第21話 王女様は、料理人の俺の料理を食べに来たらしい
昼食の片付けが終わった空き時間。
俺は作業台の端に寄りかかりながら、昨日王都で買ってきた香草についてガルドさんと話していた。
「前に王都で買ってきたこれなんですけど、煮込むより焼いた肉に合わせた方がよさそうですよね。匂いが強いんで、煮込みに入れたら全部この香りになりそうで」
「しかもそいつは煮込むと匂いが増すぞ。その量を一気に煮込んだら、厨房は一日その臭いが充満するほどだ。絶対にやるなよ」
「わかりました。絶対にやりません」
「なんだそのやりそうな表情は。いろいろ試してみるのはいいが、それだけは絶対にやめろよな?」
「わかってますって。絶対にやりません」
「信用ならねえ」
「じゃあどうすればいいんですか」
ガルドさんに笑われ、俺も苦笑する。
そんな他愛のない話をしていた時、厨房の入口付近が急に静かになった。
何かと思って振り返る。
そこに立っていた人物を見て、俺もガルドさんもほぼ同時に動きを止めた。
長い金色の髪。顔の前には薄いヴェール。
その少し後ろには、以前も見た銀鎧の騎士が控えている。
「で、殿下!? どうして厨房に」
ガルドさんが慌てて姿勢を正す。
俺も反射的に背筋を伸ばした。
王女様はそんな俺たちを見て、穏やかな声で言う。
「突然訪ねてしまい、申し訳ありません。ですが、どうかそれほど構えないでください。仕事の邪魔をしに来たわけではありませんから」
そう言われても、相手は王女様だ。俺ですらどうしていいのか分からないのだから、王城で働いているガルドさんならなおさらだろう。
「今日は、どうされたんですか? まさか昼食が気に入らなかったとか?」
「いえ。美味しく頂きましたよ」
その言葉に、ガルドさんはホッと胸をなでおろす。
「なら、本日はどういったご用件で?」
「今日は黒江様に用があって参りました」
「俺に、ですか?」
王女様はゆっくり頷く。
「以前、黒江様にお願いしたことを覚えていらっしゃいますか? あなたが私のことを考えて作った料理を、一度いただいてみたいと」
「もちろん覚えてますけど」
「今日は少し時間が取れましたので、もしご迷惑でなければと思いまして」
「それで、わざわざ厨房まで?」
「こちらからお願いしたことですから。それに、黒江様が普段料理をされている場所も見てみたかったのです」
まさか王女様本人が食べに来るとは思っていなかった。言ってくれればいつでも作って持って行ったのに。なんて、いま考えても無駄なことか。
「俺でよければ作りますけど。ただ……」
「ただ?」
言うべきかどうか悩んだが、王女様に料理を出すんだ。下手なものは作れない。
「王女様に少しだけ質問してもいいですか?」
「質問、ですか?」
「はい。料理を考えるのに必要になるかもしれなくて」
王女様は少し不思議そうにしながらも、近くの椅子へ腰を下ろした。
「構いません。私に答えられることであれば、何でもお聞きください」
「ありがとうございます。じゃあまず、食べ物の好き嫌いってありますか? 好きな料理でもいいんですけど」
「特別これが好き、というものはありませんね。王宮では栄養や体調も考えて食事を用意していただいておりますので、基本的には出されたものをいただいています」
「なるほど。じゃあ、最近あまり眠れてないとか、疲れが取れにくいとか、そういうことってあります?」
俺が続けると、王女様が僅かに首を傾げた。
「それは、料理に関係がありますか?」
「やっぱり変ですよね、すみません」
普通なら、料理を作ると言っておいて、睡眠時間を聞かれたらそう思う。
俺は少し迷ってから、周囲を確認した。
「実は、俺の料理人について最近ちょっと分かってきたことがあるんです。ただ、まだ仮説の段階なので、できればこの話はあまり他の人には言わないでいただけると助かります」
王女様の雰囲気が少し変わった。
「承知しました。ここで伺ったことは内密とします」
後ろにいる騎士も静かに頷く。
ガルドさんにはこれまでのこともあるので、隠す必要はない。
「俺は料理を作る相手の状態を見たり、その人について考えたりすると、それが料理に影響するみたいなんです。元気がない人に料理を作れば元気が出る料理、疲れている人に料理を作れば、疲れがとれるような料理。それで、相手のことを知っていた方が、もっと正確に料理を作れるんじゃないかって、いまなってて」
「なるほど。先ほどの質問には、そういう意味があったのですね」
「そういうことです。なので、少し変なことも聞くかもしれませんけど……。答えづらいものは答えなくて大丈夫ですから」
「お気遣いありがとうございます。でしたら、続けてください」
王女様が納得してくれたので、俺は質問を続ける。
「では。最近ちゃんと休めてますか? 睡眠とかも含めて」
「睡眠は日によって異なりますが、三時間から四時間ほどでしょうか」
「す、少ないですね」
思わず出た言葉に、王女様が首を傾げる。
「そうでしょうか? 一般的だと思いますが」
横目でガルドさんを見ると、僅かに首を横に振っている。
騎士もどこか心配そうに表情を歪めた。
一般的に考えれば、やはり少ない部類の様だ。
「お仕事は多いんですか?」
「魔物に関する各地からの報告、兵や物資の調整、皆様の召喚に関する記録の確認などがあります。もちろん全てを私一人で行っているわけではありませんが、私が確認しなければならないものも少なくありません」
「それだけやってたら、睡眠時間の確保も難しそうですね」
「それも私の役目ですから」
王女様は当たり前のことのように言う。
「私は王女です。魔物によって苦しんでいる民がいる以上、私が担うべきことは行わなければなりません」
その答えを聞いて、少し前の神代を思い出した。
自分がやらなければ。みんなのためだから。
そう考えて、一人で抱え込んでいた神代。
「なんとなく、神代と似てますね」
「神代様と?」
「はい。前に神代が無理してた時も、似たような感じだったので。自分の役目だからって、疲れてても頑張っちゃうところが」
言ってから、少し踏み込みすぎたかと思った。
「すみません。王女様と神代じゃ立場も全然違うのに」
「いいえ。続けてください」
「では……。王女様は神代に休んだ方がいいって言ってくれたじゃないですか。だから、その。王女様も少しくらい休んでもいいんじゃないかなって思っただけです」
説教するつもりはない。俺に王女様の仕事なんて分からないし、代わってやることもできない。ただ、料理を作る相手として見れば、かなり疲れているように思えた。
「もちろん、俺が口を出せることじゃないんですけど」
「いえ。お気持ちは理解できます」
王女様は少し考えてから、静かに息を吐いた。
「確かに、最近は疲れが抜けにくいと感じることがあります。夜もすぐ眠れるとは限りませんし、食事中も次に確認する書類について考えてしまうことがありますね」
やはりかなり疲れているようだ。ただ、これだけ話しを聞けて、表情は見えないにしても、王女様のことは観察できた。
「ありがとうございます。それだけ分かれば、十分だと思います」
俺はガルドさんのところへ向かう。
「ガルドさん。王女様って普段、どんなものを食べてるんですか?」
「王族用だからな。肉も魚も野菜も、その日の状態に合わせて品数を揃えている。味も栄養も、俺たちが出す普通の食事より手を掛けてるぞ」
「やっぱりそうですよね」
だったら、俺まで豪華なものを作っても意味がない気がした。
王女様に必要なのは、美味しいものでも高級なものでもない。
疲れている。眠れていない。食事中まで仕事を考えている。
だったら、少しでも力を抜けるものがいい。
そう考えると、自然と使いたい食材が決まっていった。
柔らかく煮込める野菜。胃に負担が掛からないよう、味も濃くしすぎない。そこに穀物を使った柔らかなパンを添える。
それだけじゃちょっと弱すぎるか? ……そうだ。王都で神代と食べた豆を煮込んだ料理。あれに似せるのがいいかも知れない。
食材を並べると、ガルドさんが横から顔を覗かせてきた。
「材料が随分質素だな」
「ですよね。でも、王女様って普段からちゃんとした料理食べてるじゃないですか。だったら今日は、そういうのじゃない方がいいかなって」
「ま、坊主がそう思うならやってみろ。お前に作ってほしいって依頼だからな」
「もちろんです」
王女様のことを考えながら、料理を始める。
王女だから。自分の役目だから。そう言って、休むことまで後回しにしている。
ならせめて、この料理を食べている間くらいは何も考えずに済めばいい。
まずは下処理を済ませてある豆を鍋へ入れ、柔らかくなるまで火を通していく。そこへ細かく切った根菜と、香りの強すぎない葉野菜を加えた。
王都で神代と食べた豆料理。あれは味がしっかりしていて美味しかったけど、今の王女様に出すなら、もう少し優しい方がいい。
調味料は基本的に控えめに。その代わり、野菜と豆の味が薄くなりすぎないよう、ガルドさんに教えてもらった香草をほんの少しだけ加えた。
味を確かめる。
もう少し塩を足そうかと思ったけど、やめた。今の王女様には、濃い味で食欲を刺激するより、ゆっくり口にできる方がいい。
その横では、穀物を使ったパンを軽く温めておく。焼き立てにする必要はない。表面を少し温めて、スープへ浸しても食べやすい程度で十分だ。
そこまで準備したところで、ふと別のものが目に入った。
棚に置かれている、紅茶に近い香りのする葉だ。
「……これも使えるかな」
夕食後に出すものじゃない。王女様が部屋へ戻ってから、寝る前に飲めるようにしておけばいい。
葉を少量取り分け、香りが強くなりすぎないよう調整しておく。
料理も紅茶も、考えることは同じだった。仕事のことを忘れて、少しでも身体の力を抜いてほしい。
そんなことを考えながら鍋をゆっくり混ぜる。
鍋から立ち上る湯気を見ていると、不思議とこれでいいような気がしてきた。
少し前なら偶然だと思ったかもしれない。でも、月白との実験を終えた今は違う。
これも《料理人》の感覚なのかもしれない。
最後に味を確認し、料理を王女様の前へ運んだ。
「お待たせしました」
豆を主体に野菜をゆっくり煮込んだスープと、柔らかいパン。
王女様は並べられた料理を見て、少し意外そうだった。
「普段のものより質素かも知れませんが」
「確かに、王宮でいただいているものとは違いますね」
「はい。ですが、王女様が少しでも休めるようなものを考えてみました」
「私が休めるように、ですか」
「ただ、本当に効果が出てるかは分からないので、期待しすぎないでください」
「先ほどの仮説を聞いたあとでは、期待してみたくなりますね」
王女様の声が少し楽しそうに聞こえた。
薄いヴェールを僅かにずらし、スープを口へ運ぶ。
一口目を飲み込んだ後も、王女様はすぐに感想を言わなかった。
ゆっくり二口目を食べる。
「……美味しいです」
「よかった」
「ですが、それ以上に不思議ですね。特別珍しい味というわけではないはずなのに、とても落ち着きます」
食事を進めるにつれて、最初は真っ直ぐ伸びていた王女様の背中から少しずつ力が抜けていく。
俺から見ても分かるくらいだった。
「何か変化ありますか?」
「そうですね。身体そのものが急に元気になったというより、ずっと入っていた力が抜けていくような感覚があります。それに、頭も先ほどより軽く感じます」
王女様はそこで一度言葉を止めた。
「それから、少し眠くなってきました」
「なら、狙い通りなのかもしれませんね」
王女様は自分の身体の状態を確かめるように、ゆっくり手を開いた。
「なるほど。少なくとも、この料理には単なる食事以上の作用があります。疲労が和らぎ、精神的な緊張まで軽くなっている。黒江様が私の状態を知り、休ませようと考えて作った結果なのでしょう」
「やっぱり、そうなんですかね? まだ俺自身、わかっていないところですけど」
「可能性は高いと思います。そして、それは料理人という名前だけから想像できる能力ではありません」
「名前だけ?」
王女様は食事を続けながら説明してくれた。
「我々はクラスの全てを把握しているわけではなりません。同じ剣士であっても、本人の資質によって得意とする技術は異なりますし、経験や繰り返した行動によって新たな技能を獲得した例も残っています」
「じゃあ、料理人だから料理するだけ、ってわけじゃないんですね」
「恐らく。料理が能力の中心であることは間違いないでしょう。しかし、黒江様の場合は『誰に料理を作るのか』という部分に、何らかの特性が現れているのかもしれません」
それなら、少し納得できる。俺はずっと料理を作っているだけだ。
でも最近は、何を作るかより、誰に食べてもらうかを考えるようになった。
もしかすると、それ自体が料理人に影響しているのかもしれない。
「料理人の特性について、やっぱりもう少し分かるまでは内緒でお願いします。月白とガルドさんは知ってますけど、クラスのみんなに広まったら全員分の特別料理を頼まれそうなんで」
「承知しました。こちらでも不用意に広めることはいたしません」
「ありがとうございます」
食事を終える頃には、最初より明らかにゆったりした雰囲気になっていた。
眠気もかなり強くなっているのか、時折ほんの少し動きが止まる。
「今日はこのあともお仕事ですか?」
「本来であれば、部屋へ戻って確認するものが少し残っているのですが」
やっぱり仕事をするつもりだったらしい。
ここで「休んでください」と強く言うのは違う気もする。
でも、料理を作った側としては、このまま仕事へ戻ってほしくない。せっかく休まる料理を作り、食べてもらえたんだ。ゆっくりして欲しいというのが本音。
「もし急ぎじゃないなら、今日は少し早めに休んでもらえませんか? 料理の効果も出てるみたいですし、このまま無理をしたら勿体ない気がするので」
王女様はベール越しにこちらを見据える。暫く俺の瞳をじっと見つめた後。
「黒江様は、私にも、神代様と同じように休めとおっしゃるのですね」
「いや、その、おっしゃるというか、お願いというか……。王女様のお仕事に俺が口出しするつもりはないんです。ただ、料理を食べてくれた人として、ちゃんと休んでほしいなって」
「料理人として、ですか?」
「はい。たぶんですけど」
そう答えると、王女様が小さく笑ったような気がした。
「でしたら、今日は料理人である黒江様の言葉に従いましょう」
「ありがとうございます。それと、これもよかったら」
俺は料理を作っている途中で用意しておいた小さな容器を差し出した。
「これは?」
「こっちの葉っぱで作った紅茶です。寝る少し前に温めて飲んでみてください」
「こちらも、私のために?」
「はい。さっきの料理を作ってたら、もう少しゆっくり眠れるものもあった方がいいかなと思って。どんな効果があるかまでは分からないですけど、王女様がちゃんと休めたらいいなって考えて作りました」
王女様の手が少しだけ止まった。
それから、大事なものでも受け取るように、両手で容器を受け取る。
「ありがとうございます。今夜いただきます」
「無理して飲まなくても大丈夫ですからね。味が合わなかったら残してください」
「いいえ。ぜひいただかせてください」
王女様は立ち上がった。既に眠気が来ているからか、最初に厨房へ入ってきた時よりも動きが少しゆっくりしている。
「黒江様。今日はありがとうございました。料理も、とても美味しかったです」
「こちらこそ、色々聞かせてもらってありがとうございました。今日は……その、できればゆっくり休んでください」
「ええ。そうさせていただきます。……黒江様」
食堂の扉を開いた後、王女様が振り返る。
「また、私に料理を作っていただけますか?」
問いに、俺は思わずガルドさんに目を向けてしまった。
ガルドさんは何も言わずに強く頷く。
「もちろんです。その時は、俺の方から出向くので。気軽に言ってください」
そう答えると、王女は微かに笑い声を漏らし、食堂をあとにした。
姿が見えなくなってから、俺はようやく肩の力を抜く。
「……緊張した」
「その割には、結構色々聞いてたじゃねえか」
「王女様に下手な料理だせないじゃないですか。必要なことだと思ってても、ヒヤヒヤしながら聞いてましたよ。……王女様に睡眠時間まで聞いてるんですよね、俺」
「必要だったんだろ?」
「そうなんですけど。あとで怒られたりしませんよね?」
「本人が機嫌よく帰ってったんだから大丈夫だろ」
「ならいいんですけど」
王女様が食べ終えた皿を片付けながら、さっき聞いた話を思い返す。
クラスは、名前だけで全てが決まるわけではない。料理人になった時は、戦えないということばかり考えていた。今でも、戦えるようになったわけじゃない。
でも最近は、それだけでこのクラスを判断する必要もないのかもしれないと思い始めている。俺が誰かを見て、その人のことを考えて料理する。
それが料理人の力に繋がっているのなら、まだ知らないことはありそうだ。
「ガルドさん。さっきのスープなんですけど、もう少し野菜増やしてもよかったですかね?」
「もう次の料理の話かよ」
「また王女様にお願いされた時、もっといいものにしときたいんで」
結局、今の俺にできるのは料理を作ることだけだ。
だったら、まずは目の前の料理をちゃんと作ればいい。
今はそれで十分だと思った。




