルトを呼び寄せる。
アルトは走るよりも先に祈りを込めた。
皆の傷を癒してくれと。カーネリアンに向かって。
その祈りがまた祝福の範囲を拡大させ、はるか離れた皆の傷がどんどん癒されていく。
「さてとぉ⋯⋯戦利品ゲットにゃぁ⋯⋯こいつは美味いかにゃぁ」
エルメナはいつも通りナイフで肉を捌く。
どうやら、下腹部あたりは刃が通りやすいらしく、1度開くと簡単に肉が裂けていく。
血まみれの肉を川の水で洗い、鼻を近づけて匂いを嗅ぐ。
「うーん。ちょっと臭うにゃんねぇ⋯⋯とりあえず焼くかにゃぁ」
結局食べてみるようで、肉を袋に入れ、また睾丸を取り出す。
「これはまた薬として売りつけるにゃ」
「お前は睾丸マニアか⋯⋯まあ薬屋は睾丸好きだけど⋯⋯」
服に着いた砂埃をはらいながら、エルメナを見下ろしてからやってくるアルトに目を向ける。
先程自分を守ろうと必死に走っていたアルトを見ると、やけに顔が熱くなる気がして、そっぽを向いた。
「しかしながら⋯⋯こいつらが原因だとしたら、結構どうしようもないかもしれないぞ」
この魔物が森や山に何体いるのかも分からない今、このままずっと戦い続けるというのは現実的では無い。
この部隊のリーダーであるグッベルの意見を仰ごうと、アネットは彼に迫った。
「そうだな⋯⋯こいつらが繁殖してるならちょっときついぞ。生態もよく分からんし。いちど帰るしかない」
谷からの撤退を決め、皆に伝えようと声を出そうとしたその時、隣の川から、水が跳ねる音がした。
「その必要は無いよ」
聞きなれない声に全員が振り返る。
その様子を遠目に見ていたアルトには、何が起こったのかすぐに分かった。
浅い川の水面に、突然透明な所からウォルターが現れたのだ。
どういう原理なのかは理解が出来なかった。
水を操る祝福と言っていたが、まるでそれは、水ではなくウォルターそのものを操るような登場の仕方で、アルトはたまらず足を止めた。
「誰だ」
グッベルが槍を背中に戻しながら答える。
明らかにさっきまで人影も無かった。
警戒しながら、じっと顎を引いて見据える。
「怖がらないでよ。あいつらの⋯⋯ホルテルの現れる場所教えるから」




