第四話「殴ってもいい相手を探せ」
村を出て三日が経った。
街道は思ったより長かった。地図によれば次の街まであと二日はかかる。食料は持っている。野宿も慣れている。十二年間、毎晩深夜に森を走り続けた男に、街道の夜など怖くもなんともない。
問題は資金だ。
旅には金がいる。宿代、食事代、情報代。ヒーローとして活動するにも拠点が必要だ。
金を稼がなければならない。
シロガネは街道脇の森を一瞥した。
気配がある。魔物だ。三匹。おそらくウルフ系の魔獣。レベルはさほど高くない。街道を往来する旅人を狙う程度の、ありふれた魔物だ。
ちょうどいい。
シロガネは街道から外れた。
変身はしない。素の肉体で十分だ。五百層の竜を素手で沈めた体だ。この程度の魔物に変身を使うのは、あまりにも勿体ない。
それに。
変身はここぞという時のためにとっておく。
ヒーローの変身は、舞台があってこそだ。
森の中で短い格闘があった。
三秒もかからなかった。
シロガネは魔物の素材を回収(なんだか勢い余って爆散させてしまったが、かろうじて残った部分をかき集めた)して、街道に戻った。素材を売れば多少の金になる。当面の旅費くらいは稼げる。
次だ。
シロガネは歩き続けた。
――――――
街に着いたのは五日後だった。
それなりに大きな街だった。城壁があり、門番がいて、内部には市場と宿屋と酒場が軒を連ねていた。
シロガネはまず素材を換金した。次に宿を取った。次に酒場に入った。
酒場には情報がある。
ヒーローにとって情報は武器だ。どこに悪がいて、どんな悪党がいて、どれだけの規模なのか。それを知らなければ動けない。
シロガネは隅の席に座った。エールを一杯頼んだ。飲むふりをしながら、耳を澄ませた。
周囲の会話が流れ込んでくる。
天気の話。作物の話。冒険者ギルドの依頼の話。どこそこの宿が安いだの、どこそこの飯がうまいだの。
使えない情報だ。
次。
「——聞いたか、赤狼団の話」
シロガネの耳がその情報を漏らさずにとらえた。
「ああ、聞いた聞いた。またやったんだろ」
「やったどころじゃないぞ。街道沿いの村を一つ、まるごとやったって話だ」
「まるごと?」
「ああ。略奪して、火をつけて、家畜まで持ってかれたって話だぞ」
男が声を落とした。
「もう手がつけられねえ。領主様も騎士団動かす気配はあるが、まだ動いちゃいねえらしい」
沈黙が落ちた。
シロガネはエールを一口飲んだ。
赤狼団。
村を一つまるごと。
頭の中で情報が整理される。規模は大きい。組織だって動いている。残虐性が高い。
——いい。
シロガネは静かに思った。
それだけ派手にやってる連中なら、シルバー・フィストが叩きのめした後の噂も派手に広まる。
申し分ない舞台だ。
エールを置いた。立ち上がろうとした。
その時、酒場の扉が勢いよく開いた。
入ってきたのは、若い女三人組だった。
先頭を歩く女が、目を引いた。
赤茶けた髪を高い位置で結い上げている。使い込まれた革鎧。腰には剣が一本。盾はない。装備の手入れは行き届いている。背筋が真っ直ぐ伸びていて、歩き方に妙な品があった。
——剣士か。
それも、行儀のいい感じだ。平民ではない。
その後ろに、こちらも平民ではなさそうなのが、二人。
一人は白い法衣を着た少女だった。柔らかな金髪を肩で揃えている。手には杖。表情はおっとりとしていて、酒場の喧騒に少し気後れしているように見えた。
もう一人は紫紺のローブを着た少女だった。長い黒髪を後ろで一つに束ねている。手には魔導書。表情は読めない。三人の中で一番背が低い。周りを注意深く観察しているようだった。
三人ともまだ若い。十六、七といったところか。
「冒険者ギルドの受付はこっちでいいの?」
先頭の女が、はきはきと聞いた。
カウンターの受付の女性が頷いた。
「はい、こちらです」
「赤狼団討伐の依頼を受けたいの。まだ受付中?」
受付の女性が顔を曇らせた。
「……受付中ですが、あの依頼はCランク以上推奨で、しかも複数人でのパーティ編成を——」
「三人いるわ」
赤茶けた髪の女が、迷いなく言った。
「あたしが剣士。メイファが僧侶。エルネが魔法使い。前衛中衛後衛、揃ってるでしょ」
「し、しかしお三方ともまだ新米冒険者で——」
「それはどうでもいいでしょ」
女は受付の言葉を遮るように、はっきりと言った。
「新米だからって受けちゃいけないとは書いてないでしょ。それともこの依頼、ランク制限あるの?」
「いえ、推奨ランクですので、規定上は——」
「じゃあ受けるわ」
「ですからこの依頼はとても危険でして」
「いいから! 早く依頼書を出してよ」
受付の女性が困り顔で渋々書類を用意しようとする。
依頼を受けようとする冒険者を止める権利はないようだ。
「あの、リナ様」
僧侶の少女が、おっとりとリナの袖を引いた。
「もう少しお話を聞いてからでも〜……? 今回の依頼、相手の規模が大きいですし〜」
「メイファったら、心配しすぎよ」
リナはふっと笑った。
「あたしたちなら大丈夫」
「……でも〜」
「……依頼書を見せてもらえる?」
物静かな声がした。
魔法使いの少女——エルネだった。
受付の女性が依頼書を渡した。エルネはそれを受け取って、無言で目を通した。長い黒髪が肩から滑り落ちた。
「……人数、規模、武装、想定戦力。リナ様、これは新米三人で受けるには——」
「エルネ、あんたまで?」
リナは腰の剣に手を当てた。
「あのね、あたしの剣は、相手が大きかろうが多かろうが関係ないわ。それに——あたしたちもいつまでも新米じゃないの。受けてみないと、強くなれないでしょ?」
「……」
エルネは何も言わなかった。
ただ、少しだけ眉を寄せて、依頼書を受付の女性に返した。
「……リナ様の判断に従います」
「あたしも〜……従います〜」
エルネは渋々といった様子で頷き、メイファもそれに続いておっとりと頷いた。
リナはふっと笑った。
「決まりね。書類、ちょうだい」
リナはサインをした。
受付の女性がもう一度、心配そうに言った。
「くれぐれも、無理はしないでください。出発はいつ頃の予定で?」
「そうね……」
リナは少し考えた。
「装備の整備と情報収集をしたいから、明後日の朝に出るわ。メイファ、回復薬の補充をお願い。エルネは魔導書の呪文を一通り見直しておいて。あたしは武具屋に寄ってから地図を買ってくる」
「は〜い〜」
「……承知しました」
「決まりね。じゃあ明後日の朝、城門前に集合よ」
リナは書類を受付の女性に返した。
三人組が酒場の扉を開けた。出ていく直前、メイファが小さく呟いた。
「……お腹空きましたね〜……」
「メイファ、これからよ。気合い入れなさい」
「は〜い〜」
扉が、静かに閉まった。
シロガネはその一部始終を見ていた。
——三人か。
中心の女、リナ。
品がある。やはりあれは——平民じゃないな。
シロガネは前世で人を見ることに長けていた。四十年間、社会で生きてきた目だ。立ち振る舞い、言葉遣い、僧侶と魔法使いに対するさりげない上下感。あれは間違いなく、貴族の所作だった。
あの僧侶と魔法使いも——侍女、もしくは護衛だな。リナを「様」と呼んでいた。
シロガネはエールを一口飲んだ。
まあ、関係ない。
俺の舞台の邪魔だけはしないでくれよ。
そう思いかけて——
シロガネは、止まった。
……待て。
——いや、待てよ。
エールのジョッキを置いた。
頭の中で、何かが急速に組み上がっていった。
向こうの出発が明後日の朝。
俺は明日の朝に出る。
俺の脚力なら、初日の夜には街道沿いで野営、二日目の昼には廃村に着く。
向こうが廃村に着くのは、最速でも三日目の昼以降。
そこまでは計算済みだった。
問題はそこから先だ。
これまでの計算では、シロガネが先に着いて全部片付けるつもりだった。生き残りに「シルバー・フィスト」の名を広めさせる。それで十分だと思っていた。
だが——
もっと、いい舞台がある。
シロガネは前世で何百回も観た。テレビの中で、ヒーローが現れるタイミングというものは、決まっている。
誰かが絶体絶命のところで——
光と共に、ヒーローが現れる。
それが、王道だ。
それが、最高の舞台だ。
——三人組が廃村に着いて、戦闘になる。
奴らは新米だ。装備も整え方もしっかりしているが、相手は六十人を超える組織だ。間違いなくピンチになる。
そのピンチに、俺が現れる。
光と共に。翼を広げて。名乗りを上げて。
シロガネの口元が、震えた。
——最高だ。
最高すぎる。
神よ、ありがとう。
俺は今、四十二年間夢に見た構図を、自分の手で組み立てている。
四十二年分の、変身ヒーローの構図が、今、現実に組み上がろうとしていた。
シロガネは静かに息を吐いた。
決まった。
俺は明日の朝、街を出る。
先回りして廃村の近くに潜む。
三人組が来るのを待つ。
戦闘が始まったら、ピンチになるまで待つ。
そして——
——颯爽と現れる。
それが、俺の理想のヒーローだ。
シロガネはエールを飲み干した。
立ち上がった。
宿に戻る道すがら、口元に微笑が浮かんでいた。
歩道ですれ違った猫が、シロガネを見て一目散に逃げた。
――――――
宿に戻ったシロガネは、天井を見つめながら考えた。
赤狼団をぶちのめす。殺してもいい。
だが今回は、殺さない方が得だ。
理由は一つ。
死人は喋らないからだ。
生き残りが震えながら酒場で語る。あの白銀の化け物のことを。シルバー・フィストという名前を。そして——三人の冒険者を救った正義の味方のことを。
ヒーローは、人を救う。
それが本物だ。
俺はやっと、それができる。
シロガネは目を閉じた。
脳裏に、酒場の三人組が浮かんだ。
赤茶けた髪のリナ。おっとりしたメイファ。物静かなエルネ。
すまんな、三人。
しばらく、ピンチになっておいてくれ。
——絶妙なタイミングで、俺が行く。
シロガネはそのまま眠った。
――――――
翌朝、シロガネは赤狼団の根城に向けて出発した。
夜明けの街道を、長身の男が一人、歩いていた。
口元には、微かな笑みがあった。




