第5話 夜王は、料理人の俺を眷属にしたいらしい
翌日、俺は王城の訓練場を見下ろせる回廊にいた。
城の中庭に作られた訓練場には、昨日を与えられたクラスメイトたちが集められている。今日はそれぞれの力を確認する訓練らしい。
当然、料理人の俺は俺は参加していない。
ただ、料理長のガルドさんから訓練の様子を見てくるように言われただけだ。
『食わせる相手がどう過ごしてるのか見てこい。相手を知ることは大切だからな。……そにれ、作ったもんが食われねえのは悔しいもんよ』
食べる相手を知れ。料理人としては正しいのかも知れない。
だが、訓練場で賑やかにしているクラスメイトを見てると、胸の奥に重たいものが溜まっていく気がした。
「まずはご自身のクラスに宿る基本能力を確認していただきます」
クラスメイトの前に立つ騎士が呼びかけると、河井が前に出る。
聖盾騎士の河井が大盾を構えたところで、表面に白い光が広がった。
騎士が振り下ろした木剣を、慣れた動きで弾き返す。それどころか、木剣を振った騎士が何かに押されたように吹き飛ばされた。
「素晴らしい! これほどの防御力があれば、仲間を確実に守れるでしょう!」
歓声が上がる。
続いて、絆奈が河井の隣に並んだ。
「一ノ瀬様は攻撃に集中してください。反撃は河井様が防ぎます」
「分かりました」
「俺が守るから、思い切りやっていいぞ」
「うん。頼りにしてるね、河井くん」
絆奈が笑い、河井も笑い返す。
訓練が始まると、絆奈の放った金色の斬撃が木人を真っ二つにした。
横から振るわれた騎士の木剣は、河井の盾が防ぐ。
「さすが剣神と聖盾騎士、見事な連携です!」
「動きを確認するだけのつもりでしたが、まさかこれほどとは……」
周囲から称賛を受け、二人は顔を見合わせて笑っている。
「もうあんなに仲がいいのか」
自分でも驚くほど、冷たい声が出た。
絆奈が誰と仲良くしようと、もう俺には関係ない。
話しかけないでほしいと言われ、何をされるか分からない、とまで言われた。
俺が彼女の事を考えるだけで迷惑になる。
その考えに、俺の感情も追いついてきているのかも知れない。
次に前へ出たのは神代。黒い髪を背中に流し、訓練用の刀を受け取る。
騎士が説明を始めるより先に、神代は刀を振り抜いた。
一閃。
離れた場所に置かれていた木人の首が落ちる。
絆奈のように斬撃が飛んだわけじゃない。
彼女が刀を振った瞬間、音もなく、木人の首がぽとりと落ちた。
訓練場に沈黙が流れる。
「加減が分かりませんでした。申し訳ありません」
「い、いえ。十分に制御されています。お見事です」
騎士が引きつった顔で答える。
どうやらかなり加減して、あの威力らしい。
絆奈も、河井も、神代も、昨日まで普通の高校生だった。れが今では、異世界の騎士たちから称賛される存在になっている。
俺は、その光景を遠くから見てるだけ。
「……戻るか」
これ以上見ていても、料理作りの参考になるとは思えない。
むしろ、何も考えられなくなりそうだった。
訓練場に背を向けた、その時だった。
「ん? なんだ?」
突然、身体が動かなくなった。腕も、足も、指先すら動かない。声は出る。息もできる。でも、身体が全く動かない。
「なに? ビビってるの?」
すぐ耳元で、女の子の声が聞こえた。
「影を止めただけじゃん。痛くないでしょ?」
「だ、誰だ?」
「はあ?」
呆れた声が返ってくる。
「クラスメイトの名前も覚えてないの? 料理人になって頭、悪くなったわけ?」
背後にあった気配が俺の隣へ移動する。
視界の端に、金色の髪が流れた。腰まで届く長い金髪。日に当たるたび、さらさらと光を反射している。
桐生紗夜。昨日の鑑定で《夜王》と告げられた女子だ。
背丈は平均より少し低いくらい。制服のリボンは緩く、スカートも少し短い。細い腰とは対照的に胸は大きく、制服の上からでも目立っていた。
派手な金髪と整った顔立ちだけを見れば、明るいギャルに見える。けど、教室で誰かと親しそうにしている姿は、ほとんど見たことがない。誰かに話しかけられても、余計なひと言で相手を怒らせる。
本人が気にしているかは知らないが、クラスでは少し浮いていた存在。
「桐生か」
「そう。やっと分かった?」
「分かったから、これを解いてくれ。普通に怖い」
「よわよわ料理人はこの程度で怖がるわけ?」
「急に身体が動かなくなったら誰でも怖いだろ」
「ふ~ん。あたしにはわからないけど」
桐生は俺の前へ回り込むと、金髪をかき上げた。
目を細め、唇に指を当てる。妖艶な悪女を意識しているような仕草。
「安心して。すぐに取って食べたりしないから」
「食べる? 夜王になって人を食べるようになったのか?」
「そんなわけないじゃい!」
「じゃあなんだよ食べるって」
「いちいち細かいところに引っかからないでよ。話が進まないじゃん」
「いや気になるだろ。食べるって」
「うるさい。少し黙って」
妖艶な雰囲気が早くも崩れる。
もともと見た目は派手で女子っぽいけど、中身は子供。学校で桐生がよく言われていた事だ。こっちの世界に来ても、そこは変わってないらしい。
桐生は軽く咳払いをしてから、改めて胸を張った。
「黒江律希。あんた、あたしの眷属になりなさい」
「はぁ?」
意味が分からなかった。眷属って、配下や従者のようなものか?
「急になに言ってるんだ」
「急じゃないし。ちゃんと考えた結果だし」
「いつ考えたんだよ」
「昨日から」
桐生は、得意そうに俺を見上げる。
「あんた、料理人なんでしょ?」
「そうだけど」
「じゃあ戦えないじゃん」
桐生の軽口が俺の胸に突き刺さる。
昨日から何度も聞いた言葉。河井たちは笑い、絆奈は俺を切り捨てた。
俺が料理人で、戦えないから。
「でも、あたしの眷属になれば夜王の力を分けてあげられる」
「夜王の力?」
「いまあんたを拘束してる力とか、影を操る力とか。全部は無理でも、少しくらい使えるようになるんじゃない?」
「なるんじゃないって、疑問形かよ」
「あたしも夜王になったばかりだから、細かいことは知らないし」
「なんだそりゃ」
「でも、細かいことはどうでもいいの!」
桐生が一歩近づく。
「料理人のままだとあんたはあの子たちと同じ場所には立てない。それが現実。そんなこと、あんただってわかってるでしょ?」
桐生が視線だけで訓練場を指す。
絆奈は河井の隣にいる。
神代は騎士たちに囲まれ、刀の扱いについて説明を受けていた。
みんな戦う側にいる。
俺だけがそこから外れている。
「眷属になればあんたも戦えるかもしれない。このあたしの眷属としてね」
桐生の声が低くなる。
先ほどまでのふざけた雰囲気が薄れ、周囲の影が濃くなっていく。
「みんなに置いていかれたくないんでしょ?」
心臓が大きく鳴った。
「別に」
「嘘」
「嘘じゃない」
「じゃあ、なんでそんな顔してるの?」
桐生の白い指が、俺の顎に触れた。身体が縛られているかのように動かない。桐生は俺の顔を持ち上げ、間近から目を覗き込んでくる。金色の髪が流れ、俺の頬をくすぐった。
「みんなは強い力をもらって、褒められてる」
指先が顎から頬へ滑る。
「あんたは料理人で、戦えないって笑われた」
「見てたのか?」
「見えたのよ」
桐生は唇の端を持ち上げる。嘲笑うような笑い方。
けれど、俺を馬鹿にしているようには感じなかった。
「みんなと一緒に戦いたい。あんたがいま望んでいることじゃない? だから、あたしの眷属になっちゃいなさいよ」
そう言いながら、桐生は横目で訓練しているクラスメイトに目を向ける。
「料理人の力は失わないはずよ。ただ、わたしの眷属になるだけなんだから」
人を見下すような口調。余裕があるような笑い方。それなのに、桐生がどこか必死に見えた。
なぜ俺を眷属にしたがるのか? 料理人だから弱く、支配しやすいと思っているのか。それとも、他に何か理由があるのか。
「眷属になると、具体的にどうなるんだ?」
尋ねると、桐生の顔が見るからに明るくなる。
「なに? あんた、ちゃんと気になってるじゃん!」
「確認してるだけだ」
「眷属になるとねぇー……。あたしと繋がるの」
「曖昧だな。よくわからん」
「夜王の魔力が流れるようになるかもだし、影を通して呼び出すこともできるかも」
「かも、ばっかりだな」
「はぁー……。細かい男はモテないけど?」
「命に関わる話なんだから、細かくもなるだろ」
「死にはしないって」
「根拠は?」
「夜王様を信じなさい!」
「一番信用できない言い方だ」
「はあ?」
桐生の眉がつり上がる。足元の影が大きく波打った。
「優しくしてあげてることいいこに、生意気な奴。料理人の分際で」
「料理人は関係ないだろ」
「あるし。弱いくせにあたしに口答えしてる」
桐生はしばらく俺を睨んでいた。
やがて、小さく息を吐く。
「眷属になれば弱くなくなる。あんたもあの場所に立てる。どれもこれも全て解決」
桐生が俺との距離をさらに縮める。
大きな胸が、制服越しに触れそうになる。甘い香りが鼻をくすぐった。
「あたしが力を分けてあげる。だから、あたしの眷属になりなさいよ」
耳元で囁かれる。桐生の瞳が、夜の底のように暗く光った。
「そうすれば、あんたはもう置いていかれない」
その言葉が、深く刺さった。
「俺は」
答えようとした瞬間――音も色もない斬撃が空間を裂いた。
「っ!?」
桐生の身体が真横から斬られる。
金色の髪が舞い、制服ごと身体が黒い霧へ変わって消滅する。
「桐生!」
叫んだ瞬間、身体の拘束が解けた。
俺は慌てて手を伸ばす。けど、そこにはもう誰もいない。
「な、なんだ今の」
訓練場へ目を向ける。
神代が刀を鞘へ収め、騎士たちに頭を下げていた。
「申し訳ありません。力の制御を誤りました」
「い、いえ。次からは目標をよく確認していただければ……」
「以後、気をつけます」
遠目には訓練中の失敗に見える。
ただ、神代の目には、謝罪の色はあまり見えない。
「怖すぎなんですけど」
「うわっ!」
すぐ横から声が聞こえた。
振り向くと、桐生が何事もなかったように立っている。
金色の髪も制服も、身体も傷一つない。
「お前、斬られたんじゃ」
「霧が斬られただけ。夜王なんだからこれくらい当然でしょ?」
桐生は余裕そうに髪をかき上げる。
「神代のやつ、あんたのこと狙ってるみたいね」
神代はまだこちらを見ている。
いつもの委員長の顔ではない。冷たく、鋭く、何かを絶対に許さない目。
「俺を?」
「そう。そしてあたしを」
「ん? どういうこと?」
桐生は不満そうに訓練場を見下ろし。
「あんたに触ったから、あたしは斬られたの」
「まさか」
「鈍すぎ。色んなところがざこいんだ、料理人って」
桐生が神代に向かって舌を出す。
神代の手が再び刀へ伸びた。
「バカ、煽るなよ! 神代の眼つき、マジのやつだぞ!」
「斬ってきたのは向こうなんだから、これぐらいやり返したっていいでしょ!」
「知らねえよ! また来るぞ!」
「それは困る! 二度目はキツイの!」
桐生が慌てて俺の背後へ回った。
引き剥がそうとするが、桐生が必死に背中にしがみ付いて来る。
それを見て、更に神代の圧が強まった気がした。
「離れろって!」
「無理! 今度こそ殺される!」
「夜王は切られても大丈夫なんだろ!」
「刀神だけならいいけど、他にも面倒なのがいるのよ!」
桐生が日陰になった城の窓を指さす。
人影は見えない。
「魔導士までいるとか、料理人のくせに人気ありすぎじゃない?」
「何の話だよ」
「わからないなら別にいわよ! ってか神代が落ち着くまでそのままでいて!」
そこから暫く桐生は俺の背中に隠れ続け、神代が騎士に呼ばれたタイミングで離れた。
「ふぅ……。じゃ、今日は諦めておいてあげるわ」
「そんなかっこつけても、もう無理だぞ」
「う、うるさいわね……」
バツの悪そうにする桐生に。
「眷属契約をするつもりはないからな」
「でも悩んだじゃん」
「それは」
言葉が詰まる俺に、桐生は顔を近付けて、満足そうに笑う。
「次に会う時まで、ちゃんと考えておきなさい」
「考えても答えは変わらないと思うぞ」
「そんなことないし」
「俺のことだ」
「人の気持ちなんて簡単に変わるのよ。剣神の気持ちみたいにね」
桐生はそう言い残し、歩き始めた。金色の髪が、背中で揺れる。
「じゃあね、黒江律希」
「……待て桐生」
「なに?」
「いきなり影で拘束するのはやめてくれ」
「嫌よ」
桐生は振り返らず、片手だけを振った。その姿が回廊の角へ消える。
俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。
訓練場では、能力確認が再開されている。
絆奈は河井の隣に立ち、騎士たちに囲まれていた。
神代は騎士の説明を受けながら、ちらちらこちらを見ている。
俺は自分の手を見下ろす。包丁を握り、芋を洗い、料理を作る手。
戦うための手じゃない。
けど、桐生は言った。
眷属になれば、戦えるかもしれない。もう置いていかれない。
「……何を考えてるんだ、俺は」
そんな怪しい誘いに乗るわけがない。
眷属が何なのかも、どんな代償があるのかも分からない。
それでも。
――あんたはもう置いていかれない。
俺はそれを振り払うように、訓練場から目を逸らす。
厨房に戻らないといけない。俺には、俺の仕事がある。
そう自分に言い聞かせながら歩き出す。
足元に伸びる影は、さっきより少しだけ濃く見えた。




