第7話 委員長は、俺を誰かの眷属にしたくないらしい
ガルドさんに送り出され、俺は神代と厨房を出た。
適当な席に腰を下ろすと、神代が俺の向かいへ座る。
「そういえば……。神代、昨日はありがとな」
「はい?」
お礼の言葉に、神代が目を瞬かせる。
「昨日、ですか?」
「落ち込んでた時、話を聞いてくれただろ? まだお礼いえてなかったと思って。神代が来てくれなかったらかなり引きずってたと思うから」
昨日のことを思い出す。
みんなが強そうなクラスを与えられる中、自分だけが料理人だった。河井たちには笑われ、一ノ瀬には近づかないでほしいと言われた。
そんな俺のところへ来てくれたのが神代だ。あそこで彼女が声を掛けてくれなかったら、今ここにいるかわからない。
「正直まだ吹っ切れてはないけど、神代のお陰でかなり楽になったからさ」
素直な気持ちを伝えると、神代が少しだけ顔を伏せる。
「神代?」
長い黒髪の隙間から見える耳が、微かに赤くなっていた。
「い、いえ。私は……。大したことはしていません」
「大したことだよ。少なくとも、俺にとっては大したことだった」
独りぼっちになったと思ったところを、神代に救われた。
大げさではなく、神代は俺の救世主だ。
「ありがとな」
神代はまだ下を向いたまま、膝の上で両手を握っている。
怒っているようには見えない。
むしろ、どう反応すればいいのか困っているようだ。
「そ、それより!」
神代は誤魔化すように顔を上げる。
「桐生さんと、何を話していたんですか?」
「急に話が変わったな」
「私は元々その話をしに来たんです!」
それは、そうか。話したいって言ってきたのは神代だもんな。
「訓練場で桐生さんと話していましたよね?」
「ああ。まあ、少し」
「少し、ですか」
神代の声が低くなる。
「身体を拘束されていたように見えましたけど」
「あの距離でそこまで分かったのか?」
「ということは、本当に拘束されていたんですね」
「まあ、そうだな。別に何もされてないけど」
「何をされたか、教えてくれませんか?」
「だから。別に何もされてないけど」
「嘘です。絶対に桐生さんになにかされたはずです。言ってください、黒江くん」
張り付けられたような笑顔に、静かな声。
元の世界でも何度か聞いたことがある。
悪いことをしたクラスメイトを問い詰める、相手を逃がさない委員長の声だった。
「……わかったよ」
こうなった神代は、正直に話すまで相手を開放しない。
観念して桐生に言われたことを簡単に説明する。
眷属にならないかと誘われたこと。眷属になれば、夜王の力を分けてもらえるかもしれないこと。そうすれば、料理人の俺でも戦える可能性があること。
神代はそれを黙って聞いていた。
「もちろん断ったけどな。ただまあ、戦えるなら少しくらいいいかもとは思った」
「ダメです!」
神代が勢いよく身を乗り出す。
食堂に声が響いた。
「あっ……」
誰もいないことを確認し、神代が小さく咳払いをした。
「すみません。でも、ダメです」
「そこまで慌てなくても」
「慌てます。桐生さんも眷属について詳しく分かっていないんですよね?」
「ああ」
「どんな契約なのか。解除できるのか。何か代償があるのか。それすら分からない状態で受けるものではありません」
「それは俺も分かってる。だから断ったって」
「なら、いいですけど……」
神代は安心するように息を吐いた。
けれど、その表情はまだ晴れていない。
「黒江くんは戦場に出たいんですか?」
「それは……。正直、分からない」
それが今の俺の本音だ。
「別に魔物を倒したいわけじゃない。強くなりたいってわけでもない。魔物と戦うのは危険だろうし、大変だろうし……。ただ」
今日、訓練場から見た光景を思い出す。
剣を振るう一ノ瀬。
隣で盾を構える河井。
刀一振りで木人を斬った神代。
圧倒的な力で身動きを取らせなくしてきた桐生。
「みんながあっちにいるのを見てると、俺だけ置いていかれてる気がしてな。ひとりになっちゃったな~って」
「……一ノ瀬さんのことですか?」
問いに、俺は首を横に振る。
「いや、もう絆奈のことは気にしてないよ」
「本当ですか?」
「ああ。絆奈には絆奈の。俺には俺の道があるからな」
絆奈に『一緒にいられない』と言われた時はショックだった。『何されるか分からない』と言われた時は、理解すら出来なかった。
ただ、今はもう気にしてない。確かに河井と仲良さげにしていると、少し気持ちが落ち込む。けど、そういうものだと納得してる。
自分でも驚くほど、絆奈を想う気持ちが薄れていた。
「みんなと違うからどうしようって、思ってるぐらいだ。それに」
俺は神代の目を見ながら続ける。
「こうして神代が話し相手になってくれてるしな。気も晴れるよ」
伝えると、神代は頬を赤く染めて目を逸らす。
「それは、まあ……。黒江くんが、心配ですから」
「ほんと。ありがとな」
改めてお礼を言うと、神代は咳払いをしてから口を開く。
「わかりました。……けど、桐生さんには気を付けてくださいね?」
「神代、桐生に厳しいよな。何かあったのか?」
「彼女には中学の頃から何度か困らされていますので。手がかかる子なんです」
神代は少し不満そうに言う。
「だから黒江くん。絶対に桐生さんの奴隷にならないでください」
「奴隷じゃなくて眷属な」
「きっと似たようなものです」
「それはどうかわからんけど」
謎に頑固な神代に、思わず笑みが零れてしまう。
「絶対にダメですからね。黒江くんは押しに弱いから、桐生さんみたいなタイプに気を遣ったりして、変に優しくしちゃったりして――」
神代が説明し始める。長くなりそうなので、なんとか話題を変えたいところだ。
話を聞いている振りをしながら辺りを見渡すと、食堂の隅に置いていた小さな器が目に入った。
「黒江くん、聞いていますか? 桐生さんは」
「そうだ神代、俺が作った料理食べるか?」
「え?」
「昼食のメニューとして軽い食事を作ってみたんだ、腹に余裕があるなら試食してみてくれよ」
鳥の出汁を使ったスープ。柔らかく煮た麦と、細かく刻んだ野菜が入っている。
「いただいてもいいんですか?」
「もちろん。試作だから味に自信はないけどな」
器によそい、匙を添えて渡す。
神代はそれを両手で受け取る。
「いただきます」
湯気を少し冷まし、一口。
すぐには何も言わない。もう一口食べる。
それから、神代の表情がふっと緩んだ。
「……おいしいです」
「本当か?」
「はい。それに、すごく食べやすい」
神代はもう一口食べた。
「昨日の夕食も、今日の朝食も、私には少し重かったので」
「やっぱりか」
「はい。だから、これを昼食のメニューとして出して頂けるなら凄い助かります」
「ならよかったよ」
神代にそう言ってもらえたなら一安心だ。
これならガルドさんには怒られずに済みそうかな?
「それに……」
神代が匙を置いて、器に入った料理を見つめた。
「実は、何人かのクラスメイトから相談されていたんです。食事について」
「あー……。こっちの料理が口に合わないって?」
「はい。特に女の子から」
神代は小さく頷く。
「夕食はまだ食べられたそうですが、朝から脂の多い肉料理は辛いという子が多くて。ハーブの匂いが苦手な子もいましたし」
まさか、もう神代が相談を受けているとは思っていなかった。
そんなに深刻な問題だったんだな。
「委員長も大変だな」
「もう委員長ではないんですけどね」
そう言いながらも、困っている人を放っておけないところは変わらないらしい。
「でも、これなら食べられると思います」
神代が器を見る。
「そうか?」
「はい。少なくとも、私はこれなら朝でも食べたいです」
「そうか。ならよかったよ」
その言葉が、予想以上に嬉しかった。
「ガルドさんにそう伝えとく。今日から肉料理だけじゃなくて、これを含めた3種類から選べるようにする予定だから」
「もうそこまで動いてたんですか?」
「ガルドさんたちも食べ残しに困ってたから。俺は案を出しただけだよ」
その言葉に、神代が嬉しそうに微笑む。
「いえ。やっぱり黒江くんは役に立っているじゃないですか」
「まだうまくいくとは限らないけどな。むしろ残飯が増えるかも知れないし」
「それでも、みんなが困っていることを解決しようとしている」
神代は器を両手で包む。
「私は相談を聞くことしかできませんでした。でも黒江くんは、実際に食べられるものを作った。相談もされていないのに、ここまでみんなのために動いてくれている」
そこまで考えてやったわけじゃないけど……。
それでも、そう言われると、嬉しくなってくる。
「やっぱり黒江くんは、戦場に出る必要なんてありませんね」
「またそこに戻るのか」
「戻ります。眷属はなしです」
真面目に頷く。
「黒江くんが活躍する場所は、ちゃんとここにあります」
「神代って、意外と過保護だな」
「か、過保護じゃなくて……。黒江くんが活躍できるなら、それに越したことはないと思ってるだけです!」
「それも過保護の考え方だと思うけど」
「そ、それは人それぞれの考え方次第ですね」
無理やりな誤魔化し方ではあるが、あまり否定するのもよくないか。
神代がそう言うなら、そうしておこう。
「ともかく! 桐生さんと奴隷契約を結ばないこと」
「奴隷じゃなくて眷属な」
「黒江くんは厨房から私達を助けてください。その方が私としては助かります。……これは、私の我儘かもしれませんが」
少し申し訳なさそうにそういう神代。
強気になったり弱気になったり。そんな神代が、少し可愛く思ってしまう。
「なに笑ってるんですか? 黒江くん。私は真剣に言ってるんですよ?」
「ごめんごめん。ちょっと嬉しくなっちゃって」
「な、なにがですか?」
「そこまで俺を心配してくれて。……なんで神代は俺を心配してくれるんだ?」
「え?」
ぴたりと動きが止まった。
「委員長だからってだけにしては、気にしてくれすぎじゃないか?」
「それは、その……」
神代の視線が泳ぐ。頬が少しずつ赤くなっていく。
「……嫌なんです」
「嫌?」
「黒江くんが、誰かの眷属になるのが。誰かのものになるみたいで嫌なんです」
「俺は物じゃないぞ」
「わ、分かっています!」
神代が慌てる。
「そういう意味ではありません! 眷属という響きが物っぽいんです!」
「分かった分かった」
「本当に分かっていますか?」
「分かってるよ」
頬だけでなく耳まで赤くなっている。それでも、神代は俺を見る。
「だから、自分を大切にしてください」
その言葉だけは、真剣だった。
「ああ」
俺が頷く。
すると、神代の肩からふっと力が抜けた。
「……よかった」
安心した、その反動だったのかもしれない。
神代の手が、不意に俺の方へ伸びる。
ぎゅっと、手を握った。
「え?」
「あっ」
二人同時に声が出た。
神代が、机の上に置いていた俺の手を握っていた。
数秒、神代の顔が一気に赤くなる。
「す、すみません!」
ぱっと手が離れた。まるで熱い鍋にでも触れたような勢いだった。
「別に謝らなくても」
「勢いで!」
「勢いで手を握ることあるのか?」
「ありません!」
「ないのかよ」
「だから自分でも困ってるんです!」
神代は真っ赤になって俯いてしまった。
さっきまで桐生についてあれだけ強く言っていた人と同一人物とは思えない。
「まあでも、心配してくれてありがとう。それは本当に嬉しいよ」
「…………はい」
小さな返事だった。
しばらく妙な沈黙が流れる。そこで、ふと思い出した。
「そういえば昨日さ、俺に伝えたいことがあるって言ってなかったか?」
問いに、神代が固まった。
「続きはあとでって」
「言いました」
「今聞いてもいい?」
「ダメです」
「なんで?」
「ダメだからです」
「昨日は伝えるって」
「昨日と今日は違います!」
「何が違うんだよ」
「違うものは違うんです!」
神代が勢いよく立ち上がる。
「そ、そろそろ休憩時間が終わりますので!」
「あ、神代」
「では!」
逃げるように食堂から出ていった。
黒髪を揺らしながら去っていく背中を、俺は呆然と見送る。
「……なんだったんだ?」
結局、神代が昨日、俺に何を伝えようとしていたのか。
俺には、さっぱり分からなかった。




