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【受賞しました】裏山で拾ったのは、宇宙船のコアでした  作者: オテテヤワラカカニ(旧KEINO)


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8-14

 サキシマ重工の管制室は静寂に満たされていた。


 まるで外界とは異なる時間が流れているかのように、張り詰めた空気が淀み、呼吸すらも憚られる。


 壁一面を占める巨大なメインスクリーンには、吸い込まれそうな宇宙の漆黒を背景に、冷たく無機質な白いアルファベットが、心臓の鼓動を嘲笑うかのように、ただ執拗に点滅を繰り返していた。


 「LOSS OF SIGNAL」


 その無慈悲な宣告が表示されてから、すでに七時間が経っていた。


 それは単なる時間の経過ではなかった。

 粘性を帯びた空気が思考の速度を奪い、クルーたちの精神をじわじわと蝕んでいく、拷問にも似た時間だった。


 コンソールパネルの前に並ぶ彼らの横顔には、幾重にも塗り重ねられた疲労と、その下に隠しきれない絶望の影が、暗い隈となって刻み込まれている。


 それでも、彼らの指は止まらない。

 誰一人として、諦観に身を委ねる者はいなかった。


 カチャカチャと乾いた音を立ててキーボードを叩き、マウスを掌で滑らせ、必死にシミュレーションのパラメータを調整し、万に一つの可能性を信じて予測計算を繰り返している。


 だが、その指先は意思とは裏腹に微かに震え、額には脂汗が滲み、背筋を冷たいものが伝っていく。

 彼らは、暗闇の中で一本の蜘蛛の糸を手繰り寄せるように、見えない敵と戦い続けていた。


 管制室の後方、一段高く設けられた司令席から、サキシマ重工社長、崎島は静かにその光景を見渡していた。


 その表情は平静を保っている。

 時折、席を立ち、疲労の色が濃いクルーの肩を叩き、労いの言葉をかける。


 その落ち着き払った声と揺るぎない存在感が、かろうじてこの場の規律と士気を繋ぎ止めていた。


 だが、どれほど気丈に振る舞おうとも、一度漂い始めた諦めの空気は、霧のように密度を増し、確かな重みをもって管制室全体を侵食し始めていた。


 それはまるで、ゆっくりと進行する中毒のように、抗う気力そのものを奪っていく。


 その崎島のすぐ傍らで、翔太は、必死に冷静さを装っていた。

 彼の視線は、メインスクリーンに映る文字列に、まるで縫い付けられたかのように固定されている。


 しかし、その胸の奥深くでは、確かな安堵の灯火が揺れていた。

 アーベルからの量子通信によってHTV-Y改の健在が報告されていたのだ。


 だが、その奇跡的な事実を、今この場で明かすことはできない。

 安堵の表情が僅かでも漏れ出さぬよう、彼は唇を固く引き結び、細心の注意を払っていた。


 隣席の涼子もまた、翔太と同じ重圧を背負っていた。

 彼女は、手元のディスプレイに表示された過去のテレメトリデータを、意味もなくスクロールさせ続けている。

 彼女の心もまた、アーベルからの報せによって、とっくの昔に安堵の海に浸っていたのだ。


 HTV-Y改の無事――その情報は、高エネルギープロトン現象の影響を一切受け付けないアーベルからの量子通信だからこそ届いた、まさに奇跡の福音だった。


 しかし、それを知る者は、この管制室広しといえど、崎島、翔太、涼子の三人だけ。


 この極限の疲労と緊張に満ちた空間で、その情報を不用意に開示すれば、クルーたちの間に無用な混乱と、万が一の際の判断ミスを誘発しかねない。


 ぬか喜びの後に再び絶望が訪れた場合の精神的ダメージは計り知れない。

 だからこそ、彼らは沈黙を貫いていた。

 メインスクリーンの「LOSS OF SIGNAL」の文字が消え、その向こうにHTV-Y改の姿が再び現れるその瞬間までは、100%の確信を周囲に与えるわけにはいかなかった。


 三人の心臓は、まるで時が止まったかのように静まり返り、固唾を飲んで、ただその瞬間を待っていた。

 周囲の絶望的な空気と、内に秘めた確信との乖離が、彼らの精神に鉛のような負荷をかけていた。


 その長く、重苦しい沈黙を破ったのは、宇宙天気(スペースウェザー)を監視するオペレーターの声だった。

 彼の声は、長時間の緊張でわずかに上ずっていたが、

 その言葉には確かな変化の兆しが含まれていた。

 

「陽子密度、急速に低下! 高エネルギープロトン現象、収束に向かいます!」


 その一言が、静まり返っていた水面に投じられた小石のように、管制室に微かな、しかし明確な波紋を広げた。


 数時間前まで猛威を振るい、あらゆる通常通信を麻痺させていた太陽からの死の嵐が、ようやくその勢いを弱め始めたのだ。

 分厚い暗雲の切れ間から、一筋の希望の光が差し込んだかのようだった。


 「よし……!」


 別のオペレーターが、安堵とも期待ともつかぬ声を漏らす。


「このレベルまで下がれば、Xバンド通信が回復する可能性がある。HTV-Y改のシステムがまだ生きているなら、そろそろ……!」


 崎島は、その報告にゆっくりと、しかし力強く頷いた。

 彼の視線が、翔太と涼子の視線と刹那、交差する。


 二人は表情こそ変えなかったが、その瞳の奥には、崎島と同じく、「ようやくこの時が来た」という安堵の色が、隠しようもなく浮かんでいた。


 真実を知る者だけが共有する、特別な緊張からの解放の予感だった。


 クルーの報告が終わるやいなや、崎島が静かに、しかし良く通る声で指示を出す。

 

「臼田、及び内之浦へ伝達。予測座標に基づき、HTV-Y改への指向性ビーコン照射を開始せよ」


 その指令を受け、地球の裏側にある巨大なパラボラアンテナが、夜の闇の中で重々しい駆動音を響かせながら、ゆっくりとその巨体を旋回させ始めた。


 シミュレーションで割り出された、HTV-Y改が存在するであろう漆黒の虚空の一点へ、寸分の狂いもなくその純白の顔を向けていく。


 宇宙の彼方へ向けて放たれた微弱な電波が、沈黙した船を探し出し、奇跡の帰還を待つ管制室へと、再び生命の証を届けてくれることを、誰もが信じていた。


 管制室全体が、息をのんだ。


 先ほどまでのざわめきが嘘のように消え、再び訪れた静寂は、しかしその質を完全に変えていた。


 絶望に支配された死の静寂ではない。

 祈りと期待に満ちた、生命の誕生を待つかのような聖なる沈黙だった。


 キーボードを叩く音も、マウスのクリック音も、咳払い一つ聞こえない。


 全ての視線が、メインスクリーンへと注がれる。

 誰もが言葉を発することなく、ただ祈るように画面を見つめていた。


 張り詰めた糸のような緊張が、空間を支配する。

 崎島は、この凝縮された空気の塊を打ち破るかのように、静かに、深く息を吸い込んだ。

 その隣で翔太は、掌にじっとりと汗が滲むのを感じていた。


 沈黙の中、誰かがかすれた声で呟いた。


 「……どうだ?」


 それは、絶望の淵から最後の力を振り絞って這い上がろうとする、か細い問いかけだった。

 その言葉が、まるで呼び水となったかのように。

 

 次の瞬間、その希望は、確かな現実となって管制室に鳴り響いた。


 通信担当(COM)のオペレーターが、両手でヘッドセットを耳に強く押し当てた。

 その目が見開かれ、顔が驚愕と、それに続く純粋な興奮に歪む。

 彼は椅子から跳ねるように立ち上がると、ありったけの声で叫んだ。


 「シグナル! キャリア波を捕捉! テレメトリ、回復し始めます!」


 その絶叫は、凍り付いていた管制室の空気を粉々に打ち砕き、一瞬にして熱狂の渦へと変えた。

 それは、まるでダムの決壊だった。

 抑えに抑えられていた感情が一気に溢れ出し、空間を歓喜で満たしていく。


 崎島は静かに目を閉じ、万感の思いを込めて深く息を吐き出した。


 そしてゆっくりと目を開けた時、その口元には、もはや隠すことのない安堵の笑みが浮かんでいた。


 翔太は、隣の涼子と顔を見合わせ、小さく、しかし力強くガッツポーズを突き上げた。

 

 メインスクリーンの表示が、唐突に切り替わった。あれほど憎々しく点滅を続けていた「LOSS OF SIGNAL」の無慈悲な文字は跡形もなく消え去り、代わりに、激しいノイズに覆われた不安定な映像が映し出された。


 白と黒の砂嵐のような粒子が画面全体を覆い尽くし、何が映っているのか判然としない。


 だが、その乱れた画質の向こうに、微かな、しかし確かな船影の輪郭が浮かび上がっているのが見て取れた。


 クルーたちがコンソールを操作するたびに、映像はまるで生きているかのように徐々に鮮明になっていく。


 ノイズの粒子が細かくなり、フィルターがかけられていく。

 色が戻り、ディテールが少しずつ、少しずつ浮かび上がってくる。


 そして、次の瞬間、管制室の誰もが息をのんだ。時が止まった。

 爆発していた歓声が、ピタリと止んだのだ。

 そこに映し出されたのは、想像を絶する光景だった。


 陽子の嵐を真正面から浴びたとは到底思えない、完璧で、傷ひとつない、輝くばかりの黄金の船体が、漆黒の宇宙に悠然と浮かんでいた。


 その表面には、微塵の焦げ付きもなく、高熱に晒された痕跡も、デブリが衝突した傷跡も一切見当たらない。


 まるで、数時間にわたって吹き荒れた宇宙の嵐など、最初から存在しなかったかのように、静謐な輝きを放っていた。


 船体後方には、「紅の帆」が、まだ淡い、しかし確かに生命を宿したかのような、脈打つ光を放っていた。

 その深紅の輝きは、無限の闇の中で、決して消えることのない希望の炎のように、穏やかに揺らめいている。


 管制室は、再び、しかし先ほどとは全く異なる質の沈黙に包まれた。


 誰もが、目の前で起きている奇跡を信じられないといった表情で、スクリーンを凝視していた。


 それは畏怖に似た感情だった。

 

 その沈黙は、しかし、長くは続かなかった。


 一人のエンジニアが、堰を切ったように叫んだのを皮切りに、今度こそ本物の、純度百パーセントの歓喜が爆発した。


 「やったぞぉおおおお!」


 「無傷だ……信じられない、無傷だぞ!」


 「生きてたんだ! あいつは、生きてたんだよ!」


 あちこちで、興奮した叫び声が上がる。


 嗚咽を漏らしながら泣き崩れる者、隣の同僚と肩を叩き合い、抱き合って喜びを分かち合う者。


 管制室は、七時間にわたる沈黙から一転して、純粋な歓喜が乱反射する祝祭の場所へと変貌した。


 それは、途方もない絶望から解放された者たちだけが流せる、本物の、偽りのない涙と笑顔だった。


 崎島は、湧き上がるクルーたちを、父親のような優しい目で見守っていた。

 その目尻には、光るものが滲んでいる。


 翔太は、涼子と固く握手を交わした。

 言葉はなかったが、互いの瞳がすべてを物語っていた。


 信じて、待ち続けて、本当に良かった、と。 


 HTV-Y改は、生きていた。


 そして、彼らが胸に抱き続けた希望もまた、宇宙の闇の中で、確かに生きていたのだ。


 メインスクリーンに映る黄金の船体は、ただ静かに、その事実を証明し続けていた。


〜あとがき〜

気がついたら、百話目を迎えていました。

素人の作品ではありますが、これほどたくさんの方々に楽しんでもらえるとは夢にも思っていませんでした。

今後も読んで頂けると幸いです。


以上!

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― 新着の感想 ―
地球文明的には「奇跡」、超文明的には「当然」って感じですかね、でもってこれぐらい差があると手も足も出ないのでどうか勘弁してください。
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