8-11
月周回ステーションゲートウェイ
デブリ衝突から一日後。
船内を揺るがした狂乱の嵐は、過去のものとなっていた。
オリオン宇宙船とゲートウェイの《HALO》(居住・補給モジュール)はそれらをつなぐ《I-HAB》(国際居住モジュール)の隔壁を固く閉ざすことで、宇宙の墓場の静寂の中でかろうじて脈打つ、小さな生命の孤島と化していた。
衝突から24時間。
この間、エリックの指揮のもと、四人のクルーは生存のための応急処置を完了させていた。
損傷区画は完全に隔離され、HALOとオリオンの独立した生命維持システムは最も効率的なモードで稼働するよう再設定された。
電力消費は極限まで切り詰められた。
しかし、彼らの生存可能時間、約一週間という現実は、変えようのない前提条件として重くのしかかっている。
だが、パニックの段階は過ぎた。
彼らはプロフェッショナルであり、そして何よりも科学者と技術者だった。
目の前で起きた、常識では説明のつかない事象を前に、彼らの知的好奇心と探求心は、死の恐怖を乗り越えようとしていた。
HALOのコマンドコア。
それが、彼らの作戦司令室兼、研究室となった。
ミナとカルロスはオリオンからビデオリンクで参加している。
モニターには、四人の真剣な表情が並んでいた。
「さて、諸君」
エリックが切り出した。
「生存のための応急処置は完了した。だが、我々はただ救助を待つ漂流者ではない。我々は、人類の歴史上、最も不可解な事象の、最初の目撃者だ。これから、この事象の解析を開始する」
エリックの言葉に、全員が頷く。
「まず現状を正確に把握する。メイファ、ステーション全体のセンサー類で、まだ生きているものをリストアップしてくれ。特に外部カメラと、月面を観測できる望遠鏡の状況が知りたい」
「エリック、センサーリストをまとめました。大半が沈黙していますが……幸運なことに、ゲートウェイ本体のドッキングポート付近に設置された高解像度観測カメラが、予備電源でかろうじて生きています。指向性を変えることができれば、月面……シャクルトンクレーターの衝突地点を詳しく観測できる可能性があります」
「よし、でかした、メイファ」
エリックの声が弾んだ。
「衝突の原因を探ることが、我々の状況を理解する鍵になるかもしれん」
次に報告したのはミナだった。
彼女の声には、困惑と興奮が入り混じっていた。
ミナは手元の端末を操作し、共有モニターに一枚の拡大画像を映し出した。
「昨日報告した通り、デブリの主成分は異常な高純度のアルミニウムです。ですが、特筆すべきはその微細構造です。これは……単なる金属片ではありません。ナノスケールで規則的なパターンが刻まれており、電子回路としか表現しようのない構造をしています」
画面には、幾何学的な模様がびっしりと並んだ、金属粒子の断面が映し出される。
「私の仮説ですが」
ミナは続けた。
「この粒子一つ一つが、何らかの情報媒体、あるいは機能素子として設計されている可能性があります。我々の体を構成する細胞のように、これらの粒子が集まって一つの巨大なシステムを形成していた……。これは、高度な知的生命体による人工物かも」
「つまり、俺たちは岩や石ころにぶつけられたんじゃない。コンピュータの破片の嵐に突っ込んだってことか」
カルロスが唸った。
しばらく四人は沈黙の思考の中に沈んだ。
そんな中、沈黙を破ったのはカルロスの驚きの声だった。
「おい……みんな、これを見てくれ!」
カルロスはオリオンのメインモニターの映像を、HALOのコマンドコアにも転送した。
そこには、メイファが言っていた高解像度カメラが捉えた、シャクルトンクレーターの永久影の映像が映し出されていた。
ほとんどが漆黒の闇に包まれている。だが、その中心で――。
「今、なんて伝えようか、考えていたところよ」
メイファは冷静な声をマイクへ届けた。
「現在、ゲートウェイの高解像度カメラで、シャクルトンクレーターの衝突地点を観測。衝突したのは、直径約千メートルのほぼ完全な球体と推定されます。そして……その墜落地点らしき箇所で、周期的な発光現象を確認しています」
モニターの映像が切り替わり、クレーターの永久影に沈む、黒い球体が映し出される。
そして、その中心が、心臓の鼓動のように、淡い青白い光を放って消えた。
「パルス間隔は、正確に5.73秒。明らかに、何らかの意図を持ったシグナルか、あるいは機能している証左です」
「クレーターの底で、まだ生きてるってわけか」
カルロスの声に険が混じる。
彼はエンジニアとして、この状況を別の角度から分析していた。
「コマンダー、一つ気になることがある。衝突のシミュレーションを走らせてみたんだが、どうにも計算が合わん」
「どういうことだ?」
「あれだけの質量の物体が月に衝突すれば、発生するデブリの軌道や速度分布は、もっと広範囲で壊滅になるはずだ。だが、我々が観測したデブリ群は、極めて限定された範囲に、高密度で集中していた。まるで……」
カルロスは言葉を選んだ。
「まるで、あの球体が、月面に激突する直前に急制動をかけたとしか」
カルロスの仮説は、船内に重い沈黙をもたらした。
エリックは、すべての報告を腕を組んで聞いていた。そして、ゆっくりと口を開いた。
「整理しよう。第一に、我々を襲ったのは、未知の知的生命体が作った高度なナニカである。第二に、その母体である球体は、今も月面で機能しており、何らかの信号を発信し続けている。第三に、この一連の事象は、月に落ちたナニカにとっても偶発的な事故なのかもしれない、と」
誰も反論しなかった。
それが、彼らが24時間かけてたどり着いた、最も論理的な結論だった。
その時、オリオン宇宙船の船内に、途切れがちな電子音が響いた。
「エリック、ヒューストンから……! でも、通信状態が最悪です。ノイズが酷すぎる」
ミナが叫んだ。
モニターには、意味をなさない文字列とノイズの嵐が映し出されている。
「音声は無理だ、テキストデータだけでも引き抜く!」
カルロスがコンソールを叩き、数秒後、断片的なデータが画面に再構成された。
...GATEWAY...応答...[-----]...救出...決定...日本のサキシマ重工...ロケット...[GARBLED]...新型船...HTV-Y改...[NOISE]...打ち上げ……三日……
船内に、息を呑む音が響いた。
「救助船……」
メイファが呟いた。
「日本の、サキシマ重工が?」
「HTV-Y改……聞いたことがある。こうのとりを発展させた次世代無人輸送船だが、与圧区画があり、一時的に有人仕様にも対応できる設計のはずだ」
カルロスが興奮を抑えきれない声で続けた。
「三日……俺たちの生存リミットよりも余裕がある……良かった……間に合うかもしれない!」
絶望的な状況に差し込んだ、細く、しかし確かな光。それは、彼らの心に再び火を灯した。
「希望が、現実の目標に変わった」
エリックは、クルーたちの顔を見回した。
「だが、油断はできない。最悪を想定して動くぞ。7日間、我々はここで生き抜くつもりでだ。1分1秒も無駄にはできないぞ」
「了解!」
クルーたちの声が、力強く揃った。
彼らの動きは、明確な目標を得て、即座に変わった。
「生命維持装置のパラメータを再調整する。酸素生成と二酸化炭素のろ過効率を、覚醒状態を維持できるギリギリのレベルまで下げる。これで半日分のマージンを稼げるはずだ」
メイファが、すぐさま計算を開始した。
「オリオン宇宙船内の室温も下がり続けてる。電力節約の影響のせいだな……このままでは体力を奪われる」
カルロスの指摘にミナが頷いた。
「オリオンに積んである船内活動用の宇宙服を使いましょう。気密はせず、防寒着として着込むんです。内部の断熱層が、体温の低下を効果的に防いでくれます」
彼らはテキパキと動き出した。
生命維持装置の静かな駆動音が一段と低くなり、代わりに、オリオン宇宙船の純白の宇宙服をごそごそと着込む音が響く。
極限の節約によって冷え込む船内で、カルロスとミナはまるで白い巨人のように佇み、ヘルメット越しに真剣な眼差しを交わした。
エリックは、モニターの向こう、シャクルトンクレーターで明滅を続ける青白い光を再び見つめた。
「我々のミッション目標を再設定する」
エリックは、マイクを通して、仲間たちに宣言した。
「目標は二つ。第一に、HTV-Y改とランデブーし、全員で生還すること。そして第二に、救助が来るその瞬間まで、あの光る球体の正体を突き止めること。我々は、38万キロ彼方の地球へ、この事実を伝えなければならない」
彼らの一週間の戦いは、今、生存から、未知との対峙と、そして確かな希望への帰還へと、その様相を変えようとしていた。
残された時間は、6日と数時間。クルーたちの本当の挑戦が、始まろうとしていた。
〜あとがき〜
このお話は二話前に投稿している予定でしたが、ミスで投稿できていませんでした。
まあそこまで違和感はないのですが、時系列的にもうちょい早いとこの話でしょってなるかと思いますが、許してください笑
2,3日後に差し替えます。




