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第三話「八歳から二十歳まで、俺はダンジョンに潜り続けた」

 シロガネが八歳になった春のことだ。

 その日も、シロガネは村から離れた森の中にいた。

 理由は単純だ。村の中で鍛錬をすると人目につく。八歳の子供が夜明け前から走り込みをして、岩を殴り続けていれば、誰でも気になる。母親に止められる。面倒だ。

だから森の中でやっていた。


「……百八十三、百八十四、百八十五——」


 岩を殴り続ける。拳が痛い。痛いが止めない。前世から数えれば五十年分の夢がある。八歳の拳の痛みなど、夢の重さに比べれば塵だ。

 その時だった。

 地面が、揺れた。


「——?」


 シロガネは手を止めた。

 揺れは一度ではなかった。二度、三度、まるで地の底から何かが産声を上げるように、地面がうねった。木々が揺れる。鳥が一斉に飛び立つ。


 そして。

 シロガネの目の前の地面が、割れた。


 黒い穴が口を開けた。直径は五メートルほど。穴の縁から魔力の靄が漏れ出して、周囲の空気が一瞬で変わった。濃い。重い。何かがいる。


 シロガネは穴の縁に近づいた。

 覗き込んだ。

 底は見えない。暗い。深い。だが、下から何かの気配が上がってくる。魔物だ。間違いなく魔物だ。


 ——ダンジョンだ。


 シロガネの胸の中で、何かが爆発した。

 転生前の記憶が蘇る。神様との会話が蘇る。


『その世界、ダンジョンはあるか』

『……あるね』

『よし』


 あの時の「よし」は、これのためだった。

 シロガネは穴の縁に立った。

 下から魔物の気配が上がってくる。放置すれば溢れ出す。溢れ出せば周辺に広がる。広がれば村に届く。


 村に届く前に、全部狩ればいい。

 論理は単純だった。


 右手を、天に向けて掲げた。

 生まれて初めて、やった。


「――変身」


 声は小さかった。

 確信がなかったからだ。本当にできるのかどうか、わからなかった。八歳の体に、本当に鎧が来るのかどうか。


 だから次の瞬間、光が溢れた時、シロガネは少し驚いた。


 白い光だった。


 体中から溢れ出す光が、朝の森を真昼のように照らした。鎧が来る。軋みながら、叫びながら、八歳の体に喰いつく。大きくなる。体が、骨が、筋肉が、全部が——


 翼が、開いた。



 ——ああ。



 シロガネは空を見上げた。

 木々の隙間から、空が見えた。朝焼けが、白銀の翼を赤く染めた。

 これだ。

 これが俺だ。


 涙が出た。八歳の体で、白銀の鎧を纏ったまま、シロガネは声を殺して泣いた。前世から数えれば五十年分の夢が、今ここで形になっていた。

 どれくらい泣いていたかわからない。

 やがてシロガネは顔を上げた。

 目の前にダンジョンがあった。

 下から魔物の気配が上がってくる。

 よし。

 ――潜るか。


 最初の階層は、大したことなかった。

 スライムが三匹いた。白銀の拳で殴ったら三匹同時に爆散した。

 弱い。次だ。


 二層目はゴブリンが十匹いた。全員一分以内に沈めた。

 まだ弱い。次だ。


 三層目はオークが五匹。村の戦士なら命がけの相手だろう。

 十分かかった。

 まだまだだ。次だ。


 その日のうちに、シロガネは浅い階層を全て制圧した。魔物が地上に溢れ出る前に、全部狩り尽くした。


 地上に戻ったのは夕暮れ時だった。


 変身を解く。八歳の体に戻る。

 シロガネはダンジョンの入口を見下ろした。少し考えた。

 周囲に落ちていた枝を拾った。草を引き抜いた。岩を転がした。

 三十分後、ダンジョンの入口は完全に隠れていた。知らなければ絶対にわからない。

 よし。

 誰にも言わない。

 ここは俺の鍛錬場だ。


 シロガネは踵を返して、村に帰った。


 母親が夕飯を用意して待っていた。


「遅かったね、どこにいたの」

「森で鍛錬してた」

「また!?もう少し普通の子供らしくしなさい」

「はい」


 シロガネは握り飯を口に放り込んだ。

 ――明日も潜ろう。


 それから十二年間。

 シロガネは毎晩ダンジョンに潜り続けた。


 しばらくして、変身した状態で倒しても体があまり強くならないことに気づいた

 だから、生身で出来るだけ敵を倒す。


 最初は死にそうな目にもあったが、そういう時は変身して難を凌いだ。

 できるだけ生身で、そして、最速でシロガネは強くなっていく。


 深夜に家を抜け出す。森を走る。草で隠した入口を開ける。潜る。狩る。戻る。夜明け前に布団に戻る。朝飯を食べる。鍛錬する。


 それを、十二年間、一日も欠かさなかった。

 誰にも言わなかった。父親にも、母親にも、幼なじみにも。


 そもそも、この村にダンジョンが存在することを誰も知らなかった。

 スタンピードは起きなかった。魔物が溢れることはなかった。村の周辺に魔物が増えることもなかった。理由は単純だ。シロガネが毎晩潜って、全部狩り尽くしていたからだ。


 村人たちはただ思っていた。


 この村の周辺は、なぜか魔物が少なくて平和だ、と。

 シロガネはその話を夕飯の席で聞く度に、黙って握り飯を食べた。


 九歳。五十層を突破した。

 十歳。百層。同い年の子供たちが剣の稽古を始めた頃、シロガネは既に百層の魔獣を毎晩狩り続けていた。

 十二歳。百五十層。このあたりから魔獣の質が変わった。知性を持つ魔獣が現れ始めた。罠を張る。連携する。集団で動く。

 面白くなってきた。

 十四歳。二百層。シロガネが到達した瞬間、ダンジョンの深部から瘴気が漏れ出すようになった。放っておいたら地上でも感じられるほどの魔力の濃度になるだろう。魔獣の強さがさらに上がった。


 だがシロガネが毎晩魔物を狩り尽くしているため、ダンジョンそのものが活性化する暇がない。瘴気の発生も最小限に抑えられていた。


 村人たちは今日も平和に畑を耕していた。

 十六歳。三百層。このあたりで、遠くの街から噂が流れてきた。近隣の別の村でダンジョンが発生してスタンピードが起きた、冒険者が大勢死んだ、という話だ。


 シロガネは宿屋でその話を聞いた。

 スタンピード、か。

 ダンジョンを放置するとそうなるのか。


 握り飯を食べながら、シロガネは静かに思った。

 まあ、うちの村は大丈夫だ。

 理由は言わなかった。言える話でもなかった。


 十八歳。四百層。魔獣の強さがいきなり跳ね上がった。これまで相手にしてきた魔獣と比べて、明らかに三段階は上だった。変身状態でなければ即死していた。


 これだ。


 これが本当の戦いだ。

 シロガネの体は更に大きくなっていた。変身を繰り返すうちに、素の肉体すら強化されていった。身長は既に二メートルに届いていた。村の大人たちが正面から目を合わせられなくなっていた。


 両親も最初は驚いていたが、もう何も言わなくなった。シロガネが幼い頃から人並み外れて鍛えていることを、二人は誰よりも知っていた。


 二十歳。

 シロガネはダンジョンの最深部に立っていた。


 五百層。


 目の前にいるのはダンジョンボスだった。全長三百メートルはあろうかという竜だった。鱗は黒く、目は赤く、口から溢れる黒炎が周囲の石壁を溶かしていた。


 まるで邪神のようだと思った。


「貴様か! 我の住処を毎晩のように荒らしまわっている頭のオカシイヤツは!! 絶対に許さんぞ!! 消し炭にしてくれる!!」


 咆哮が大気を揺らした。

 シロガネは動じなかった。

 でかいな。言葉も喋る。さすがに生身では敵わなさそうだ。


 だが——俺は――ヒーローになる男だ。

 野生の魔獣になんか、負けられない。


 右手を掲げた。


「変身ッ!!!!」


「――――ファッ!?」


 白銀の光が五百層の最深部を塗り潰した。

 竜が怯んだ。


 シロガネは翼を広げた。地面を蹴った。真っ直ぐ竜に向かって飛んだ。


「グオ——」


 白銀の拳が、竜の顎を捉えた。


 ドゴォォォォォォン。


 竜が、沈んだ。


 ワンパン。


 訪れる静寂。

 今まで無限のように湧いていた魔物の気配が、収まった。


 五百層の最深部には、白銀の騎士だけが立っていた。


 終わった。

 シロガネは変身を解いた。二十歳の青年の姿に戻る。静かに、深く、息を吐いた。

 天井を見上げた。岩盤の向こうに、空があるはずだった。

 強くなったか。


 ——なった。


 これで、ヒーローができる。


 シロガネは踵を返した。

 出口に向かって歩き始めた。

 十二年間潜り続けたダンジョンを、最後に一度だけ振り返った。


「世話になった」


 短く言って、歩き続けた。


 翌朝。

 シロガネは村を出た。

 旅の理由を聞いた母親に、シロガネは答えた。


「やりたいことがある」


 母親は何も聞かなかった。ただ、握り飯を持たせてくれた。

 父親は何も言わなかった。ただ、村の入り口まで見送ってくれた。


 シロガネは一度だけ振り返って、頭を下げた。


 そして歩き出した。




 ――行くぞ。

 悪を砕きに。



 ――行くぞ。

 ヒーローになりに。




 夜明けの街道を、長身の青年が一人、歩いていた。

 背後の村では、今日も平和に朝が始まっていた。


 誰も知らない。


 十二年間、毎晩深夜に抜け出して、夜明けまでダンジョンに潜り続けた男がいたことを。


 その男が五百層の竜を素手で沈めたことを。


 その男が、ヒーローになるために旅に出たことを。


 誰も、知らなかった。

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