第97話 太陽
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会場に入ると多数の観衆が空間を埋めていた。うす暗い灯りに感性が鋭くなる。
ぽつん、ぽつんと淡雪にも似た光が空から地上へ落ちる。赤や黄色、色とりどりの雪。
幻想に目を奪われると、心が遠く消え去ってしまう感覚がする。千尋はぼんやりと虚空を見つめる。
おかしな様子に気がついたあおいは千尋を心配する。千尋の反応はない。すっかり視線を毒されている。
「私だけ見てって……、言ったのに」
あおいは頬をふくらませる。自分以外に夢中になることが嫌なのだ。
少し経つ。
十八時。
ライブは突然に始まる。舞台袖からバンドメンバーと共に颯爽と現れた有理栖は、ステージに立つなり軽やかに手をあげる。
長身にスラリと細いスタイルは人前に立つと舞台映えする。
スポットライトで輝いた有理栖からは、太陽のように眩しい光が溢れ出す。カラフルな雪を照らす少女の光。有理栖が肩からかけたギターも、スカートから伸びる足も、大きな瞳の光沢も、そのどれもが目がくらむほどに発光する。千尋は思う。共感覚か、幻覚か、もうわからない。
「今日は来てくれてありがとう! あたしの歌で楽しんでいってね」
有理栖はマイク越しにそう言うと、一曲目を歌い始める。声が空間を割って一筋の光りになる。会場に反響する有理栖の声は、高くも少し擦れたハスキーなボイス。
熱のこもった歌声からはまるで感情が波になるように、ライブハウスを覆い尽くす。
ほんの数小節。
軽快なギターサウンドに乗せて瞬く間に自分の世界に引き込んだ有理栖を、千尋は冷静に見つめることはできない。
声から溢れる色が、何色にも輝いて鮮やかな世界を見せる。コントラストの高い世界は、脳を通さないありのままの世界のように、彩度が濃かった。
それはまるで有理栖の魂の色、と感じるほどに情報量の多い世界に圧倒される。
「ひとりぼっちだった教室に~♪ きみが現れてから~♪ なにもかもが美しく~♪ 素晴らしく見えたんだ~♪」
D♭のキーに感傷的なリフが心を揺さぶる。テンポがよくバランスのいいドラムはバンドを支え、ルート弾きのシンプルなベースは曲に膨らみを持たせる。
たった三人。
それだけの演奏でここではないどこかに連れて行かれる。千尋は思った。音楽は、有理栖はただ凄いと。
――
「どうだった? あたしのライブ」
一時間のライブの後、千尋たちは楽屋で有理栖と会った。
狭くて汚い楽屋は楽器やらチラシやらが散乱している。ゴミ箱はしばらく掃除されていないのか、空き缶やプラスチックの袋が積もり、異臭がする。
「かっこよかったでしょ? あたしたちの音楽」
「は……、はい。うん。すごかったです」
「でしょでしょ! きみもやりたいって思ったでしょ?」
「僕なんかにはとても無理ですよ」
「ううん。あたしはねきみとおんなじ。この世界と折り合いをつけるためにね、あたしが選んだのは歌うことだったんだ。だからきみにもできる」
「そんな……、僕には……」
「大丈夫。あたしはねきみみたいな子が気になるんだ。仲間だなって思うんだよ。きみになら絶対できるよ。あたしも手伝うから」
「有理栖さん……」
高柳有理栖の事情は少し知っている。千尋は思う。自分と同じように暗がりからやってきた有理栖のように、頑張れば太陽になれるかもしれない。いや、なりたい。舞台でスポットライトと歓声を浴びて輝く有理栖は、目がくらむほどに眩しい太陽そのものだった。
「僕は……、匂いに色を感じます……、最近は音にも。有理栖さん。歌うあなたは……、光輝いてました」
「えへへ……、そうかなぁ? にししぃ……、褒めるの上手だね。千尋くん」
「いえ、お世辞じゃないんです。僕は共感覚っていう頭の病気があって……、そういう風に見えるんです。僕は見たまましか言えないです。不登校のひきこもりなので、カッコイイ詩的なことなんて言えないですもん」
「へへへ……、嬉しい。そう言ってもらえたら。ドキドキしちゃう」
「でも本当のことなんです。僕は……、自分の気持ちを伝えるのが苦手なんだけど……、でもあなたのように、ありのままを言えるようになりたい。そう思うくらい、あなたは僕の憧れです」
「んもうぅ……、かわいいな~。ぎゅ!」
「あ……」
辿々しくも素直に感情を告げる千尋を、有理栖は可愛いと思った。その言葉はまだまだ不器用だが、純粋無垢な男の子を抱きしめたいと思った。
有理栖は千尋を力強く抱きしめて頭を撫でる。
「あ、有理栖さん……」
「えへへ……、大丈夫。きみにならきっとできるよ。こんなにも真っ直ぐに人と向き合えるんだから」
笑って言った有理栖の体温は昼下がりの日向のように安らかだった。隣に立つあおいの視線は鋭いが、今は気にならない。僕は生きるのだ。生きて生きて、この世界で居場所を見つける。
千尋は思う。そうだ。これが僕の目標なのだ。自分を表現する方法。モデルなのだ。
できるかはわからない。だけどやってみたいと思う。
ライブハウスから出るとそんな夜が更けていった。




