11頁目 老人と懐中時計
11頁目です
よろしくお願い致します
雨は昼過ぎから雪に変わっていた。
大粒の雪。
このまま積もっていきそうな雪。
そこへ、リーンと玄関の風鈴が鳴った。
「ごめんください。修理をお願いしたくて伺いました。」
帽子を取りながら挨拶すると、白髪の男性が入ってきた。
コートには少し雪が積もっている。
弟子がいらっしゃいませーと迎えると、カウンターへと案内した。
「すまないね、古いものなんだが。」
そう言いながら手袋を外し、布に包まれた懐中時計を差し出した。
男は黙って時計を受け取る。
年季の入った銀色のケース。
表面には細かな傷が無数に走っていた。
「……古いな。」
表面の蒸気石は、ほとんど光を失っている。
針は、ある時刻で指したままだった。
「…止まってる。」
カチ、とも鳴らない。
横から覗き込んだ弟子が小さく呟く。
「直りそうですか。」
老人は半分諦めたように聞いた。
「やってみねぇと分からん。」
工房主は蓋を開き、小さいルーペで中を覗き込んだ。
「……少し、時間かかるぞ。」
「こちらでお待ちください。」
弟子に案内されてテーブルに着くと、老人はふぅ、と息をこぼした。
「お茶どうぞ。」
「あぁ、これはご丁寧に。ありがとう。」
テーブルに置かれたカップからは、白い湯気が上がっている。
「大事な、時計なんですね。」
少女がポツリと言った。
未熟な弟子でも、古びた傷や磨かれた表面に歴史を感じられるほどに、時計は使い込まれていた。
「妻との、思い出の品なんだ。」
老人は口火を切ったように、少しずつ話し始めた。
老人はカップを両手で包み込むように持ちながら、懐かしむように目を細めた。
「若い頃はね、この街も今ほど立派じゃなかったんだ。」
窓の外では雪が静かに降り続けている。
「昔は炭鉱ばかりでねぇ。朝から晩まで真っ黒になって働いていたよ。」
工房主は返事をせず、黙々と時計を分解していた。
細い工具が、小さな歯車を慎重に外していく。
「蒸気石も、まだ珍しかった頃だ。」
「学校で習いました。炭鉱から偶然見つかったって。」
弟子が興味津々といった顔で身を乗り出す。
「そうそう。最初は誰も使い方なんて分からなくてね。ただ綺麗な石だと思われてた。」
老人は遠くを見るように語り始めた。
「でも、熱を溜めるって分かってから、街が変わった。」
「今じゃ、どこの家にもありますもんね。」
「この工房も、蒸気石が無きゃ冬は越せねぇな。」
工具を動かしたまま、男が小さく口を挟む。
老人はふふ、と笑った。
「昔は夜になると、本当に真っ暗でねぇ。冬なんか特に寒かった。」
「それが蒸気石のおかげで、暖房ができて、灯りが増えて、人が集まって。」
「この街は、あの石で出来てるようなもんだ。」
静かな工房に、雪の降る音が混ざる。
「その時計も、蒸気石で動いてるんですか?」
少女がテーブル越しに時計を覗き込む。
「小型の時計用に加工した石が入ってる。昔、妻が磨いた物なんだ。」
「え?」
その言葉に、弟子は目を丸くした。
「奥さん、蒸気石職人だったんですか!?」
「あぁ。石を磨いて、飾り細工を作る職人だった。」
老人は懐かしそうに目を細める。
「昔はよく、鉱山帰りに石を持って行ったよ。曇ってる原石を、あの人が綺麗に磨くんだ。」
「蒸気石って、不思議ですよねぇ。」
弟子は窓際に置かれた小さなランプを見た。
中の石が、赤く静かに脈打っている。
「同じ性能なのに、みんな綺麗に加工する。」
「見た目なんて関係ないのにな。」
工房主がぼそりと呟く。
「関係あるんだよ。」
老人は優しく笑った。
「人間はね、綺麗な物を見ると、少しだけ前を向けるんだ。」
その言葉に、工房主の手が一瞬止まった。
「妻も、そう言って石を磨いていた。」
老人はゆっくりとカップを置く。
「初めて会ったのは、雪の日だったなぁ。」
弟子がぱっと顔を上げた。
「ロマンチック!」
「鉱山帰りだった私は、時計を落としてしまってね。」
「吹雪の中で探していたら、街灯の下で一緒に探してくれたんだ。」
「その時の彼女の手が、蒸気石みたいに冷たかった。」
「褒めてます?」
「どうだろうねぇ。」
老人は困ったように笑った。
「でも、その時計が縁で、何度も会うようになった。」
「直るたびに壊してたんじゃないですか?」
「……さてね。」
少女はくすくす笑う。
工房主は相変わらず黙ったまま作業を続けていた。
静かな工房に、カリ、カリ、と金属のこすれる音だけが響く。
「いいですねぇ、そういうの。」
弟子は湯気の立つカップを見つめながら呟いた。
「いつか私も、そういう恋してみたいです。」
カリ。
工具の音が、一瞬だけ止まる。
けれど男は何も言わず、再び作業へ戻った。
雪はまだ、静かに降り続いていた。
「……よし。」
小さく呟くと、工房主は懐中時計の蓋を閉じた。
パチン。
静かな工房に、乾いた音が響く。
そして。
カチ。
カチ、カチ。
止まっていた時計が、再び静かに時を刻み始めた。
弟子が、わぁ……と小さく声を漏らす。
老人は、震える手で時計を受け取った。
耳元へ近づける。
しばらく黙ったまま、その音を聞いていた。
「……久しぶりだ。」
ぽつりと零れた声は、どこか安心したようだった。
「ありがとうございます。」
深く頭を下げる。
工房主は椅子にもたれたまま、軽く手を振った。
「礼なら時計に言え。頑張ったのはそっちだ。」
「ふふ、変わった職人さんだ。」
老人は笑いながら、そっと時計をコートの内側へしまった。
外では雪が積もり始めている。
「帰り、気をつけてくださいね。」
弟子が入口まで見送る。
「ありがとう。君たちも、良い時間を。」
リーン。
風鈴が鳴る。
扉が閉まると、工房には再び静けさが戻った。
ストーブの火が、小さく揺れている。
「……良い話でしたね。」
弟子は、まだ少し余韻を引きずった顔で呟く。
工房主は工具を片付けながら、小さく鼻を鳴らした。
「長生きすると、いろいろあるんだろ。」
「なんか、憧れます。」
「何が。」
「何十年も一緒にいるの。」
男は少しだけ考えてから、机の上の飲みかけのコーヒーをぐいっと飲み干した。
「……毎日顔合わせてりゃ、そのうちそうなるんじゃねぇの。」
「適当。」
少女は笑う。
窓の外では、雪が静かに街を白く染めていた。
週3更新いかがでしたでしょうか
ストックがガリガリ削れていって怖くもありますw
反応良ければもう少しこのままでいくかもしれません




