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第十五話「絶望」


 合同討伐の当日の朝。

 リナはいつもより早く起きていた。宿の窓から朝焼けを見つめる。街はまだ静かだった。


「リナ様、もう起きていらっしゃるんですか〜?」


 メイファがおっとりと声をかけた。


「ええ」


 リナは振り返った。


「眠れなかった」

「緊張、ですか〜?」

「……そうね」


 リナはふっと笑った。


「でも、大丈夫よ。あたしたちは情報提供者として同行を依頼されただけよ。基本的には後方支援なんだから」

「そうですね〜」


 メイファはおっとりと頷いた。

 エルネは既に身支度を終えていた。


「……リナ。準備は」

「もうできてるわ。心の準備もね」


 リナは力強く頷いた。


「行きましょう!」


 王国騎士団の前線基地。


 リナたちが到着した時、既に騎士団員と冒険者たちが集まっていた。正規の騎士団員、二十名。冒険者、十名。総勢三十名以上の戦力だった。

 クライス・グラフィスが皆の前に立っていた。身長は高く、騎士の鎧を身に纏っている。整った顔つき。威厳に満ちた立ち振る舞い。


 クライスがリナたちに気づいて、軽く頭を下げた。


「リナ様、ご協力感謝致します」

「いえ、こちらこそ。この作戦への参加という栄誉を頂けて光栄ですわ」


 リナは丁寧に礼を返した。

 クライスはリナの隣に歩み寄った。


「……あなた方が集めてくれた情報がなければ、この作戦は成立しなかった。本拠地の場所、組織の人員配置、輸送経路。全て、あなた方の働きの賜物だ」


 リナたちが何日もかけて色々な冒険者や街の人へ声をかけて捜査し、やっと得た情報。危険な場面はいくつかあった。だが、こうして無事に騎士団へ情報を提供する事ができたのは、リナたちの能力が高かったからだ。いまやリナたちの冒険者ランクはC。中堅冒険者だ。


 赤狼団と戦った頃よりも、リナたちは成長していた。


「本当に、ありがとうございます」


 クライスがその働きに対して礼を言い、頭を下げた。

 リナは少し驚いた。

 副騎士団長クラスの方が、こうして頭を下げてくださるなんて。立派な方ね。


 リナは内心で頷いた。


「いえ、当然のことです」


 リナは答えた。


「あたしたちにできることなら、何でも協力します」

「ぜひ今日の作戦でもその能力を活かして頂きたい」


 クライスはもう一度軽く頭を下げた後、全員の前に向き直った。


「諸君。本日は、黒のシャドウフォール討伐の最終作戦を実行する」


 クライスの声は低く、威厳に満ちていた。


「目標は奴らの本拠地。地下に深く隠された、隠れ家だ」


 クライスの背後には地図が広げられていた。


「今回、現騎士団長は別件の遠征で不在のため、副騎士団長の私が指揮を執る」


 正規の騎士団員たちが頷いた。


「突入は二班に分かれる。第一班は私が指揮を執る。第二班は副官に任せる」


 クライスは続けた。


「そして——」


 クライスの目が鋭くなった。


「諸君に、一つ厳命する」


 全員がクライスを見た。


「黒の影の構成員と遭遇した場合、殺すな」


 冒険者の一人が目を見開いた。


「殺すな、ですか?」

「そうだ」


 クライスは頷いた。


「奴らの組織の規模は大きい。奴らに攫われ、行方不明のままの大人や子供もまだいる。奴隷として売られているのなら、違法な奴隷商人もいるはずだ。その情報を得るためにも、殺すのではなく、捕縛するのが基本方針だ」


 正規の騎士団員たちが深く頷いた。冒険者やリナたちも、頷いた。

 クライスが剣を抜いた。


「行くぞ、諸君」

「おうッ!!」


 騎士団員と冒険者たちが雄叫びを上げた。そして、出発した。



 街道を進む。

 リナ、メイファ、エルネは隊列の後方に位置していた。情報提供者として、前線での戦闘には基本参加しない。

 リナは隊列を観察していた。正規の騎士団員たちは規律正しく、整然と進んでいる。冒険者たちもそれぞれが警戒しながら、隊列を組んでいる。クライスが隊列の先頭で、的確に指示を出している。


 騎士団員だけでなく、今日組むのが初めてのはずの冒険者たちまで統率されている。これなら組織を壊滅できる。

 リナは内心で頷いた。


 その時。


「魔獣、接近」


 斥候の冒険者が伝令魔法でその場にいる全員に通達する。街道の脇の森から、ゴブリンの群れが飛び出してきた。数は十匹ほど。


「迎撃!」


 クライスが即座に指示を出した。

 騎士団員と冒険者が連携して動いた。剣士がゴブリンを薙ぎ払う。魔法使いが後方から魔法を撃つ。弓兵が一発で急所を撃ち抜く。


 数分でゴブリンの群れは全滅した。ゴブリンレベルの魔獣なら、楽に勝てた。


「進軍を再開する」


 クライスが指示した。隊列が再び動き出した。




 街道をしばらく進んだ頃。


「停止!」


 斥候が伝令魔法で伝える。


「黒の影の構成員、確認」


 全員の動きが止まった。街道の少し先に、武装した男たちが十名ほど立っていた。フードを被り、腰に剣を差している。


 クライスが目を細めた。


「奴らだ。我々を待ち構えていたか……調査時よりも人数が増えているな」


 冒険者の一人が剣を抜いた。


「いきましょう!」

「待て」


 クライスが止めた。


「忘れるな。殺すな。生きたまま捕える」

「はっ!」


 騎士団員と冒険者たちが頷いた。そして、リナの方を振り返った。


「リナ様。前線にてご助力、お願いできるだろうか」


 クライスがリナに声をかけた。

 リナは目を見開いた。話が違う。後方支援だけのはずだ。


「あたし、ですか?」


「ええ。あなた方はCランクとはいえ、もはやBランクに匹敵するとギルドより聞いております。以前、功を焦って山賊に挑んだことも確かに聞いておりますが……この最近での活躍を聞く限り、実戦経験は十分に足りているでしょう」


 副騎士団長にそこまで言われて、リナの手が震える。

 震える……が、これは恐怖からではない。しっかりと、副騎士団長はリナ達を知っていてくれたのだ。かつての汚名を注ぎ、実績を残すためにも、ここで戦いに参加すべきだとリナは思った。


「……分かりました」


 リナは剣を握る手に力を込めながら、頷いた。剣を抜いた。


「メイファ、エルネ。やるわよ」

「はい〜」

「……了解」


 メイファとエルネも武器を構えた。



 戦闘が始まった。

 黒の影の構成員たちは思ったより弱かった。リナは剣を構えて最初の一人に飛び込んだ。


「はぁああ!!」

「この騎士団どもが!! 俺らに勝てると思うな!!」


 男が剣を振り下ろしてきた。リナは軽く受け流した。そして剣の柄頭で男の鳩尾を打った。


「ぐぁっ!!」


 男が倒れた。

 リナは内心で頷いた。

 勝てる。


 メイファが後方から癒しの魔法を、味方にかけている。エルネが男たちの足元に魔法陣を展開した。魔法陣が淡く光った。男たちの足が一瞬、もつれた。その隙に騎士団員と冒険者たちが、男たちを次々と捕縛していった。


 戦闘は十分ほどで終わった。黒の影の構成員、十名全員が生きたまま捕縛された。

 リナは剣を鞘に収めた。


「お疲れ様」


 クライスがリナに歩み寄った。


「素晴らしい剣技だった」

「ありがとうございます」


 リナは礼を返した。

 下っ端、と言ったところね。本拠地にはもっと強い奴らが、いるはず。


 リナは警戒を緩めなかった。

 クライスが捕縛された男たちを一瞥した。そして副官に指示を出した。


「こいつらは、後方の部隊で監視させろ。我々は本拠地に向かう」

「はっ」


 副官が頷いた。そして、隊列が再び動き出した。


しばらく進んだ頃。


 廃墟となった教会が見えてきた。

 クライスが足を止めた。


「ここが、奴らの本拠地だ」


 リナは教会を見上げた。外見はただの廃墟だった。だが中には、組織の本拠地が隠されている。


「全員、警戒を最大に」


 クライスが低く言った。


「突入する」


 廃墟の教会の地下。

 リナたちは後方から続いていた。地下への階段を、ゆっくりと降りる。通路は薄暗かった。松明の灯りが石壁を照らす。


「敵の気配は」


 冒険者の一人が警戒しながら言った。


「ない。だが、油断するな」


 クライスが低く答えた。

 リナはメイファとエルネと共に、騎士団員たちの後ろを歩いていた。

 メイファがおっとりとリナに耳打ちした。


「なんだか〜、空気が、重いですね〜」

「そうね」


 リナも同じことを感じていた。地下に降りるにつれて、空気が重くなっていく。魔力の濃度が変わっている。

 エルネが静かに口を開いた。


「……リナ。気をつけて」

「うん」

「……何か、違和感がある」


 エルネの声は、いつもより低かった。

 リナはエルネを見た。


「違和感?」

「……うまく言えない。でも、何かがおかしい」


 エルネは首を振った。


「……気のせいかもしれないけれど」


 リナは頷いた。


「分かった。気をつけるわ」


 通路を進む。広間が見えてきた。

 クライスが足を止めた。


「全員、広間に集合しろ」


 騎士団員と冒険者たちが広間に集まった。リナたちも広間に入った。

 広間は思ったより広かった。天井は高く、石造りの柱が並んでいる。


 そして全員が広間に入った瞬間——


 足元に巨大な魔法陣が出現した。


 リナの目が見開かれた。


 魔法陣。これは——

 エルネが即座に判断した。


「リナ、後ろへ——!」


 だが、遅かった。

 魔法陣が淡く光った。


 そして——

 リナの体が、動かなくなった。


「な——」


 リナの口から声が漏れた。

 体が動かない。手も、足も、指一本も。ただ、目だけは動かせる。


「動か、ない……っ!」

「これは、何だ!?」

「魔法、だ! 誰か、解除を!」


 騎士団員と冒険者たちが口々に叫んだ。全員が、動けなくなっていた。メイファも、エルネも、動けない。


「お、お嬢様……っ!」


 メイファの声が震えていた。

 エルネが必死で魔力を集中させようとした。だが、何も起きなかった。


「魔力を、練れない……!?」


 エルネの目が見開かれた。

 これは、何? わたしの知る、どんな魔法とも違う。

 エルネはそれ以上、考えられなかった。ただ魔法陣の特殊さに、戦慄していた。


 リナは必死で体を動かそうとした。だが、動かない。指一本、動かない。

 どうして。どうして、こんなことに。

 リナは混乱していた。


 その時。


「ふっ」


 声が聞こえた。


 クライスの、声だった。


 リナは視線だけを動かした。

 クライスが立っていた。笑っていた。


 そして——

 クライスの周りには、後方にいたはずの十名ほどの騎士団員たちが、自由に動いていた。


「な——」

「クライス副騎士団長、まさか——!?」


 正規の騎士団員が必死で叫んだ。

 クライスは笑みを深めた。


「申し訳ない、諸君」


 クライスは低く言った。


「諸君らは、ここで、消えてもらう」


 リナの目が見開かれた。

 な——なぜ。どうして。


 リナの頭の中が、真っ白になった。


「裏切りか……!クソっ!!」


 正規の騎士団員が絶叫した。


「裏切り、ではない」


 クライスは静かに答えた。


「私は、最初から、こちら側だ」


 クライスは剣を抜いた。剣が不気味な輝きを放っていた。


「私こそが、この組織——黒のシャドウフォールの頭領だ」


 リナの体に戦慄が走った。


 ――黒の影の、頭領……!? 王国騎士団の副団長が、誘拐組織のトップ……!? そんなことが、ありえるの!?


 リナの理解が追いつかなかった。

 クライスは笑みを深めた。


「諸君に、感謝する。よくぞ、ここまで来てくれた」

「これで、邪魔者は、全て一掃できる」

「さて——」


 クライスは両手を上げた。


「ここで、全員、消えてもらう」



 クライスは両手をゆっくりと頭上に掲げた。そして、詠唱を始めた。


「聖なる光と、魔なる闇よ」


 クライスの体から、白い光と黒い闇が同時に立ち上った。

 リナの目が見開かれた。

 光と、闇。同時に操っている。そんなこと、できるはず——


「交わりて、完全なる滅びを齎せ」


 両方の力がクライスの頭上で融合し始めた。光と闇がぶつかり合いながら、混ざっていく。


 そして——

 禍々しい雷光を纏った光球が、生まれた。


 クライスの頭上で、雷光がばちばちと爆ぜていた。光球の表面には、白と黒の模様が渦巻いていた。

 リナの背筋が凍った。


 あれが来たら。あれが放たれたら。全員、終わる。


 リナは確信した。

 あの光球は、ただの魔法ではない。あれは、全てを消し去る、滅びの力だ。



 リナは必死で体を動かそうとした。動かない。


 逃げようと思った。逃げられない。


 メイファ、と隣を見た。メイファは震えていた。目から涙が流れていた。

 エルネ、と反対側を見た。エルネは奥歯を噛みしめていた。その目に、絶望が滲んでいた。


 正規の騎士団員たちも、冒険者たちも、全員、動けない。全員が、死を待っていた。


 リナの目に涙が滲んだ。


 あたし、ここで、死ぬの。こんなところで。何もできずに。シルバー・フィスト様にも、お礼を言えずに。


 リナの心の中で、廃村での記憶が蘇った。


 シルバー・フィストの、白銀の鎧。鋼鉄の翼。リナの腕に伸ばされた、信じられないほど優しい指先。

「無事か」

 低い、腹に響く声。

「悪を砕いた。それだけだ」

 そう言って、シルバー・フィストは去っていった。


 リナはお礼を言えなかった。声が出なかった。ただその背中を、見送ることしかできなかった。

 いつか、もう一度、お会いしたい。お礼を言いたい。『ありがとうございました』と、伝えたい。


 リナはずっと、そう思っていた。


 だが——

 もう、二度と、会えない。ここで、死ぬから。


 リナの目から、涙が零れた。



 ――シロガネ。


 リナの心の中で、なぜかもう一人の名前が浮かんだ。


 シロガネの長身。革のジャケット。塩漬け依頼を黙々とこなす、変な男。ジェナさんに茶を出されて、長い話を聞いて、孤児院の子供たちにヒーローの話をする、優しい男。


「あたしのこと、心配してくれる?」


 そう聞いたリナに、


「ああ」


 と、低い声で答えてくれた、男。


 ――シロガネ。もう、会えないわね。ごめんなさい。あたし、ここで、死ぬから。


 リナの目から、涙が止まらなかった。


「リナ様……」


 メイファの声が震えていた。


「あたし、こわいです……」

「メイファ……」


 リナはメイファに何か言いたかった。だが、何も言えなかった。ただ、目だけでメイファを見た。

 エルネはリナを見ていた。エルネの口が、僅かに動いた。


「……リナ。最後まで、お側に」


 エルネの声は震えていた。

 リナはエルネを見た。そして、深く息を吐いた。


 ――みんな、ありがとう。あたし、幸せだった。廃村で死んでも、ここで死んでも、もう、覚悟はできている。だが、最期に——シルバー・フィスト様に、お礼が言いたかった。あの心優しい冒険者……シロガネにも、もう一度、会いたかった。


 リナは目を、開けたまま、覚悟を決めた。


 クライスがゆっくりと両手を前に出した。光球が、クライスの両手の前に移動した。

 そして——


「滅びろ」


 光球がリナたちに向かって放たれた。雷光がばちばちと爆ぜながら、空気を切り裂いて、飛んでくる。

リナは目を閉じなかった。最後まで見届けるつもりだった。


 光球が近づいてくる。近づいてくる。近づいて——


 その時。



 風が、吹いた。


 地下の広間に、ありえない、強い風が吹き抜けた。

 リナの視界の端に、何かが映った。


 何か。巨大な、影。


 リナの目が見開かれた。




 そして——


 絶叫が、地下を貫いた。


「変身ッッッ!!!!」


 爆ぜた。


 光が!!!!



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