第98話 ラブソングの作り方
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二日後。
日曜日。
いつものように朝早くに目が覚めた千尋は、空を飛ぶ夢をみた。
雪が降るにはまだ早いが、世界中に赤や黄色の花が咲いている。
共感覚が見せる幻は、日に日に大きくなっている。どこからが現実で、どこからが夢なのか、境界線はどこにあるのか。まるでわからない。
喩えるなら統合失調症。
自覚出来なくなったらいよいよ持って行きつくところまで行ってしまうが、元から性機能に障害がある一四五センチの高校生だ。
PTSDのせいでまともに会話もできず、すぐに倒れるメンヘラでもある。
千尋は思う。
ああ、大して変わらない。
七時。
めぐみに誘われて奏と共に河川敷の散歩に出かける。
ムクドリや雀の声は、黄色に染まって川を彩る。白やピンクのコスモスからは、たまゆらのような光が飛んでいく。
「あぁ~、朝はもう寒いね~。ちーちゃんぎゅ~は?」
「いや……、僕なんかじゃ暖にならないし……」
「なるよ! ちっちゃくて抱きしめやすいお手軽ホカロン!」
「僕は一体なんなんだ……」
十一月の風が頬を刺す。少し寒さに震えためぐみは千尋の体に抱きつく。暑苦しくてわずらわしいが、すっかり躁状態に戻っためぐみに懐かしさを感じる。
「うーん、超能力者?」
「そんなかっこいいものじゃないし……」
「でも、雪が降ってるんでしょ~? すごいじゃん! む~? あたしにはまるでそんなもの見えないのに~」
「そりゃ……、実在しないものだし」
「あ~あ~、あたしも欲しいな~、共感覚!」
羨ましそうに空に手を広げためぐみの顔に、明けの太陽が微笑みかける。からかぜの吹く今は、まだどこへもいかない。こんな風な毎日は、愛おしい。千尋は思う。
【奏も欲しい!】
「いや、だから欲しがるような力じゃないから。なんか発動すると頭クラクラするし……」
【千尋ばっかりずるい! 奏にも分けてよ!】
「そーだそーだ! あたしにもちょーだい!」
「なこと言われても……」
【奏は色んな人を助けられる人になりたいの! 力が欲しいの! たくさん! いっぱい!】
「この力はそういうあれじゃないような……、ていうか力って表現するあれでもないし……、幻覚みたいなものだから……」
【でも色で私のこと見つけてくれたじゃん】
「探偵になれるね。ちーちゃん」
「ならないし……、そんな都合よくコントロール出来てるわけじゃないし」
【じゃあ千尋はなにになるの?】
「え……、いや、うん……、わかんないけど……」
「ちーちゃん夢とかないの?」
「あ……、う……、ん……、どうなんだろ」
【奏はね! 先生みたいなかっこいい人になるの! 困ってる人を救えるヒーローになるの!】
「かなりんならなれそうだね~! うん! 絶対なれるよ!」
「奏は優秀だからなぁ……」
【千尋は歌手になったらいい】
「え?」
【千尋きっとむいてるよ】
スマホの画面を見て千尋は息を飲む。考えていることが、世界中に溢れだしているような錯覚に囚われて、つい口に手をやる。もちろん、そんな事実はないが。
「うん。ちーちゃん人に好かれる能力もあるし~! お姉ちゃん的には嫉妬しちゃうけど……、でもむいてるよね~、絶対!」
「いや、……、そんな能力ないし……」
【千尋モテモテだもん。人前に出る仕事した方がいいよ】
「ちーちゃんはかわいいからなぁ」
【変態なのに、なぜかモテる】
「だって子供みたいでかわい~もん! 顔も声も性格も~! ね~、ち~ちゃん~!」
と締まりのない笑顔で抱きしめられると、千尋は抵抗できず、なすがままにされる。相変わらず攻撃的な言動はできず、人との意思疎通も苦手だ。積極的な女性には刃向かえない。体格的にも性格的にも、めぐみには敵わない。
「にゅふふ~、ぎゅ~! ぎゅぅぅぅ~! ちーちゃんのファン一号はめぐみお姉ちゃんだ~!」
「あぐ……、う……、離せ……、この」
【じゃあ奏が二号になってあげるから、早く新曲聴かせて】
「うぅ……、く! なんで歌手になる前提になってるんだよ!」
【千尋の考えてることは、わかるよ】
「ちーちゃん顔に出るからな~、えへへ、そーゆーところもかわい~けど!」
「いや……勝手にそんな……」
【私ね、先生が言ってたこと、段々わかってきたんだ】
「……?」
【昔ね、先生が言ってたの。千尋に私は共感してるんだって。だから気になるんだって】
「共感……」
【最初はイマイチよくわかんなかったけど……、でもなんか気づいたの。私は、千尋にね、自分を重ねてる。千尋が頑張ってるとね、私も嬉しくなるの。それってね、家族に向ける感情と同じだってわかったんだ】
フリック入力を駆使して数秒で長文を打つ奏の指先は、儚くて脆い花びらのように感じた。千尋は言葉に詰まる。胸を打つような指先の動きは、まるで魔法にかかったように苦しい。
【千尋は家族なんだ。私の、新しい家族】
「かなりん……」
「奏……」
【だからわかるんだ。千尋の考えてることも、気持ちも、したいことも。それをね、もっとたくさんの人に発信するべきだよ。千尋にはね、そういう才能があると思う】
家族のいない奏は、この街で出逢った新しい仲間に感情を重ねた。千尋も、めぐみも、琴音も、そしてあおいも。かけがえのない大切な家族だ。血の繋がりはないが、どんなナイフでも切ることはできない永遠。
「うんうん。ちーちゃんの言葉はついつい、聞きたくなっちゃうんだよね~、えへへ……かわいーから!」
――ぎゅううう!
「う……、だから抱きしめるな! もう!」
【先生も言ってた。感受性豊かな千尋にね、自分を表現する居場所を見つけて欲しいって。そのためにね、有理栖さんを呼んだって】
「まあそれは……、PTSDの治療もかねて……」
【でも、やりたくなったんでしょ?】
「えへへ……、あたしとヤりたく?」
「なってない!」
「んもう……、早くなってよ~! ほらおっぱいぎゅーだよ~」
「はぐ……、う……、だから苦しいからや……、やめろ!」
【知ってるよ。千尋が歌詞を書いてるのも、曲を作ってるのも】
「う……、そ、それは……」
【言葉では上手く言えなくても歌になら想いを乗せられる……、素敵だよ。私は思うよ。かっこいい。素敵だって。応援したいって】
「ぐへへ……、あたしも応援するぅ~!」
めぐみは両手を広げて感情を表現する。千尋にはやっと冷えた空気が身近になる。
「う……、ぷはぁ……、はぁはぁ……、やっと解放された……」
【私も頑張るから。千尋も頑張ろう。来週の音楽祭、素敵な演奏をするから、千尋も学園祭で応えて】
「あ~、音楽で語るコミュニケーション? えへへ~素敵~! 超素敵~!」
「そんなかっこいいこと……、僕にはできないよ……」
有理栖のようになりたい。言葉を歌に乗せて、自分を表現する。人と話すのは苦手だし、円滑な人間関係を構築する方法は、いくら本を読んでもわからない。人と違う自分の人生を受けいれる理屈も、納得する答えは今も出せない。みんなと違う人生。おかしい自分。匂いや色が色付いて、カラフルな光が空に舞う光景を、「共感覚だ」と先生は称するけれど、本当はただの幻覚。PTSDが拗れて脳がおかしくなったのではないか、と不安でいっぱい。それでも、彼女のようになれたら、少しは世界がかわる気がする。自分と世界との向き合い方のヒント、そして今、試してみたい手段、高柳有理栖に強い影響を受けたのは、奏の言うように、彼女に共感したからだ。と千尋は思う。
「歌って、ちーちゃん」
【今、そうやって貯まってる心のモヤモヤをね、詩にして私たちに教えてほしい】
「え……、あ……」
【いっぱい色んなこと考えてるの、知ってる。でも、千尋話すの苦手だから、上手く言えないんでしょ? わかってる。なんでも】
「あ……、う……」
【千尋には私と違って声があるんだから、聞きたい。私もいつか歌えるように、頑張るから】
「奏……」
「あたしも聞きたいな~、ちーちゃんの本当の言葉! きっとね……、嬉しくなるよ!」
「そ、……、そう?」
「うん! きっとね~、本当は恥ずかしくてゆえないけど、めぐみのことが大好きだ~! って思ってるんだもんね! でもあおいちゃんも恐いからゆえないし……、あ~っ、この恋をどうしたら~ってラブソング!」
「アホ女め」
「む~! そーゆー悪口は聞きたくないの~!」
「情景描写です」
「むむ! 意地悪なちーちゃんにはこーしてやるんだからぁ~!」
――ぎゅぎゅぎゅ~!
「あ……、うぐ……、あぁ……」
「えへへ~ほらほら~! あたしへの愛情をいっぱい貯えてラブソングにして~!」
「うぅ……、う……」
蜂蜜色の温もりは、やんわりと肌を伝って心臓に雪崩れこむ。息苦しいのは、酸素が足りないせいか、それ以外か。空に上った太陽は、黄金色に輝いて甘い蜜を垂らす。指先でなぞるスマホの保護シールが、冷たい風で乾いていく。LINEの着信音。連続するが、画面は遠く。でも伝わる。奏の体から飛んでいく光の色は、優しい暖色をしている。赤や黄色、オレンジやピンク……、多彩な世界は安心する場所を教えてくれる。
難しいことは考えなくてもいい。千尋は思った。僕は伝えたいのだ。みんなに……、この色を、想いを、伝えたいのだ。ただそれだけでいい。そのために頑張ればいい。そうなれればいい。そうだ。僕がなりたいのは、そんな自分。




