第十六話「ヒーローは遅れてやってくる(意図せず)」
シロガネは孤児院の庭にいた。
ティムとレイ、そして他の子供たちに囲まれて、いつものようにヒーローの話を始めようとしていた。
「シロガネおにいちゃん、今日もヒーローの話して!」
「いいぞ」
シロガネは芝生に座ろうとした。
その瞬間。
胸の奥で、何かが警告を発した。リナにかけた追跡魔法の反応だった。シロガネの顔色が変わった。
リナの危機だ。それも、命の危機。
シロガネは即座に立ち上がった。子供たちが目を丸くした。
「シロガネおにいちゃん、どうしたの?」
「すまん」
シロガネはシスターを見た。シスターは玄関先でシロガネを見ていた。
「火急の用ができた。依頼の途中だが、申し訳ない」
シスターが驚いた顔をした。
「シロガネさん、何が——」
「許してくれ」
シロガネは深く頭を下げた。そしてティムとレイに目線を合わせた。
「ティム、レイ。また、来る。悪いな」
「シロガネおにいちゃん——」
ティムが何かを言いかけた。
だが、シロガネはもう、走り出していた。
孤児院の庭を駆け抜ける。街道を駆け抜ける。街を出る。森に入る。
シロガネは全力で走っていた。
通常の人間の数十倍の速度。森の木々を蹴り飛ばしながら、空気を切り裂いて駆ける。地面が爆ぜた。シロガネの足が地面を蹴る度に、土が舞い上がった。風がシロガネの頬を切り裂いた。
シロガネの目には、ただリナの方角だけが見えていた。
――間に合え。間に合え。リナ。お前を死なせるわけにはいかない!
シロガネは走った。
森を抜けた。廃墟の教会が見えた。地下からの気配。リナたちの気配。そして——絶望的な、魔力の塊。
シロガネは教会に駆け込んだ。地下への階段を駆け降りた。広間が見えた。リナの姿が視認できた。
リナ!!
その瞬間。
クライスの両手から、禍々しい雷光を纏った光球が放たれた。光球がリナたちに向かって、飛んでいく。
シロガネがリナの姿を視認した瞬間。
――あっ、やっべ!! 変身してねぇ!
シロガネは変身していなかった。
「変身ッッッ!!!!」
絶叫が地下の広間を貫いた。光が爆ぜた。
シロガネの体が白銀の鎧に包まれていく。軋む音。鋼鉄の翼が広がる。身長二メートル五十センチを超える、白銀の巨人が瞬時に形成されていく。
そして——
鎧の完成と同時に、シロガネの右拳が光球に向かって突き出された。白銀の拳が、雷光を纏う光球にぶつかった。
ドゴォォォォォォン!!!!
光球が爆ぜた。雷光が霧散した。光と闇がシロガネの拳の前で、全て消滅した。
――――――――
リナたちの目の前に、白銀の鎧を纏った巨人が立っていた。
右拳を突き出したまま。息一つ、乱していない。
リナは息を呑んだ。
シルバー・フィスト……!
シロガネはゆっくりと振り返った。リナを見た。メイファを、エルネを見た。
そして、低い声で言った。
「もう、大丈夫だ」
リナの目に、涙が滲んだ。
シロガネは再び、クライスに向き直った。
クライスの目が見開かれていた。
「な——」
クライスの声が震えていた。
「貴様が……貴様があのふざけた名乗りの男か、シルバー・フィスト……!?」
シロガネはクライスをじっと見た。
騎士団の制服。副騎士団長と聞いている。だが、なぜこいつがここにいる。なぜリナたちに向けて攻撃をした。
シロガネは状況を把握しようとした。周囲の状況を見渡す。動けない騎士団員。動けない冒険者たち。そして、動けないリナたち。一方でクライスの周りには、自由に動いている騎士団員もいる。
シロガネは目を細めた。
――何も状況がわからん。こいつは本当に悪なのか。騎士団内の権力争いの可能性もある。リナたちが誤解されている可能性もある。攻撃を決めるには、確証が必要だ。
シロガネは慎重に口を開いた。
「お前は、誰だ」
クライスは剣を構え直した。
「貴様こそ、何者だ! 何をしにきたシルバー・フィスト!!」
クライスは警戒している。
シロガネは答えなかった。ただ、低い声で繰り返した。
「お前は誰だ。なぜここにいる。なぜ、彼らに、攻撃をした」
「はっ。答えると、思うか」
クライスが鼻で笑った。
「貴様を、ここで、消す!」
クライスは剣を構え、シロガネに突進してきた。
クライスの剣に白い光が宿った。
聖剣技。ガルディウスより分け与えられた、勇者の力。ただし——使うたびに寿命を削る、諸刃の剣だった。
クライスはシロガネの胸めがけて剣を振り下ろした。
シロガネは避けなかった。ただ、左手で剣の腹を軽く受け止めた。
カキィン。
剣がシロガネの手のひらで止まった。クライスの目が見開かれた。
「な——」
シロガネは剣を握ったまま、低く言った。
「お前は、誰だ」
「黙れ……っ!」
クライスは剣を引いた。そして再び、聖剣技を構えた。剣の輝きが増した。
クライスの体から、僅かに生気が漏れていく。寿命を削っている。それでも、クライスは構わなかった。
「これで、どうだ!」
クライスは本気の聖剣技を、シロガネに振るった。剣の白い光が地下の広間を眩く照らした。
シロガネはそれも、左手で軽く受け止めた。
カキィン。
止まった。
「な、なぜだ……! なぜ、我が剣が、通らぬ……!?」
クライスの声が震え始めた。
シロガネは低く言った。
「答えろ。お前は誰だ。なぜ、彼らに、攻撃をしたんだ」
「黙れと、言っている……っ!!」
クライスは剣を引いた。そして後ろに飛んだ。距離を取った。
「ならば、これで——!」
クライスは両手を頭上に上げた。そして、聖魔魔法の詠唱を始めた。
「聖と、魔よ。交わりて——」
シロガネは目を細めた。同じ魔法だ。
人差し指を突き出した。そして、軽く振った。
それだけだった。
クライスの詠唱中の魔力が霧散した。
「な、なんだとっっ……!?」
クライスの目が見開かれた。
「魔力が……消えた……!?」
シロガネは答えなかった。ただ、もう一度、低く言った。
「答えろ」
「く、くそッ!!」
クライスは別の魔法を詠唱し始めた。シロガネはまた、指で軽く弾いた。霧散した。
「な、なぜだ……! なぜ、貴様には、何も通らぬ……!?」
クライスの顔から、血の気が引いていった。
「魔法も、剣も、効かない……! 貴様、何者だ!?」
シロガネは答えなかった。ただ、ゆっくりとクライスに歩み寄った。
クライスは後ずさった。
「く、来るな……っ!」
「答えろ」
「く、来るなぁぁぁぁッ!!」
クライスは必死の形相で、聖剣技をもう一度振るった。剣の輝きが最大に達した。
クライスの体から、生気がさらに漏れ出ていく。寿命を大幅に削った、本気の一撃。
それでも——
シロガネはそれも、受け止めた。
シロガネは淡々と言った。
「いい加減、答えろ」
クライスの体が震え始めた。剣を持つ手が震えている。汗が額から流れている。呼吸が荒い。
「な、なぜだぁ! なぜなんだ!! なぜ、こいつには、何も、通らぬ! 我は、ガルディウス様より、力を授かった者だぞ! 寿命を削ってまで、聖剣技を扱える者だぞ! なのに、なぜ!!」
クライスは半ば、パニック状態になっていた。
シロガネはもう一度、繰り返した。
「お前は、誰だ。なぜ、ここにいる。なぜ、彼らに、攻撃をした」
「だ、黙れ……!」
「答えなければ、続くぞ」
シロガネは淡々と言った。
「俺の質問に、答えろ」
クライスの目が泳いだ。剣が震えている。魔力も、剣も、聖剣技も、全て、シロガネに通用しない。クライスは戦慄していた。
そして——
混乱の極みで、口を開いた。
「わ、私は、副騎士団長、クライス・グラフィスだ!!」
シロガネは頷いた。
「で?」
「黒の影の、頭領だ……!」
シロガネの目が、僅かに細くなった。
「ほう」
「フォ、堕天の祭壇、聖魔人第十席、ガルディウス様の——」
クライスがそこまで言った瞬間。
クライス自身がハッとした。
――な、何を、言っている、私は。我は、組織の情報を、漏らした……!?
クライスの顔が青ざめた。だが、もう、遅い。
シロガネの兜の目が、青く光った。
「よく、言った……ガルディウス……か」
シロガネの声は低かった。
「クライスといったな。お前は、悪だ」
シロガネは拳を握った。
「お前を、砕く」
クライスの目が見開かれた。
「ま、待て——!!」
シロガネは待たなかった。一歩で間合いを詰めた。
そして——
右拳をクライスの胸に叩き込んだ。
ドゴォォォォォォォォン!!!!
クライスの体が爆ぜた。血しぶきが地下の広間に、霧のように散った。聖剣が地面に落ちた。剣の輝きが消えていく。
副騎士団長にして、黒の影の頭領。
クライス・グラフィスは——
完全に、消滅した。
地下の広間に、静寂が訪れた。
シロガネは深く息を吐いた。そして、振り返った。魔法陣がまだ光っていた。
シロガネは魔法陣を軽く足で踏みにじった。ぴしりと罅が入り、魔法陣が砕けた。
リナたちの体に、自由が戻った。
「あ——」
「動ける……!」
「魔力も……戻った……」
正規の騎士団員と冒険者たちが口々に呟く。
裏切り者の騎士団員たちは、シロガネの一撃で戦闘が始まった瞬間に、その威力に震え上がって、全員武器を捨てていた。戦意を完全に失っている。抵抗の意志は、もはや、なかった。
シロガネは彼らを一瞥した。そして、低い声で言った。
「お前たちは騎士団に引き渡される」
「ひっ——」
「観念しろ」
裏切り者たちが震えながら頷いた。
シロガネはゆっくりと踵を返した。地下の広間を出ようとした。
その時。
「ま、待って……!」
リナの声が聞こえ、シロガネの足が止まった。
ゆっくりと振り返る。
リナが立ち上がっていた。涙を流しながらも、シロガネをまっすぐ見ていた。
シロガネはそんなリナを見ながら、低い声で言った。
「もう、大丈夫だ」
「悪は、砕いた」
シロガネは踵を返した。そして、地下の広間を後にした。




