↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/30

第六話「白銀」

 何が、起きているのか、わからなかった。

 リナの目には、白銀の何かが映っていた。


 巨人だ。


 鋼鉄の鎧に身を包んだ、二メートル五十センチを超える白銀の巨人。

 背中には鋼鉄の翼が広がっている。重力を無視して、魔力の光を纏いながら宙に浮いている。あんな鎧、見たことがない。あんな魔法も、聞いたことがない。


「機動鎧武者《ギア・アダマンタイト》」

「シルバー・フィスト」


 聞き覚えのない名前だった。

 聞き覚えのない、けれど——


 ——今、確かに、名乗ったわ。


 リナは、それだけを認識した。

 メイファの肩に伸びた山賊の手が、まだ止まっている。山賊本人が、固まっている。誰も動けなかった。

 シルバー・フィストは、右手を伸ばし、


 その指先で、メイファの近くにいた山賊を、軽く弾いた。


 ただ、軽く、弾いた。

 それだけだった。


 山賊が、消えた。


 正確には、視界から消えた。次の瞬間、廃村の外壁に山賊が叩きつけられる音がした。壁が、砕けた。


「っ——」


 リナは、声にならない声を漏らした。

 指先で、弾いただけ。

 それだけで人が馬鹿みたいに吹っ飛んだ。


「次」


 低い声が、廃村に響いた。

 シルバー・フィストの周囲を取り囲んでいた山賊たちが、後退した。

 逃げなかった。逃げられなかったのだ。逃げる、という発想が、頭から消し飛んでいた。


「リ、リナ様……っ」


 メイファが震える声で呟いた。

 エルネは、何も言わなかった。

 ただ、その目だけが、白銀の巨人を凝視していた。瞬きすら忘れたように。


 シルバー・フィストが山賊たちへ一歩近づく。

 地面が、揺れた。

 漂うオーラ、暴力的なまでの魔力の奔流、とても人間とは思えない。

 とんでもない迫力だ。


 ——化け物。


 いえ、違う。

 そんな言葉じゃ、足りない。


 最初に動いたのは、剣士の山賊だった。

 恐怖を振り払うように、雄叫びを上げて突進してきた。


「うおおおおお!!」


 剣が、シルバー・フィストの胸に向かって突き出された。鋭い突きだった。並の鎧なら、貫かれる。

 シルバー・フィストは、避けなかった。

 剣が、白銀の胸甲に当たった。


 カキィン。


 軽い、金属音がした。

 剣が、折れていた。

 折れた剣を握ったまま、呆然と立ち尽くす山賊。その鼻先に、シルバー・フィストの拳がきていた。


 ドンッ。


 山賊が、廃村の入口まで吹き飛んだ。木製の門柱が、衝撃で揺れた。

 リナは、息を呑んだ。


 ——剣が、折れた。

 受けただけで、剣が折れた。

 そんなこと、ありえない。


 二人目。槍使いだった。

 シルバー・フィストの背後から、低い姿勢で槍を突き出してくる。鎧の隙間を狙った、熟練の動きだった。


 シルバー・フィストは、振り向かなかった。


 翼の一枚が、ふわりと動いた。

 ただ、それだけだった。

 鋼鉄の翼が槍の穂先を弾き、軌道を逸らす。槍使いが体勢を崩したところに、シルバー・フィストの翼がもう一枚、軽く撫でるように動いた。


 山賊が、紙のように吹き飛んだ。


「翼が——武器、だっていうの?」


 リナは目を見開いた。

 翼は飛ぶためだけのものではなかった。あれは、それ自体が鋼鉄の凶器だった。


 三人目、四人目、五人目が、横並びで突撃してきた。

 斧、剣、棍棒。


 シルバー・フィストは、一歩踏み出した。

 そして——指で、弾いた。

 人差し指で、中央の剣士の額を。


 ピンッ、と軽い音がした。

 剣士が、廃村の壁まで一直線に吹き飛んだ。


 残った二人が、その光景に固まった。


 シルバー・フィストの両手が動いた。

 左右の山賊の襟首を、それぞれ掴んだ。


 そして、頭上で、ぶつけた。

 ゴンッ、と鈍い音がして、二人が同時に気を失った。


 シルバー・フィストは、二人を地面に放った。


「指で……指、一本で……」


 リナの口が、震えた。

 あの剣士は、今、人差し指の弾きで吹き飛ばされた。

 人差し指で。

 あれは、人間の所業ではない。


 リナは、自分の目で、その動きを分析しようとしていた。

 無駄がない。一つの動作が、次の動作の予備動作になっている。

 完璧な体捌き。


 ——あれは、何年積み重ねたら、ああなるの。


 メイファが、震える声で呟いた。


「お、お嬢様、あれは……あれは——」

「メイファ、よく見ていた方がいい」


 エルネが、低い声で言った。

 エルネの目は、まだシルバー・フィストを追っていた。


「エルネ……?」

「あれは、私が知る、どの戦士の動きとも違う」


 エルネは、息を呑んだ。


「私の父は、王国でも有数の魔法戦士。その父の動きを、子供の頃から見てきた。あの白銀の騎士は…父より、強い。父より、速い」


 ——え?


 リナが、侍女兼護衛のエルネを見た。

 エルネの父は、王国でも指折りの実力者だ。リナも何度か、屋敷で稽古をつけてもらったことがある。あれより強いというのは——


 ありえない。

 だが、しかし。

 目の前で、起きている。


 山賊たちが、囲もうと動いた。


 七人。八人。九人。

 四方から、シルバー・フィストに殺到する。

 シルバー・フィストは、両腕を広げた。


 そして——翼が、光る!


 リナの視界が、一瞬、白銀に染まった。

 次の瞬間、シルバー・フィストの姿が、消えていた!


「——え?」


 リナは、空を見上げた。


 シルバー・フィストは、空中にいた!


 鋼鉄の翼を広げ、宙に浮いていた。地上五メートル。山賊たちの頭上、囲みの真上だ。


「上だ!!」

「弓だ、弓を持って——」


 遅い!!


 シルバー・フィストが、急降下した。

 翼を畳み、地面に向かって落下する。白銀の巨体が、まるで隕石のように、山賊たちの中央に降ってきた。


 ドゴォォォォン!!!!


 地面が爆ぜた!

 衝撃波が円形に広がり、山賊七人が一瞬で吹き飛ぶ!!


 リナの足元まで、衝撃の余波が届いた。

 その凄まじい威力に無意識に体が震えた。


「な——」


 リナの口が、開きっぱなしになっていた。


 衝撃の中心に、白銀の巨人が立っていた。


 膝を軽く曲げた、着地の体勢のまま。


 そこから、すぐに動き出した。

 近くにいた山賊を、片手で頭上高く放り投げる。

 そのまま、別の山賊の腹に拳を打ち込む。

 その山賊が吹き飛んだ瞬間——

 頭上から、最初に投げた山賊が落ちてきた。


 シルバー・フィストは、落ちてきた山賊を片手で受け止め、そのまま別の山賊の集団に向かって、投げ放った。


 三人、四人とまとめて巻き込まれ、地面に転がる。


 その動きの最中、別の山賊が背後から斧を振り下ろしてきた。


 シルバー・フィストは、見もしなかった。

 軽く、踵だけで、後ろを蹴った。


 軽い、本当に軽い動作だった。


 だが、山賊は廃村の屋根を突き破り、空中で姿勢を崩しながら別の家屋の屋根に叩きつけられた。


 リナの目には、シルバー・フィストの動きが踊りのように見えた。


 投げて、殴って、受け止めて、投げて、蹴る。

 すべての動きが、流れるように繋がっている。

 戦闘ではなかった。

 演舞だった。


「あれは人間にできる動きじゃない……。威力だって、おかしいとしか言いようがない……!」


 エルネが、呆然と呟いた。

 メイファは、もう声も出ない。

 リナは、目を細めた。


 白銀の騎士が齎したのはただの蹂躙ではなかった。


 シルバー・フィストの動きには、奇妙なほどの節度があった。一人を殴る力。それは、その一人を制圧するのに必要な、ぎりぎりの力。それ以上でも、それ以下でもない。


 殺さない。

 だが、確実に、戦闘不能にする。


 殺さないように、加減しているのだ。

 この圧倒的な力で、加減している。

 リナは、ぞっとした。

 加減できるということは、本気を出していないということだ。


 ——本気を出したら、どうなるの。


 リナには想像が、できなかった。


 ついにヴァルフが、動いた。


「——おおおおおおッ!!」


 部下たちの惨状を見て、頭目自らが立ち上がった。大斧を両手で握り、シルバー・フィストに向かって突進する。


 リナは、息を呑んだ。

 ヴァルフ。

 リナの剣を、片手で軽々と受け止めた男。リナを廃村の壁まで吹き飛ばした男。あの大斧の重さを、リナは肌で知っていた。


 あの大斧は、本物の脅威。

 シルバー・フィストでも、簡単には——


 ヴァルフが、大斧を振り上げた。

 それだけで、空気が唸った。


「死ねッ!!」


 大斧が、シルバー・フィストの左肩めがけて振り下ろされた。

 シルバー・フィストは、避ける素振りを一切見せなかった。

 そして――大斧が直撃する!!


 ガキィィィィン!!!!


 金属同士がぶつかり合う、凄まじい音が廃村に響き渡った!

 リナは、目を見開いた。


 ——音が、違った。


 リナがヴァルフの斧を受けた時とは、まったく違う音。鋼鉄と鋼鉄、最硬の金属同士が衝突したような、そんな音だ。


 刃が、止まっている!


 ヴァルフの大斧の刃が、シルバー・フィストの左肩装甲に当たって、そこで完全に弾かれていた。

 鎧には、傷一つついていなかった。


 ヴァルフが、力を込めた。

 それでも、斧は一ミリも動かなかった。鎧の表面で、刃が完全に止まったまま、ぴくりとも動かない。


「な——」


 ヴァルフの目が、見開かれた。


「なんだ、貴様は」


 ヴァルフの声が、震えていた。

 シルバー・フィストは、答えなかった。

 ただ、止まったままの斧を、右手で掴んだ。


 そのまま、ヴァルフの胸ぐらを左手で掴み、持ち上げた。


「——っ!?」


 ヴァルフの巨体が、宙に浮いた。斧が地面に落ちる。


「お、おろせ……っ!!」


 ヴァルフは両手で、力の限り暴れた。だが、びくともしない。


「離せッ!! 離さんかッ!!」


 空中で、ヴァルフが両足をばたつかせた。


「お望み通り、離してやろう」

「なんーーへっ!?」


 直立状態だったシルバー・フィストは上へヴァルフを投げ出して、それと同時に右拳を握りしめ、大きく振りかぶった!


 ――そして!


 シルバー・フィストの右拳が、目に見えないほどの速さでヴァルフの腹に叩き込まれた!!


 ドゴォォォォン!!!!


 ヴァルフが、吹き飛んだ。

 廃村の外壁に激突した。外壁が崩れた。ヴァルフがその瓦礫の中に沈んだ。動かなくなった。

 リナは、息を吐くのを忘れていた。


 ——ヴァルフが。

 あのヴァルフが。


 瞬殺、された。


 ——たった、一発で。

 メイファが、口を覆った。

 エルネが、長く息を吐いた。


 シルバー・フィストが振り返った。

 目が、光る!


 残りの山賊たち二十人は、まだ立っていた。

 全員が、震えていた。


「——に、逃げろおおおおおお!!」


絶叫だった。


「逃がさん」


 シルバー・フィストの声は、静かだった。

 翼が光った。地面を蹴った。


 リナの目には、もはや動きが追えなかった。ただ、白銀の影が空中を駆けたかと思うと、次の瞬間には山賊の前に降り立っていた。


 殴る。蹴る。投げる。叩きつける。


 数秒後、逃げた山賊全員が地面に転がっていた。

 全員、生きている。


 ——生きている。


 リナはその事実に、改めて気づいた。

 この強さで、この圧倒的な力で、それでも殺していない。


 ——どういう、こと?


 シルバー・フィストが、ゆっくりと振り返った。


 リナたちの方を見た。

 リナの心臓が、跳ねた。

 兜に着けられたマスクの奥は、見えなかった。表情も、目も、何も見えない。だが、確かに、見られていた。


 巨大な白銀の騎士が、ゆっくりと近づいてくる。


 シルバー・フィストが、リナの前に立った。

 巨大な影が、リナを覆った。


 リナは、見上げた。


 近くで見ると、改めてその大きさがわかった。リナの座高の、二倍以上ある。鋼鉄の鎧の隅々まで、職人芸のような精密さで作られている。だがこの世界に、こんな鎧を作れる職人はいない。鎧そのものが、魔法の産物だった。


 シルバー・フィストが、口を開いた。


「無事か」


 声が、低い。腹に響く。


 リナは、答えられなかった。

 声が、出なかった。


 シルバー・フィストは、リナの返事を待たなかった。

 リナの腕に伸ばされた手は、信じられないほど優しかった。革鎧越しに、リナの体が、ふわりと持ち上げられる。

 リナが、自分の足で立っていた。

 支えられていた、と言うべきだろうか。シルバー・フィストの指先が、リナの肘に添えられているだけだ。だがその指先一つで、リナの体は完全に安定していた。


「——あ、ありがとう」


 リナの口から、それだけが漏れた。

 シルバー・フィストは答えなかった。

 ただ、メイファとエルネの方も見た。


 二人とも、もう山賊からは解放されていた。メイファが震えながら立ち上がり、エルネがそれを支えていた。


「お、お嬢様……っ」


 メイファが、リナに駆け寄ろうとした。だが膝が震えて、上手く歩けなかった。


「メイファ、無理しないで」


 エルネが、メイファを抱き止めた。エルネ自身も、声が震えていた。

 シルバー・フィストは、三人を見た。


 そして、踵を返した。

 そのまま、廃村を出ようとしていた。


「ま、待って——」


 リナが、声を絞り出した。

 シルバー・フィストの足が、止まった。


「あ、あなたは——」


 リナは何かを聞きたかった。

 何者なのか。なぜ助けてくれたのか。シルバー・フィストとは何なのか。あの鎧は、あの翼は、あの強さは、いったい——


 聞きたいことが多すぎて、言葉にならなかった。


 シルバー・フィストは、振り返らなかった。

 ただ、低い声で、一言だけ言った。


「悪を砕いた。……それだけだ」


 そして、歩き出した。

 廃村を出ていく。

 森の方へ、白銀の巨人が遠ざかっていく。


 その背中を、リナは見送った。


 メイファも、エルネも、見送った。

 やがて、シルバー・フィストの姿が、森の影に消えた。


 光が、消えた。


 廃村に、静寂だけが残った。

 転がっている六十二人の山賊。砕けた廃村の壁。地面に刻まれた拳の跡。歪んだヴァルフの大斧。


 そして——


「……何、今の」


 リナが、ようやく声を出した。

 声が、震えていた。


「何、今の。何が起きたの」


 メイファは、答えなかった。ただ、目から大粒の涙を流していた。安堵の涙だった。

 エルネは、自分の頬に手を当てて、ゆっくりと深呼吸した。


「……シルバー・フィスト」


 エルネが、低く呟いた。


「機動鎧武者《ギア・アダマンタイト》。あんな鎧、聞いたことがありません。あんな身体能力も、普通の人間ではありえません。あれは——魔法でも、武術でも、ない」


リナは、エルネを見た。


「じゃあ、何なの」


 エルネは、答えなかった。

 代わりに、ゆっくりと、消えた森の方を見た。


「……ただ一つ、わかることは」


 エルネの声は、静かだった。


「あの方は、わたしたちを、助けてくださったということだけです」


 リナは、消えた森の方を見た。

 胸の中で、何かが震えていた。

 恐怖でもない。憧憬でもない。安堵でもない。


 ただ、何か——


 リナはまだ、その正体を、知らなかった。


 その時。


 廃村の外から、馬蹄の音が聞こえた。

 複数だ。


「何の騒ぎだ!!」


 鎧を纏った騎士が廃村に踏み込んできた。領主の紋章を胸につけている。定期巡回の騎士団だ。


 先頭の騎士が、廃村を見た。

 転がる六十二人の山賊。砕けた壁。歪んだ大斧。

 そして、立ち尽くす三人の冒険者。


「こ、これは——いったい何が——」


 リナは、深く息を吸った。

 ゆっくりと、騎士に向き直った。


「赤狼団です」


 声は、まだ少し震えていた。


「全員生きています。捕縛をお願いします」

「あ、あなた方が、これを?」

「いえ」


リナは、首を横に振った。


「私たちじゃない」


リナは、森の方を見た。


「シルバー・フィスト、という方が」


 その名前が、リナの口から出た。

 それは、リナにとって、何かが始まる音だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。