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深い谷底の花 5

(アネットはともかく何でエルメナに説教されなきゃいけないんだろう)


 エルメナの言うことが受け入れられず、泣きそうになりながら、アルトは身を丸くした。


「でもどうにかしないとあの龍とは戦えませんよ」


「でもそれ以外の方法にゃぁ。川をめちゃくちゃにしたりしたら後が恐ろしいんだにゃぁ」


「生態系の観点からですか?」


「それもあるけど色んな人にぶちギレられるのも困るにゃぁ」


「⋯⋯まあそりゃ怒りますよね⋯⋯整体系崩れたら。そもそも潮で水質を変えて効果があるか分かりませんし 」


 たしかにあまり宜しくない方法だと自戒しながら、次の策を練る。

 だが、矢が効かなかった以上、剣や槍も効かないと考える他ない。

 となると、今のメンバーでできることはほとんどないに等しい。


 パンを齧りながら、アルトは首を捻りながら思い悩むように顔を歪めた。

 

(このパン硬いな⋯⋯)


 作ってから日が経っているからか、パンはパサつき、ゴムのように硬かった。

 それでも何度も咀嚼していると柔らかくなってくるが、精神的に疲れてくる。


「下がるしかないんでしょうかね」


「だと思うにゃよぉ。でもあれを何とかしないと物が運べないにゃぁ」


「⋯⋯そもそもあの龍は物資を運ぶ時出てきてたんでしょうか」


「そりゃそうじゃないかにゃぁ?」


「でも、それならグッベルさん達の耳に入ってて良さそうですけどね。いくら早急の招集とはいえ、知っていても良かったと思います」


「じゃあやっぱり、ここを通れなくなってたのはあの狼達のせいだと思うのかにゃ?」


「と思います。あの龍が水から出ないなら確定と言っていいんじゃないでしょうか」


「うーん。じゃあやっぱり数の問題かにゃぁ」


 森の方に顔を向けながら、エルメナはパンを噛みちぎった。

 エルメナや皆の感覚として、今日戦った限り、魔物達はそれほど強くもなく、冒険者ならパーティーを組めば十分対処できるはずで、商人も傭兵を雇えば何とかなると思った。


「もしかしたらおっきい集団がいるのかもしれないにゃ。それだと生半可な人数じゃやられるにゃ」


 エルメナは焼いたサミーウルフの肉に齧り付き、口元を腕で拭った。

 

「まあ考えても仕方ないし、ここはリーダーに任せるにゃぁ」


 リーダーと言って見たのは、やはりグッベルだった。

 グッベルは仲間と食事を取りながら、穏やかに談笑している。

 アルトも顔を向けると、一瞬目があったが、2人ともすぐに目を逸らした。

 グッベルとしては、神だと思ってるアルトを駆り出しておきながらこの体たらくでいる事が、申し訳なくて直視しずらいのだ。


 夜もふけり、アネットとエルメナは簡易な布を敷布団と掛け布団にして眠り、アルトはその近くで正座しながら情愛の神カーネリアンへの祈りを捧げていた。


(カーネリアン様⋯⋯どうか我々の旅路に安寧を⋯⋯そして罪深き私をどうかお許しください⋯⋯)


 殆どは結果として神を僭称することになったことへの懺悔であった。

 祈る間、アルトの心拍は上がり、顔は火照って汗が滲んだ。

 祈っているからと言って、カーネリアンの声が聞こえてくる訳でもない。

 天界からカーネリアンがアルトを苦しめているというわけでもない。

 ただ純粋に、カーネリアンへの罪悪感がアルトの体調に変化をもたらした。



 グッベルは仲間と共に、これからどうするかを話し合った。


「このまま引くか。もう一度あの龍に挑むか⋯⋯君はどう考える?」


 剣士のひとりに訪ねた。

 剣士は国の兵士ではなく、腕自慢の者を募集した。

 その結果5人の腕に自信がある剣士が集まり、実際、戦闘面では頼りになった。


「見えたように矢を通さないのであれば我々に出来ることがないや。引く他なしだ」


「だとは思っている。だが神を報じての戦いという建前上⋯⋯引くことは我々の威信に関わる問題だ」


 剣士はグッベルの俯いた顔を見ながら、ため息をついた。

 最初から意見を聞くつもりなんてないじゃないか。ただ戦うという言葉が我々から出るのを待ってるだけじゃないかと。


 グッベルは頭を悩ませていた。

 神アルトを連れての谷での掃討戦という情報は、既に国内に広がっている。

 これで負けたとなれば、アルトのお陰で戦争が終わったと信じている民達は軍をなじり、国王や軍はアルトの力を疑うことになりかねない。


 それは避けなければならなかった。

 しかしながら、軍隊で経験を積んできたグッベルには、あの龍をどうすれば倒せるのかというビジョンが一切浮かんでこない。


 タジスト国には魔物が少ない。

 この谷や森の中にそれなりに危険な魔物は存在するものの、普段は人間と生息域が違いすぎ、会うことは無い。

 会うのは、小さなネズミに似た魔物のような影響力のない魔物としか戦っている警戒がない。


 あんな全長10M近くありそうな龍と退治したことは無い。

 人間以外との戦い方など、この国の兵士は学んでいなかった。


 水が入ったカップに手を伸ばす。

 この中身が酒だったらどんなにありがたかったかと、溜息をつきながら水を飲み干した。


「1度下がり龍に対する情報を集め、役立ちそうな人間を見つけたら仲間に入ってもらおう。金に糸目はつけない」


「そうするのが懸命だろうな⋯⋯」


 剣士はホッとしたように胸を撫で下ろした。





 翌朝、グッベルの判断の元、全員が1度近所の街に集まり、龍のことや、龍と戦える魔法使いの存在を聞き取りすることになった。

 その報を聞いて、エルメナは鼻息荒くニヤニヤと笑ったりした。


「どうして嬉しそうなんです?」


「この睾丸を売るからにゃぁ」


 腰に吊るした皮袋を右手に掴む。


「あ、そういうことですか」


 アルトはまともに付き合う気になれなかった。


 谷に近い小さな村は、野営のように全体をぐるりと堀で囲い、四方に橋をかけた構図となっている。

 グッベルが街に入ると、人々は感激ムードとなり、戦争を終わらせた神アルトと、その守護者達を迎え入れた。

 

 グッベル達は人々に龍のことを聞いて回ったが、有力な情報は得られなかった。


「あれはあの地の神様だよ。あんた達は怒らせてしまったんだ」


「あの龍は女を見つけると出てくるらしい。食べようとしてるのかね」


 様々な噂話が、グッベル達へと伝わっていくが、どれもこれも信憑性が少なく、皆言ってることはバラバラだった。


 龍に対する有力な情報も得られず、対策も分からないまま時間だけがすぎていく。

 街を走り回っていた子供たちが、昼食の為に家の中へと戻っていき、そこら中の飲食店から客達の声や厨房で指示を飛ばす声が聞こえてくる。

 

 これ以上話を聞いても有力な情報は得られないだろうと、グッベルは1度国王へ報告に帰ることを決断し、アルトを探した。

 しかし、アルトの姿はどこにも見つからず、そもそもこの街に来てから一度も見ていないことに気づいた。


「なあ、アルト様がどこにいるか知らないか」


「さあ⋯⋯見てませんね。そういえばあの女の人もいないような」


 兵士のひとりが上を向きながら答える。

 あの女の人と言われ、グッベルはアネットとエルメナの両方を浮かべたが、目の前の薬屋にサミーウルフの睾丸を押し売りしているエルメナを見つけ、アネットの事だとわかった。


「ねえねえ⋯⋯こんなにあるんだけど買ってかないかにゃぁ? もちろん安くするにゃよぉ? ほらぁ⋯⋯みんなお疲れっぽいしぃ、薬屋なら睾丸の粉末は必須だにゃぁ?」


 相変わらずの様子でグイグイと押しているエルメナを横目に、グッベルはキョロキョロとアルトを探したが、見える範囲にはいない。


 そして今朝のことを思い返してみると、普通に歩いていて少し疲れた事を思い出した。

 この数日、移動で疲れることは1度もなかったのに、今朝は今までのように疲労し、疲れるのが久しぶりで、辛いとまで思ったほどだ。


「まさか⋯⋯」


 アルトが自分達と共にこの街に来ていないことは確定だが、ならば一体どこにいるのか。

 グッベルは咄嗟に振り向いた。

 建物の壁と看板が目に入る。どうやら靴屋らしい。

 

「おふたりだけで⋯⋯?」


 グッベルは靴屋のはるか遠くのあの谷を見つめる気持ちになりながら、ぼそりと呟いた。





 その頃、アルトとアネットはふたりで谷を進んでいた。

 谷は昨日よりも静かで、魔物が降りてくる様子も途中までは無かった。

 風もない凪いだ谷を、ふたりは静かに進んでいく。


 今朝出発の支度を整え、皆について行こうとしたアネットの視界に映りこんだのは、皆と反対に、谷へと向かって歩き出すアルトだった。


 完全に気配を消し、僅かな足音も立てず、ごく自然に進もうとする姿は不気味でもあった。

 アネットは呼び止めるではなく、アルトの元へ向かうことを選択した。

 ごく自然について行く速度を緩め、最後尾に行ってから、静かに集団を離れてアルトの元へ駆け寄った。

 エルメナには気づかれていた気がしていたが、彼女は何も言わなかった。


「おいアルト、どこへ行く」


 谷を少し進んだところで追いつき、肩に手を置く。


「⋯⋯龍のところまで」


「なにをするつもりだ」


「⋯⋯少し思ったことがあるので」


 多くを語ろうとしないアルトから、強引に聞き出そうとはせず、そのまま何をしようとしているのか見守ることにし、いつでも戦闘に入れるように鞘を握って息を吐いた。


 たが谷は不気味なほど静かで、魔物が左右の山々から現れる気配は一向にない。


「気味悪いな⋯⋯なんで誰も出てこない」


 あまりの静けさに、アネットは顔を顰めた。

 昨日あれだけ出てきた魔物が出てこないというのは、薄気味悪く、逆にいつ出るのか、なにか異変が起きているのかと、神経を使って疲弊していく。


「なぜ魔物が出ないとか分かるか?」


「さすがにそれは⋯⋯まあ⋯⋯神の御加護とでもしておきますか」


「こんな時でも神か⋯⋯流石だな」


 アネットは頬を緩ませ、アルトの顔を覗き込んだ。


 ふたりは谷の最深部、池の場所まで1度も戦闘することなく到着した。


「で、何を思いついたんだ?」


 水面を眺めながら、アネットが言う。

 アルトは顎に手を当てながら、じっと見えもしない水底を確認しようと、目を細めた。


「エルメナが言ってたじゃないですか? 龍は祝福を受けてるって」


「言ってたな⋯⋯まさか祝福を受けた者同士仲良くするとか言い出さないよな?」


「まさか⋯⋯私が思ったのは⋯⋯あの龍は龍じゃないってことですよ」


「どういうことだ?」


 話していると、昨日のように水面に多量の泡が湧き出て、水が勢いよく天へ向かって隆起した。

 

「もうお出ましか」


 アネットが剣を抜く。龍の身体が水面から飛び出し、髭を揺らしながら、身を乗り出し鋭い眼光でアルト達を睨みつけている。


「何しに来た。今度こそ殺されたいか」


 鈍く重たい声がふたりの頭の中に響く。

 語気が昨日よりも強く感じる。

 アネットは右足を引き、いつでも戦えるように身構えているが、アルトは逃げる様子も、もちろん立ち向かう気も見せず、慎重な面持ちで龍を見上げて、目を細めた。


「あなた⋯⋯人間ですよね」


「はっ!?」


 荒唐無稽としか思えない台詞に、戸惑い、アネットは吸い寄せられるようにアルトから視線が離せなくなった。

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