第23話 【河井タクミ視点】聖盾騎士は、料理人が選ばれた理由がわからない
【河井タクミ視点】
訓練場の中央に置かれた鉄格子の向こうから、低い唸り声が聞こえてくる。
四本足の獣だ。
狼に似ている。でも、日本で見たことのある狼とは明らかに違う。身体は大型犬より一回り大きく、灰色の毛の間から硬そうな鱗が覗いている。口元から伸びた二本の牙も、獲物を噛むためというより突き刺すためについているように見えた。
魔物。
この世界に来てから何度も聞かされた言葉ではあるけど、実際に目の前で見るのは今日が初めてだ。
「本日の訓練では、実際の魔物を相手にしていただきます」
訓練場の前に立った騎士がそう告げる。
周囲には俺たち以外にも、何人もの騎士が配置されていた。魔術師らしいローブ姿の人間までいる。俺達に危険が及んだ時、すぐに助けられるようにしているためだ。
「用意したのは王都周辺にも生息している低級の魔物です。十分に弱らせた上で捕獲してありますが、生きた魔物であることに変わりはありません」
騎士の声が強くなる。
「皆様にとって、魔物を直接目にすること自体が初めてでしょう。恐怖を覚えても、それは当然の反応です。決して無理をせず、危険を感じた場合はすぐに距離を取ってください。我々が対処いたします」
そう言われて、俺はもう一度鉄格子の中を見た。
魔物と目が合う。赤黒い目。
こっちを見た瞬間、牙を剥いて鉄格子へ飛びついてきた。
ガンッ、と大きな音が響く。
「うわっ」
後ろの方から誰かの声が聞こえた。
俺も一瞬だけ肩に力が入った。
けれど、それだけだった。
「思ったより平気だな」
隣にいた相良が呟く。
「俺もそれ思った」
三浦も魔物を見ながら頷いた。
俺も同じだった。気持ち悪いとは思う。襲われれば怖いとも思う。でも、足が動かなくなるほどじゃない。
日本にいた頃、こんな化け物を突然目の前に出されたらどうなっていたか。少なくとも、盾を持って正面から戦おうなんて考えなかったはずだ。
「まずは一体ずつ、こちらから指定した方に戦っていただきます」
騎士が名簿らしきものを見る。
「河井タクミ様。一ノ瀬絆奈様」
「はい」
「わたしも?」
一ノ瀬が俺を見る。
「最初から一緒みたいだな」
「う、うん。でも、河井くんなら前を任せられるから、少し安心した」
一ノ瀬が緊張した面持ちをしつつも笑みを作る。
悪くない。
俺は聖盾騎士。
一ノ瀬は剣神。
ここ数日の訓練でも分かってきたが、俺が攻撃を受けて、一ノ瀬が仕留める。この組み合わせはかなり相性がいい。実戦経験がある騎士達にも勝つことがあるほどだ。
俺たちが前へ出ると、騎士が改めて説明する。
「相手はグレイファングと呼ばれる低級魔物です。動きは速いですが、攻撃手段は噛みつきと爪が中心です。河井様は正面から攻撃を受け、一ノ瀬様は隙を見て攻撃してください」
「わ、わかりました」
「了解です。……一ノ瀬、気楽にやろう。お前は俺が守るからな」
一ノ瀬の緊張した肩を軽く叩き、俺は盾を構えて前に出る。
訓練用とは違う、本物の大盾。身を隠せるほどの鉄の塊。
最初に持たされた時は重いと思った。でも、今では片腕でも問題なく扱える。
これも聖盾騎士のおかげらしい。
「では、始めます」
鉄格子が上がった。
グレイファングが飛び出してくる。
速い。
そう思った時には、もう目の前まで来ていた。
けど、不思議と身体は動いた。
足を踏み込む。盾を前へ。腕に溜めた魔力をそのまま盾に流し込む。
直後、凄まじい衝撃が腕に伝わった。
「っ!」
重い。けど、受けられる。むしろ押し返せる。
四本の足で地面を蹴った魔物の突進をその場からほとんど下がらず受け止めた。
「おお!」
騎士たちから声が上がる。
盾へ爪を立てているグレイファングを見る。
牙が目の前にある。唾液まで見える距離だ。なのに、やっぱり身体は動く。
「一ノ瀬!」
「うん!」
盾を跳ね上げると、魔物の身体が宙に浮く。
横から一ノ瀬が踏み込み、剣が走る。
一瞬だった。
グレイファングの身体から力が抜け、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「……終わり?」
一ノ瀬が剣を見ながら呟く。
「みたいだな」
「思ったより、普通にできたね」
「ああ。こんなこと言うのもあれだけど、あっけなかった」
初めて魔物を相手にした。初めて自分を殺そうとしてくる生き物と戦った。
それなのに、思っていたよりずっと簡単だった。
「素晴らしい!」
担当の騎士が駆け寄ってくる。
「初めての対魔物戦とは思えません。河井様は魔物の突進を完全に受け止め、一ノ瀬様も一切迷いなく急所を捉えていました」
「これくらいなら、全然いけそうです」
俺が言うと、一ノ瀬も頷いた。
「うん。わたしも大丈夫そう」
「いえ、油断は禁物です。今回は低級魔物ですから」
「分かってますよ」
そう答えながらも、自然と笑みが浮かぶ。
やっぱり俺の聖盾騎士は本物だ。訓練用の木剣を相手にするのとは違う。実際の魔物を止めたことで、それを改めて実感できた。
俺たちが下がると、次は神代が呼ばれた。
相手は同じグレイファング。
神代は刀を構え、飛びかかってきた魔物をぎりぎりまで引きつけた。
そして、すれ違う。
魔物が地面へ落ちる。
「はぁ? 神代のやつ、なにしたんだ?」
相良が大きい瞬きを繰り返しながら呟いた。
俺も、同感だった。
神代の動きが全く見えなかった。ただ、すれ違った魔物が倒れただけ。それだけで魔物がピクリとも動かなくなった。
さすが刀神。俺と一ノ瀬に並ぶ、選ばれたクラスを与えられただけはある。
だが、次に呼ばれた月白もまた凄かった。
彼女の周りにはいくつもの火球が浮かび上がる。
訓練で見てきた、他の生徒のものとは数も質量も違う。
魔法をあまり使わない俺ですらそれを感じることが出来た。
無数の火球が自由自在に動き回り、逃げる魔物の身体へ次々と叩き込まれる。
担当の魔術師だけが、静かに頭を抱えていた。
「追尾魔法はまだ教えていないのですが。それも、その数を一気に……」
「本に書いてあったから」
「そうですか……」
月白はほとんど訓練に出ていない、いわゆる不良生徒だ。
だが、あの実力を見せられて、それを批判できる人はいない。
そのあとも何人かが魔物と戦った。
多少手間取る奴はいても、動けなくなるような奴はいない。
その様子を眺めていると、不意に月白が小さく呟いた。
「やっぱり」
「どうかしましたか?」
近くにいた神代が反応する。
「死体を見ても、思ったほど抵抗感がない。こんな気持ち悪い死体なんて、今まで見たことない。それに、魔物を目の前にしても普通に動ける」
そう言われて、神代が少し考える。
「言われてみればそうですね。最初は驚きましたが、思ったより平気でした。魔物を斬る時でさえ、なんの違和感もなく」
俺と一ノ瀬も、自然とそっちを見る。
月白が続ける。
「魔法を初めて使った時も同じだった。日本にいた時ならありえないことなのに、あまり違和感がなかった」
月白が自分の杖を見る。
「火が出ても、水が浮いても、最初からそういうものだって受け入れられた。まるでそれが、そういうものだって、理解してるみたいに」
神代も納得したように頷く。
「私も刀なんて持ったことがなかったのですが、まるで当たり前のように手に馴染みましたね。それが刀神だから、と漠然と思っていましたが……。そういう当たり前が魔物の耐性にもつながっていると?」
「たぶん。あくまで可能性の話しだけど」
月白の話しに、俺も混ざる。
「じゃあ俺たち、戦うためにそういうところまで変わってるってこと?」
月白が俺を見る。
「……わからない。でも、調べる価値がある」
「調べる、か。問題なく殺せてるなら、それでいいと思うけど?」
「不確定要素は減らしておいた方がいい。一歩間違えれば死ぬんだから」
迷いがない。その冷たく聞こえる言葉は、果たして大魔導士だから出るのか、月白詩音がもともと言えたことなのか。
彼女の無表情さだと、後者と思えるから怖い。
ただまあ、俺はそこまで気にならなかった。
理由なんて何でもいい。実際に戦えるなら、それで十分だ。
魔物を見ても動ける。クラスのおかげで身体能力も上がっている。俺たちは、この世界で戦うための力をちゃんともらっている。
そう考えれば、今日の結果にも納得できる。
「休憩にしましょう」
騎士から声がかかり、俺たちは訓練場の端へ移動した。
そこで、ふと黒江が目に入った。
端の方に立って、ボーっと俺たちの戦いを見ている。
料理人。あいつだけ今日も戦うことはない。俺たちが毎日剣や盾を持って訓練している間、黒江は厨房で料理をしている。
別に、それ自体が悪いとは思わない。黒江の料理は普通にうまい。たぶん、あいつが厨房にいるからこそ、俺達は当たり前に食事がとれている。
ただ――。
「黒江くん、見に来ていたんですね?」
神代が黒江のところへ歩いていく。
「ああ。神代はやっぱり凄いな。俺には何やったか全然見えなかったぞ」
「そんなことないですよ。教えてもらった通り動いただけですから」
「それでも、だよ。めちゃくちゃかっこよかった」
「そ、そうですか? ならよかったですけど……」
そう言いながら、神代は嬉しそうだった。
その横から、月白まで入っていく。
「黒江くん。私の魔法は?」
「意味わからなかった。なんであんなに火の玉が出るの?」
「出したから」
「ああ、そう? ならいいんじゃない? 知らないけど」
「なにそれ」
「こっちのセリフなんだけど。まあ、月白が凄いことだけはわかったよ」
黒江が呆れたように言うと、月白は満足そうにしている。
最近よく見る光景だった。
神代も月白も、何かあると黒江のところへ行く。
前はそんなに話していた印象なんてなかったのに。
「律希、見てた?」
今度は一ノ瀬まで声をかける。
「ああ。綺麗に斬ってたな」
「でしょ?」
「でも、油断するなよ。相手は魔物なんだから」
「分かってるって。万が一がないようにしてるもん」
一ノ瀬が笑う。
黒江も普通に返す。
少し前まで二人の空気はもっと悪かった気がするけど、いつの間にか普通に話すようになったらしい。まあ、幼馴染なんだからそんなものなのかもしれない。
「河井ー! 次だって!」
相良に呼ばれ、俺はそっちから視線を外した。
「いま行く」
訓練は午後まで続いた。
最後に出てきたのは、さっきの魔物より二回りほど大きな猪型の魔物だった。
今度も俺と一ノ瀬の二人。突進を盾で受けた瞬間、さすがに足が地面を滑った。
それでも止める。
「一ノ瀬!」
「任せて!」
俺の横を抜けた一ノ瀬が魔物の側面へ回り込み、剣を振り抜いた。
魔物が倒れる。
歓声が上がった。
「見事です!」
騎士が俺たちへ近づいてくる。
「この短期間で、ここまで戦えるとは……。正直、我々の想定以上です」
「まあ、聖盾騎士ですから」
俺が笑うと、一ノ瀬が横から肘で軽く突いてくる。
「調子に乗らない方がいいんじゃない?」
「事実だろ?」
「そうだけど」
一ノ瀬も笑っている。
やっぱり悪くない。俺が前で受けて、一ノ瀬が倒す。
この世界で戦っていくなら、俺たちはかなりいい組み合わせになるはずだ。
全ての訓練が終わると、担当の騎士たちが少し離れたところに集まった。
何か相談し、やがて一人が俺たちの前へ戻ってきた。
「本日の訓練、お疲れ様でした。皆様の戦闘能力については、十分確認することができました」
騎士が一度言葉を切る。
「その結果を踏まえ、一部の方には次の段階へ進んでいただこうと考えています」
周囲がざわつく。
「次って?」
「王都近郊での実地訓練です」
ざわめきが大きくなった。
「もちろん、我々騎士も同行いたします。討伐対象も比較的危険度の低い魔物に限定します。本日の訓練で特に安定した結果を残された方から、まずは参加していただく予定です」
なるほど。
俺は自然と口元が緩んだ。たぶん呼ばれる。
「参加していただくのは、河井タクミ様」
「はい」
「一ノ瀬絆奈様」
「はい」
「神代結衣奈様」
「はい」
「月白詩音様」
「……いい実験にはなるかも」
他にも何人か名前が呼ばれていく。
俺たちは実際の魔物を相手に、問題なく戦えた。城の中で訓練だけを続けていても仕方ない。ようやく本番に近づいてきたってことだ。
「黒江律希様」
突然、呼ばれたその名前。一瞬、聞き間違えたかと思った。
俺は訓練場の端にいる黒江を見る。
黒江本人も目を丸くしていた。
「……俺ですか?」
「はい。黒江様にも同行をお願いいたします」
なんでだ?
今日、黒江は一度も戦っていない。というより戦えるクラスじゃない。
俺たちは毎日訓練して、今日だって本物の魔物を相手にした。
その結果を見て選ばれた。
だったら――。
どうしてそこに、料理人の黒江まで入るんだ?




