第29話 料理人の俺が、遠征に必要だった理由
河井の声に応えるように、六体のグレイファングが一斉に走り出した。
俺が戦うわけじゃない。それでも、魔物がこちらへ向かってくる光景は十分怖い。ましてや今回は、その後ろに昨日まで見たことのない大型の魔物までいる。
それでも、前に立つ河井たちは動かなかった。
「わたしが動きを止める」
状況を冷静に判断した月白が短く答える。
杖の先が地面へ向けられ、次の瞬間、グレイファングたちの前方から何本もの氷が突き出した。
地面を塞ぐように伸びた氷が進路を狭め、左右から走っていた二体の足を止める。勢いのまま飛び越えようとした個体もいたが、それまで一直線だった魔物の群れが一気に崩れた。
狙ったのは魔物そのものじゃない。動きを止めるための一手だ。
「よし!」
好機と見た河井が前へ出る。
河井は足を大きく開いて盾を構えた。一体目の突進を正面から受け、そのまま盾を少し傾けて横へ流す。続けて飛び込んできた二体目も盾の縁で受け止め、身体ごと押し返した。
「一ノ瀬さん!」
「うん!」
河井が作った隙へ絆奈が飛び込む。
盾の後ろから身体を滑らせ、盾に弾かれた魔物へ剣を振り抜いた。まるで踊るように身体を振り回し、もう一体の魔物に剣を突き立てる。
「右は私が」
神代が報告しながら刀の柄に手を掛ける。
やっぱり、神代の動きは俺には見えない。
草の間から飛び出そうとしていたグレイファングの身体に一本の線が走り、そのまま地面へ崩れ落ちる。
「……ほんと凄いな」
昨日とはもはや別人だ。数は今日の方が多いのに、戦っているみんなの方が落ち着いて見える。命を掛けた戦いに、こういう表現は間違っているかもしれない。それでも俺にはみんなが生き生きとしているように見える。
それほど動きがよかった。
月白は自分で倒そうとはしない。魔物の進行方向を限定する。攻撃しているように見えて、障害物を作ることで、河井の正面に魔物を集める。或いは外に回らせて神代が攻撃しやすい位置に移動させている。
残っていたグレイファングも、それほど時間をかけずに倒されていった。
問題はその後ろだ。
「注意してください!」
騎士が大声を出す。
大型の魔物が動いた。さっきまでゆっくり歩いていたのが嘘みたいな速さ。太い四肢で地面を蹴り、木の枝を身体でへし折りながら突っ込んでくる。
「河井様、避けてください!」
騎士が叫ぶ。
後ろから見ている俺ですら、一歩身を引いてしまうほどの迫力。
それでも、河井は退かなかった。
「いまの俺なら受け止められる!」
大盾を地面へ押しつけるように構える。
直後、大型魔物が盾へ衝突した。鈍い音が森中に響く。
「っ……!」
河井の身体が後ろへ押された。足元の土が削れ、靴が地面に二本の跡を残す。
それでも、足を踏ん張り身体の軸はブレていない。
「なんでだよ!」
河井の叫びと共に、盾が光る。
魔物の勢いが弱まり、完全に動きが止まった。
河井は盾の後ろで微かに笑う。
「一ノ瀬さん!」
「いえ、私が」
声が聞こえた頃には、神代は既に大型魔物の懐で腰を下げていた。
魔物が神代へ顔を向け、太い腕が持ち上がる瞬間。
神代が踏み込むと、刀が一度だけ光った。
「――っ!」
何が起きたのか分からなかった。
大型魔物は少しの間その場に立っていた。
やがて首元から血が流れ、巨大な身体が傾き、やがで地面に倒れた。
騎士が魔物を確認し、ゆっくり剣を納める。
「討伐完了です」
誰かが大きく息を吐いた。
それをきっかけに、張り詰めていた空気が一気に緩む。
「やった!」
絆奈が嬉しそうに剣を下ろす。
「河井くん、凄かった! あれ止めるんだ!」
「……まあ。あれぐらいならな」
そう言いながらも、河井はかなり嬉しそうだ。
「神代さんもやばかったな。何したのか全然見えなかったし!」
「私も上手く説明できません。身体が自然に動いたので」
「それで倒せるの?」
「不思議なもので……。倒せましたね」
神代が少し困ったように自分の刀を見る。
月白は大型魔物より、さっき自分が作った氷の壁を観察している。
みんなそれぞれだ。
「お見事でした」
騎士の人が前へ出た。
「昨日より数も多く、最後の魔物はこれまでより危険度も上でした。しかし我々が介入することなく討伐されています。今回の実地訓練としては十分な成果でしょう」
「じゃあ終わりですか?」
「はい。本日の訓練はここまでとします。周辺で魔物が増えている件については、我々騎士団が改めて調査いたします」
どうやら俺たちがこれ以上奥へ進むことはないらしい。
正直、少し安心した。さっきの大型魔物にはかなり驚いた。
それを真正面から止めた河井も、その隙に倒した神代も凄い。
「……救世主、か」
昨日までより強い相手だった。なのに、昨日より危なげなく勝った。たった一日で森での戦いにも慣れているし、本人たちもどんどん自分のクラスの使い方を理解している。
俺も二日料理しただけで、急に包丁捌きが二倍上手くなったりしないだろうか。
しないだろうな。
っていうか、したところでって感じではあるか。
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村へ戻る途中、前を歩いていた河井が何度か右肩に触れていた。まさか痛むのか? とも思ったが、表情を見る限りそうでもなさそうだ。むしろ不思議そうにしている。
「……黒江」
「ん?」
河井がこちらへ歩いてきた。
「昨日の飯、なに入れた? なんか変なもの入れただろ」
いきなり話しかけてきたと思ったらなんなんだ? 失礼な奴だな。
「別に変なものは入れてないぞ。そこら辺で手に入る食材と調味料しか使ってない」
「そういう意味じゃなくて」
「じゃあどういう意味だよ」
河井が面倒そうに自分の右腕を持ち上げる。
「昨日、森から戻った時、こっちの腕がかなり重かったんだよ」
「だろうな。何回も回してたし」
「気付いてたのか?」
「そりゃ気付くだろ。あんだけ回してたら」
むしろ『肩いてぇー!』ってアピールしてるのかと思ったぐらいだよ。
「それなのに、あのデカい魔物止めただろ?」
「ああ。凄かったな。さすがは聖盾騎士」
「そうじゃなくて」
「じゃあなんだよ」
そうじゃないのかよ。褒めてもらいに来てるのかと思ったわ。
しかし、なぜか河井の顔が険しくなる。
「昨日より負担かかってるはずなのに、全く違和感ないんだよ」
言いながら肩を回す。確かに動きは滑らかだ。
「よかったな。やっぱ聖盾騎士は凄いわ。頼りになるな」
「……っち」
なんで舌打ちされた? むしろ喜ばれるところだろ。
「お前、話通じないな」
「こっちのセリフなんだけど」
「昨日の飯食べたあとから腕が軽くなって、今朝起きても疲れが残ってなかった。今日もそのまま動けたんだぞ?」
「よかったじゃん。たくさん寝られて羨ましいよ」
「このっ……。だから!」
河井が何か言おうとして、やめた。
どこか悔しそうに少し顔を伏せる。
「……もういい」
「なんなんだよ。疲れてんのか?」
なにが言いたいのか全く分からん。
そのうえ舌打ちされるは怒鳴られるは、勘弁してくれ。
「疲れてない! むしろ疲れてなさすぎるんだよ!」
「ならいいことだろ? 無事に訓練も終わったし。さすがだよ、みんな」
俺の言葉に、河井は顔を近付けてきた。
「お前さ。そういうところ、なんか腹立つな」
「俺、褒めてるんだけど」
「分かってるよ!」
「じゃあいいじゃん」
「よくない!」
なんなんだこいつ、面倒な奴だな? 本当に相手したくないんだけど……。
河井は大きく息を吐くと、少しの間黙った。
「……黒江。俺、間違ってた」
「何が?」
「お前のことだよ」
河井がこちらを見る。さっきまでみたいな苛立った顔じゃない。
ただ、なんのことを言ってるのかさっぱりわからない。
「飯、美味かった」
「ああ、そう? そりゃよかったよ。ここまでついてきた甲斐があったな」
河井は溜息を吐きながら首を横に振り。
「……もういいよ。それだけだ」
それだけ言うと、さっさと前へ戻っていった。
なんだったんだ。河井を見る目が少し変わるぐらいの恐怖体験。
でも。
「俺が間違ってた、か」
なんのことを言ってるのかさっぱりわからない。
だが、少なくとも俺が一緒に来たこと自体を邪魔だとは思っていないらしい。
飯が美味かったって言ってくれたなら、それでいいか。
「律希」
今度は別の声。
見ると、絆奈がこちらへ歩いてきた。
「さっき河井くんと何話してたの?」
「飯のこと。美味しかったって。あと、なんか河井が間違ってたらしい」
「なにそれ?」
「俺もよくわからん。絆奈、何か知ってる?」
一緒に行動することが多かった絆奈なら何か知ってるかも知れない。
が、絆奈は静かに首を横に振る。
「わたしにもわかんないね」
「そっか」
ならしょうがない。と。
「律希、わたしからも。昨日のご飯、美味しかったよ。果物もありがと」
「ああ。あれ酸っぱかっただろ?」
「うん。でも戦った後にはちょうどよかった」
「ならよかった」
「あれ、わたしが食べたくなるってよくわかってたね」
「そりゃな。昔から運動後は酸っぱい果実を食べてたし、それでよく怒られてた」
「お母さんに『食べ過ぎだ!』ってね。……そっか、覚えてたんだ」
絆奈の表情が少しだけ柔らかくなる。
昔、一緒によく食べてた。運動後は甘い果物より、少し酸味が強いもの。なんでそうなのかはわからない。けど、絆奈は小さい頃からそうだった。
「神代に出したパンも好評だったし、月白もケーキ見た瞬間、目の色変えてたからな。遠征の時は簡単なやつでいいから、サイドで何か一つ付けるのはありかもな」
「神代さんにも?」
「蜂蜜っぽいのを塗って焼いたパン。神代、身体より頭の方が疲れてそうだったから。ちょっと甘くて懐かしさを感じられるような味だ」
「そうなんだ」
「月白はチーズケーキもどき。城から持ってきたやつだけど、月白の好物だからな」
「まさか桐生さんも?」
「夜食作ったよ。夜ずっと動くって聞いてたからな。あいつだけ何もなしじゃ、可哀想だろ?」
「……みんなに作ったんだね」
「そりゃみんな食べるからな。みんなに作るだろ?」
俺の役割は食事をみんなに提供することだ。誰か一人を特別に、というわけにもいかない。関係性で手間のかかり具合は少し違ったかも知れないが、それはご愛敬ってところだ。
「絆奈?」
どこか寂し気にしている彼女の名前を呼ぶ。
「どうかしたか?」
「……ううん。なんでもない」
少しだけ返事が遅かった気がするが、疲れてるのかも知れないな。
今日は昨日以上に戦っている。それも当たり前か。
「帰ったらちゃんと休めよ」
「……うん」
絆奈は小さく頷いた。
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村へ戻り昼を過ぎた頃、俺たちは王都へ帰ることになった。
使った道具や残った食材を積み込み、村の人たちへ挨拶をして馬車へ乗る。
行きと同じ道。でも、見える景色は少しだけ違って感じた。別に何かが変わったわけじゃない。畑も草原も、遠くに見える森も同じ。ただ、王都を出た時は、自分がどうしてここにいるのかよく分からなかった。
魔物と戦えない料理人を、わざわざ遠征へ連れていく理由。
河井じゃないけど、保存食だけでもよかったんじゃないかと思っていた。
今も俺じゃなきゃ駄目だったとは思わない。
でも、飯を作った。食べてもらった。美味いと言ってもらえた。
それに、身体が楽になったと言ってくれる奴までいた。
だったら少なくとも、来た意味がまったくなかったわけじゃない。
そのくらいは思ってもいい気がした。
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王城へ戻った頃には、空が赤くなり始めていた。長時間馬車に揺られていたせいで、また腰が少し痛い。みんなは元気なのに、最後まで俺だけ腰を気にしているのは納得いかない。
「黒江様、こちらの荷物は我々で」
「大丈夫です。厨房のどこに戻すか俺が一番分かるんで」
鍋と、残った食材の入った木箱を持つ。さすがに全部一度には無理なので何往復かすることになりそうだ。
「律希」
振り返ると、そこに立っていたのは絆奈。
「ちょっと、話せる?」
「いまか?」
「……うん」
抱えている木箱を見る。
このまま放っておくわけにもいかない。そんなことしたら騎士が気を遣って片付けを手伝うことになる。それはさすがに申し訳ない。
「悪い。早く片付けないといけないから、あとでもいい?」
「あと?」
絆奈が少しだけ目を見開いた。
「急ぎならいま聞くけど」
「……急ぎじゃない」
「そっか。じゃああとでで頼む。悪いな」
「黒江くん」
今度は横から神代の声がした。
「その箱、私も持ちます」
「いいよ。神代は今日も戦ってたんだから。休んでくれよ」
「でも一人だと何往復かするんですよね?」
「料理しかしてないんだから。これぐらいは働かないとな」
「……いえ、手伝います。体力はまだ余っているので」
神代が俺の返事を待たず、足元に残っていた小さめの木箱を持ち上げる。
どこか嬉しそうに微笑む神代に、わざわざ止めろというのは違うか。
「じゃあ悪いけど、それお願い」
「わかりました。一緒に行きましょう」
「わたしも行く」
月白まで寄ってきた。
「月白は何しに来るんだよ」
「今回の遠征で得られた結果について、確認したい。かなりのデータが取れた」
「そうか?」
俺にはあまりわからなかったけど。
「料理人の効果は出てた。河井くんが大型の攻撃を受けたのだって――」
「いいから、こんなところで説明してくれなくて。それに、今日ぐらい休もうぜ。月白だって疲れてるだろ?」
「チーズケーキ食べれば大丈夫。だから行く」
「結局それ食べたいだけじゃねえか……」
まあ、誰も食べてなきゃ作り置きが残ってるだろうから、別にいいけど。
「じゃあ行くぞ」
「はい」
「うん」
神代と月白を連れて、厨房へ向かう。
数歩進んだところで、何となく後ろを振り返った。
絆奈はまだ、さっきと同じ場所に立っていた。
「絆奈?」
声をかけると、少し遅れて顔を上げる。
「……なに?」
「いや、そんなところでどうしたのかなって」
「別に」
「そっか。なら、後でな」
「……うん」
絆奈が笑う。
ただ、その笑顔はどこかぎこちなく見えた。




