第26話 料理人の俺は、初めて王都の外へ出る
翌朝、王城の前には何台もの馬車が並んでいた。
まだ日が昇ってそれほど経っていないのに、出発の準備はかなり進んでいる。騎士たちは武器や野営道具を確認し、クラスメイトたちもそれぞれ自分の装備を馬車へ積み込んでいた。
河井は大盾。絆奈は剣。神代は刀。月白は杖。
そして俺の前には、鍋、包丁、調味料、豆や根菜を詰めた木箱に、その他諸々の調理道具。
「……どう見ても俺だけ目的が違うな」
並べて改めて見ると酷い。
今から魔物を倒しに行く集団の中で、一人だけ炊き出しにでも向かうような荷物だ。いや、実際に食事を作るのが俺の役割だから間違ってはいないんだけど。
「すごい荷物だな、黒江」
声に振り返ると、大盾を背負った河井が立っていた。
河井は俺の足元に並ぶ鍋や木箱を見て、それから少しだけ口元を歪める。
「俺たち、魔物を倒しに行くんだよな? 武器持って、防具を用意してもらって」
「ああ」
「なのに黒江だけ遠足みたいな持ち物だ」
言いたいことは分かる。こんなことを言うのもあれだが。
「俺もそう思う」
「……はぁ?」
「見ろよ、この食材が河井の言うところの盾だからな。遠足って言われてもしょうがないだろ」
「いや、まあ。そうだけど」
同意したのに、なぜか河井は不満そうだった顔を引っ込め、今度は困ったような表情を浮かべている。
「そういうつもりで言ってないんだが」
「そうなの? まあ遠足気分で河井達の邪魔しないようにするから、気にしないでくれ」
「……ああ。足だけは引っ張るなよ。誰かが死ぬかも知れないんだからな」
河井はそう言うと、俺の返事を待たず絆奈たちの方へ歩いていった。
……いったい、なにが言いたかったんだ? あいつは。
首を傾げている間にも、馬車への積み込みは進んでいく。武器や野営に必要なものが優先されているようなので、俺は邪魔にならないよう端へ寄った。
料理道具なんて最後でいい。先に戦う奴らが必要なものを積み込んで、余った場所に俺の荷物を入れてもらえばそれが正解。我先に、と行く必要はない。
しばらく待ってから空いた荷台へ木箱や鍋を積み込み、紐で固定する。ガルドさんに何度も忘れ物がないか確認しろと言われたので最後にもう一度荷物を数えたが、たぶん問題ない。
「よし」
これで終わりだ。
すでにクラスメイトたちは馬車へ乗り始めている。
俺も最後に乗ろうとしたところで、背後から微かな声が聞こえた。
「……まってぇ」
気の抜けたような声に振り返る。
少し離れたところから、金色の髪を揺らしながら一人の女子が歩いてきていた。
「桐生か。何やってんだよ。もう出発だぞ」
「なによぉ。そんな怒らないでよぉ……」
いや、桐生、だよな? たぶん。顔も服装も間違いなく桐生だが、普段の桐生からは想像できないほど覇気がない。
目は半分以上閉じていて、いつもなら綺麗に整えている金髪にも少し寝癖が残っている。歩き方までふらふらしていて、このまま放っておいたら地面で寝始めても不思議じゃない。
「本当に桐生?」
「……ぶっとばすわよ。あたし以外の誰が夜王なのよ」
「セリフは桐生っぽいな。覇気が全然ないけどな」
「うるさい。あたしは眠いのよ……」
普段ならここで三倍ぐらい言い返してきそうなのに、今日はそれだけだった。
桐生が欠伸を噛み殺しながら俺の前まで来る。
「夜王、朝弱すぎだろ。いつもそうなのか?」
「知らない。よくわかんない」
もう会話することすら面倒らしい。返事があまりにも適当だ。
桐生は俺の横を通って馬車に乗ろうとしたものの、足を掛けたところで身体がぐらりと傾いた。
「危なっ」
反射的に腕を掴む。
本人は自分が転びかけたことすらよく分かっていないらしく、眠そうな顔で俺を見た。
「……なに?」
「寝るなら馬車に乗ってからにしろよ。ほら」
先に馬車へ上がり、桐生へ手を差し出す。いつもの桐生なら何かしら文句を言いそうなものだけど、今日は俺の手を一度見ただけで素直に掴んだ。
「ん……」
「よっと」
軽く引っ張り上げる。
桐生はふらふらと馬車へ乗り込み、そのまま近くの席へ腰を下ろした。俺も最後だったので、自然とその隣に座ることになる。
「寝るなら壁側行くか?」
「もう動きたくない……」
「そうかよ」
騎士が人数を確認し、ほどなくして馬車が動き始めた。
石畳を車輪が踏むたびに身体が小さく揺れる。
その揺れがちょうどよかったのかもしれない。
出発して数分もしないうちに、隣から重みを感じた。
「ん?」
肩を見る。
桐生の頭が乗っていた。完全に寝てる。さっきまで半分閉じていた目も今は完全に閉じられていて、規則正しい寝息まで聞こえてくる。
「寝るの早過ぎだろ。まだ王都すら出てないぞ」
起こそうかと思ったが、昨日も夜まで起きていたのかも知れない。そもそも今回、桐生は夜間の警戒を担当するらしい。だったら、今寝ておいてもらった方が俺たちとしても助かる。
向かい側から妙な視線を感じたので顔を上げると、何人かが俺と桐生を見ていた。
「こいつ、夜行性なんだよ、夜王だから。夜の警戒もするらしいし、今は寝かせといた方がいいだろ」
「誰も何も言ってない」
月白が淡々と返してきた。
「そうだけど。なんか言いたそうな顔してたから」
「わたしは別に」
「じゃあ月白、そこのブランケット取ってくれる?」
素直にお願いを聞いてくれた月白からブランケットを受け取り、広げてから桐生の肩へかける。その間も桐生は一度だけ身じろぎしただけで、目を覚まさなかった。
よく寝ている。まあ寝ていた方が、馬車の中ではよかったのかも知れない。
そう思いながら馬車の外へ視線を向ける。
ちょうど、王都の大きな門を抜けるところだった。
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城から離れるにつれて、景色が変わっていった。
王都の中ではどこを見ても石造りの建物が並び、多くの人が通りを行き交っていた。以前神代と二人で出かけた時にもかなり歩いたけれど、結局あの日も巨大な城壁の内側から出ることはなかった。
今は、その壁がどんどん遠ざかっている。
街道沿いの建物は徐々に減っていき、代わりに広い畑や草原が増えていった。見たことのない作物が植えられた畑で人が働き、その向こうでは牛に似た動物が何頭も草を食べている。さらに遠くには深い森と、その奥に連なる山まで見えた。
「本当に異世界なんだな」
思わず口から漏れた。
今さら何を言っているんだと思う。
魔法も見た。魔物も見た。俺自身、料理人なんてクラスまで与えられている。
それでも王城にいる間は、どこか狭い範囲の出来事だった。朝起きて、厨房へ行って、料理を作って、寝る。そんな生活を続けていると、環境が変わったことにも少しずつ慣れてしまう。
だけど、巨大な城壁の外に広がっている知らない景色を見ていると、改めて実感する。
俺はもう、日本とは全然違う世界にいる。
馬車は土の街道を進んでいく。
舗装されていた王都の中とは違い、たまに大きく揺れる。そのたびに桐生の頭が俺の肩から落ちそうになるので、何度か位置を直す羽目になったが、本人は相変わらず起きる気配がない。
途中で休憩を挟みながら進み、王都を出てから数時間が過ぎた頃。
ようやく今回の拠点になる村が見えてきた。
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「ここか」
馬車から降りる。
王都とは比べものにならないほど小さな村だった。
木と石を組み合わせて造られた家が街道沿いに並び、少し離れた場所には畑が広がっている。店らしいものもいくつか見えるけど、王都のように人が溢れていない。
突然やってきた馬車の集団が珍しいのか、遠巻きに俺たちを見る村人もいた。
騎士たちは俺たちを待機させ、村長らしい老人と話を始める。
しばらくして戻ってきた騎士の表情は特に慌てた様子ではなかったものの、出発前より少し硬くなっていた。
「皆様にお伝えします。当初の報告通り、村の北側にある森で低級魔物の目撃が増えているとのことです。ただ、ここ数日は報告を受けた時点よりもさらに数が増えているようです」
「危ないってことですか?」
誰かが尋ねる。
「現時点で危険度が大きく変わったとは判断しておりません。確認されているのはいずれも低級魔物ですし、騎士団も同行します。ただし、予定より慎重に行動することにしましょう」
中止するほどではないらしい。
なら俺には関係ないか。
戦闘組が森へ行っている間に、夕食の準備を始めないと。料理をするのは家の厨房……。ではなく、屋外だ。野営を想定して料理をさせるつもりらしい。
「じゃあ俺は飯の準備してますね」
「いえ、黒江様にも同行していただきます」
「……俺も?」
またかよ。魔物を倒しに行くなら、それこそ俺は必要ないはずだ。
「黒江まで連れて行く必要あります?」
近くにいた河井も同じことを思ったらしい。
河井が騎士へ向き直る。
「今回は森で戦うんですよね。戦えない黒江まで連れて行ったら、護衛する人数が増えるだけじゃないですか。それだけで危険度が増すと思いますけど」
真っ当な意見に、しかし騎士は首を横に振る。
「もちろん黒江様を戦闘へ参加させるつもりはありません。騎士と共に後方から見学していただきます」
「見学?」
「はい。今回の目的は、戦闘に参加される皆様だけの訓練ではありません。補助を担当する方にも、実際の遠征でどのような状況になるのか経験していただく必要があります」
「でも俺、料理するだけですよ?」
「でしたらなおさら、ご自身が食事を作る方々がどのように活動しているか、実際に見ておいて損はないかと」
言われて、ガルドさんの言葉を思い出す。
食う奴の顔を見ろ。
確かに、城で待っているだけよりは実際に見た方が何か分かるかもしれない。
「騎士のみなさんがそう言うなら、俺は行きますけど」
「我々が必ずお守りしますので、ご安心ください。河井様も、こちらに気を遣う必要は全くございません。訓練されたことを試してください」
河井はまだ何か言いたそうだったが、騎士が決めた以上どうしようもないと思ったのか、それ以上は口を挟まなかった。
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村から歩いてしばらくすると森へ入った。
昨日の訓練場とは全然違う。
地面は平らじゃないし、木の根が剥き出しになっている場所もあれば、足首くらいまで草が伸びている場所もある。大きな木が至るところに生えているせいで視界も悪く、少し先に何がいるのかすら分からない。
俺は騎士二人と一緒にかなり後方を歩いていた。
前には河井や絆奈たち。
全員、昨日よりも明らかに警戒し、緊張した面持ちだ。
「止まってください」
先頭の騎士が足を止めた直後、茂みの向こうから何かが飛び出してきた。
訓練場で昨日見た、グレイファングだ。
しかも一体じゃない。
「三体います。それでは皆さん」
騎士が剣を構えながら後ろに下がると、代わりに河井が前へ出る。
「来い!」
大盾を構えた。
先頭のグレイファングが飛びかかる。
昨日と同じ、そう思った。
「っ!」
盾で受けた河井の身体が大きく後ろへずれた。
昨日ならほとんどその場から動かなかった。
だが、今日は違う。
足元の土が滑ったらしく、河井が慌てて踏ん張る。
「一ノ瀬!」
「分かってる!」
絆奈が走る。
ただ、こちらも昨日とは違った。
一直線に魔物へ向かうのではなく、途中で木の根を避け、身体を横へ振ってから踏み込む。その僅かな遅れの間に魔物が動き、絆奈は一度振りかけた剣を止めて間合いを取り直した。
昨日より戦闘がスムーズじゃない。
それは河井や絆奈だけじゃない。
神代も魔物との間にある木を邪魔そうに避けているし、月白は杖を構えながら周囲を何度も確認している。 昨日の訓練場では、複数の火球を好き放題飛ばしていた。
でも、こんな森で同じことをすれば木々に当たる。
「火は使わない」
月白が杖を向けた。
飛び出したのは、鋭く尖った氷柱。
一発目は魔物の横を通り抜けた。
二発目が魔物の胴体を貫き、そのまま地に伏せる。
その隙に神代が距離を詰め、威嚇していた魔物を斬った。
河井が一体を受け止めている間に、絆奈ももう一体を仕留める。
これで三体。結果だけ見ればなんの問題もなく処理しただけだ。
騎士たちは誰一人動いていない。
だけど、昨日見た戦いとは全然違う。
河井は魔物の攻撃に押され、絆奈は好機を逃した。
神代も普段より慎重に間合いを測り、月白は魔法を一発外した。
「問題ありません。先へ進みます」
騎士の声で、再び全員が歩き始める。
それから何度か魔物と遭遇した。
最初よりは少しずつ動きも良くなっていたが、やっぱり昨日とは違う。それでも危ない場面はなく、出てきた低級魔物は全て河井たちが倒していく。後ろで見ていても、危なげなくことが進んでいる。
空が少しずつ赤くなり始めた頃。
「本日はここまでにしましょう」
同行していた騎士がそう告げた。
「周辺の状況もある程度確認できました。日が落ちる前に村へ戻ります」
「やっと終わりか」
河井が大盾を背負い直す。
「これくらいなら余裕だな。最初はどうなるかと思ったけど、普通に倒せたし」
「そうだね」
絆奈が頷く。
怪我人もいない。騎士が助けに入ることもなかった。
だが、河井が大盾を背負ったあと、何度か右腕を振っているのが見えた。肩も少し気になるのか、小さく回している。
絆奈は普通に笑っているけど、額には汗が浮かんでいた。呼吸も荒く、疲れを抜くように軽く飛んで足の感覚を確かめている。
神代は見た目だけならいつもと変わらない。だが、戦闘が終わってから何度か大きく息を吐いている。身体そのものというより、ずっと周囲を警戒していたせいで疲れているようにも見えた。
そして。
「月白、めちゃくちゃ息切れてるけど」
「森が歩きにくいのが悪い」
杖を地面について、足がふらふらになっている月白。
それでも彼女はこちらを見上げる。
「黒江くん。わたし、どうだった?」
「体力なさすぎ」
月白の眉が僅かに動く。
「魔法は?」
「そっちは凄かったんじゃない? 途中から全然外さなくなってたし」
「それだけ?」
「月白が凄いのはわかってるから。それより、やっぱ魔力より先に身体の方どうにかした方がいいだろ。村まで歩けるか?」
月白は少しだけ黙った後。
「歩ける」
「ならいいけど」
「やっぱり、そこ見るんだ」
「何が?」
「なんでもない」
なぜか月白の口元がほんの少し緩んだ。
何が嬉しいのかよく分からない。
いいから体力つけろと言いたいぐらいだ。
「それでは、村へ戻ります」
前から騎士の声が飛んでくる。
歩きながら、俺はもう一度みんなを見る。
河井は余裕だと言った。
絆奈も問題なさそうにしている。
神代も弱音なんて吐いていないし、月白も大丈夫だと言った。
実際、戦闘は全部勝っている。それでも昨日より明らかに疲れている。
今日、実際に一緒に来なかったら気づかなかったかもしれない。
「さて」
村へ向かって歩きながら考える。
「……なにを食わせるかな」
ようやく、俺の仕事が始まりそうだった。




