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習作あるいは劇場  作者: じじ
10/12

三幕 二場






 そして、ある日悪魔は娘の前に現れた。

 固い蹄で凍える地面に降り立ち、狭い路地裏の隅に寄りかかって眠る娘に囁いた。


「娘よ、盗むがいい。誰かの取り分を、誰かの稼ぎを。どうせこの町には悪人しかいないのだ。心は痛むまい。そうすれば、お前はあくせくと働かずとも少しはマシなご馳走にありつけるぞ」


 娘は夢に突然響いた声が、悪魔のものだと見破り、目覚めた。悪魔は、娘の真っ直ぐな視線にたじろいだ。娘は悪魔に強い口調で言った。


「例え悪人からでも盗みを働くことはいけないことです。それに、そうでない人も暮らしているかもしれないのです。悪人しかいないはずはありません。人は善をなすように創られたのですから」


 悪魔は牙を剥くと忌々しそうに娘を見た。


「なら、騙すがいい。お前なら着飾らなくとも、立派な紳士を魅了しその安い愛のもと、いくらでも暖かいベッドで眠ることができるのだぞ」


「人の心を弄ぶのは罪です。例え氷の川で眠ろうとも、そんなことは致しません」


「ならば奪え、お前に役立つものを全て。盗むのではない。だますのでもない。力づくでお前のものにするのだ。お前に足りぬものはたくさんある。哀れなお前を誰も責めはできまい」


「ああ、よくも恐ろしいことを思いつくものですわね」


 娘は、悪魔に向かって説教を始めた。娘の口から正しく慈愛に満ちた言葉が出るたびに、悪魔は娘の体を引き裂いてやりたくなったが、頭を垂れると娘の前に跪いた。


「なんて清い人間だ。しかし、俺はお前が心配なのだ。俺はお前をずっと見ていた。お前のような人間が報われずに終わっていくのが忍びないのだ。ああ、お前が何もするつもりがないというのなら、俺が望みを叶えてやろう。何でも言うがいい。お前は願うだけでいいのだ」


 願えば叶い、叶えば欲深くなる。欲は娘を悪に駆り立てるだろう。欲に溺れた娘を見届けてから魂を喰いつくしてやろうと悪魔は思った。娘は毅然とした態度で答えた。


「悪魔の叶える願いには代償がつくものです。あなたは、私に(さと)られずにそれを払わせたいのですね。なんて罪深い方なのでしょう。私はあなたが哀れでなりませんわ」


 それを聞くと悪魔は憤慨した。


「俺が罪深いだと? 哀れだと? 言いたいだけ言うがいい。お前も所詮罪深く哀れな連中と相違ないのだからな。いずれ絶望を知り、己が悪意を知り、そして罰を知るのだ。時間の問題だ。賭けてもいい! お前もいずれこの町の連中と同じようになると」


「何を賭けるんですの? 」


「俺の名だ」


「悪魔の名を賭けるんですのね」


「そうだ! 」


 それを聞くと、娘は熱を宿した眼差しで悪魔を見つめた。


「では賭けをしましょう。私が最期を迎えるまでに一つでも罪を犯したのなら、その代償としてあなたに魂を差し上げましょう。それは地獄へ行くしかあてのないものですから。その代わりに、私が最期まで罪を犯さず生きとおしたのなら、あなたは悪魔の名を捨て、私と同じように罪を犯すことなく、人間の良心に仕えて生きるのです」


 娘が言い終えると、悪魔は醜く顔を歪ませ勝利の笑みを浮かべた。


「いいだろう。俺の全てを賭けてやる! お前の魂は俺のものだ 」




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