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習作あるいは劇場  作者: じじ
11/12

三幕 三場




 娘は前にも増してよく働き、貧しいものに手を差し伸べ、迷える者の心に寄り添い、どんな悪の誘惑にも屈することはなかった。

 娘の瞳に輝く情熱を、娘を突き動かすものの正体を、悪魔はよく知っていながら、その時が来るまで悟ることはなかった。


 娘はやがて聖女と呼ばれ多くの人に慕われたが、重い病の床に伏すことになった。

 町中の医者が手を尽くしてもどうすることもできなかった。彼女は清潔なベッドにやせ衰えた体を横たえていた。そこに、約定(やくじょう)に縛られた悪魔が姿を現した。

 娘は瞼を開けて悪魔を見ると、微笑んだ。


「賭けは私の勝ちですわね」


 娘の微笑みは苦しそうな呼吸のたびに少しづつ歪み、いつしか悪魔が見せたものと同じ顔になった。

 そして、恐ろしく低い声で彼に囁いた。


「次はお前の番だ」


 悪魔は名を失い。蹄は柔らかい足となり、牙は消え去り、翼は抜け落ちた。彼は人間となり、娘が受けた苦しみを一つ残さず味わって死んだ。




 … …




 娘はしばらく驚いたように目を見開いて固まっていた。パチパチと目を瞬かせて我に返ると、興奮して口を開いた。


「作家さん、とっても素敵よ! こんなに素敵な話、聞いたことがないわ! 」


 娘は頬を紅潮させて言った。


「私、その悪魔さんは好きだわ。抱きしめてキスしてあげたいくらいよ。同じ苦しみを知っている人がこの世に二人といるものかしら? そんな人に出会えたなら、きっと誰よりも深く愛することができるわ! 」


「お気に召されたのなら、光栄ですよ」


「こんなに素敵な話が考えられるのに、どうしてここにいるのかしら? 作家は大きな家に住んでて、毎日お酒を飲んだりして遊んでいるものよ」


「それは一部の人間だけですよ、お嬢さん。言葉を残し、名を残し……それはもはや、王でなくともできることなんです。誰でも城に住めるし、誰でも一流作家になれる。ですが、それは奴らの気まぐれの結果なんです。何の不思議もありません。その気まぐれが、俺には訪れなかっただけのことなんです。たったそれだけのことに納得できずに俺は……」


 彼は(うつむ)くと、うめき声のようなものを漏らしながら髪を搔きまわした。 


「だが、そんなものはすぐに忘れられる幻のようなもんだ。そんなふうに残ったってお前は満足せんだろう」


 老人が言う。


「そうなのかもしれません」


 彼は俯いたまま答える。炎を見つめていた青年が立つ。


「こんなところでは、希望もない! なのに何故留まるのか」


「何故なの? 」


 娘が尋ねると、未練だと老人が答えた。


「人が留まる理由が他にあるかね? 」


「そう、未練! 何もなくとも、いつもそれだけは残るんです。すべて捨てきったはずでも、それだけはいつも残っているんです」


 彼は顔を上げると立ち上がり、舞台の中央に進んで、客席を見渡した。老人も青年も彼のことを笑わなかった。がらんどうになった客席で彼らが囲む炎が赤々と燃えている。娘が近づいて彼の袖を引いた。


「ねぇ、作家さん。私たち、こんなに話したんだもの。もうお友達でしょ? あなたも一緒に温まりましょうよ」


 娘はそういうと、最初にそうしたように彼の手を取った。彼は娘の手を握り返した。もう、娘の手は冷たくなかった。娘が舞台の階段を下りても、彼は階段に足を下ろそうとはしなかった。娘は上目遣いに彼を覗く。


「ここは寒いわ。そうでしょ? 私も寒かったの。寒くて仕方がなかったのよ。

 あの日もね、歌を歌っていたの。でも、道行く人々はちっとも、私のことなんて見ていなかったわ。大きなプレゼントを抱えて、足早に通り過ぎてしまうの。

 酔っぱらった男が温かくなるだろうと言って、持ってたお酒を私に浴びせたの。でも、ちっとも温まりはしなかったわ。それどころか、もっとずっと寒くなって温かいところを探したの。そうして私はここを見つけたのよ! 

 ここに来たらすごく眠くなって、眠ったわ。目覚めるとここはすっかり温かくなっていたわ。あの二人も私と同じようにここへやって来たのよ。ここはきっと特別な場所なんだわ。

 だから、ねぇ作家さん。一緒に来ましょうよ。そこはとても寒いわ」


 娘の甘えるような声に、作家は頬を少し赤らめる。


「わかりましたよ、お嬢さん。あまり急かさないでください。そんなに言わなくとも俺は逃げたりしませんよ。どうせ他に行くあてなんてないんですから」


 彼は舞台から下り、娘の隣に並んだ。

 娘は彼の手を一層強く握ると、頬を真っ赤にして満足そうに笑った。




 

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