第十話 街のチンピラ(完全な悪……ではないかも)
冒険者になって、半月が経った。
シロガネは朝、いつものようにギルドに向かおうとしていた。
宿を出て、街の中央通りを歩く。朝の市場が活気づいていた。野菜売り、果物売り、肉屋、雑貨屋。商人たちが大声を上げて客を呼び込んでいる。
シロガネがその喧騒を抜けようとしたその時。
「だから、何度も言ってんだろ!」
低い、苛立った声が聞こえた。
シロガネは足を止めた。
中央通りから、少し外れた路地。そこに、男が三人、立っていた。
冒険者風の格好。腰に剣を差している。三人とも、それなりに体格が良かった。
そして、その三人に詰め寄られているのは——見覚えのある男だった。
ベルトル商会の主人。
丸い体に、薄くなった髪。普段から人当たりがいい笑顔の主人が、今は青い顔をして、男たちに襟首を掴まれていた。
——あれは。
シロガネは目を細めた。
「俺たちが頼んでた荷物、まだ来てねえじゃねえかよぉ!」
冒険者風の男のうち、一番大きいのが詰め寄っていた。
「い、いえ、そのご注文の品は、来週入荷予定で——」
「来週ぅ? 俺たちは今日欲しいんだよぉ!おぉん!?」
「で、ですから、それは事前にお伝えして——」
「うるせえなぁあ!」
男の手が、主人の襟首をさらに強く掴んだ。
「とりあえず、その棚にあるモンをよ、タダで全部寄越せよぉ! オラァ!」
「そ、それは、できません」
「あぁん?」
主人の体が、宙に浮いた。
周囲の通行人たちが、見て見ぬふりをしていた。冒険者風の男たち相手に、誰も介入しようとしない。
シロガネは、その光景を、静かに見ていた。
——チンピラだ。
シロガネは判断した。
人を殺める者ではない。子供を傷つける者でもない。組織として人を踏みにじる者でもない。
ただの、街でよく見かける、力を背景に商人を脅す程度のチンピラ。
——悪、というほどではない。
が、見過ごすのも違う。
シロガネは静かに足を進めた。
「おい」
シロガネは、男たちの背後から声をかけた。
一番大きな男が、振り返った。
主人を掴んだままだった。
「あぁ? なんだてめえ」
「その人から手を放せ」
シロガネの声は、低かった。
男が、シロガネを上から下まで眺めた。
長身。革のジャケット。腰には武器も帯びていない。冒険者ギルドの徽章だけが、胸元で光っている。
「Fランクか?」
男が徽章を見て、笑った。
「Fランクの新米が、俺たちに口を出すのか?」
男の二人の連れも、ニヤついた。
「やめときな、新米。お前が口出していい話じゃねえんだよ」
「商人を、放せ」
シロガネは、もう一度、同じことを言った。
声に、冷たさが混じり始めていた。
「はぁ~! 俺たちはな、Cランクなんだよ!!」
男が主人を放した。代わりに、シロガネに向き直った。
「お前のような新米とは、格が違うんだ。わかるかぁ?」
「わからん」
シロガネは短く答えた。
男が、舌打ちをした。
「ちっ。面倒な野郎だな。ちょっと痛い目を見せてやるか……!」
男が剣の柄に手をかけた。
その瞬間。
「シ、シロガネさん……!」
主人がようやくシロガネに気づいた。震える声だった。
シロガネの中で、何かが弾けた。
商人を脅す。新米相手に剣を抜く。つまらない、矮小な、けれども確実に人を傷つける行為。
シロガネは、そういうのが、嫌いだったことを瞬時に思い出した。
前世でとても嫌いだった。唾棄すべき行動だ。
四十二年間、社会の中でこういう小さな悪を散々見てきた。職場のパワハラ、街の絡み、弱者への暴力。シロガネは何度も、止めたかった。だが法律があった。手を出せば自分が捕まる。だから黙って見ていた。
ずっと、見ていた。
四十二年間。
——だが、もう。
もう、見過ごすことは、しない。
シロガネの周囲の空気が、僅かに震えた。
魔力が、漏れた。
膨大な魔力を持つシロガネは、普段から魔力量を常人に見えるよう抑え続けてた。その制御が、一瞬だけ、弱まった。漏れたのはほんの一瞬、ほんの僅か——だが、確かに、漏れた。
だが、シロガネはすぐに気づいた。
——いかん。
力を、抑える。
チンピラを取り押さえるのに変身はしない。
シルバー・フィストは、こんなチンピラを爆散させるために出てくる訳ではない。
こんな奴ら、今世の鍛錬よって得た武術だけで十分だ。
シロガネは深く息を吸って。
そして——動いた。
男が剣を抜こうとした。
シロガネは一歩、踏み込んだ。
男の手首を、軽く掴んだ。
剣の鞘から、剣が出ない。男が驚いた顔をした。
シロガネはそのまま、男の手首を捻った。
ぐいっ、と関節技が決まる。男が膝をついた。
「ぐっ——! う、嘘だろ!? うおぉぉわぁあ!!」
シロガネはもう片方の手で、男の襟首を掴んだ。そのまま、ぐいっと地面に叩きつけ、衝撃で意識を刈り取る。
頭がつぶれたり、地面が割れることはなかった。
シロガネが、力を抑えていたからだ。
「な、なにを——!」
連れの二人が剣を抜いた。
シロガネは、押さえつけている男から手を離して、立ち上がった。
二人が同時に斬りかかってきた。
シロガネは、右の男の剣を、手のひらで横に逸らした。男の持っていた剣の重さで、軌道を変えたのだ。
そのまま、左の男の腹に、軽く拳を入れた。
「うっ——」
左の男が膝をついた。
右の男が再度斬りかかってきた。
シロガネは半歩下がって剣を避け、男の腕を掴んだ。そのまま捻って、剣を落とさせた。膝を払って、その場に倒した。
三人が、地面に転がっていた。
ここまで、五秒もかかっていなかった。
シロガネは、商人の方を見た。
「大丈夫か」
「は、はい! ありがとうございます!」
商人が震えながら頭を下げた。
シロガネは静かに頷いた。
そして、地面に転がる三人の冒険者を見下ろした。
「お前たち、もし――次またロクでもないマネをするようなら」
シロガネは少しだけ間を置いた。
「2度と剣を握れない体にするぞ」
それだけ言って、シロガネは踵を返した。
「ひぃぃ…!! ちくしょう!」
倒れている者を抱えて、チンピラたちが逃げ出していく。
街の人々が、遠巻きに見ていた。
シロガネは、何事もなかったかのように歩き出した。
——まあ、こんなところだろう。
武術の範囲で済んだ。
変身もしていない。
——だが、怒りに任せて魔力の制御が甘くなった。
あれは、少し魔力が漏れたな。
まずいか?
いや、一瞬だ。誰も気づいていないだろう。
シロガネは内心でそう判断した。
歩き出そうとした、その時。
「シロガネ……? 今、あんた——」
声が、シロガネの背中にかけられた。
聞き覚えのある、女の声。
シロガネは、立ち止まった。
ゆっくりと振り返ると、そこにリナが立っていた。
その背後には、メイファとエルネ。
三人とも、ちょうど通りかかったところらしい。
リナの目が、僅かに見開かれていた。
「商人が困っていた」
シロガネは短く答えた。
「冒険者風の男が三人、絡んでいた。だから止めた」
「いや、それはわかるわよ」
リナは少し戸惑った様子で続けた。
「でも、あんた、Fランクよね?」
「ああ」
「あの三人、Cランクって名乗ってたわよね?」
「ああ」
「……Cランクが三人がかりで来たのを、五秒で制圧した?」
リナの目が、シロガネをまっすぐ見た。
「武術、習ってたの?」
シロガネは少し考えた。
——習ってた、と言っていいのか。
村で誰かに習ったわけではない。
前世でいくつか格闘技の本を読んで、自分で身につけた。
そして、ダンジョンで実戦を積んだ。
——まあ、習ってたと言っても嘘ではない、か。
「……少しは」
シロガネは慎重に答えた。
「少し、ねえ」
リナはじっとシロガネを見ていた。
「あの動き、達人クラスよ。格闘術も習ってたあたしが言うんだから、確かよ」
シロガネは内心で少し焦った。
——そんなに、目立つ動きだったか。
変身していない時の自分は、ただの普通の青年のつもりだったが。
シロガネは慎重に、首を振った。
「それは、買いかぶりだ」
「ふうん」
リナは納得していなかった。
ただ、それ以上は追及しなかった。
メイファが、おっとりとシロガネに言った。
「シロガネさん、すごいですね〜。あの方たち、強そうだったのに〜」
「いえ」
「商人さんも〜助かったみたいで〜、よかったです〜」
メイファは無邪気だった。
リナとシロガネのやり取りに気づかず、純粋にシロガネを褒めていた。
「Fランクの新米が、Cランクを瞬殺、ねえ」
リナがふっと笑った。
「あんた、本当に変な男ね」
「そうか」
「でも……、FランクとかCランクとかは置いておいて、困っている人を助けたのは悪くないと思うわ」
リナはそう言って、メイファとエルネを連れて、その場を去ろうとした。
去り際、リナはもう一度だけ、シロガネを振り返った。
「シロガネ」
「ああ」
「街で人が困ってたら、また助けに行くの?」
シロガネは少し考えた。
そして、答えた。
「気が向けば」
「ふうん」
リナは、また笑った。
「変なやつ」
そう言って、リナは去っていった。
シロガネは、その背中を見送った。
——褒められた、のか。
——褒められたな、たぶん。
シロガネは少しだけ口元を緩めた。
そして、ギルドに向かって歩き出した。
――――――――
エルネは歩きながら思う。
——さっき、一瞬だけ。
エルネの中で、引っかかるものがあった。
シロガネが動き出す瞬間——男たちが剣を抜こうとしたあの瞬間——シロガネの周囲の空気が、僅かに震えた気がした。
魔力の波動。
それも、極めて澄んだ、整いすぎた、奇妙な質の魔力。
——あの感覚。
エルネは自分の認識を疑った。
見間違いかもしれない。
本当に、一瞬だった。瞬きの間に消えた。
シロガネの動きを見て、無意識に違うものを連想しただけかもしれない。
エルネは、頭を振った。
——気のせい。
そう思おう。今は、まだ。




