第20話 夜王は、眷属契約をなかったことにしたいらしい
厨房の窓から見える空は、いつの間にか真っ暗になっていた。
「こんなもんかな」
最後に味を確認してから、鍋の火を止める。
夕食の片付けが終わったあと、昨日王都の市場で買ってきた食材を使って試作をしていたら、随分遅い時間になってしまった。
色々試しているうちに時間を忘れ、気づけば厨房に残っているのは俺だけに。
「今日はここまでにするか」
残った食材を片付け、明日また使えるように整理して厨房を出る。
昼間は人の行き来が絶えない王城も、この時間になると随分静かだった。壁に取り付けられた魔道具の明かりを頼りに廊下を歩いていると、遠くから低い音が響いてくる。
ドンッ、と何かを強く叩いたような音。
少し間を置いて、もう一度。
「なんだ?」
音がしているのは訓練場の方だ。こんな時間まで誰か訓練しているんだろうか?
まさか神代じゃないだろうな。だとしたら、無茶するなって止めないと。
気になって進路を変え、訓練場へ続く廊下を進む。
昼間は何人ものクラスメイトが使っていた場所に、今は一人しかいなかった。
月明かりを受けた長い金髪。地面を這う、いくつもの黒い影。
「桐生?」
そこにいたのは、影を自在に操る桐生紗夜だった。
桐生が右腕を振ると、地面から何本もの影が持ち上がった。それらは別々の方向へ広がり、中央に置かれた訓練用の標的へ一斉に襲いかかる。
鈍い衝撃音が響く。標的が大きく揺れた。
普段の桐生からは、少し想像しづらい姿だ。
俺を見るたびに、よわよわ料理人だの雑魚だのと言ってくる。誰かをからかい、誰かと言い合い、ひとりで静かに過ごしていることが多い。
そんな桐生が今は黙々と訓練していた。誰かに見せるためでもなく、褒めてもらうためでもない。影を消し、呼吸を整えたら、また最初から繰り返す。
「ちゃんと訓練してたんだな」
昼間の訓練には出たことがないって聞いてたけど。
声が聞こえてしまったのか、桐生の肩が大きく揺れる。
振り返った顔には露骨に不満が浮かんでいた。
「な、なんであんたがこんなところにいるのよ! あんたがいていいのは厨房でしょう! 料理人なんだから!」
「いきなり酷いな」
いつも通りだから、もう気にもしないけど。
「帰る途中に音がしたから見に来ただけだよ」
「だったらさっさと帰りなさいよ! 用は済んだでしょ!」
「桐生が真面目に訓練してるの意外だなって思ってな」
「話し聞いてる!? ってかあたしをなんだと思ってんの!」
地面を這っていた影が一本だけこちらへ向かってくる。
俺の靴のすぐ横へ突き刺さった。
「危なっ!」
「安心しなさい。今日は片足で勘弁してあげるから」
「冗談にしては怖すぎるぞ」
俺が一歩離れると、桐生は鼻を鳴らして影を引っ込めた。
さっきまでの真剣な雰囲気が一瞬で消えてしまう。
「それで、なんでこんな時間に訓練してんの?」
「見れば分かるでしょ。夜王は夜の方が力を使いやすいのよ。影も昼間より動かしやすいし、魔力も調子いいから」
「名前通り夜行性ってわけか」
「夜行性って言うな。夜王よ。夜の王と書いて、夜王」
「似たようなもんだろ」
「全然違うわよ! 料理人はもう日本語わすれちゃったわけ!? ほんとバカね!」
怒られながら訓練場の端にある長椅子へ向かう。
少し疲れたし、ちょっと休んでから部屋へ戻ろう。
「なんで座るのよ」
桐生が怪訝そうにこちらを見る。
「ちょっと休憩。ついでに桐生の訓練でも見てこうと思って」
「誰が見学していいって言ったの?」
「邪魔しないからいいだろ? 減るもんじゃないし」
「こいつ……」
睨まれたけど、本気で追い出す様子はなかった。
桐生は分かりやすい。本当に嫌なら、いなくなるまで帰れと叫び続けるだろうし、場合によっては影で強制的に追い出されると思う。
それに、桐生とは意外と話しやすい。知り合ってからそれほど長いわけでもないのに、不思議と遠慮しなくていい相手だった。
たぶん、好き勝手言ってくるから、こっちも好き勝手言える。多少雑に扱ったところで、倍くらい雑に返してくる。その距離感が妙に楽だった。
そういえば、以前もこんな遅い時間に桐生と会ったことがある。
神代が俺の目の前で寝てしまった日のことだ。
あの後、神代をベッドへ運んでから王女様たちのところへ向かい、定例報告の負担について話をし、終わった頃には、既にかなり遅い時間になっていた。
神代には、報告の件は俺が話しておいたことと、今日は休んでほしいことを伝えたかったから、簡単な置き手紙を書いたんだけど、問題が一つあった。
夜遅く、寝てしまった女子の部屋へ勝手に入るのは抵抗がある。しかも、この城には王国の人間だけでなく、クラスメイトもいる。夜中に俺が神代の部屋へ入っていくところだけ見られたら、翌日には妙な噂が流れていてもおかしくない。
どうしようか迷っていたところに、ちょうど通りかかったのが桐生だった。
『桐生。ちょうどよかった』
『はぁ? なによ。っていうかなにいきなり話しかけてきちゃってるわけ?』
『これ、神代の部屋に置いといてくれない?』
『なによいきなり!? ってかなんであたしが!?』
『もう神代寝てるんだよ。この時間に俺が女子の部屋に入ったところ見られたら、変な噂になるだろ?』
『知らないわよそんなの! ってかあんた神代の部屋に入ったの?』
『椅子で寝ちゃったから、ベッドまで運んだ』
『は、運んだ!?』
『仕方ないだろ。それより頼む』
『なんであたしをそんな雑に使うのよ!』
『俺らの仲だろ?』
『そんな仲良くないわよ、あんたなんかと!』
散々文句を言われたけど、結局は引き受けてくれた。
翌日、神代も手紙を読んでいたから、ちゃんと置いてくれたらしい。
そういうところも含めて、桐生は頼みやすい。
「なによ」
声を掛けられ、意識を戻す。
桐生がこちらを見ていた。
「いや。前にも夜に会ったなと思って。神代への手紙を頼んだ時」
「ああ。いきなり私を配達係にした時ね」
「助かったよ。そういやちゃんと礼言ってなかったな」
「遅すぎでしょ。なによ今更」
「悪かったって」
「本当に雑よね、あんた」
溜息を吐いてから、桐生は訓練へ戻る。
地面から何本もの影が伸びる。
途中で枝分かれした影が、ほぼ同時に標的へ突き刺さった。
「やっぱ凄いんだな」
月白の時もそうだったけど、間近で見ると迫力が違う。
まるで映画でも見てるかのようだ。
「当然でしょ。誰だと思ってんのよ」
「桐生」
「夜王!」
「じゃあ次から桐生じゃなくて、夜王って呼んだ方がいいってことか?」
「……それは桐生で結構よ」
「やっぱ桐生じゃねえか」
「桐生でいいわよ、いちいちうるさいわね! 見学なら黙ってなさい!」
……やっぱり話しやすい。こっちが適当に返しても、向こうも勝手に返してくれる。そんなやり取りをしていて、ふと以前の話を思い出した。
「そういや桐生。眷属の件だけど」
「っ!?」
桐生の動きが露骨に止まった。影まで地面へ落ちる。
「なんだよ、その反応」
「べ、別に? 眷属がどうしたのよ」
「前に俺を眷属にするって言ってただろ。あの件だけど」
「なし」
なにも言ってないのに、なぜか断られた。
もともと断る予定だったけど、そう言われると理由を知りたくなる。
「なんでだよ。桐生から誘って来たんだろ?」
「なしったらなし。あんたみたいなよわよわ料理人を眷属にしたところで、大して役に立たないって気づいたのよ」
「それは最初から分かってただろ。俺はざこざこ料理人なんだから」
「自分で言うのは止めなさいよ……」
なぜか少し引かれてしまった。
別にいいだろ、俺が料理人を受け入れたってことで。
「とにかく、改めて考えたらもっといらないと思ったの!」
「まあ、なしならそれでいいけど」
「……なしならいいの?」
「何が?」
「別に、なんでもないわよ!」
なんなんだ? 自分からなしと言ったのに、不満そうな顔をしている。
「眷属契約ってなんだったんだ? 夜王本人なんだから、少しは調べたんだろ?」
「もうあんたには関係ないんだから。知らなくていいでしょ」
「いや、ちょっと気になる。俺、そういう異世界っぽいこと全然知らないし」
「魔力を繋いで契約するだけよ」
「魔法陣とか使うの? 一緒に魔物を倒すとか?」
「使わないし、そんなことする必要ない」
「じゃあ何するんだ?」
「だから契約するの!」
「その契約の仕方を聞いてんだけど」
桐生の眉が僅かに動く。別に隠すようなことでもないと思うんだけどな。
桐生はめんどくさそうに頭をかいてから、それでも答えてくれる。
「夜王と眷属の間に魔力の繋がりを作って、眷属側が忠誠を示すの。それで終わり」
「忠誠って、何か誓いの言葉でも言うの?」
「違う」
「じゃあ跪くとか?」
「それだけならよかったけど……」
「跪いて、他にもあるのか?」
「な、なんでもないわよ!」
いま明らかに何か言った。
桐生は俺から顔を逸らしている。
「何すんの?」
「しつこいわね。もう契約しないんだから、知る必要ないでしょ!」
「別に契約する気はないけど、そこまで隠されると気になるだろ」
「気にするなって言ってるの! そんなこともわからないの!」
「いやわかりはするけど。気にはなるだろ? 興味もある」
異世界に来たのに、異世界らしいこともしてない、料理人の好奇心っていうやつだ。月白の魔法に魅せられてから、ちょっと興味が湧いてきてるんだろうな、と自分で思う。
桐生はしばらく黙り込んだ。なぜか本人は言いたくないらしい。
「まあ、言いたくないならいいけど」
「……なによ」
「無理に聞く必要ないしな。なしになった契約だし」
「そこで引くの?」
「言いたくないんだろ?」
「そうだけど……」
また不満そうだ。全く、言いたくないのか言いたいのか、どっちなんだか。
「じゃ、俺は部屋に戻って寝るよ」
俺が立ち上がろうとすると、桐生が急に声を上げた。
「手よ!」
「手?」
「だから! 眷属になる側が夜王の手に口づけして、忠誠を示すの! それで契約するのよ!」
「へえ~。手にキスするのか」
「……なによその反応。なんか薄くない?」
「いや、いかにも異世界の契約っぽいなと思って」
「それだけ?」
「それ以外に何があるんだよ」
手に口づけ。俺たちの世界ではまずやらないけど、映画とか漫画ならありそうな儀式だ。王様や貴族に忠誠を誓う時に似たことをしているイメージもある。
「なるほどな、眷属ってそういう契約なんだ。異世界も日本と発想があんま変わらないのかもな」
「分かったなら忘れなさい」
「なんで?」
「なんでもいいから!」
桐生は右手を自分の背中へ隠した。
別に俺が何かするわけでもないのに。
「まあ桐生がなしって言うなら、眷属の話はこれで終わりな」
「その通りよ」
「俺も元々なるつもりだったわけじゃないし」
「それは分かってるわよ……」
桐生の返事は少しだけ弱かった。
どうしていきなり眷属契約を嫌がり始めたのか、結局はわからず仕舞いだけど。契約方法が面倒なのか、それとも俺を眷属にする必要がなくなっただけなのか。本人が言わないなら、それ以上聞くつもりはない。
「眷属云々はいいとして、なにか困ったことがあったら言ってくれよ。前に神代への手紙届けてもらったし、俺もできることなら手伝うからさ」
桐生が少しだけ目を丸くする。
「はぁ? なによいきなり。なんで?」
「なんでって、言っただろ? 手紙の件、協力してもらったし。あと、クラスメイトだから」
「それだけ?」
「強いて言うなら桐生って話しやすいし」
「は、はぁ?」
「変に気を遣わなくていいんだよな。何言っても適当に返してくるし」
「それ褒めてんの?」
「褒めてるって。ちょっと雑に扱っても平気だろ?」
「やっぱり褒めてないでしょ!」
桐生の影がまた地面を這ってくる。
今度は分かっていたので、足を少しずらして避けた。
「危ないって」
「雑に扱っても平気そうなんでしょ?」
「脅すだけで、実際に怪我までさせてこなそうだし。そこが桐生っぽいし」
「う、うるさいわね! 知らないわよそんなこと!」
怒っているけど、本気ではなさそうだ。それくらいは俺にも分かる。
「桐生は話しかけやすいから、いろいろ頼みやすいんだよ。だから、桐生もなにかあったら言ってくれよ。料理人に出来る事なんて、大してないけどな」
そう言ったところで、あくびが漏れた。どうやら疲れが限界らしい。
「じゃあそろそろ戻るわ。桐生もやりすぎんなよ」
「余計なお世話」
「いつもこんな時間まで訓練してるなら、腹減ったら厨房きていいぞ。大したもんは作れないけど、軽いものくらいなら作るから」
「いらない」
「朝方までやってるなら、おにぎりもどきも握っといてやるぞ?」
「だから、いらないってば」
「なんだよ残念だな。割とおにぎりに近付けられたの、最近作れたのに」
そのまま歩き出そうとすると、背後から小さな声が聞こえた。
「……たまたま」
「ん?」
「たまたまお腹が空いて、たまたまあんたが厨房にいるなら、その時くらいは、たまたま食べてあげてもいい……。かも」
月明かりが雲に遮られる。辺りが暗くなり、桐生の表情は見えない。
それでも、彼女が俯いているようなシルエットは、薄っすらと見える。
「なんかたまたま多くない?」
「うるさいわね!」
「はいはい。じゃあたまたま桐生が来て、たまたま俺の手が空いてたら、適当に作るとするよ」
「そこはしっかり作りなさいよ!」
最後まで文句を言う桐生を残し、訓練場をあとにする。
眷属の話はなくなった。元々なるつもりもなかったから、何も変わらない。
でも、桐生とこうして話すのは嫌いじゃない。
何を言っても遠慮なく返してくるから、俺も妙に気楽でいられる。
まあ、ちょっと雑に扱いすぎると影が飛んでくるから、その辺だけは気をつけた方がよさそうだけど。
それに、桐生は何が好きなんだろうか?
そう考えると、少し料理をする楽しみが増えた気がした。




