第十八話「白銀の鉄槌と堕ちた英雄」
ガルディウスはゆっくりと立ち上がった。
「お前を、待っていた」
シロガネはガルディウスを見据えた。書斎の暖炉の火がガルディウスの聖痕と呪痕の交じる顔を不気味に揺らしていた。執事は気を失って書斎の隅に転がっている。
「待っていた、というのは、どういう意味だ」
シロガネは低く問うた。
「俺がここに来ると、わかっていたのか」
ガルディウスは剣を手に取らないまま、暖炉のそばに立ったまま答えた。
「ああ。クライスから定期的に報告を受けていた。シルバー・フィストという男が現れ、我々の商売を邪魔している、と」
ガルディウスは暖炉の火を見つめた。
「最初はただの強い冒険者かと思った。だが報告を聞くにつれてわかったよ。お前はただ強いだけの男ではない、と」
ガルディウスの目がシロガネに戻った。
「お前のような者は、いずれ俺の前に立つ。それが、正義を信じる者の運命だからな」
シロガネは内心で頷いた。
ラスボスの「お前が来ることを知っていた」発言。これぞヒーロー作品の王道。いいぞガルディウス、完璧な前哨戦の対話だ。盛り上がってきたぞ。
シロガネは表情を変えずにガルディウスを見据えた。
「お前は、俺が来ることを望んでいたのか」
「望んでいたというほど単純な話ではない」
ガルディウスは首を振った。
「ただ、いずれ来る、と知っていた。それだけだ」
ガルディウスは暖炉の火に視線を戻した。
「クライスは……死んだか」
シロガネは短く答えた。
「ああ」
ガルディウスはしばらく黙った。
「そうか」
低い声だった。哀しみは見せなかった。
「役目を果たせなかったのなら、死ぬのは当然だろう」
シロガネはガルディウスの横顔を見た。表情には感情の動きがほとんど見えない。だがその「ほとんど」の中に、僅かな揺らぎが確かにあった。
長年仕えた部下を失った男の顔だった。
シロガネは低く問うた。
「お前は、配下の死を悼みもしないのか」
「悼んでも、戻らぬ」
ガルディウスは暖炉の火を見つめたまま答えた。
「クライスは最後まで俺に仕えた。それで十分だ」
シロガネはガルディウスを見据えた。
こいつは、何かを抱えている。
シロガネは内心でそう思った。だがそれを表には出さず、ただ静かに次の言葉を待った。
ガルディウスはふとシロガネに向き直った。
「シルバー・フィスト」
ガルディウスの声は低く重かった。
「お前は、何のために戦う」
シロガネは即答した。
「悪を、砕くためだ」
「悪、か」
ガルディウスはふっと息を吐いた。
「お前にとって、悪とは何だ」
「人を殺める者。子供を傷つける者。組織として人を踏みにじる者……お前のような男だ。ガルディウス」
シロガネは淡々と答えた。
ガルディウスはしばらくシロガネを見ていた。
その目には何かが滲んでいた。哀しみのような、諦めのような、しかし確かな何か。
「俺のような男、か」
ガルディウスは低く呟いた。
「そうか。お前から見れば、俺はそういう男なのか」
シロガネはガルディウスの言葉に僅かな違和感を覚えた。
なんだこの言い方は。まるで、自分が悪だと認めるのを躊躇うような感じだ。
だがシロガネは頭を振ってその違和感を打ち消して、思い直す。
いや、こいつは堕天の祭壇の聖魔人第十席という悪の組織の幹部クラスだ。子供を攫う組織黒の影の頭だ。違和感など、ただの演出への期待感が見せた幻だろう。ヒーローというものは、ラスボスの言葉に揺さぶられても信念を貫くものだ。俺はシルバー・フィストだ。揺らぐことはない。
シロガネは内心で頷いた。
ガルディウスはふと顔を上げた。
「シルバー・フィスト。お前に、一つ聞きたい」
「なんだ」
「正義とは、人を救えるものか」
シロガネは目を細めた。
「救える」
「即答か」
ガルディウスは口の端を歪めた。
「では、もう一つ聞こう。お前の正義は、誰一人として取りこぼさず、全てを救えるのか」
「救えなかった者がいたとしても、俺は信念を曲げない」
シロガネは低く答えた。
「信念を曲げた瞬間、正義ではなくなるからだ」
ガルディウスはふっと息を吐いた。
「綺麗事だな」
「綺麗事で、何が悪い」
シロガネは即座に返した。
「正義を貫けない者が、勝手に正義の限界を決めるな」
ガルディウスの目に、僅かな揺らぎが走った。
だがそれは一瞬のことで、ガルディウスはすぐに低く笑った。
「お前は、まだ若い」
「年齢の話か」
「精神の話だ」
ガルディウスは続けた。
「俺もかつてはお前のように戦っていた。悪人を罰し、人を救うため。正義を信じて剣を振るっていた」
ガルディウスの目が暖炉の火に向いた。
「だが、ある日気づいた。正義は、何も救えないと……気付くのが遅すぎたがな」
シロガネは低く言った。
「お前は気づくのではなく、諦めただけだ」
ガルディウスの肩が、僅かに震えた。
「諦めた、だと」
「ああ」
シロガネはガルディウスを見据えた。
「正義が無力だと諦めて、悪の側に堕ちた。それだけだ」
「……お前に、何がわかる!」
ガルディウスの声に、初めて熱が混じった。
「お前は、正義が無力になる瞬間を、見たことがあるか!」
「ない」
シロガネは即答した。
「だが、見ても俺は曲げない。正義は必ず悪を砕く。それを証明するのが、ヒーローの仕事だ」
「ヒーロー、か」
ガルディウスはふっと笑った。だがその笑みは、もはや穏やかではなかった。
「シルバー・フィスト。俺はお前のような男が、最も腹立たしい……!」
ガルディウスの右手が、暖炉のそばに置かれていた一本の大剣に、ゆっくりと伸びた。
「正義の名のもとに、人を裁こうとする」
刀身が白銀に輝く、聖剣だった。
「自分が見たものだけを信じ、それ以外を悪と呼ぶ」
ガルディウスは聖剣を手に取った。
「俺は、その正義を、否定する」
ガルディウスの言葉と同時——
聖剣が振るわれた。
神速の一撃だった。
元騎士団長として培った剣の冴えが、何の予兆もなく、シロガネの首めがけて閃いた。
シロガネはその神速の閃きを完全に見切ったが、あえて紙一重で剣を避けた。
頭を僅かに傾げただけで、聖剣の刃がシロガネの髪の毛を一筋、斬り落としていく。
刃が目の前を通り過ぎ、魔力による衝撃波が出た瞬間。
シロガネは即座に後方へと吹っ飛ばされるように跳んだ。
背中が書斎の窓ガラスに当たり、ガラスが砕けた。
無数の破片が月光に煌めいた。
シロガネはそのまま、二階の窓から夜空へ飛び出していた。
ガルディウスが追って窓辺に立った。
だが——
シロガネは夜空を背景に、半回転。
長身の男が中庭の中央へ、優雅に着地する。
トン、と。
音もなく、靴の底が芝生を踏んだ。
月明かりがシロガネの全身を青く照らした。
シロガネはゆっくりと立ち上がった。
書斎の二階から、ガルディウスがシロガネを見下ろしている。
二本の大剣を手に。
聖剣と魔剣。
聖魔人第十席、ガルディウス・ヴェルナンド。
ふっ、と。
ガルディウスは、口の端を歪めて笑った。
「この程度か。シルバー・フィスト」
シロガネは中庭の中央で、ゆっくりと右手を天に向けて掲げた。
「ここからが、本番だ」
シロガネの内心は、密かに高揚していた。
来た。来てしまった。シーズンラスト相当のボス戦が。堕天の祭壇の幹部、聖魔人第十席。元王国騎士団長。元英雄。これ以上ないラスボスだ。
四十二年間、無数の特撮作品を見てきた俺だ。シーズン最終話に相応しい戦いを、俺は知っている。
舞台は完璧だ。月明かりの下の中庭。高い場所から見下ろす敵。決戦の舞台に、これ以上の絵面はない。
しかも、敵は今、二階から飛び降りてくる。最高の登場演出だ。
シロガネは深く息を吸った。
ガルディウスが書斎の窓から、夜空へ身を躍らせた。
二本の大剣を構えたまま、優雅に中庭の地面に降り立つ。
月光が、ガルディウスの聖痕と呪痕の交じる顔を白く照らした。
二人が、中庭の中央で対峙した。
「シルバー・フィスト。お前の物語は、ここで終わりだ」
ガルディウスは低く言った。
「俺は、終わらない」
シロガネは静かに目を閉じた。
そして——
カッ、と。
両目を、鋭く開いた。
「変身ッッッ!!!!」
絶叫が、月明かりの夜を貫いた!
爆ぜた! 光が!!!!
白い! 白い! 白い! 月明かりの夜空を、白銀の光が塗り潰していく!
シロガネの体に、一筋、二筋、白銀の粒子が螺旋を描いて巻きついた。光の粒子が、徐々に密度を増していく。
骨が軋むような音が響く! 体に食いつき、纏われる白銀の鎧!!
胸甲が形成され、肩当てが噛み合い、籠手が両腕を覆っていく。膝当て、脛当て、足甲——下半身が一気に白銀に染まる。
そして光の中から、巨大な何かが立ちあがる!!
頭部を覆う白銀の兜! 目元には青く光る二つの裂け目! 顔には英雄を彷彿とさせる、神聖な仮面!
背中が裂け——光が爆ぜた!
鋼鉄の翼が、月明かりの下で広がった!
翼が一瞬で大きく羽ばたき、白銀の粒子が周囲に散る。光の粒子が芝生に降り注ぎ、月光と混ざり合って、地面が銀色に輝いた。
身長二メートル五十センチを超える、白銀の巨人!
それが今、ガルディウスの目の前に、立ちふさがった!!
ガルディウスの目が見開かれた。
シロガネは低い声で告げた。
「俺は!」
シロガネは右手の人差し指を、ガルディウスに突きつけた。
「悪を砕く、白銀の鉄槌——!」
「機動鎧武者!!」
「シルバー・フィスト!!!!」
シロガネは拳を握った。
「お前を、砕く」
ガルディウスはふっと笑った。
「来い、シルバー・フィスト」
ガルディウスが地面を蹴った。
戦闘が、始まった。




