第九話「シロガネ、街に馴染む」
冒険者になって、十日が経った。
シロガネの一日は、決まったパターンになっていた。
夜明けと同時に起きる。宿で軽い鍛錬を済ませ、朝食を取る。冒険者ギルドに向かい、塩漬け依頼を数件受ける。順番にこなしていく。夕方にギルドに戻り、報酬を受け取る。宿で夕食を取り、眠る。
それを、毎日。
シロガネにとっては、十二年間続けたダンジョン通いに比べれば、何ということもない日常だった。
「あらシロガネさん、また来てくれたのねえ」
ジェナさんが玄関先で、にこにこと出迎えた。
「薪はもう全部割ったから、今日は別の依頼を受けてきた」
シロガネは依頼書を見せた。
「庭の手入れ、と書いてある」
「ああ、それね。最近腰が痛くて、できなくてねえ」
「やる」
「お茶、淹れるわね」
「いえ、すぐ作業を——」
「お茶を、淹れるわね」
ジェナさんは、強かった。
シロガネは諦めて、椅子に座った。
ジェナさんが温かい茶を出してくれた。
「今日は薄荷を入れたのよ。試してみて」
シロガネは茶を一口飲んだ。
すうっと爽やかな香りが鼻を抜けた。
——変わった味だな。
前世の緑茶や紅茶とは、また違う。だが、嫌いではなかった。
「……悪くない」
「あらまあ、嬉しいこと言ってくれるのねえ」
ジェナさんは皺くちゃの顔で笑った。
シロガネは焼き菓子を齧りながら、茶を飲んだ。
ジェナさんが、また息子の話を始めた。シロガネは、黙って聞いた。一度聞いた話だが、ジェナさんは少しだけ違う角度から話していた。
茶を飲み終えると、シロガネは庭に出た。
そして、庭の草むしりを、丁寧にやった。
「あ、シロガネさん!」
東街区を歩いていると、声をかけられた。
ベルトル商会の主人だった。
「ちょうど良かった! また荷物運びの依頼を出そうと思ってたんだ。シロガネさんに直接頼みたい」
「ギルドを通さず、ということか」
「いや、ギルドは通すよ。でも、貼り出す前に話したかった。シロガネさんなら、どんな荷物でも一日で運べるから」
シロガネは少し考えた。
「報酬は、ギルドの規定通りで」
「ああ、もちろんだ」
「では、引き受ける」
「助かる!」
ベルトル商会の主人は、深く頭を下げた。
シロガネは商会に向かう道で、内心で少しだけ考えた。
——指名で依頼が入るようになったか。
いいことだ。
金になる。
商会の主人が、後ろ姿のシロガネを見ながら、店員に小さく囁いた。
「あの人、本当に変わってるよな」
「変わってますね、なぜか嬉しそうですし」
「うん、Fランク冒険者で塩漬け依頼ばっかり受けて、でも本人は楽しそうだ」
「いままで見たどんな人より力つよいですよあの人……なんでFランクなんでしょうねぇ」
主人は店員と顔を見合わせて、肩をすくめた。
孤児院に着いた時、子供たちが玄関先で待っていた。
「シロガネおにいちゃん!」
「今日も来てくれたんだね!」
「ヒーローのお話して!」
子供たちの中で、一番先に飛びついてきたのは、八歳くらいの男の子だった。茶色い癖毛で、目だけは異様に大きく、シロガネを見上げる目が輝いていた。
「シロガネおにいちゃん、今日も来てくれたんだ!」
ティムだった。シロガネが孤児院に通うようになって、最初に名前を覚えた子だ。シロガネが顔を出すと、いつも一番に飛んでくる。
そして、ティムの少し後ろから、控えめに歩いてくる小さな女の子がいた。
「……シロガネ、にいちゃん」
レイ、ティムの妹だった。年は六歳。茶色い髪は兄と同じだが、ティムと違って物静かで、いつも兄の後ろに半分隠れている。
「レイも来たぞ」
ティムが妹を引っ張り出した。
「お話、聞きたいんだろ?」
レイは小さく頷いた。声は出さないが、目だけは——ティムと同じくらい、輝いていた。
シロガネは、レイの頭にも手を置いた。
「ヒーローの話か」
レイがまた小さく頷いた。
——物静かな子だが、ヒーローの話は好きらしい。
シロガネは内心で頷いた。
孤児院の修道女が、玄関先で苦笑していた。
「シロガネさん、本当にすみません。ティムなんて、シロガネさんが来る日は朝から落ち着かなくて。レイも、あの子がここまで懐くのは珍しいんですよ」
「それで、いい」
シロガネは静かに答えた。
修道女は、シロガネをじっと見た。
そして、ふっと微笑んだ。
「シロガネさんって、本当に子供がお好きなんですね」
シロガネは少し考えた。
口を開きかけて——閉じた。
——いかん、また「前世」と言いそうになった。
シロガネは咳払いをして、別の言葉を選んだ。
「……子供は、未来だ。それだけだ」
修道女が、目を瞬かせた。
それから、もう一度、にこやかに笑った。
「素敵な考え方ですね」
シロガネは黙って、子供たちを庭に連れていった。
庭の芝生に、シロガネは座った。
子供たちが膝の周りに並ぶ。ティムが、シロガネの隣にぴったりと座った。レイは、ティムの隣で、シロガネの方をじっと見上げていた。
「今日はどんな悪を倒したの!?」
ティムが先陣を切って聞いた。
「今日はだな……」
シロガネは少し考えた。
ヴァルフ戦をそのまま語るわけにはいかない。あれは正確すぎて、誰かに気づかれる可能性がある。
シロガネは、過去に倒したダンジョンの魔獣を思い出した。三百層あたりにいた、大きな狼型の魔獣。あれを語ろう。
「昔、ある森の奥に、大きな大きな狼がいた」
「狼!?」
「狼は、街の人々を襲っていた」
「大きさは!? どのくらい!?」
「家くらいだ」
子供たちが息を呑んだ。
レイが、小さく口を開けた。目が、さらに輝いた。
「それで、街の人々のため、英雄は森に向かった」
シロガネの声が、徐々に熱を帯びていった。
「英雄はは森の奥で、狼と対峙した。狼は、その大きな口を開けて、英雄に襲いかかった!」
「うんうん」
「英雄は『街を荒らす貴様の所業、許しておけぬ! ——『変身』!!と叫んだ!!」
シロガネは小さく拳を突き上げた。
子供たちが歓声を上げた。
「光が爆ぜて、鎧が纏われ、翼が開いた」
「かっけえ!!」
「そして、ヒーローは狼に向かって突進した。一発の拳で——」
シロガネはここで一度、間を取った。
子供たちが固唾を呑んで聞いている。
レイも、息を止めて聞いていた。
「家ほどの大きな狼を、紙切れのように吹っ飛ばした!!」
「うおおおおお!!」
子供たちが大歓声を上げた。
ティムは、目を輝かせていた。
「すげえ! シロガネおにいちゃん、もっと話して!」
レイも、小さくシロガネの袖を引っ張った。
「……もっと」
声は小さかったが、確かに、そう言った。
シロガネは内心で頷いていた。
——うん。
みんな、目が輝いている。
俺が四歳の時に変身ヒーローを見た時の、あの目だ。
——そして、これは俺の話なんだ。
俺がやったんだ。三百層の狼。確かに俺が拳一発で沈めた。
それを今、こうして子供たちに語っている。
——最高だ。
ヒーローは、引き継がれていく。
シロガネは静かに、深く満足した。
修道女が、遠くから子供たちとシロガネを見ていた。
シロガネが、また子供よりも目を輝かせていた。
——あの方、本当に、不思議。
修道女はそっと微笑んで、玄関に戻っていった。
――――――――
夕方、ギルドに戻った。
「シロガネ様、お疲れ様でした」
受付の女性、サラが、にこやかに迎えた。
シロガネが冒険者になってから、彼女もすっかり顔馴染みになっていた。名前はサラ、と最近知った。
「今日も五件、完璧でした。本当にお疲れ様でした」
「ああ」
「これ、報酬です」
サラがシロガネに銅貨と大銅貨を渡した。
「最近、依頼書の塩漬けがどんどん消えていって、ギルドの中でも噂になっています」
「噂?」
「『塩漬け依頼を全部こなしてくれる、Fランクの新米冒険者がいる』って」
シロガネは無言で硬貨を受け取った。
——そういう噂は、いい噂か悪い噂か。
まあ、悪くはないだろう。
「サラ、明日の依頼を選んでもいいか」
「はい、もちろんです」
シロガネは掲示板に向かった。
Fランクのコーナーには、依頼書が以前より少なくなっていた。
——だいぶ片付いてきたな。
シロガネは新しい依頼書を選び始めた。
その時。
ギルドの扉が開いた。
「ふう、疲れたわー」
声が、聞こえた。
聞き覚えのある声だった。
シロガネは振り返らなかった。
——リナか。
リナ、メイファ、エルネが入ってきた。三人とも、依頼の帰りらしい。少し汚れていた。
リナがカウンターに向かおうとして、掲示板の前のシロガネに気づいた。
足を止めた。
「……あら」
リナはシロガネの背中を見た。
「シロガネ。また会ったわね」
シロガネはようやく振り返った。
「相変わらず、Fランクの依頼?」
「ああ」
リナはシロガネの隣に来て、掲示板を見上げた。
「全部、塩漬けばかりじゃない」
「ああ」
「他のランクの依頼は、見ないの?」
「Fでいい」
リナはしばらくシロガネを見ていた。
それから、ふっと笑った。
「変なやつ」
「そうか」
「でも」
リナの声が、少しだけ柔らかくなった。
「街で、あんたの噂、聞いたわ」
シロガネは、内心で身構えた。
——噂?
なんの噂だ?
「孤児院の子供たちが、『シロガネおにいちゃん』って呼んで、毎日来るのを楽しみにしてるって」
シロガネは、無言だった。
「そういう冒険者、なかなかいないわ」
リナはそれだけ言って、それ以上、追及しなかった。
ただ、シロガネを見ていた。
「あんた、変な男ね」
「そうか」
「でも、悪くないと思うわ」
リナは、それだけ言って、カウンターに向かった。
——褒められた、のか。
——褒められたな。
シロガネは、ほんの少しだけ口元を緩めた。
そして掲示板から目を逸らした。
——だが、これはまずい。
噂が、街中に広がっている。
シロガネというFランク冒険者の噂が、あまりにも広がりすぎている。
シルバー・フィストの噂と、結びつけられたら——
シロガネは少しだけ考えた。
——いや、結びつかないか。
シルバー・フィストは『山のようにデカい巨人』だ。
シロガネは『塩漬け依頼ばかりやる変なFランク冒険者』だ。
二つの像は、あまりにも違いすぎる。
シロガネは安堵した。
——大丈夫だ。
正体は、バレない。
シロガネは依頼書を選んで、サラに渡した。
ギルドを出る時、リナがカウンターから背中越しに声をかけた。
「シロガネ」
シロガネは振り返らずに足を止めた。
「明日も、ここに来る?」
「ああ。じゃあな」
シロガネはリナの問いかけに特に何も感じなかった。
ただ短く頷いて、ギルドを出た。
リナの仲間、エルネはその後ろ姿を見ながら思案する。
——あの方の魔力の質。
エルネは静かに、シロガネの纏う気配を観察していた。
魔力の量は、特に多くない。普通の人間と変わらない。だが——その質が、奇妙だった。澄んでいる。整いすぎている。普通の人間には絶対にありえない、不自然な綺麗さ。
——何か、隠している。
エルネは確信していた。だが、それが何なのかは、まだわからなかった。
――――――――
夕暮れの街を、シロガネは歩いた。
宿に向かう道すがら、街の人たちが何人か、シロガネに会釈をした。
「シロガネさん、お疲れ様」
「今日も塩漬け、片付けてくれたんだろ? 助かるよ」
「うちの子、シロガネさんのお話、毎日楽しみにしてるんですよ」
シロガネは、それぞれに頷いて、歩いた。
——街に、馴染んできたか。
シロガネは静かに思った。
それは、不思議な感覚だった。
街の人が、自分を覚えてくれている。子供たちが、自分を待ってくれている。お婆さんが、お茶を出してくれる。
——だが、これは、シロガネの仕事だ。
ヒーローの仕事は、別にある。
シルバー・フィストは、まだ次の舞台を待っている。
次の悪が、必ず現れる。その時、俺は、また変身する。
シロガネは静かに微笑んだ。
夜空には、星が瞬き始めていた。
――――――――
その頃、ギルドのカウンターでは。
「……リナ様」
エルネが静かに、リナの横顔を見た。
「……お顔が、緩んでらっしゃいます」
「えっ」
リナがハッと手で頬を押さえた。
「うそ、緩んでた?」
「少しだけ、ですが」
エルネは静かに頷いた。
「わ、わたしも〜気づきました〜」
メイファがおっとりと言った。
「シロガネさんと話してる時のリナ様、なんだか〜柔らかい感じでした〜」
「そ、そんなことないわよ!」
リナは慌てて顔を背けた。
「ただ、変な男だなって、観察してただけよ。情報源として、信頼できるかどうかをね」
「観察、ですか」
エルネが静かに頷いた。表情は、何も変わらなかった。
だが、その目には、ほんの少しだけ、何かが滲んでいた。
リナは耳まで赤くなりながら、依頼書をサラに渡した。
「今日の報告よ。早く処理して」
「は、はい」
サラは目を白黒させながら受け取った。
ギルド内に、メイファとエルネの、内緒の視線交換が一瞬だけ走った。




