第二話「神様、俺に変身能力をくれ」
気がつくと、白い空間にいた。
上も下も右も左も、全部白い。足元に地面があるのかどうかすらわからない。ただ、立っていた。
――死んだか。
白銀政宗は呟いた。正確には声に出していない。体があるのかどうかもよくわからなかった。
走馬灯は、既に終わっていた。
四十二年の人生。両親の顔。学校。就職。退職。再就職。淡々とした人生だった。結婚はしなかった。恋人もいなかった。友人は数人いた。
そして。
幼い頃に見た、テレビの中のヒーロー。変身シーンのかっこよさに震えた記憶。自作コスプレに熱中した青春。変身ポーズを鏡の前で練習した夜。
後悔は一つだけだった。
しかし――何よりも重い後悔。
――俺は、ヒーローに、なれなかった。
「死んだよ」
声がした。
振り返ると、そこに人がいた。いや、人ではないかもしれない。姿は人間の男に見えるが、輪郭がぼんやりと光っている。年齢不詳。性別不詳。ただ、圧倒的な存在感があった。
「お前は――神様というやつか」
「君らの世界の認識でいえば、多分そういうことになるかな」
推定神様は少し、居心地悪そうだった。
「……実はね。君には申し訳ないことをしてしまって」
「ほう」
「あのトラック、本来君に当たるはずじゃなかったんだよね」
政宗は黙った。
「手違いで。本当に申し訳なくて。まだ寿命が十数年残ってたのに」
「……そうか」
「怒らないの?」
「怒っても死んだものは戻らん」
神様がほっとした顔をした。
「話が早くて助かるよ。だからお詫びに異世界に転生させようと思う。月並みで悪いけど、チート能力を一つあげてファンタジー世界で好きに生きていいよ。えっと、こういう話で通じるかな?」
「小説や漫画で見たことがある。今は転生なろうものは下火になりつつあるが、俺はあの物語も好きだ。俺が欲する能力は唯一つ――変身能力だ」
神様が固まった。
「……え、もう少し考えなくていいのかい? こういうのって大事だよ? これから君がどういうファンタジー世界に転生するかも分からないのに、いきなり即答なんてバカのすること――」
「よくある中世舞台だろう? 治安とかも終わってる感じの」
「そうだけど……」
「ならばなにも問題ない。変身能力をくれ」
政宗の言葉は、揺るがない。
「いや、チート能力って魔法の才能とか、成長加速とか、アイテムボックスとか色々あってだね——」
「変身能力をくれと言っている」
その心の奥底に眠る「ナニ」かわからない、夢でも情熱でもきっとないだろう。
この男から感じる凄まじいまでの『圧』を、神が感じたがゆえに。
「……なんで変身能力なの」
神はそう問うた。
その言葉を投げかけられた政宗は、一瞬だけ黙った。
それから、口を開く。
「——聞くか」
「うん」
「長くなるぞ」
「……どうぞ」
政宗は息を吸った。
「俺が初めてヒーローを見たのは四歳の時だ。テレビの中であの素晴らしいヒーローが変身した瞬間。光が弾けて鎧が展開して身に纏われ、名乗りを上げた。あの瞬間、俺の中で決定した。これだ、と。これが俺なのだ、と」
神様が頷く。
「それから四十年近く、ずっとそれだけを考えて生きてきた。コスプレをした。変身ポーズを研究した。口上を考えた。鏡の前で何百回も練習した。だが現実には変身できない。ヒーローになれない……。なぜなら俺がいた世界に、本物の悪を砕ける場所がなかったからだ」
「——本物の悪を砕ける場所?」
「そうだ」
政宗の声に熱が入った。
「悪は砕かなければならない。それがヒーローだ。だが俺がいた世界で悪を砕こうとすれば、俺が捕まる。法律がある。だから四十年間、俺はただ夢を見るだけだった。鏡の前でポーズを練習して、口上を叫んで、ただそれだけしかできなかった」
「……うん」
「変身能力が欲しいのは、力が欲しいからじゃない。鎧が欲しいからじゃない。変身という行為そのものが欲しいんだ。光が弾けて、鎧が展開して、翼が開いて、名乗りを上げる。その瞬間のために、俺は四十年近く生きてきた。それが——」
政宗は一度だけ、声を詰まらせた。
「それが、俺の人生で唯一の『願望』だ」
白い空間に、沈黙が落ちた。
神様はしばらく何も言わなかった。
「……普通に怖すぎるんだけど」
「何か言ったか」
「なんでもないよ。こほん」
神様は咳払いをした。それからもう一度、諦めたように溜息をついた。
「……わかった。変身能力をあげよう。ただし色々と機能に制限があるよ」
「聞こう」
どうやら話は通じるタイプの変態のようだ。と、神は安心した。
「変身能力はさっきも言った通りチート能力じゃない。現在の強さに見合った鎧みたいなものが顕現する。つまり弱ければ弱い鎧しか出てこない。強くなければ意味がない能力だよ。この仕様は変更できないんだ」
「わかった」
即答。
「……わかった、って。強くなる手段は自分で考えなきゃいけないんだよ? 君は元居た世界で動物やなにかと戦ったことはあるの? 人を殺したことは絶対ないだろうけど、そんな――」
「そんな経験はないが、そういう強さは自分で身につけなければいけないものだ。それのどこに問題がある」
神様が黙った。
問題はない。問題はないのだが。
この男は、本気でそう思っている。
それが、怖かった。
普通の精神ではない。
この男は20XX年の平和な日本で、戦争も経験せずに会社で普通に働き、独身のまま普通に生きてきた一般人のはずだ。
そんな生活を続けていたのにも関わらず、『願望』だけで、ここまで人は変態になれるのか。
神は恐怖した。
神が唖然としていると、政宗が口を開いた。
「そう言えば、翼はつけられるか?」
「……えっと、ごめん何の話?」
翼? と神は当然のように疑問に思う。
彼の思い描く『変身ヒーロー』とやらに翼が必要という話だろうか。
「変身時の白銀の鋼鉄の翼だ。魔力で浮遊する感じの。あれがないとヒーローとして締まらない」
どうやらそういうことらしい、と神は納得すると同時に呆れた。
本当にこの男はそのことしか頭にないのだ。
「はぁ……つけるよ」
「正体隠蔽機能は」
「それもつけようか」
「名乗りを上げた時に効果音が鳴る機能は」
「……つけるよ」
「よし」
政宗は深く頷いた。
神様は疲れた顔をしていた。
(これあとで文句言われないよね…?一応聞いておこ)
「本当にそれだけでいいの?魔法の才能とか、成長加速とか——」
「そういうのはいらん。一足飛びに強くなっても、扱いが分からず自滅するだけだろう。……言語習得だけは欲しいな。言葉の壁は流石に自分じゃ乗り越えられん」
「……一応つくよ。チート能力とは別にね。君の場合は赤ん坊から始まるから、言語習得に際してプラス補正がつくくらいだけど」
「それでいい。俺が行く世界にダンジョンはあるか」
「……あるよ」
「よし。あとひとつ聞いていいか」
「なに」
「その世界、山賊は合法的に殺せるか」
神様が止まった。
「……なんで山賊?」
「悪を砕くのがヒーローだ。砕いた後に俺が捕まっては意味がない」
「……ああ、なるほど」
神様は少し考えた。
「大体の国では山賊は魔獣と同じ扱いになってるよ。見つけ次第討伐していい、という認識が一般的だね」
政宗の口元が、弧を描いた。
「よし」
神様は何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。
この転生者に何を言っても無駄だと、既に悟っていた。
神様が転生の準備を始めようとした、その時。
「――――俺はッッッ!!!!」
突然の絶叫に、神様が飛び上がった。
「絶対にヒーローになってみせるッッッ!!!!!!」
白い空間に、政宗の魂の叫びが響き渡った。
神様は固まっていた。
しばらくして、静かに呟いた。
「……やっぱり怖すぎる」
白い空間が、ゆっくりと溶けていった。
政宗の意識が、遠くなる。
待ってろ異世界。
俺は今度こそ――
――ヒーローになる。




