第七話「噂は風に乗って」
シロガネは森の中を歩いていた。
廃村から十分も離れた頃には、変身を解いていた。鎧が粒子になって霧散し、残ったのは長身の青年。革のジャケットに、ありふれた旅装。誰がどう見ても、ただの旅人だった。
夕陽が木々の隙間から差し込んでいた。
シロガネは黙々と歩いていた。
口元には、微笑が浮かんでいた。
抑えていた。意識的に、抑えていた。
だが、抑えきれなかった。
——決まった。
シロガネは内心で叫んだ。
完璧に、決まった。
ピンチに颯爽と現れる白銀の騎士。三人の冒険者を救う変身ヒーロー。あの構図、あの絵面、四十二年間夢見た、まさにそれだった。
ありがとう赤狼団。ありがとう、ヴァルフ。お前が三人を追い詰めてくれたおかげで、俺は最高の舞台に立てた。
ありがとう三人組。ピンチになってくれてありがとう。
神様ありがとう。本当に、本当にありがとう。
シロガネは森の中で、誰にも見られていないことを確認してから、小さくガッツポーズをした。
鳥が、頭上で驚いて飛び立った。
シロガネは咳払いをして、再び歩き出した。
――――――――
街に戻ったのは、五日後の夕方だった。
廃村から街までは、普通の旅人の足で三日かかる。シロガネは夜通し歩き続けることを苦にしないため、もっと早く戻ろうと思えば戻れた。だが今回は、急がなかった。
理由は二つあった。
一つ。生き残った山賊たちが領主の騎士団に捕縛され、街に連行され、事情聴取を受け、その内容が酒場で囁かれる。そこまでに時間がかかる。
シルバー・フィストの噂は、それなりの時間をかけて熟成される。
二つ。シロガネは——その熟成を、たっぷり味わいたかった。
噂が街に行き渡った頃に、何食わぬ顔で街に戻る。酒場で人々が興奮しながら自分の話をしているのを、ただの旅人として聞く。
それが、たまらないのだ。
街道を歩きながら、別の村に立ち寄って一泊した。そこでは既にシルバー・フィストの噂が囁かれ始めていた。シロガネは粥を啜りながら、それを黙って聞いていた。口元の緩みが、どうしても抑えられなかった。
そうして、五日かけて街に戻ってきた。
夕陽の中、城門の前。
腹が空いていた。
街に入ってすぐの城門脇の屋台で串焼きを買った。塩で味付けされた鶏肉。それを齧りながら、街に入った。
門番が、ちらりとシロガネを見たが、特に何も言わなかった。
シロガネは何食わぬ顔で街に入った。
宿に向かおうとした、その時だった。
「——おい、聞いたか!?」
「何が?」
「赤狼団だよ、赤狼団!!」
街の広場で、男たちが大声で話し合っていた。
シロガネは足を止めた。
——来た。
立ち止まって、聞き耳を立てる。何食わぬ顔で、串焼きを齧りながら。
「やられたんだってよ、全員!!」
「全員!? あの六十人を超える組織が?」
「ああ! しかも一人の冒険者が、ほとんど一人でだ!!」
――ほう。
「白銀の鎧を纏った巨人だってよ!! 翼まで生えてたらしい!」
「ま、まさか」
「本当の話だよ!! 領主の騎士団も廃村に行って確認したらしい! 六十二人全員が生きたまま転がってたって!!」
「全員生かしてあったのか!?」
「そうだ!! その騎士、シルバー・フィストとか名乗ったらしいぞ!!」
——うん。
シロガネは静かに頷いた。串焼きを齧りながら、品定めするふりをして店先の品物を眺めるふりをして。
いい。
いい流れだ。
噂が、ちゃんと広まっている。
「シルバー・フィストか……どこの騎士団だろう」
「いや、騎士団じゃないらしい。誰の所属でもないんだとよ」
「正体不明?」
「ああ、完全に正体不明!! しかも討伐された山賊たちが口々に同じことを言ってるんだと!」
「なんて言ってんだ?」
「『悪を砕く白銀の鉄槌』『機動鎧武者』だってよ!! なんかよくわかんねぇけどすげえよなぁ!!」
シロガネは串焼きを齧る手が止まりかけた。
——かっこいい!!
我ながら、かっこいい名前を考えた!!
しかも山賊どもが、ちゃんと正確に伝えている。仕事熱心だ。生かしておいてよかった。
シロガネは口元が緩むのを必死で抑えた。
その場を離れ、別の通りへ歩いた。
「——聞いたか!」
別の通りでも、似たような会話が聞こえてきた。
「シルバー・フィスト様の話か!」
「だろ!? おまけにあれだ、冒険者の三人組を救ったらしいぜ!!」
——お。
シロガネは串焼きを齧りながら歩く。
「貴族のお嬢様だってよ、その三人」
「貴族!?」
「ああ、冒険者やってる貴族の娘ってのがいるんだと。リナ様って言うらしい。それでヴァルフに負けちまって、危うく奴隷商に売り飛ばされそうになったところを、シルバー・フィスト様が颯爽と!!」
「マジかよかっこいい!!」
——颯爽と、らしい。
そう、颯爽と現れたんだ俺は。
いいぞ、もっと言ってくれ。
シロガネは内心で頷きながら、次の通りへ歩いた。
「シルバー・フィスト様って、どんな見た目なんだ?」
「山のようにデカい巨人だってよ! 鋼鉄の翼に、白銀の鎧!」
「山ぁ!?」
——盛りすぎだ。普通の人間より頭一つ二つ大きいくらいだぞ。
まあいい。盛られているのも噂の常だ。
「それに対する敬称が『様』だってよ! もう町で英雄扱いさ!」
——様。
シルバー・フィスト『様』。
——いい響きだ。おっといかん。ヒーローはクールでなければならない。
シロガネは串焼きを齧り終えた。串をゴミ箱に放り込んで、宿の方へ歩き出した。それでも頬が緩むのを止められなかった。
通りすがりの女性が、シロガネを見て少し怪訝な顔をした。一人で歩きながら口元緩めてニヤついている長身の男など、不審者以外の何者でもない。
シロガネは咳払いをした。
宿に戻ろう、と思った。
その時だった。
――――――――
同じ頃。
冒険者ギルドから出てきた三人の女がいた。
リナ、メイファ、エルネ。
事情聴取が、ようやく終わったところだった。
「やっと終わったわね」
リナが大きく息を吐いた。
「お疲れ様です〜」
メイファがおっとりと労う。
「……宿に戻りますか?」
エルネが静かに尋ねた。
リナは少し考えて、首を振った。
「いえ。まだ用があるわ」
「ご用ですか~?」
「シルバー・フィスト……あの異常に強い白い騎士の正体よ」
リナの声は、低かった。
メイファが目を丸くした。エルネは何も言わなかった。
「あれは誰なの。なぜ、あたしたちを助けに来た。なぜ、誰にも何も言わずに去った。——それを、知りたい」
「……リナ様、恐らくあの騎士は、なんらかの事情で正体を隠しています。それを暴くのは——」
エルネが静かに言った。
「暴きたいわけじゃない」
リナは即答した。
「ただ、お礼が言いたいの。あの場では、何も言えなかった。声も出なかった。せめて、『ありがとう』くらいは——」
リナの声が、少し柔らかくなった。
「直接、言いたいの」
メイファとエルネは、顔を見合わせた。
エルネが小さく頷いた。
「……分かりました。手がかりを探しましょう」
「エルネ……でも、どこをどう探しましょ~?」
「……一つだけ、分かっていることがあります」
エルネは静かに言った。
「彼の白騎士が目撃されたのは、廃村だけではありません。数日前、騎士団の巡回が村外れの街道で山賊二十人を発見しました。全員生きたまま縛り上げられていたそうです。彼らも口々にシルバー・フィストの名を語ったとか」
「騎士団から聞き出したの?」
リナが目を細めた。
「……事情聴取の際、ちらりと耳に挟みました」
エルネが静かに頷いた。
「……廃村と街道、共にこの街の近郊。白騎士……シルバー・フィストは、この街を拠点にしている可能性が高いでしょう」
リナの目が、光った。
「酒場で聞き込みするわ。最近この街に来た旅人を片っ端からね」
「あたしも〜お手伝いします〜」
メイファが、おっとりと頷いた。
エルネは、ふっと息を吐いた。
「……リナ様、聞き込みは慎重に。正体を隠している以上、こちらも詮索していると悟られないほうが——」
「わかってる」
リナは短く答えた。
「相手に気づかせない。村で起こったことの情報を知らないか、って自然に話すだけ」
そして、踵を返した。
歩き出した、その時だった。
リナの目が、止まった。
通りの先に、長身の男がいた。
革のジャケット。ありふれた旅装。一人で歩いている。何かを思い出したかのように、口元を緩めている。
——見覚えが、ある。
リナの記憶が、瞬時に動いた。
酒場で、シルバー・フィストが赤狼団討伐の依頼を受けるあたしたちを、隅の席で見ていた男。
その前にはあんな男、いなかったはず。即ち――
——シルバー・フィストが現れたのと同じ時期に、この街にきた男。
リナは足を止めた。
「……リナ様?」
エルネが、リナの視線を追った。
長身の男が、視界に入った。
エルネの目も、僅かに細くなった。
「……あの方が気になるのですか?」
「酒場で見た男。あたしたちが依頼を受ける時、隅にいた。この街には長くいるけど、あんな身長の高い男、これまで見たことがない」
「……興味深いですね」
エルネが静かに言った。
「最近この街に来た旅人。お話を伺うには、最適です」
リナは小さく頷いた。
そして、男に向かって歩き出した。
——詮索ではない。
ただの、世間話で情報を、引き出すだけ。
リナは内心でそう自分に言い聞かせていた。
「——あんた」
声が、シロガネの背後からかけられた。
シロガネは、立ち止まった。
ゆっくりと、振り返る。
そこに、リナが立っていた。
その背後には、メイファとエルネ。
リナの目は、笑っていなかった。観察するように、シロガネを見ていた。
——まずいか?
シロガネは内心で構えた。
いや、まずくない。
俺は変身能力を持っている。
変身している時の俺と、変身を解いている時の俺は、神様の正体隠蔽機能で別人だと認識されるはずだ。
リナが俺をシルバー・フィストと結びつけることは、ない。
——ない、はずだ。
『変身能力はチートじゃないよ』
なぜか、神様の言葉が思い起こされる。
シロガネは表情を作った。
ただの旅人の顔。
何食わぬ顔。
ただの男。
——だが。
シロガネは、内心で少し焦っていた。
女と、二人で話したことが、ない。
前世でも、結婚していなかった。恋人もいなかった。会社の女性社員と業務上の会話くらいだ。
——まずい。声が、出るか?
「あなた、確か」
リナが、首を傾げた。
「酒場で見かけたわよね。あたしたちが赤狼団の依頼を受けた時、隅の席に」
シロガネは頷こうとした。
声が、出にくかった。
「……ああ」
なんとか短く答えた。
——やはり、声が、ぎこちない。
「奇遇ね」
リナは、自然な口調で続けた。
「実は、最近この街に来た旅人を探してるの。あたしたちもこの街に着いたばかりだから、情報交換できないかと思って」
——情報交換。おそらく嘘だな。
シロガネの社会人としての勘が告げた。リナの目は、世間話を望む目ではない。何かを探っている目だった。
だが、それを指摘するのは下策だ。
——のっておくか。
シロガネは慎重に答えた。
「……俺は最近来たばかりだ。情報は、あまりない」
「そう」
リナは少し残念そうな顔をした——ふりをした。シロガネにはそれがわかった。
演技、上手いな。
エルネが、後ろから静かに口を挟んだ。
「リナ様、お知り合いですか?」
「いいえ。酒場で見かけただけ」
リナはエルネに答えてから、もう一度シロガネを見た。
「……あんた、名前は?」
他人に名前を尋ねるときは先に名乗れ、と言おうとしたが、大人げないなと思い直し、シロガネは少し間を置いて答えた。
「シロガネだ」
リナの動きが、僅かに、止まった。
シロガネは内心で身構えた。
シロガネ。シルバー。
——いや、繋がらない。この世界の言葉では、シロガネは名前としての発音でそれ以上はない。せいぜい変わった名前だと認識されるくらいだ。
白銀とシルバーは同じ意味でとらえられるが、異世界の言葉は日本語とは違う。
神様の正体隠蔽機能もある。
繋がらない、繋がるはずがない、繋がっては——
「ふうん」
リナは特に表情を変えなかった。
「シロガネね。覚えておくわ。あたしはリナ」
シロガネは内心で深く息を吐いた。
繋がっていなかった。
「……ああ」
「で? どこから来たの?」
リナがさらりと聞いた。
シロガネは答えに詰まった。
村の名前を出していいのか?
いや、適当な村名で誤魔化すべきだ。
——だが、咄嗟に村名が出てこない。
考えていなかった。
「……東の、小さな村だ」
ぎこちなく答えた。
「そう」
リナは追及しなかった。
ただ、シロガネを見ていた。
シロガネは早くこの場を離れたかった。
——女と話すのは、本当に、慣れていない。
疲れる。
「……行っていいか」
「ええ」
リナはあっさり手を引いた。
「引き止めて悪かったわね、シロガネ」
シロガネは短く頷いて、踵を返した。
歩き出した。
背後で、メイファが小さく呟くのが聞こえた。
「リナ様、あの方、なんだか面白い方ですねぇ……」
「面白い?」
「いえ……なんとなく、ですけど」
エルネは何も言わなかった。
ただ、最後にもう一度だけ、ちらりとシロガネの方を振り返った。
シロガネは既に、宿の方へ歩いていた。
エルネの目には、何かが映っていた。
それが何かは、エルネ自身にも、まだわからなかった。
――――――――
宿に戻ったシロガネは、部屋の扉を閉め、鍵をかけた。
念のため、窓も閉めた。
そして——
ベッドに倒れ込んで、枕に顔を埋めた。
「——ぐおおおおおおおッ!!!!」
声を、押し殺した。
——ほんと最高だ!
最高すぎる。
シルバー・フィスト様、と街中の人が呼んでいた。
貴族のお嬢様を救った英雄、と言われていた。
しかもリナと話せた。会話できた。シルバー・フィストの話を、シルバー・フィスト本人にしてくれた。
——これ以上の幸せがあるか?
シロガネは枕に顔を埋めたまま、足をばたつかせた。
四十二歳のおっさんがやる動きではなかった。
だが、誰も見ていなかった。
そもそも今は二十歳の若者の体だ。
前世と合わせると六十……シロガネは考えるのを止めた。
シロガネは存分に喜びを味わってから、ゆっくりと起き上がった。
窓の外を見た。
街は夕暮れに包まれていた。
ふと、現実的な考えが浮かんでくる。
今まではヒーローで頭がいっぱいで、ロクに仕事もしていなかった。
——金がない。仕事がない。
次の舞台を探す前に、まず生活基盤を整えなければならない。
——そうだ。冒険者ギルドに登録するか。
そうすれば、依頼の情報も入る。悪党の情報も入る。
金も仕事もできる。一石三鳥だ。
シロガネはそっと微笑んだ。
夢は、始まったばかりだった。




