第十七話「黄昏の英雄、堕ちた騎士」
シロガネは、廃墟の教会から街へ戻る道すがら、考え続けていた。
堕天の祭壇 聖魔人第十席、ガルディウス。クライスは、確かに、そう言った。
シロガネは、足を進めた。
ガルディウス。名前だけはわかったが、それだけでは足りない。
どこにいるのか。何者なのか。
シロガネの目が細くなった。
情報を集めるべきだろうか。
街に着いたシロガネは、足を止めた。
——いや、その前に。
子守の依頼を放り出したままだった。
詫びが先だろうな。
シロガネは孤児院に向かった。
孤児院。
シロガネが扉を叩くとシスターが出てきた。
「シロガネさん!」
シスターの目が見開かれた。
「ご無事でよかった……。凄い剣幕で出て行かれたので何事かと思いました……」
シロガネは、深く頭を下げた。
「シスター。子守の依頼を、途中で放り出して、申し訳なかった」
「いえいえ大丈夫ですよ。ご事情があったのでしょう? 報酬はお支払いしますので心配しないでくださいな」
「いや、報酬は受け取れない」
「シロガネさん、それは——」
「俺の都合で、放り出したんだ。受け取れる立場じゃない」
シロガネは再び頭を下げた。
シスターはしばらくシロガネを見ていた。
そして、ふっと微笑んだ。
「シロガネさんは本当に不思議な方ですね」
「そうか」
「ティムとレイが心配していましたよ」
「会ってもいいだろうか?」
「ええ、もちろんです」
シロガネは孤児院の中に入った。
ティムとレイが、すぐに駆けてきた。
「シロガネおにいちゃん! 無事だったの!?」
「ああ。すまんな急に出ていって」
「ううん、ぜんぜん。シロガネおにいちゃんが無事ならそれで!」
ティムは、大きな目を、輝かせた。
レイは、シロガネの服の裾を、ぎゅっと、握った。
「シロガネ、にいちゃん」
「ああ」
「もう、どこにも、行かない?」
シロガネはしばらく黙った。
そして、低い声で答えた。
「……ううむ。この後、また、出かける」
ティムが、目を、見開いた。
「えっ、なんで?」
「用があるんだ」
「用?」
「ああ」
シロガネはそれ以上は言わなかった。
ティムは、首を傾げた。
「シロガネおにいちゃん、なんか、いつもと違う」
「そうか」
「うん。なんだろう……こう……真剣な顔してる」
シロガネはふっと笑って息を吐いた。
「気のせいだ」
「そうかなぁ」
ティムは納得していない様子で、レイはシロガネの服の裾を握ったまま、見上げた。
「シロガネ、にいちゃん」
「ああ」
「気をつけて」
レイの頭に、手を置いて返事をする。
「ああ」
シロガネは、それだけ答えた。
ティムとレイの頭を、軽く撫でる。
そして、立ち上がった。
「じゃあ、また」
「うん!」
「シロガネにいちゃん」
シロガネは孤児院を後にした。
――――――――
シロガネは街を歩いていた。
——孤児院は、済んだ。次は、ガルディウスの情報だ。
シロガネはギルドへ向かうことにした。情報を集めるのなら、あそこ以上に適している場所はない。
冒険者ギルド。
シロガネが入ると、いつものようにサラが迎えた。
「シロガネ様、おかえりなさいませ」
「ああ」
シロガネはカウンターに肘をついた。
「サラ。一つ聞いていいか?」
「はい?」
「『ガルディウス・ヴェルナンド』という名前を知っているか」
サラは、少し首を傾げた。
「ガルディウス……? あ、なんだか聞き覚えはありますね。確か、騎士団がらみの……」
「詳しく知っているか?」
「ええ、申し訳ありません。私も詳しくは知らなくてですね……」
サラは苦笑した。
「あの、ギルドの先輩に聞いてみますか? 四十代の冒険者なら、知っているかも——」
「いや、いい」
シロガネは、首を振った。
探っている事をあまり知られない方がいいだろうとシロガネは判断した。
「他をあたる。ありがとう」
「そうですか。お役に立てなくて、すみません」
軽く会釈してから、シロガネはギルドを出た。
シロガネは次に街の酒場へ向かった。
昼間の酒場はやはり客は少ない。いない訳ではないが、まずシロガネは店主に声をかけることにした。
「ガルディウス・ヴェルナンドという名前、聞いたことあるか」
店主は、二十代後半の若い男だった。
「ガルディウス? ああ〜なんとなく聞いたことありますね。確か、昔の騎士団長とか……?」
「知っているのは、それだけか」
「ええ、すみません。なんか凄い人だったくらいの情報しかありませんねぇ」
「そうか……いや、ありがとう。店主、軽い食事をくれ」
「へい、わかりました」
シロガネはカウンターの常連のような雰囲気の男の隣に座り、聞いてみた。
「すまない。ガルディウスという男を知っているか?」
「ガルディウス? 昔の英雄か何かだろ? 詳しくは、知らんなぁ」
「そうなのか……やはり知っている人は少ないのか?」
「俺の知ってる限りだと、そんな奴のことを話しているのはあまり聞いた事ないな」
シロガネは、頷いて礼を言った。
その後、街の何箇所かで聞き込みを続けた。
商人。冒険者。通行人。
全員、二十代から三十代前半。
返ってくる答えは似たようなものだった。
——名前は、聞いたことがある。だが、詳しくは、わからない。
シロガネは、考え込んだ。
どうして、誰も知らないのだろうか。
シロガネの頭の中で、点と点が、繋がり始めた。
『ガルディウス』が、名前として存在しているが、詳しい人物像は、誰も知らない。
ということは、ずいぶん昔の人物なのだろう。
若い世代は彼が活躍した時代を知らないからな。
今思い返せば、若い年代にしか聞いていない。
シロガネは目を細めた。
年配の人に聞くべきだろう。
シロガネの足が、自然と東街区に向いていた。
東街区。
ジェナさんの家が見えてきた。
シロガネはジェナさんの家の玄関の前に立った。
扉を、ノックする。
「あらまあ、シロガネさん」
ジェナさんが、にこにこと出迎えた。
「今日は、依頼の日じゃなかったわよね?」
「ああ。今日は、別の用で来た」
「あらあら、何かしら? まずは入って、お茶を淹れるわね」
「いや、すぐに——」
「お茶を、淹れるわね」
ジェナさんは強かった。
シロガネは諦めて椅子に座った。
ジェナさんが温かい茶を出してくれた。
「今日は、林檎のお茶よ。秋になったから、林檎が美味しくてねえ」
茶を一口飲む。
林檎の甘い香りが、鼻を抜けた。
「……悪くない」
「あらまあ、嬉しいわ」
ジェナさんは、皺くちゃの顔で笑った。
シロガネは茶を飲みながら、口を開いた。
「ジェナさん。一つ聞いていいか?」
「あら、何かしら?」
「ガルディウス・ヴェルナンドという名前を、知っているか」
ジェナさんの動きが止まった。
そして、ジェナさんの目に懐かしむような色が浮かんだ。
「ガルディウス様……。ああ、知ってるよ、シロガネさん。あの方を知らない者は、あの頃のこの街には、いなかったわ」
シロガネは内心で頷いた。
——やはり、年配の方は、知っているのか。
「街で、噂を聞いてな」
シロガネは、慎重に、答えた。
「気になっていた」
「あらまあ、そうなのね」
ジェナさんはにこやかに頷いた。
「あの方の話、ね。どこから話したものかしら」
ジェナさんは少しの間、目を閉じた。
そして、ゆっくりと語り始めた。
「ガルディウス様はね、本当に立派なお方だったよ」
ジェナさんの声は、穏やかだった。
「若くして王国騎士団の団長になられて。剣の腕は王国一とも言われてたね。お顔もお整いになっていて、女性たちは皆、騎士団長様の話で持ちきりだったわ」
ジェナさんは懐かしむように笑い、続ける。
「でもね、お顔だけじゃないのよ。お心も、本当に立派なお方だったの」
「心も?」
「ええ。あの方はね、悪い組織をいくつも潰してきたの。山賊団、誘拐組織、密輸組織……どんな組織でも、ガルディウス様が出向けば、すぐに壊滅したわ。あたしの息子も、ガルディウス様に憧れて、騎士団に入ったのよ」
シロガネは、静かに、聞いていた。
——息子。以前、聞いた、息子の話。
「あの子は、騎士団でガルディウス様の下で働けて、本当に嬉しそうだったわ。手紙にね、いつもガルディウス様の話が書いてあったの。『ガルディウス団長は本当に素晴らしい方だ』『この方の下で働けて誇らしい』ってねぇ」
ジェナさんの目に、涙が滲んだ。
「でもねシロガネさん」
ジェナさんは声を低くした。
「あの方はお変わりになってしまったの」
「変わった?」
「ええ。ある日、ね。ガルディウス様の奥様とお子様が、行方不明になられたのよ」
シロガネの目が細くなった。
「奥さんと、子供……」
「そう。突然、行方不明になられて。ガルディウス様は騎士団長の権限で、王国中を捜索された」
ジェナさんは、深く息を吐いた。
「でも、見つからなかった。何ヶ月、何年と捜しても、奥様もお子様も見つからなかったの」
シロガネは、無言で聞いていた。
「あたしの息子はその捜索に、最後まで付き合っていたわ。ガルディウス様が家族を失う痛みを、あの子は誰よりも知っていたから」
ジェナさんは、首を振った。
「でもね……ガルディウス様は、徐々にお変わりになっていった」
「どう、変わった」
「お顔から表情が消えていった。お言葉も減っていった。捜索の途中で、何かを見てしまわれたのかもしれない。何かを知ってしまわれたのかもしれない」
ジェナさんは、目を伏せた。
「ある日、ガルディウス様は騎士団長を退かれたの」
「退いた?」
「ええ。突然辞表を出されてね。お屋敷に引き篭もるようになって。それから、もう二十年近く、表舞台には出ていらっしゃらないわ」
ジェナさんは、深く息を吐いた。
「あたしの息子も、その後、騎士団を辞めたの。ガルディウス様がいない騎士団は、もう自分の知る騎士団じゃない、って」
ジェナさんの頬を涙が伝う。
「あの子はそのまま村を出て……今はどこで何をしているのか、わからないの」
シロガネはしばらく黙っていた。
そして、低い声で聞いた。
「ガルディウスの邸宅はどこにあるんだ?」
ジェナさんはシロガネを見た。
「シロガネさんもしかして……あの方に会いに行くの?」
シロガネは慎重に答えた。
「いや、ただ、気になっただけだ」
「そう……」
ジェナさんはしばらくシロガネを見ていた。
「シロガネさん、深入りしないほうがいいわよ。あの方はもう、私たちが知っているガルディウス様じゃないかもしれないから」
「……ああ」
シロガネは頷いた。
「お屋敷の場所は、ね。街の北外れにある白い大きな門の屋敷よ。活躍されていた頃に下賜されたお屋敷で、今はガルディウス様がそこに、お住まいになっているはずよ」
「わかった」
シロガネは立ち上がった。
「茶、ありがとう」
「いいのよ、いつでも来てね」
シロガネは、深く頭を下げた。
そして、ジェナさんの家を後にした。
街を、歩きながら、シロガネは、考えていた。
ガルディウス。家族を失った、元騎士団長。
絶望の末に、悪に堕ちた男。
シロガネは、目を、細めた。
——だから、何だ。
家族を失った絶望は分かるが、それで子供を攫う側に回ったのは訳がわからん。
お前が攫った子供たちにも、家族がいるだろう
——お前と同じ絶望を、味わわせた。その痛みがわからない訳がないだろう。
シロガネの拳が、震えた。
絶対に許さない。同情なんてしない。
——お前は、悪だ。
シロガネは、深く息を吐いた。
そして、北外れに足を向けた。
——今行くぞ。悪を砕きにな。
その頃。街の中央通りで。
リナ、メイファ、エルネは、ギルドに戻っていた。
戦闘後の処理を終えて報告を済ませたところだった。
「ふう、やっと終わったわね!」
リナが、深く息を吐いた。
「お疲れ様でした〜」
メイファがおっとりと言った。
エルネは、何も言わずに、ただ、静かにリナの隣に立っていた。
「リナ様、ちょっとよろしいですか」
サラがカウンターからリナに声をかけた。
「あら、サラ。何?」
「先程、シロガネ様がこちらに来られたのですが」
リナの動きが止まった。
「シロガネが?」
「はい。少し、不思議なことをお聞きになっていたんです」
「不思議なこと?」
「ええ。『ガルディウス・ヴェルナンド』という名前について、何か知っているか、と」
リナの目が、見開かれた。
ガルディウス。その名前はクライスが、最後に口にした名前。
堕天の祭壇の、聖魔人第十席。
リナの背筋に、戦慄が、走った。
「サラ……他に、シロガネは何か言っていた?」
「いえ、私が知らないと答えると、すぐに出ていかれました。他をあたると」
「ありがとう」
リナは、サラに礼を言った。
そして、メイファとエルネを見た。
「あんたたちは宿に戻って」
「リナ様?」
「あたしちょっと、行くところがある」
リナの目には強い決意が滲んでいた。
メイファが心配そうに、リナを見た。
「リナ様〜、お一人で大丈夫ですか〜?」
「大丈夫よ。すぐに戻るわ」
「……リナ」
エルネが、静かに、口を開いた。
「……危険なことはしないで」
「わかってる。じゃあ、行ってくるわね」
リナは片手でメイファとエルネに手を振り、足早にギルドを出た。
リナは街の中を歩きながら物思いに耽る。
――シロガネ。あんたはどこに行ったの。
街の様々な場所を回った。
酒場、商店、孤児院。
シロガネを見かけた人を探した。
そして、東街区でジェナさんの家から出てくるシロガネの姿を、遠くから見つけた。
リナは足を止めた。
——シロガネ。
リナはシロガネの背中を追うことにした。
距離を保ちながら、気づかれないように追跡を続けた。
シロガネは街の北外れに向かっていた。
リナはシロガネを追い続ける。
——どこに行くつもりなの?
シロガネが辿り着いたのは、白い大きな門の屋敷だった。
立派な名家の邸宅。
リナの目が見開かれた。
リナはその邸宅を知っていた。
貴族の娘として、領内の名家の邸宅は把握している。
ここは、ガルディウス・ヴェルナンド様のお屋敷。元騎士団長の、貴族のお屋敷。
シロガネ、なぜ、ここに——
リナは、息を、呑んだ。
シロガネは、邸宅の門の前に、立った。
そして迷うことなく門を押し開け、邸宅の中に堂々と入っていった。
リナの口が、開きっぱなしになった。
——なんで。なんでシロガネが、貴族のお屋敷に堂々と入っていくの? 許可も招待も、おそらくない。
リナの頭の中で、これまでのシロガネの異常な言動が繋がり始めた。
シロガネはジェナさんにガルディウスのことを聞いた。ギルドでもガルディウスのことを聞いていた。
そして、今、ガルディウスの邸宅に、堂々と、入っていく。
リナの心臓が、激しく、鼓動を始めた。
シロガネはなぜ、このタイミングでガルディウスを訪ねたのだろうか。
リナがその名前を聞いたのは、つい数時間前だ。
クライスが、最後に口にした名前。
その時シロガネは現場にはいなかった。
——いや、その場にいたのは……シルバー・フィスト。
リナの目が、見開かれた。
——まさか、シロガネが。
リナは首を振った。
そんなはずはない。シロガネはFランクの新米冒険者だ。
シルバー・フィストは白銀の鎧を纏うヒーロー。
背丈も違うし、別人のはずだ。
——でも。もし……そうだったとしたら。
リナの中で、これまでのシロガネの異常さが、一気に繋がった。
塩漬け依頼を完璧にこなすFランク。
チンピラ三人を、五秒で制圧した達人並みの動き。
街の人々から愛される優しさ。
変な男、と言われても奇妙な信頼感。
そして——
クライスを倒した直後に、今まで名前すら出ていなかったガルディウスを調べ始めた、不可解な行動。
リナの体が、震えた。
——確信は、まだできない。でも。
強い、疑念。
リナは近くの茂みに、身を潜めた。
邸宅の様子が見える位置に。
そして、固唾を呑んで見守った。
——確かめないと。あたしは、確かめないと、いけない。シロガネ……あんたがそこで、何をしようとしているのか。
その頃。
ガルディウス・ヴェルナンドの邸宅。
書斎で暖炉の火を見つめていたガルディウスの元に、扉を叩く音が響いた。
ガルディウスは眉を寄せた。
——クライスからの報告か。いや、しかし、こんな時間に来ることはないはずだ。
その時。
扉が勢いよく開き、執事が慌てて駆け込んできた。
「ガルディウス様! 不審者が——!」
その執事の後ろから、長身の男がゆっくりと入ってきた。
革のジャケット。ありふれた旅装。腰には武器もない。
ガルディウスは、男を、見た。
「貴様……何者だ?」
男は、答えなかった。
ただ、ゆっくりとガルディウスに歩み寄り、低い声で口を開いた。
「ガルディウス・ヴェルナンドだな」
「いかにも」
「俺は、お前を砕きに来た」
ガルディウスの目が、見開かれた。
そして——
笑った。
「ふっ……はっはっは……!」
ガルディウスの肩が震えた。
「貴様……シルバー・フィストか」
シロガネは答えなかった。
ただ、ガルディウスを、まっすぐ見据えた。
ガルディウスの顔の聖痕と呪痕が、暖炉の火に揺らめいた。
「来てくれて嬉しいぞ、シルバー・フィスト」
ガルディウスは、ゆっくりと立ち上がった。
「お前を、待っていた」




