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第二十一話「白銀の加護、そして正体」


 ガルディウスは地下室の中で、マリーとアリスを抱きしめたまま、しばらく動けなかった。


 二十年。


 ガルディウスにとって、それは果てしなく長い歳月だった。妻と娘を失い、組織に取り込まれ、悪名を背負い、贖罪の日々を生きた。それが、今、目の前で終わろうとしていた。

 シロガネは地下室の中で、その光景をしばらく見ていた。


 そして、低い声で告げた。


「ガルディウス。地上に戻ろう。話すべきことが、まだある」


 ガルディウスは頷いた。マリーとアリスを抱き上げて、ゆっくりと立ち上がる。


「マリー、アリス。応接間で、ゆっくり話そう」


 マリーは戸惑いながらも、ガルディウスに頷いた。

 五人は地下室を後にして、地上へと階段を昇っていった。


――――――――


 屋敷の応接間。

 五人が椅子に腰掛けていた。シロガネ、ガルディウス、クライス、マリー、アリス。

 応接間は広く、暖炉の火が静かに揺らめいていた。マリーとアリスは戸惑いながらも、ガルディウスの隣に座っていた。


 ガルディウスはマリーに向き直った。


「マリー。話を、聞いてほしい」


 マリーは頷いた。


「お前とアリスが行方不明になってから、二十年が経った」

「に、二十年……ですか!?」


 マリーの目が見開かれた。


「ああ。俺は、お前たちを捜し続けた。王国中を、執念で。そして、ある組織の存在に辿り着いた。お前たちを攫った組織だ」


 ガルディウスの声は、震えていた。


「俺は、単身でアジトに乗り込んだ。だが——負けた。そして、俺の目の前で、お前たちは……魔獣と融合させられた」


 マリーの顔から、血の気が引いていった。


「魔獣と……」

「ああ。お前たちは、化け物にされた。意識を失い、ただの獣として、ずっと、苦しんでいた」


 マリーは自分の手を見下ろした。少し前まで、自分が獣だったとは、信じがたかった。だが、ガルディウスの真剣な目が、その全てが事実だと告げていた。


「私、たちが……」


 マリーの目に、涙が滲んだ。


「ごめんなさい。私、何も、覚えていない」

「謝ることはない、マリー」


 ガルディウスはマリーの手を握った。


「お前たちは、何も悪くない。組織が、お前たちを攫って、化け物にしたんだ。お前たちの意識は、ずっと消えていたんだろう。それは、せめてもの救いだったかもしれない。――それで俺はお前たちを救うために、組織に入った。だがそれは組織の罠だった。組織は俺を取り込み、邪魔者を殺さずに済む道を選んだだけだった」


 マリーは黙って聞いていた。


「俺は、お前たちを治す方法を組織の中から探し続けた。屋敷の地下にお前たちを匿いながら。組織の仕事をしながら、その裏で治す方法を探していたんだ」


 ガルディウスはシロガネを見た。


「だが、俺一人では、お前たちを救えなかった。そんな時に、現れたのが、この方だ――シルバー・フィスト。俺を倒し、俺の手記を読み、俺たちを生き返らせてくれた。そしてお前たちを、人間に戻してくれた」


 その言葉を聞いて、マリーはシロガネに深く頭を下げた。


「シルバー・フィスト様。本当に、本当に、ありがとうございました。私たち家族を、救ってくださって。この御恩、決して忘れることはありません。なにかお礼を差し上げたいのですが――」


 シロガネは静かに首を振った。


「いい。その言葉だけで十分だ」


――――――――


 ガルディウスはマリーとアリスの肩を撫でた後、シロガネに向き直った。


「シルバー・フィスト。落ち着いたところで、聞かせてくれ。お前は、なぜ、俺たちを生き返らせた」


 シロガネは深く息を吐いた。


「お前たちを悪と判断した、俺の見識が、浅かった。だから、責任を取った」

「責任、か」


 ガルディウスはふっと笑った。


「お前が思うヒーローというものは、蘇生魔法を使うほどの……そこまで責任が重いものなのだな」

「ああ。それが、ヒーローだ」


 シロガネは即答した。

 ガルディウスはしばらくシロガネを見ていた。そして、深く頷いた。


「シルバー・フィスト。ならば、俺もお前と共に、ヒーローの責任を、果たしたい」


 シロガネはガルディウスを見据えた。


「そうか……。その話をする前に、お前たちに、伝えなければならないことがある」


 ガルディウスとクライスがシロガネを見た。


「俺はお前たちを蘇生する時、聖魔の力を奪った。お前たちは、もう聖剣技も魔剣技も、聖魔魔法も使えない」


 ガルディウスとクライスの目が、見開かれた。


「だが、代わりに、白銀の加護を授けた」

「白銀の、加護……?」


 ガルディウスが呟いた。


「俺の魔力の一部を、お前たちに分け与えたんだ。身体能力は、聖魔人の頃を遥かに上回る。寿命を削る代償もない」


 シロガネはガルディウスとクライスを見据えた。


「これは、俺の友になるお前たちへの、せめてもの償いだ」


 ガルディウスとクライスは、自分たちの体を確かめるように見下ろした。

 確かに、内側から力が湧き上がってくる感覚があった。それは聖魔の力とは全く違う、純粋で、澄んだ力だった。


「これが……お前の力か」


 ガルディウスは静かに呟いた。


「ああ」


 シロガネは頷いた。


「使い道は、お前たちに任せる」


 ガルディウスはしばらく自分の手を見つめていた。そして、ゆっくりとシロガネに向き直った。


「シルバー・フィスト。一つ、頼みがある」

「なんだ」

黒の影(シャドウ・フォール)のことだ」


 ガルディウスは続けた。


「組織は、俺が築いた。だが、表向きはクライスが頭領としていただけで、実態は俺が動かしていた。攫った子供たちは、信頼できる貴族の家に保護していた。組織内での立場を守るために、表向きは奴隷として売られたことにしていたが、実態は違う」

「それは、手記で読んだ」

「ああ。だから——俺は、これからも黒の影を動かしていきたい」


 ガルディウスの目に、決意が宿った。


「ただし、堕天の祭壇(フォールン・アルター)とは決別する。組織は、俺たちのものとして、街の悪を排除する側に回す」


 シロガネは黙って聞いていた。


「組織の名前も、変える。黒の影(シャドウ・フォール)は、今日で終わりだ。これからは——」

ガルディウスは少し考えた。そして、シロガネを見た。

白銀の影(シルバーシャドウ)。お前の名から、いただきたい」


 シロガネは深く頷いた。


「いい名だ」

「シルバー・フィスト」


 ガルディウスは深く頭を下げた。


「我は、お前と共に戦おう。悪を砕く側に立つ。この身、いかようにも使ってくれ」


 クライスもガルディウスに倣って、深く頭を下げた。


「シルバー・フィスト様。私もガルディウス様と共に、悪を砕く側に立つことを誓います」


 シロガネは二人を見て、低く答えた。


「もう一度言うが……俺は、お前たちの主ではない。友だ」

「友、か」


 ガルディウスは顔を上げた。

 ガルディウスの目には、もう涙はなかった。代わりに、決意が宿っていた。


「ならば、シルバー・フィスト。我は友として、お前と共に戦おう」

「私もです」


 クライスも顔を上げた。


「ガルディウス様と共に、シルバー・フィスト様の友として」


 マリーは、その光景を、静かに見ていた。隣でアリスは、母親の膝の上で、無邪気に座っていた。

 シロガネはマリーとアリスにも、低く告げた。


「マリー、アリス。お前たちも、これから、長い時間を取り戻すんだ。家族として」


 マリーは頷いた。


「はい、シルバー・フィスト様」


 シロガネは深く息を吐いた。そして、ゆっくりと立ち上がった。


「では、最後に——俺の本当の姿を、見せておく」


 シロガネは応接間の中央に立った。そして、両手を広げた。


 シロガネの体から、白銀の光が放たれた。


 光が、シロガネの鎧を、ゆっくりと包み込んでいく。


 そして——


 光が収まると、白銀の鎧が、霧のように消えていた。

 代わりに立っていたのは、長身の青年だった。


 革のジャケットを羽織り、月明かりに照らされて、静かに立っている。腰に武器はない。冒険者ギルドの徽章だけが、胸元で光っていた。


 クライス、マリー、アリスの目が、見開かれた。

 ガルディウスはシロガネの素顔を見て、僅かに微笑んだ。


「こうして改めて見ると、不思議な気分だ。シルバー・フィストとして戦った男が、こうして、ただの青年として目の前に立っているのが」


 シロガネは深く息を吐いた。そして、低い声で告げた。


「俺の名前は、シロガネだ。冒険者ギルドにも、街の人にも、シロガネで通っている」

「シロガネ……」


 クライスは呟いた。


「お前は、冒険者だったのか」

「ああ。Fランクの新米冒険者として、街で生活している。塩漬け依頼を、ジェナ婆さんの庭仕事を、孤児院の子守を、地味にこなしながら、な」


 シロガネはふっと笑った。


「シルバー・フィストとしての俺は、お前たちにしか見せない。それが、信頼の証だ。これからも、よろしく頼む」


 シロガネの言葉を聞いて、ガルディウスは深く頭を下げた。


「ありがとう。シロガネ。改めて……よろしく頼む」

「私もよろしくお願いいたします。シロガネ様」


 クライスも頭を下げた。

 マリーとアリスも、シロガネに頭を下げた。


 シロガネは深く頷いた。


「では、俺は街に戻る。お前たちも、ゆっくり休んでくれ」


 シロガネは応接間を出て、屋敷の門に向かった。

 ガルディウスたちは、玄関先まで見送りに出た。


「シロガネ」


 ガルディウスが声をかけた。


「ありがとう。本当に、ありがとう」


 シロガネは振り返った。そして、低く答えた。


「俺の方こそ、すまなかった。お前たちを軽率に悪と判断した、俺の見識が……浅かった」

「もう、いい」


 ガルディウスは首を振った。


「お前は、俺たち全員を救ってくれた。それで、十分だ」


 シロガネは深く頷いた。そして、屋敷の門を、開けた。

 月明かりの下、シロガネは屋敷を後にして、街への道を歩き始めた。


――――――――


 茂みの中。

 リナはずっと、屋敷を見ていた。


 シロガネが屋敷に堂々と入っていった後、何が起きたのか、リナにはわからなかった。屋敷の窓から白銀の光が漏れたり、爆発のような音が響いたり、奇妙なことが続いていた。屋敷の壁の一部が、明らかに崩れている。書斎のあたりが、爆発した跡のように、めちゃくちゃになっている。


 リナは茂みの中で、固唾を呑んで見守り続けた。


 そして——


 屋敷の門が、開いた。


 中から、長身の男が出てきた。


 革のジャケット。ありふれた旅装。



 それは――シロガネだった。



 リナの目が、見開かれた。


 シロガネは月明かりの下、街への道を歩き始めた。屋敷を後にして、ゆっくりと、街の方角へ。

 リナは茂みの中から、シロガネの背中を見つめていた。


 シロガネが、ガルディウスの屋敷に、堂々と入っていった。

 そして、屋敷の中で、明らかに何か凄まじいことが起きた。爆発、白銀の光、そして崩れた壁。


 そして、シロガネが、何事もなかったかのように、屋敷から出てきた。


 これは——


 リナの中で、これまでのシロガネの異常さが、一気に繋がっていた。

 塩漬け依頼を完璧にこなすFランク。チンピラ三人を、五秒で制圧した達人並みの動き。街の人々から愛される優しさ。変な男、と言われても奇妙な信頼感。


 そして、廃墟教会の地下で、絶望の中、現れた白銀の巨人。光球を素手で撃ち抜き、クライスを爆散させた、シルバー・フィスト。




 そう。シルバー・フィストの正体は——




 シロガネだ。




「うそ、でしょ」


 リナの体が、震えた。

 確信だった。もはや、疑念ではなかった。


 シロガネが、シルバー・フィストだった。


 リナは茂みから出ようとした。

 シロガネに声をかけたかった。聞きたいことが、たくさんあった。なぜ隠していたのか。なぜFランクの新米冒険者として街で生活しているのか。なぜ、街の人々と地味な日常を送っているのか。


 だが——


 リナの足は、止まった。

 シロガネの背中が、月明かりの下、遠ざかっていく。


 リナは声をかけられなかった。

 何を、言えばいいのか、わからなかった。


 頭の中が、混乱していた。シロガネの本当の姿、シルバー・フィスト、廃村での記憶、街での日常、全てが渦巻いていた。


 リナは茂みから出て、立ち尽くした。

 シロガネの背中が、街の方角に消えていく。


 リナはしばらく、その場に立ち尽くしていた。


 そして、ゆっくりと、自分も街への道を歩き始めた。

 シロガネとは、違う道で。


――――――――



 リナは街の通りを歩いていた。

 夜は更けていた。街は静かで、人通りはほとんどなかった。月明かりだけが、リナの足元を照らしていた。


 リナは何度も、立ち止まった。


 シロガネが、シルバー・フィスト。


 その事実が、リナの中で繰り返し再生されていた。


 廃村で命を救われた瞬間。シルバー・フィストの優しい指先。「悪を砕いた。それだけだ」と去っていく背中。


 街でシロガネと初めて会った時。「シロガネだ」と低く名乗った男。塩漬け依頼を黙々とこなす、変な男。ジェナ婆さんに茶を出されて、長い話を聞いていた、優しい男。


 シルバー・フィストとシロガネが、同一人物。


 リナは混乱していた。怒りも、悲しみも、安堵も、何もかもが入り混じって、整理できなかった。

リナは宿に戻り、部屋に入った。


 扉を閉めて、ベッドに腰掛けた。


 部屋は静かだった。月明かりだけが、窓から差し込んでいた。


 リナはしばらく、月を見つめていた。


 そして、低く呟いた。


「シロガネ……あんたは、何を考えているの」


 リナの呟きは、月明かりに溶けていった。


 明日、どうすればいいのか。シロガネに会って、何を言えばいいのか。

 リナにはまだ、わからなかった。


 ただ——


 シロガネが、廃村であたしを救ってくれた、シルバー・フィスト様だった。

 その事実が、リナの胸の中で、温かく光っていた。



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