第14話 【神代結衣奈視点】委員長は、料理人に大切にされているらしい
【神代結衣奈視点】
目を覚ますと、見慣れた天井があった。
「……朝?」
窓から差し込む光はもう随分と明るい。いつもなら起きている時間のはずなのに、身体は久しぶりにぐっすり眠った後のように軽い。頭の中にもここ数日ずっと残っていた重さがなかった。
不思議なくらいよく眠れた。というか昨日、いつ寝たっけ?
昨夜の記憶を辿る。
夕食の後、部屋へ戻った。それから今日の定例報告に向けて、みんなから聞いた相談をまとめていた。
そこへ黒江くんが来た。
「っ!」
思い出した瞬間、身体が一気に熱くなる。
そうだ、黒江くんが私の部屋に来たんだ。しかも突然だったから部屋着のままで。
『部屋だとそういう服なんだな。ゆったりしてるっていうか』
『そんなに見ないでください』
『別に変じゃないからな、部屋着。普通に似合ってるし。むしろいつもと違う神代が見れて、少し嬉しいっていうか』
「なんで朝から思い出すんですか!」
私は勢いよく布団を頭まで引き上げ、誰もいない部屋で自分に文句を言う。
黒江くんに会うと分かっていれば、もっと可愛い服を着た。髪だってちゃんと整えたし、少なくとも普段よりゆったりした部屋着のまま出迎えたりなんてしなかった。
なのに黒江くんは、そんな私を見て。
似合っている。いつもと違う私が見られて嬉しい。
そんなことを平然と言った。
「本人は絶対、深い意味を込めて言ってはいないんでしょうけど……」
無自覚だから困る。黒江くんは昔からそうだ。
人のことを気遣うくせに、それが相手にどう受け取られるのかまでは考えていない。本人にしてみれば、思ったことをそのまま言っただけ。
だから余計に、困る。
布団の中で熱くなった頬を手で押さえていると、さらに昨夜の記憶が戻ってくる。
私が疲れていることに気づいて、話を聞いてくれた。
そして。
『神代の事を考えて、神代の事を想って作った紅茶だ』
今度は枕へ顔を埋めた。
「言い方があるでしょう!」
あの時も思った、どうしてそんな恥ずかしいことを普通の顔で言えるのか。
私のために、私のことを考えて、私のことを想って、作った。
そこだけ切り取れば誤解するなという方が無理。
それに、誤解だとしても嬉しかった。
黒江くんが夕食の片付けを終えたあと、わざわざ私のために厨房へ残って、私が疲れているからと飲み物を作ってくれた。その事実は変わらない。
あの優しい味は覚えている。忘れるはずがない。
口に含んだ瞬間、張り詰めていたものが解けていくような、不思議な安心感。
「それから……」
確か、話し合いがあるから寝られないと言って、その後の記憶がない。
ゆっくりと身体を起こし、昨夜座っていた椅子を見る。
そして自分がいるベッドを見る。
「えっ?」
昨夜、私は椅子に座っていた。
今朝、私はベッドで寝ている。
「……えっ?」
心臓が大きく跳ねた。
私が黒江くんを招き入れたあと、誰かが入ってきた記憶はない。
それなら、椅子で眠ってしまった私を、黒江くんがベッドまで運んだことになる。
「ど、どうやって」
寝ている人間を椅子からベッドへ運ぶ方法なんて、それほど多くない。
背中と膝に腕を入れて、そのまま持ち上げて。
「ダメっ!」
考えるのをやめた。
これ以上想像したら、今日は一日まともに黒江くんの顔を見られない気がする。
……まずは落ち着こう。そう自分に言い聞かせ、ベッドから降りた。
そこで、机の上に昨日まではなかった紙が置かれていることに気づく。
相談を書き留めていた紙の一番上に短い文章が紙が置かれている。
『定例報告の件は俺が対応しておいた。今日はゆっくり休んでくれ。黒江』
何度か読み直す。まず胸に浮かんだのは、安心だった。
「……よかった」
話し合いをすっぽかしたわけではない。
黒江くんが事情を説明してくれたらしい。
でも、その安心はすぐに別の感情へ変わった。
「違う、よくないですよ」
黒江くんには黒江くんの仕事がある。
厨房で料理を作っているだけじゃない。最近はガルドさんから新しい料理を考えることまで任されていると聞いた。そんな黒江くんに、私は自分の仕事まで押し付けてしまった。
「私、何やってるんだろう……」
心配を掛けて、紅茶まで作ってもらって、ベッドにまで運ばせて。
その上、定例報告まで。
紙には『今日はゆっくり休んでくれ』と書いている。
その文字を見て、少し嬉しくなる自分もいる。
心配してくれた。私のために動いてくれた。そう思えば、頬が緩みそうになる。
でも、その原因は私が倒れるように寝てしまったことなのだ。
「喜ぶところじゃないでしょう……」
嬉しい。けど、申し訳ない。
嬉しい。けど、迷惑を掛けた。
どちらの気持ちも消えてくれない。
「落ち着きませんね」
休めと言われて素直に休めるはずもなかった。
少なくとも昨夜のことは、きちんと謝らないといけない。
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身支度を済ませ、私は昨日話し合いが行われるはずだった部屋へ向かった。
廊下を歩きながらも、頭の中には黒江くんからの置き手紙が残っている。
『今日はゆっくり休んでくれ』
休むつもりではいる。ちゃんと謝って、それから休む。
だからこれは黒江くんの言いつけを無視しているわけではない。
そう自分に言い聞かせているうちに、目的の部屋へ着いた。
扉の前にいた騎士へ用件を伝えると、中へ通される。
「失礼します」
「あら」
中にいたのは、定例報告を担当している老神官。
そしてもう一人。金色の長い髪と、顔を薄く覆う白いベール。
王女殿下だった。
「神代様。お身体はもうよろしいのですか?」
「はい。……あの、昨日は本当に申し訳ありませんでした」
すぐに頭を下げる。
「話し合いのお約束をしていたのに、私」
「神代様」
王女殿下の穏やかな声に遮られる。
「どうか頭を上げてください。昨夜の件について、あなたが謝る必要はありません」
「ですが」
「むしろ、謝罪すべきなのは私たちの方でしょう」
顔を上げると、老神官も申し訳なさそうに頷いた。
「我々は神代様に負担を掛けすぎていました。皆様との意思疎通を円滑にしたいという思いから、あなたに頼りすぎていたようです」
「それは……。私が自分でやると言ったことですから」
「ええ。そのあたりは黒江様から十分に伺っております」
「く、黒江くんから?」
思わず聞き返した。
「はい。昨夜、神代様の代わりに黒江様がこちらへいらっしゃいました」
置き手紙に書いてあった通り。でも、何を話したのかまでは書かれていなかった。
「黒江様は、神代様が皆様からの相談を一人で抱え、ご自身の訓練と並行してこちらとの話し合いまで続けていることを、大変心配されていました」
その言葉に、胸が詰まる。
「一晩休ませるだけでは意味がない、とも。明日になればまた神代様に同じ負担が掛かるのであれば、同じことを繰り返すだけではないかと」
「黒江くんが、そんなことまで」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
黒江くんは昨夜、私を寝かせてくれただけではなかった。
私が眠ったあとも私の知らないところで、私のことを考えてくれていた。
「そのため、今後は皆様からの相談を受ける者をこちらでも用意する予定です。定例報告についても、神代様お一人へ負担が集中しない形式へ変更いたします」
「そこまでしていただく必要は」
「神代様なら、自分でやるから大丈夫。そう言うと、黒江様が言っていましたよ」
「そ、それは……」
まさに言い当てられて、何も言い返せなくなる。
「それに、今のやり方を変える必要があると、黒江様に叱られてしまいましたので」
「し、叱ったんですか!?」
思わず声が大きくなった。
王女殿下が、ベールの向こうで小さく笑ったように見える。
「叱られた、というのは大袈裟でしょうか。ただ、神代様が倒れてしまっては意味がない、と随分熱心にお話しされていました」
「そ、そう、ですか」
……嬉しい。黒江くんに、そこまで考えてもらえて。
でも、ダメだ。ここは喜ぶところじゃない。
私が迷惑を掛けたせいで、黒江くんがここに来ることになった。黒江くんは人前に立ったり、目上の人と話すのを得意としてない。そのことはしっかり理解してる。
でも、そう思うのに、どうしても胸の奥に広がる喜びを抑えられない。
「黒江様は、神代様をとても大切にしておられるのですね」
「えっ」
頭の中が止まった。
「たい、せつ?」
「ええ。昨日のやりとりで、少なくとも私にはそのように感じられました」
黒江くんが、私を、大切に?
「い、いえ。その、黒江くんは誰にでも優しいので。今回も私が迷惑を掛けたから、仕方なく」
「仕方なく来られた方が、あれほど神代様の今後を心配されるでしょうか?」
「それは……」
言い返せない。
その言葉を否定したいのか、肯定したいのか、自分でも分からなくなってきた。
いや、本当は分かっている。
肯定したい。黒江くんが私を大切にしてくれている。そう思いたい。
「ふふっ。黒江様と神代様は、随分と仲がよろしいのですね」
「っ!」
今度こそ、顔が熱くなった。
「そ、そういうわけではありません!」
「あら、違うのですか?」
「違うというか、なんといいますか……」
違わない。仲が悪いわけではない。むしろ私は、もっと仲良くなりたい。
だって私は――黒江くんが好きだから。
ずっと好きだった。
一ノ瀬さんと付き合っていると思っていた頃は、自分の気持ちを伝えるつもりなんてなかった。でも二人は付き合っていなかった。
そして一ノ瀬さんは黒江くんをあんな形で突き放した。
だから私は、一度だけ勇気を出そうとした。
『一ノ瀬さんが、あなたの隣にいるつもりがないのなら……。あなたたちが付き合っていないのなら。私が――あなたと一緒にいます』
……結局、言えなかったけど。
「まだ、その。黒江くんとは、そういう関係にはなっていなくて」
「まだ?」
しまった。
王女殿下だけでなく、老神官までこちらを見ている。
「い、今のは忘れてください!」
「承知しました。忘れましょう」
絶対に忘れてくれない言い方だった。
……黒江くんのせいだ。いや、黒江くんは何も悪くない。
私が勝手に意識しているだけ。
でも、意識しちゃうようなことをしてくるのは黒江くんだ。
昨夜だって、私だけのために紅茶を作ってくれた。
月白さんにも何度か料理を作っていることは知ってる。
桐生さんのことだって、何かと気に掛けている。
黒江くんは優しいから、困っている人がいればきっと誰にでも手を伸ばす。
分かってる、それでも。昨日の紅茶くらいは、私だけのものだと思いたい。
私を考えて、私のためだけに作ってくれたもの。
他の誰にも譲りたくないと思ってしまう。
「それと神、代様」
「はい」
「本日の訓練についてですが、皆様には休息日としております。こちらへ来られてから、皆様には連日訓練を続けていただいておりましたので」
老神官が追加で説明してくれる。
「既に城外へ出られた方もいらっしゃいますよ。もちろん護衛はつけておりますが、王都を見て回ったり、買い物をされたりと、それぞれ自由に過ごしていただいております」
「そう、なんですね」
知らなかった。
ここ数日は、起きれば訓練、終われば相談、王国側とのやり取り。
その繰り返しだった。
「では、私は昨日の相談内容を整理して」
「神代様、本日は休んでください」
「ですが」
「黒江様にも、そう言われたのではありませんか?」
机の上にあった置き手紙が頭に浮かぶ。
『今日はゆっくり休んでくれ』
「……言われました」
「でしたら今日は、何かご自身の好きなことをされてはいかがでしょう」
「好きなこと」
困る。急にそう言われても、何をすればいいのか分からない。
王都へ出かける? 一人で?
買い物といっても、こちらへ来たばかりで何が売っているのかもよく知らない。
「何をしよう」
思わず呟くと。
「そうですね」
王女殿下が少し考えるように間を置いたあと、何でもないことのように続けた。
「黒江様なら、今日も厨房にいらっしゃると思いますけど」
「な、なんでそこで黒江くんが出てくるんですか!?」
反射的に声が出た。
「黒江様に会いたいと思っているのではないでしょうか?」
「だからなんでですか!」
「昨日のお礼を、まだ直接伝えておられないのでは?」
……それを言われると、その通りだ。
確かに、黒江くんにはきちんとお礼を言わないといけない。
昨夜のこと、紅茶のこと、王国側へ事情を説明してくれたこと。
私の負担を減らすよう、話までしてくれたこと。
「……お礼です」
「はい?」
「黒江くんのところへ行くとしても、昨日のお礼を伝えるためですから」
私の言葉に、王女殿下と老神官が微かに目を合わせて。
「ええ。そうですね」
「仲がよくとも、お礼は言い合うべきですな」
絶対にベールの奥で笑ってる。
老神官なんかはニコニコの笑みを隠そうともしない。
「し、失礼します!」
これ以上ここにいたら、余計なことまで言ってしまいそうだった。
王女殿下と老神官へ頭を下げ、部屋を出る。
「……何を焦ってるんですか、私は」
厨房へ行く。黒江くんにお礼を言う。
それだけだ。それだけなのに。
歩き出した足は、普段より少しだけ速かった。
私は黒江くんが好きだ。だから会いたいと思うのは、仕方ない。
昨日のことを思い出せば、今すぐ顔を合わせるのは恥ずかしいけれど、それ以上にちゃんと伝えたい。
ありがとう、と。
そして。
「せっかくのお休みなんだから、今日ぐらい一緒にいられたら」
そこまで呟いて、誰もいない廊下で口元を押さえた。
また余計なことを考えた。むしろ声にまで出ていた。
「まずは、お礼です。お礼」
自分に言い聞かせながら、私は厨房へ向かう。
その先で黒江くんが何をしているのか。
この時の私は、まだ知らなかった。




