第二十二話「いつもの日常へ……?」
朝。
屋敷の食卓に、四人が揃っていた。
ガルディウス、クライス、マリー、アリスの四人だ。
朝の柔らかな光が、応接間の窓から差し込んでいた。
テーブルには温かいパンとスープ、そして果物が並んでいる。マリーが朝の早くから、家族のために用意したものだった。
ガルディウスにとっては二十年ぶりとなる家族としての朝食を、マリーは作りたかったのだろう。
使用人がいなかったので、すべてマリーの手作りだ。
「いただきまーす!」
アリスが元気のいい声で告げて、無邪気にパンを齧った。
ガルディウスはアリスの頭を撫でながら、低く笑った。
「美味い。マリー、お前の作る朝食は、変わらないな」
「あら、当然ですわ」
マリーはふっと笑った。
「私の腕は、二十年経っても落ちていません。意識がない間は……一瞬ですから」
マリーは少し戸惑いを見せながらも、自分なりに状況を受け入れようとしていた。化け物にされていた事実は、まだ重い。だが、家族と再会できた今は、前を向こうとしている。
「これからは、ずっと、こうして食卓を囲めるのね」
マリーは静かに呟いた。
ガルディウスはマリーの手を握った。
「ああ。もう、誰にも、お前たちを奪わせない」
クライスは静かに食事をしていた。長年仕えた主人の家族と食卓を囲むのは、初めてのことだった。クライスの目には、満たされた何かが滲んでいた。
朝の食卓は、温かく、静かな時間で満たされていた。
――――――――――
朝食を終えて、しばらく経った頃。
屋敷の玄関の鈴が鳴った。
ガルディウスは顔を上げた。
「来客か」
「私が、対応します」
クライスが玄関に向かって、しばらくして戻ってきた。
「ガルディウス様。シロガネ様がお見えです」
ガルディウスはふっと笑った。
「通してくれ」
クライスは頷いて、再び玄関へ向かった。
そして、シロガネがクライスに案内されて、応接間に入ってきた。
革のジャケット。長身。冒険者ギルドの徽章。いつもの姿だった。
「邪魔するぞ」
「シロガネ。よく来てくれた」
「家族の時間に、邪魔をして、すまんな」
「気にするな。お前はもう、我らの家族と同じようなものだ」
ガルディウスはシロガネの肩を、軽く叩いた。
マリーも立ち上がって、シロガネに頭を下げた。
「シロガネさん、おはようございます」
「ああ」
シロガネは短く答えて、マリーに頷いた。
アリスは食卓の椅子から、ぴょんと飛び降りて、シロガネに駆け寄った。
「シロガネさん、おはよー!」
シロガネは膝をついて、アリスの頭を撫でた。
「ああ、おはよう、アリス」
アリスが無邪気に微笑み、シロガネもそれにつられるようにふっと笑った。
――――――――――
応接間に、ガルディウス、シロガネ、クライスが座った。マリーはアリスを連れて、隣の部屋に下がっていった。今後の話は、男たちの仕事だと察していた。
「ガルディウス。今後の話をしよう」
シロガネは低く告げた。
「ああ」
ガルディウスは頷いた。
「白銀の影の運営方針だ。街の悪は、お前たちで排除してくれ。俺は、シルバー・フィストとして、必要な時だけ動くことにする。そういえば、攫われていた子供たちは、信頼できる貴族の家に保護されているんだったな」
「ああ。元々の家族との再会も段階的に進めたいと思っている」
「すぐに動くと、組織が察知する可能性もあるかもしれないな。ガルディウスはどう思う?」
ガルディウスは頷いた。
「その可能性は非常に高い。今の状況が奴らに知られれば、こちらを始末しにくるかもしれん。慎重にやらなければならないだろうが……。組織のやり口は大体知っている。おいそれと尻尾をつかませるようなヘマはしないと約束しよう」
「それで頼む。――クライス。お前の役目だが」
シロガネはクライスを見た。
「私はガルディウス様の補佐として動きます」
クライスは答えた。
「私の副騎士団長としての立場は失われているでしょう。騎士団の裏切り者として顔が割れてしまっている。ですが――まだ信頼できるものは騎士団に残っています。秘密裏に声をかけ、白銀の影と騎士団の橋渡しをしてもらい、こちらが動きやすくなるよう工作を進めましょう」
「分かった」
シロガネは頷いた。
「緊急時の連絡はどうする? 俺は通信魔術は使えるが、おおっぴらに魔術を人前で使いたくはないのだが」
「街の冒険者ギルドに、私の手の者を一人、置いておきます。シロガネ様への伝言を頼む形であれば、バレる心配はないでしょう。合図は後ほど決めましょう」
「いいだろう。それで頼む」
シロガネは深く頷いた。
ガルディウスは静かに、シロガネを見ていた。
「シロガネ。お前はこれからどうするんだ?」
「あまり決まってはいないのだが、しばらくは街にいることになるだろうな」
シロガネは考えながら答えた。
「当面はFランクの新米冒険者として街の人々と暮らしていようと思う。塩漬け依頼を、ジェナ婆さんの庭仕事を、孤児院の子守を、地味にこなしながら、な」
シロガネはしかし――と間をおいて続けた。
「シルバー・フィストが必要な悪が現れた時には、躊躇なく動く。ほかの街に行くことにもなるかもしれない」
ガルディウスは深く頷いた。
「そうか。なら、俺たちはお前を陰から支えられるよう、万全の体制を整えるとしよう。信頼できる仲間を集め、情報を集め、どうしてもお前の力が必要だと判断した場合は、すぐに知らせる。だが正直、我はシロガネから貰った力を扱えれば、どんなものも敵ではないとは思うがね」
ガルディウスは両手を握ったり開いたりしていた。
どうやら白銀の加護は思った以上に効力を発揮しているようだ。
迸る魔力と漲る気力がそれを物語っている。
「ああ。頼む。――こんなところか。今のお前たちならば、組織とやらの連中も楽に捻ることができると思うが、過信は禁物だぞ」
シロガネは立ち上がった。
「では、俺は街に戻る」
「シロガネ」
ガルディウスはシロガネの肩を、軽く叩いた。
「お前が我々を必要とする時は、いつでも声をかけてくれ。資金調達でも、誰かを匿うことでもなんでも、な」
「ああ。助かるよ。前に子供を助けた時に、全員を門まで送り届けたことがあったんだが……。ああいうことを任せられる人間がいると心強い。さて、お前たちも今はゆっくり休んでくれ。家族の時間を、取り戻すべきだろうな。望みとあらば、ガルディウスの年齢を若くしてやろうか?」
とんでもないシロガネの発言にガルディウスは目を丸くした。
「そんなことができるのか? だがそれはあまりにも――」
不老不死。
そんな言葉がガルディウスの脳裏を過る。
しかし、まだ若く美しいマリーの横に、壮年の自分がいるのは……と考えたところで。
「ぜひ、お願いしますわ!! できればわたくしも!!」
「マリー!? お前何を言って……!?」
飛び込んできたのはマリーだった。おそらくお茶を淹れるためにこちらに戻ってきていたのだろう。
凄まじい剣幕だ。シロガネは女性の『若さ』に対する執念を甘く見ていた。
「ああ問題ない。何人でも若返らせられるからな。使いすぎはどうかと思うが、お前たちを生き返らせている時点で、もうなんでもありだろう」
「しかし、シロガネ……」
「あなた! なにを戸惑っているんですか!! いまのあなたも素敵ですけど、わたくしは一緒に年を重ねて、一緒に老いていきたいのです! シロガネ様……どうかわたくしたちにその術をかけてくださいませ。できれば18歳くらいがいいですわ」
「おぉ……マリー……そうか、お前がそういうなら……」
押せ押せのマリーとその情熱にたじろぐガルディウス。
「奥様……。団長……」
そしてそれを見て軽く引いているクライス。
「いいだろう。これは時を巻き戻すのではなく、人体を構成する要素を変えるような魔法だからな。本来の寿命よりも少しだけ長生きになり、美しさや強靭さを損なわないようになるだろう。アリスは若返る必要はないが、この魔法で損することはないだろうし、遠隔でかけてやろうか?」
「素晴らしいですわね!」
マリーはさらに目を輝かせる。
貪欲な妻の姿を見て、ガルディウスは触れてはいけないと悟り、シロガネから目をそらす。
「よし。それじゃあついでだしクライスも一緒にかけるぞ。いくぞ――」
「い、いや私は――」
「お願いします!シロガネ様!」
「奥様!?」
――――――――――
術をかけ終えたシロガネは応接間を出て、屋敷の玄関へ向かった。
見送りにはアリスを含めた全員がついてきている。
その道すがら、シロガネはアリスを除いた三人の変わりようを改めて眺めていた。
まず目を引いたのは、ガルディウスだ。あの筋骨隆々の偉丈夫はどこへやら、線の細い、品のある貴公子がそこに立っている。色褪せていた金の短髪は、陽光を集めたような美しい金の長髪へと変わっていた。
かつて女性に騒がれていたことも納得の容姿だ。
だが当の本人は、自分の細くなった腕を握ったり開いたりして、どこか複雑そうな顔をしていた。剣を振るうための体ではなくなった、とでも言いたげに。
その隣で、マリーの変化はさらに劇的だった。二十代後半だった大人の女性が、十八かそこらの少女へと若返っている。けれど幼くなったわけではない。匂い立つような色香を残したまま、肌は新雪のように白く滑らかになり、豊かな金色の髪は緩く波打って、窓から差す朝陽に一筋ごとに淡く輝いていた。長い睫毛に縁取られた大きな瞳は、宝石のように澄んでいる。美女と美少女の境を行くような、危ういほどの美しさだった。
「あなた、見てくださいまし。ほら、肌もこんなに……!」
はしゃぐマリーに、ガルディウスはようやく表情を緩めた。複雑な思いも、妻の輝くような笑顔の前では溶けていくらしい。
そして、もう一人。
「……ガルディウス様。お若い頃の、あのお姿だ」
静かに呟いたのはクライスだった。長年の気苦労を滲ませていた顔から疲れが拭い去られ、艶やかな茶のサラサラとした髪をした、爽やかな美青年へと様変わりしている。ガルディウスとは系統の違う美形だった。同年代の二人は、二十数年前に共に剣を振るった、あの日の姿を取り戻していた。
玄関についたところで、ガルディウスたちは深く頭を下げた。
「シロガネ様、ここまでしてくださって、本当にありがとうございました」
「またねー!」
アリスが無邪気に手を振ったので軽く手を振り返す。
若返った一同を背に、シロガネは城門のある方向へと向かった。
――――――――――
ガルディウスの屋敷を出て、シロガネは街への道を歩いていた。
朝の風が、シロガネの頬を撫でた。
街への道は、長くなかった。屋敷から城門までは徒歩で半時程度。
シロガネは朝の空気を吸いながら、ゆっくりと歩いた。
そうしてしばらくすると城門が見えてきた。
門番の男がシロガネに気づいて、軽く頷いた。
「おはようございます」
「ああ。おはよう」
シロガネは短く答えて、城門を抜けた。
街の中に入る。
朝の活気が、シロガネを包んだ。
街の朝は、いつも通りだった。
朝市が並ぶ広場では、野菜売り、果物売り、肉屋、雑貨屋が大声を上げていた。商人たちが客を呼び込み、買い物客が値段を交渉している。子供たちが走り回り、母親が声をかける。日常の音が、街を満たしていた。
シロガネは中央通りを歩いていた。
「シロガネさん!」
声がシロガネの背後からかけられたので振り返る。
ベルトル商会の主人だった。丸い体に、いつもの人の良い笑顔。
「シロガネさん、おはようございます! 今日も荷物運びをお願いしたいんですが、よろしいですか?」
「いいぞ」
「ありがとうございます! 午後にでも、商会まで来ていただければ」
「分かった。必ずいく」
シロガネは短く答えた。
ベルトル商会の主人は、嬉しそうに頷いて、自分の店に戻っていった。
シロガネの口角が少し上がる。
何も変わらない街の日常。
街の人々は、シロガネがシルバー・フィストだとは知らない。ただのFランクの新米冒険者として、シロガネを受け入れている。
それが、シロガネには、心地よかった。
――――――――――
次にシロガネは東街区へ向かった。
ジェナさんの家が見えてきた。庭でジェナさんが何やら作業をしているようだ。
「ジェナさん、おはようございます」
シロガネが声をかけると、ジェナさんは振り返った。
「あらまあ、シロガネさん! 昨日はどこに行ってたの? 心配していたんだよ」
「すまん。少し用があって」
「無事でよかったわ」
ジェナさんは、皺くちゃの顔で笑った。
「お茶を淹れるから少しどうだい?」
「ありがとう。だが、後で来るよ。今は、孤児院に行きたくてな」
「あら、そうかい。じゃあ、また後でね」
シロガネは深く頭を下げて、孤児院に向かった。
――――――――――
孤児院に着くと、ティムとレイが、すぐに駆けてきた。
「シロガネおにいちゃん!」
「シロガネにいちゃん!」
二人ともシロガネに飛びついた。
シロガネは膝をついて、二人の頭を撫でた。
「すまんな、急に出ていって」
「ううん、大丈夫! すごい顔して出て行っちゃうんだもん。びっくりしたよ。でも、無事に帰ってきてくれて、よかった!」
ティムは、大きな目を輝かせた。
レイはシロガネの服の裾を、ぎゅっと握った。
「シロガネにいちゃん、もう、どこも行かない?」
シロガネは少し考えた。
「ああ。しばらくは街にいるぞ」
「やったー!」
ティムが跳び上がって喜ぶ。
シスターが玄関先に立って、その光景を優しく見ていた。
「シロガネさん。お帰りなさい」
「ああ」
シロガネはシスターに深く頭を下げた。
「ご心配を、おかけしました」
「いいんですよ。あなたが無事で、それで十分です」
シスターはふっと微笑んだ。
シロガネは子供たちと、しばらく庭で遊んだ。
太陽が、青空に高く昇っていた。子供たちの笑い声が、孤児院の庭に響き渡っていた。
シロガネはその光景を、深く目に焼き付けていた。
「これが、俺が守りたい日常なんだ」
シロガネは静かに呟いた。
――――――――――
孤児院で過ごした後、約束通りベルトル商会で荷物運びの依頼をこなして、ジェナさんの家でお茶を飲んでいたら、いつの間にか夕方になっていた。
街の中央通りを、シロガネは歩いていた。夕日が、街を金色に染めていた。
人通りは、朝よりも多い。仕事を終えた商人や、買い物に出かける主婦、酒場へ向かう冒険者たち。みんなが、それぞれの夕方を過ごしている。
シロガネはその雑踏の中を、ゆっくりと歩いていた。
そして——
「シロガネ」
声が、シロガネの背後からかけられた。
シロガネの足が、止まった。
聞き覚えのある、女の声。
ゆっくりと振り返ると、そこにリナが立っていた。
赤茶けた髪。冒険者の装備。腰には剣。
リナはいつもの服装だったが、その目にはいつもとは違う『何か』があった。
決意のような、覚悟のような、しかし確かな『何か』。
シロガネとリナは、夕日の中で、向き合った。
街の雑踏の音が、二人の間で、遠ざかっていく。
「シロガネ」
リナがもう一度、シロガネの名前を呼んだ。
「リナじゃないか。どうした?」
シロガネがそう応えると、リナはしばらく何も言わず、シロガネの目をまっすぐ見つめた。
リナの中で昨夜から渦巻いていた感情の結論。
シロガネがシルバー・フィストである事実。
それはもう覆らない。リナはそれを知ってしまったのだから。
――なら、あたしは、どうする。
シロガネを責める? それは、違う。
シロガネから離れる? それも、違う。
きっとあたしは、シロガネの力になりたいんだ。
廃村で命を救われた恩。街でシロガネが見せてきた優しさ。塩漬け依頼を黙々とこなす姿。ジェナ婆さんに茶を出されて、長い話を聞いていた、優しい横顔。孤児院の子供たちにヒーローの話をする、温かい目。
それは全部、シロガネの本当の姿だった。
シルバー・フィストとシロガネが、同一人物。
それは、矛盾じゃなかった。シロガネは、シルバー・フィストとしても、ただの冒険者としても、悪を許さない、優しい男だった。
だから——
リナは深く息を吸った。
そして、まっすぐシロガネの目を見て、言った。
「あんた、シルバー・フィストなんでしょ?」
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第一章 シロガネという男 完
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第二章へ続く




