深い谷底の花 7
青年は外套を脱ぎ、白いボタン付きのシャツ1枚になりながら、脱いだ外套を腰に巻いた。
「君も祝福を? どんな内容なんだ?」
顎に手を当てながら、アルトに尋ねた。
「範囲内の生物や物体を回復させてしまう能力です」
「⋯⋯そりゃまあ凄い。人間以外も?」
「はい。服とかも効果対象です」
「えっ⋯⋯あ、ほんとだ。ほつれてた糸が治ってる」
「そんなところにも効果あるんですね⋯⋯」
「じゃあ君も苦労したんだ」
長い溜息をつきながら青年はアルトを労わるように微笑んだ。
青年の放った、君もという言葉が引っかかった。
「まあそれなりに⋯⋯というかそれで故郷から逃げる羽目になってるので」
同じ祝福持ちということもあって、親近感が湧いたアルトは、この青年になら色々と話してもいいと心を許しかけている。
「僕と似てるなぁ⋯⋯」
「あなたのは⋯⋯水を操る力ですか?」
「そうだよ。水の形を変えたり、質を変えたり、自在に動かしたりできる。水の中で息ができたでしょ? あれも力の副産物だよ」
「おかげで助かりましたよ。でも龍の発してた声はどういう原理で?」
「ああ、あれね」
青年は目を逸らしながら、顎を親指と人差し指でつまんで指で擦った。
「あれは僕の声じゃないんだ」
「えっ?」
アルトは肩を強ばらせながら辺りを確認した。
もしかしたら他に誰か仲間がいるのかと、警戒の色が強まる。
だが洞窟内は静まり返り、水が天井から滴る音と、入口に出来ている滝の音が聞こえてくるだけだ。
アルトが警戒しているのに気づき、青年は笑みを零した。
「心配しなくても、ここにはボクのほかに誰もいないよ。僕じゃないってのは要するに、あの龍の声ってことさ」
「あの龍もてっきり能力で生み出したと思ってたんですが、違うのですか?」
「違わないよ? うーん、なんて言えばいいかな」
青年は指で額を抑えながら、ぐるぐると指を回した。
「命を吹き込んだ⋯⋯とまではいかないんだけど、あの龍に限らず、能力で操作した水には僕の意志みたいなのが宿るんだよね。立ち去るように言ってたのもそれさ」
「めちゃくちゃ凄いじゃないですか⋯⋯」
「そうでもないよ。そのせいで苦労したしね。昔はほんとに、誰かが飲んだ水がひとりでに腹の中で暴れ出すとかあったし」
「もしかしてそういうのがあって人のいないここに?」
「うーん。まあそうだよ⋯⋯」
答えにくそうに目線を落としながら、声色を低くした。
水を操る祝福を得てすぐに起きたのは、誰かの飲み水が固まったり、弾け飛んだり口や胃の中で蠢く現象だった。
それだけではなく、川の水が塩水に変わって作物が枯れたり、川の生き物が息絶えたりと、人や生物に影響を及ぼしていた。
「あ、名乗り忘れたね。僕はウォルター。よろしくね」
「あ、はい⋯⋯アルトです。よろしく」
唐突な自己紹介が終わり、どちらから声をかけようかと目配せしあっていると、ウォルターが口を開いた。
「まあ龍の正体を暴いたからお察しだろうけど、この能力のせいで村にいられなくなって出てきたんだ」
ウォルターは辺りを確認すると、ちょうど腰掛けられそうな岩を見つけて腰掛けた。
すぐ隣を手で叩き、アルトも来るように促す。
「大変でしたね」
アルトも腰掛け、目線を落とす。
淡い光を帯び、青々とした水面に、自分達の姿がうっすらと映し出された。
2人とも顔色は明るくない。この洞窟よりも暗く染まっている。
「大変だったよ。ここに来るまで全く制御できなかったから、生態系も壊したし人にも迷惑かけまくったし、ちょっと死のうとか考えたりもした」
「⋯⋯そこまで、なんか⋯⋯私の悩みというか、やったことなんてちっぽけな事ですね」
「アルトは何をやらかしたんだ?」
「⋯⋯私の地元に、大昔の戦争で激戦地になった砦の石壁が少しだけ残ってたんです。崩れかけてたんですけどね。戦争の歴史を伝える遺構だって、国の指定遺跡にもなってたりしたらしくて。その石壁を祝福で直しちゃったんですよ。で、国王が怒ってるらしいし、犯人探ししてる様子見るのは心苦しいし、出てきちゃったんですよ。名乗り出たら祝福に目をつけられるの間違いなかったですし」
アネットとの旅を初めてから、長々と旅の理由を話すのは初めてだった。
外の様子が分からないので、どれだけ時が経ったか分からない。
今頃エルメナやグッベル達は自分を探しているのだろうかと、ふいにアルトは顔を上げ、天井を見上げた。
「まあ、それだけじゃないんですけどね。祝福を受ける前に回復薬は要らないからと冒険者パーティーをクビになって、祝福を受けたあとは魔物も回復させてしまうからってクビになって」
「そっちも結構散々じゃないか⋯⋯受ける前からだけど」
祝福を受ける前のウォルターは、村の中で何不自由なく暮らし、毎日汗を流しながら畑仕事に従事し、友人にも恵まれた。
だから、そもそも境遇が可哀想なアルトに酷く同情した。
「というか、アルトって冒険者なの? 魔物とかと戦ったり?」
「冒険者ではあります。残念ながらまともに剣も振れませんけど」
「うーん。それはクビになっても仕方ないかもな」
「⋯⋯だと思います。まあ、最初にクビになった所のリーダーは親友だと思ってたんですけどね。彼というよりほかのメンバーが私の事追い出したかったみたいですし」
「世知辛ないなぁ⋯⋯」
初対面の相手を上手く慰める言葉も見つからず、ウォルターは言葉を詰まらせながら、轟々と流れる水の音に耳を傾けた。
すこしして会話が思いついたのか、膝に肘を着いて顔を載せながら、薄目を開けてアルトに尋ねる。
「アルトはどうして冒険者になったんだ?」
「⋯⋯魔物に傷つけられる人を少しでも減らすためです⋯⋯私に戦闘スキルやセンスが無いのはわかってるので、唯一得意な回復魔法で冒険者を支援しようと思って」
「なんだ⋯⋯立派じゃないか」
ふぅ、とウォルターは息を吐いた。
ただ漠然と一族の畑を耕し、村の外になど目を向けず暮らしていた自分とは大違いだと、劣等感に似た感情を抱き、そっぽを向いた。
「そういえば、ここに来た理由はなんだ? 二度も来てわざわざ僕の正体を暴くなんて、なにか理由があるのか?」
はっと、目を見開いて、アルトは頭をブルブルと振った。
ウォルターが商人達を襲っているのか、それともこの谷から現れている魔物が襲ってこの谷を通れなくしているのか、それを尋ねたかったのをすっかり忘れていたらしく、指の第2関節で頭を何度か叩いた。
「そうでしたそうでした⋯⋯この谷を通る商人や人を襲ってるのはウォルターですか?」
「⋯⋯あー。俺が襲うというか追い出すのは武装した集団だけだよ。それこそ昨日のアルト達みたいな。まあ今日はもう一度来たから龍を出したけどさ」
「⋯⋯てことは商人を襲ったりしているのはほかの物だと?」
「ああ⋯⋯まあ直接見てないが⋯⋯多分あいつ⋯⋯ホルテルの群れだろうなぁ」
「ホルテル⋯⋯?」
初めて聞く魔物の名前にアルトは首をかしげた。
「見たことないか? 全身が焦げ茶色で、上の部分だけ白い毛に覆われてる小さなトカゲ見たいなやつだよ。と言っても全身毛だらけなんだがな。歩き方とか顔はトカゲっぽい」
「それがあのオオカミより厄介なのですか?」
「サミーウルフか? あれも戦闘力はたかいけど、ホルテルは攻撃力も獰猛性もはるかに上だぞ」
「ま、まじですか」
「大マジ大マジ。体は小さいんだよ。猫よりひと回りくらい大きいかなってくらい。ただいつも集団で動いてて、あらゆる肉を食い散らかしていくんだ」
「ハイエナみたいな感じでしょうか?」
「まあ近い。好戦的で防御力が魔物の中でも上位で相手は積極的に人を襲う残酷な生き物なんだよ。それがいちどに10匹以上で襲ってくるから、まあひとたまりも無い」
「私達が昨日今日それと遭遇してないのはただの僥倖ということですか」
「まあそうだなぁ」
「しかし、いきなりそんなのに襲われ出すなんて、いったいどこからやってきたんでしょうね」
「⋯⋯さあね」
ウォルターの目が細く閉じかかる。
なにか憂うように神妙な面持ちになりながら、息を整えるように背筋を伸ばして深呼吸している。
隠し事があるのは明白だったが、アルトは自分から聞き出そうとはしなかった。
「あとひとつ1個だけ聞いてもいいですか?」
恐る恐る顔をのぞきこみながら、アルトが言う。
「なんだ?」
「あの龍を生み出した理由はなんなのでしょう」
「ああそれか⋯⋯ただ単に追手を追い払うためだよ。村を出る頃には周辺の奴らには祝福のこと知られてたからね。利用されないためさ」
「なるほど」
だから逃げる者を追撃することが無かったのかと、昨日の戦闘が腑に落ちる。
「まあとにかく」
ウォルターが立ち上がって伸びをする。
腰に巻いていた外套を気直し、アルトを見下ろす。
「あの龍は現れてもすぐ離れたらなにもしないように作ってあるから、それをみんなに伝えてくれるか?」
「え、ええ」
「⋯⋯ありがとう。また上まで送っていくよ。手前で待ってる子も一緒に」
「ありがとうございます⋯⋯まあ、送ってもらわないと私達ふたりともまともに泳げないから戻れないんですけどね」
立ち上がりながら、冗談交じりに笑うと、ウォルターも顔を綻ばせた。
ウォルターはその場でアルトを見送り、アルトは入口のほうへと戻っていく。
ホリゾンブルーと薄い黄色の淡い光の境界線で、ウォルターが独り言のように呟いた。
「異界の種にはご用心を」
境界線を超えたアルトは、振り返ってみたが、ウォルターは背中を向けていて、その感情が一切読めなかった。
「随分と話し込んでたみたいだな」
洞穴の入口に戻ると、退屈そうに座り込んでいたアネットが立ち上がった。
「なにか有益な話はできたか」
「⋯⋯とりあえず、谷の魔物は彼は関係ないみたいです」
滝の方からまた水の紐が現れ、地上へと登っていく。
地上は変わりない様子で、太陽が少しだけ頂点に向かって進んでいた。
来た道を戻る途中、アルトは振り返り、ウォルターは今もあそこでひとりでいるのだろうかと、カレに思いを馳せた。
「それで、ここで悪さしてる魔物の情報は得られたのか」
「ええ。なんか小さいけど凶暴で集団行動する魔物が原因らしいです。全身が焦げ茶色で、上の部分だけ白いトカゲみたいな魔物らしいです。そうそう、ちょうどあんな感じの⋯⋯え?」




