19-5 黄海の果て
北にある黄海……。
いったい、何が起きているのでしょうか?
踏まれて目が覚めた。
一匹じゃない。
何匹もだ。
何かが腹の上を走り、胸へ行く。
胸から肩へ、また走る。
目を開けた。
毛むくじゃらの尻尾が、ちょうど鼻を払った。
「はくしゅん!」
パフの子たちはびっくりして、ばらばらに逃げる。
パフだけは、そばにしゃがんでいた。
あたしを見る。
あたしも見る。
「何だ?」
パフは、あたしの袋を見た。
わかった。
「腹減ったのか?」
尻尾が一度揺れる。
ほかの四匹も、どこから出てきたのかと思うくらい急に現れた。
一緒にあたしを見る。
……
あたしは寝返りを打って、起き上がった。
昨夜、火で乾かした毛はまだ少し乱れている。
焚き火には、赤い光が少しだけ残っていた。
ほかの皆は、もう起きている。
ザカは荷をまとめていた。
ヴァンスは、すでに弓を背負っている。
アーロンは、いつの間にか馬を連れて戻っていた。
エイリンは水珠のそばにしゃがみ、中のあの方と話しているみたいだった。
干し果実の袋を開ける。
手を底まで入れた。
しばらく探る。
出てきたのは、三つだけ。
パフがあたしを見る。
四匹の子も見る。
三つ。
五匹。
……
あたしは黙って袋を閉じた。
「あとで食べよう」
五つの目は、動かない。
「本当に、もうない」
やっぱり動かない。
横を向く。
ちょうどザカが通りかかった。
彼は止まった。
「俺じゃない」
あたしは見る。
「まだ聞いてない」
ザカは一度うなずいた。
「ああ」
それから行った。
……
もっと怪しい。
「昨日のあれ、結局何だったの?」
横からエイリンの声がした。
ようやく水珠を放って、アーロンを見ている。
「コラ」
アーロンは、最後の袋を荷車へ放り込んだ。
「出るぞ」
「ああ」
あたしは急いで、パフたちを籠ごと抱き上げる。
「お前ら、待ってろ」
子リスたちは、まるで納得していない。
籠の中で、ずっと鳴いていた。
あたしは馬車へ上がり、荷を脇へ寄せた。
自分も、そのままうつ伏せになる。
車板は硬い。
でも、まだ寝たかった。
馬車が動き始める。
車輪が、昨夜の湿りを少し残した泥を踏む。
からん。
からん。
規則正しい音。
眠るのにちょうどいい。
「ザイ何とかって?」
エイリンが、また聞いた。
目を閉じている。
もう寝かけていた。
「ザイディエク」
前でアーロンが馬車を走らせている。
「北の」
「曦原黄海」
「あいつらは、そこから来る」
聞くつもりはなかった。
でもエイリンが聞いた。
「ずっと、そこにいたの?」
アーロンは少し黙る。
「少なくとも、昔は」
「地上にはいなかった」
耳が動いた。
眠気が少し引く。
馬車は林の間の道を進んでいる。
昨夜の草原は、もう後ろだ。
右には、まだ大きな森がある。
でも左は、だんだん開けていった。
遠くには、薄い黄色の地面さえ見える。
枯れ草なのか。
もっと遠くから風で飛んできた砂なのか。
「昔、そこには町があった」
アーロンが言う。
「サヴィル」
エイリンが少し身を起こした。
「大きいの?」
「五千人以上いた」
彼女は少し止まる。
その数と「大きい」が、どうも合わないらしい。
アーロンは、何を考えたかわかったみたいだった。
「少ないと思うな」
「黄海の中の町だ」
あたしは目を開けた。
今度は、完全に起きる。
曦原黄海。
昔、地図でしか見たことがない。
北の、大きな黄色い一帯。
大陸の真ん中を、ずいぶん広く取っている場所だ。
アーロンは言った。
あそこでは、水は金より大事だ。
住める場所は少ない。
サヴィルは、その中でも一番大きなオアシスのそばに建っていた。
北へ。
南へ。
東へ。
西へ。
たくさんの商道が通っている。
「じゃあ、宿場?」
あたしは聞いた。
「大きな宿場だ」
アーロンは言う。
「そのまま都市になった」
商人はそこで馬を替える。
水を足す。
荷を替える。
人を雇う。
次の隊商を待つ。
そのまま残った者もいた。
一代。
二代。
ゆっくり、人は五千を越えた。
あたしは車板にうつ伏せのまま、脇へ流れていく木を見る。
数日前の、空っぽになった宿場を思い出した。
五千人。
あそこへ全部押し込めたら。
どの家も、人でいっぱいになるだろう。
「それで?」
エイリンが聞いた。
アーロンは少し止まる。
「道が増えた」
「町も大きくなった」
そのあと。
物が消え始めた。
最初は家畜。
数頭。
十数頭。
誰も、あまり気にしなかった。
砂漠には、もともと獣がいる。
隊商が駱獣を失くすことも、たまにはある。
その次は人だった。
一人でいる者。
町から離れた採集人。
夜に水路を見回る者。
町の外へ一度出ただけで、戻らなかった者さえいた。
サヴィルは、人を出して探し始めた。
最初は何も見つからない。
ある日まで。
誰かが地下から這い戻ってくるまでは。
そこまで聞くと、エイリンがすぐ聞いた。
「地下?」
アーロンは靴の先で、車板を軽く叩く。
「下だ」
あたしも見る。
もちろん、何も見えない。
あるのは木の板だけだ。
でも昨日の、丸い大きな口が。
急に頭の中へ浮かんだ。
「あいつらを掘り当てたのか?」
あたしは聞いた。
「わからない」
アーロンはすぐ答える。
「地下水路を直していたって話もある」
「商道の土台が崩れたって話もある」
「ほかには」
「サヴィルの下は、もともと空洞だったって話も」
どれが本当なのか、誰にもわからない。
生きて逃げ出した者も。
ある日を境に、あいつらが現れたことしか知らない。
「最初は数匹だけだった」
アーロンが言う。
「まだ殺せた」
ザカはずっと脇で長槍を確かめていた。
ここで少し目を上げる。
昨日の一匹。
彼が槍を叩き込んでも、背甲に傷が少し残っただけだった。
数匹。
もう、それで少ないとは思えない。
「それから?」
エイリンがまた聞く。
「増えた」
アーロンは言った。
それだけだ。
理由もない。
サヴィルは広がる。
ザイディエクも増える。
数匹。
十数匹。
何十匹。
やがて、数える者もいなくなった。
都市は町の外への道を閉じ始める。
隊商は迂回した。
水路は壊される。
家畜も外へ出せない。
そのうち。
城壁の内側にまで出るようになった。
「掘るのか?」
ザカが聞いた。
「掘る」
ザカは足元を見た。
それから、長槍を少しそばへ引き寄せる。
あたしも急に、車板の下が安全じゃない気がした。
ここはまだ、曦原黄海からずっと遠いのに。
「最後は?」
エイリンが聞く。
アーロンは前の道を見ていた。
「最後には、サヴィルがなくなった」
短い一言だった。
五千人。
大きな町。
一言で、なくなった。
馬車は進み続ける。
誰も、すぐには口を開かなかった。
昨日、あたしは一匹殺したばかりだ。
アーロンが教えてくれなければ。
あの一撃で食われていた。
ああいうのが。
あのころは、町じゅうにいた。
「ザイディエクは、最初からいなかったんじゃ……」
エイリンが小さく言った。
「違う」
アーロンが直す。
「ただ、俺たちが知らなかっただけだ」
「何百年も」
「何千年も」
「誰にもわからない」
エイリンは地面を見た。
今度は、もう聞かなかった。
しばらくしてから。
あたしは昨日のことを思い出す。
一匹だけだった。
「どうして、あいつは黄海から出てきた?」
小さな声だった。
でもザカには聞こえた。
「増えすぎたか」
彼は長槍を膝へ乗せた。
「逃げてるか」
エイリンが振り返る。
「逃げてる?」
ザカはアーロンを見た。
「群れで暮らすって言った」
「ああ」
「なら、一匹であんな遠くまで来るのは」
「変だ」
あたしもそう思う。
昨日あいつが現れたとき、近くには何もいなかった。
仲間もいない。
ほかの怪物もいない。
あいつ一匹だけだ。
アーロンは答えなかった。
でもエイリンは、もう考え始めている。
「あんなのも、逃げるんだ……」
眉を寄せた。
「何から?」
アーロンは首を振る。
「わからない」
風が吹く。
前の林は、少しずつまばらになっていた。
木々の間から、大きな日差しが落ちる。
この辺りの道も、ずいぶん乾いてきた。
昨夜の雨は、ここまでは追ってこなかったらしい。
「この数年、変わるのが早すぎる」
アーロンが急に言った。
あたしは彼を見る。
それ以上、説明しない。
ただ前の道を見ている。
あたしも聞かなかった。
本当は、別のことを思っていた。
去年。
一昨年。
あたしたちは、あんなにたくさんの場所を歩いた。
どうして何も見なかった?
それとも、もう見ていた?
ただ、そのときはわからなかっただけ?
鹿。
熊。
南へ行く人たち。
雲の中の餘燼竜。
今はザイディエクまで来ている。
何と何がつながっているのか。
誰にもわからない。
アーロンが急に、深く息を吐いた。
エイリンが顔を上げる。
「どうしたの?」
「面倒なことを思い出した」
「何を?」
「昔、行った」
あたしには、意味がわからなかった。
「どこへ?」
「曦原黄海」
今度はザカまで手を止めた。
アーロンは、たいしたことでもないみたいに馬車を走らせている。
「二十年ちょっと前」
「あいつらを片づけようと思った」
……
あたしはゆっくり身を起こす。
エイリンも彼を見た。
反対側にもたれていたヴァンスまで、このときは目を開ける。
ザカが一番まっすぐに聞いた。
「何人で?」
「俺一人」
誰も言わなかった。
あるのは車輪だけ。
からん。
からん。
一人?
あたしはザカを見た。
昨日は五人で、一匹。
それでもザカは、棘に刺さって肉串になるところだった。
「一人で行ったのか?」
どうしても、もう一度聞く。
「ああ」
「どうして?」
「あのときは」
アーロンは少し考えた。
「できると思った」
……
聞き覚えのありすぎる答えだ。
彼がそう言うとき。
そのあとが簡単だったためしはない。
ヴァンスが聞いた。
「何匹殺した?」
アーロンは少し黙る。
本当に数えようとしているみたいだった。
最後には、諦める。
「わからない」
「何百」
「何千」
「そのくらいだろう」
聞き間違いかと思った。
エイリンも、何もない顔をしている。
ザカのほうが、先に受け入れた。
「どれくらい?」
「数年」
また静かになる。
数日じゃない。
数か月でもない。
数年。
昨日の草原が、頭に浮かんだ。
毎日。
ああいうのが突っ込んでくる。
一匹。
二匹。
十匹。
殺し続ける。
歩き続ける。
次の日も、また来る。
もう考えたくなかった。
ザカは槍の先を見る。
それからアーロンを見る。
「一人で何千匹も殺したのか?」
今度は彼の声にも、少し疑いがあった。
アーロンは肩をすくめるだけだ。
「俺は死なない」
少し止まる。
「あいつらは死ぬ」
……
あまりに簡単だ。
簡単すぎて、誰も何を言えばいいかわからなかった。
ザカは下を向き、また長槍を見始める。
エイリンは、しばらく静かにしていた。
それから小さな声で聞く。
「どうして手伝いを探さなかったの?」
アーロンは、すぐには答えなかった。
風が、彼の後ろ髪を持ち上げる。
しばらくしてから言った。
「二人目の俺はいない」
誰も言い返さなかった。
どう言い返せばいいのか、あたしにもわからない。
昨日の一匹なら。
あたしは速さに賭けて、一度だけやれた。
十匹なら?
百匹なら?
あたしの命は一つしかない。
アーロンにはない。
そこが違う。
「最後は?」
あたしは聞いた。
「終わりはない」
アーロンが言う。
サヴィルは戻らなかった。
砂漠にも、また人が住むようにはならなかった。
彼は数年、殺し続けた。
ザイディエクは、たしかに減った。
少なくとも長い間は。
商道はまた黄海の縁まで近づいた。
でも、かつてのサヴィルへ入ろうとする者はいなかった。
あのオアシス。
あの道。
あの家。
砂に少しずつ埋まっていった。
「だから、俺は去った」
アーロンが言った。
やりきれなかったことを、一つ終えただけみたいに。
今。
あいつらはまた出てきている。
アーロンは、小さな声でつけ足した。
「面倒だ」
あたしは彼の背を見る。
これほどのことが。
彼にとっては、面倒なだけなのか?
わからない。
ほかに、どう言えばいいのか彼自身もわからないのかもしれない。
馬車の中は、また静かになった。
誰もがわかっている。
あのザイディエクが本当に、また外へ出始めたのなら。
アーロンは、きっと戻る。
二十年ちょっと前と同じように。
でも昨日の口。
あの目の列。
突然起き上がった棘。
まだ全部、頭に残っている。
しばらく、あたしは「一緒に行く」と言えなかった。
ほかの皆も、たぶん同じだった。
アーロンが、一度振り返った。
わかったのだと思う。
「考えすぎるな」
彼が言った。
誰も返さない。
アーロンは、また前を見る。
「お前らが生きている」
「それだけで、俺の助けになってる」
するとザカが、急に笑った。
「は」
あたしは彼を見る。
彼は槍の穂先の留め革を外していた。
「俺は、何に替えるか考えてただけだ」
「これじゃ、貫けない」
そのことだったのか。
ザカは槍の穂先を抜く。
昨日のぶつかった場所には、本当に小さな欠けができていた。
エイリンも覗き込む。
「火は苦手?」
アーロンは少し考えた。
「長く燃やせば、何でも苦手だ」
エイリンの目が、少し明るくなる。
ヴァンスが手を伸ばし、彼女の額をこつんと叩いた。
「考えるな」
「まだ何も言ってない」
「言わなくていい」
ザカは荷から別の金属片を出し、大きさを比べ始めた。
さっきまでの変な重さが。
いつの間にか、少し薄れていた。
……
その日の午後、ザカはほとんどずっと長槍をいじっていた。
細めだった穂先を外し、少し厚いものに替える。
何度か試しても、満足しない。
最後にはアーロンへ聞いた。
「どれがいい?」
アーロンは一度見た。
「どれもよくない」
ザカは眉を寄せる。
「じゃあ、どうやって戦う?」
「殻を叩くな」
……
ザカは彼を見つめた。
アーロンは、それ以上何も言わない。
しばらくしてから、ザカは自分でうなずいた。
外した穂先を、また戻す。
ヴァンスも矢を整えていた。
あたしはこっそり見た。
穂先が細い矢を何本か選び、ほかとは分けている。
考えているのは、ザカだけじゃないらしい。
エイリンは、本当に火を研究し始めた。
火を放つわけじゃない。
車の後ろに座り、掌の上に小さな火を浮かべた。
大きくする。
小さくする。
また大きくする。
ヴァンスは何度か彼女を見た。
最後まで止めなかった。
馬の尻尾を、もう少しで燃やしかけるまでは。
ヴァンスが、彼女の手をつかんで上へ持ち上げた。
エイリンは驚く。
前の馬も驚く。
アーロンが振り返った。
「歩いて行きたいのか?」
エイリンは、すぐ火を消した。
「違う」
その日から。
彼女は夜に練習するようになった。
……
森の外縁を抜けると、景色は少しずつ変わり始めた。
最初は、あたしも気づかなかった。
ただ木が減る。
空まで隠していた高い梢が、だんだん道の両脇に少しずつ残るだけになる。
間には、草の生えた坂が増えた。
風が吹くと、大きな草地が一斉に同じ方へ倒れる。
さらに西へ行くと、土も変わった。
前なら踏めば湿り気を返してきた黒い土に、細かな黄色い砂が混じり始める。
乾いた場所もある。
車輪が通ると、後ろに小さな土煙が上がった。
北のずっと遠くには、ときどき黄色がかった空が見えた。
ザカは、あれは砂だと言う。
あたしの鼻には届かない。
乾いた土の匂いしかしなかった。
アーロンは言った。
あれはまだ黄海じゃない。
風が、向こうのものを運んできただけだ。
数日進むと、その黄色さえ減った。
道は低い丘を回るようになる。
小川が増えた。
畑も増えた。
鉄港の近くにあったみたいな、広い平地の畑ではない。
一枚一枚が、斜面に沿っている。
間には石を積んだ低い壁。
穀物を育てる者もいる。
葉の広い豆を育てる者もいた。
あたしは長いこと見ていた。
最後には我慢できず、アーロンに少し止まってもらう。
道端に薬草があった。
よくあるものだ。
あたしは馬車を飛び降り、溝のそばへしゃがんだ。
エイリンが車から顔を出す。
「何を見てるの?」
「薬草」
「これ?」
少しがっかりした顔をした。
また繁茂仙境にしかないものでも、見つけたと思ったらしい。
小さな株を一本抜く。
葉は細い。
裏には白い毛がある。
揉むと、よく知っている苦い匂いがした。
血を止めるのに使える。
毛皮の歌の近くにもある。
ただ、ここのは少し背が低い。
「鉄港でも売ってたでしょ?」
エイリンが聞く。
「売ってた」
「じゃあ、どうして採るの?」
あたしは袋へ入れた。
「ただだ」
エイリンは少し黙った。
ずいぶん筋が通っていると思ったらしい。
彼女も馬車から飛び降りる。
「じゃあ、手伝う」
でも一株目から、抜くものを間違えた。
あたしは、また彼女を馬車へ追い返した。
……
その夜、採った草を車板へ広げた。
まだ少し日があるうちに、乾かすつもりだった。
次の朝、しまうのを忘れた。
アーロンが手綱を鳴らす。
馬車が動き出す。
風が一気に入ってきた。
「待て!」
振り返ったときには、布の端がもう一つ浮いている。
上の草葉も、つられて外へ逃げようとした。
あたしは飛びつく。
つかめたのは、布の端だけだった。
矢が横を飛ぶ。
ぱん!
もう片方の端を、車板へまっすぐ縫い止めた。
薬草は、ようやく飛ばなかった。
あたしは息をつく。
下を見る。
矢は、あたしの布を貫いていた。
ヴァンスを見上げる。
彼は弓を戻していた。
「あたしの布を射たのか?」
「薬草は残った」
「でも、あたしの布は……」
「薬草は残った」
……
反論できない気がした。
最後に矢を抜いた。
布には、とてもきれいな穴が一つ増えた。
エイリンは、ずっと隣で笑っていた。
……
あたしたちは、その馬にもだんだん慣れた。
気性は悪くない。
少し怠け者なだけだ。
平らな道では、ゆっくり歩く。
上り坂なら、もっとゆっくり。
道端の草を見つけると、自分から止まる。
最初は、いつもアーロンが御者をした。
そのうちヴァンスも代わるようになる。
ザカは一度試した。
前へ座った瞬間、馬車の前が少し沈んだ。
馬が振り返って、彼を一度見た。
ザカも馬を見る。
最後には、自分で降りた。
「駄目だ」
馬のことを言ったのか。
馬車のことを言ったのか。
誰にもわからない。
エイリンも、もちろんやりたがった。
口を開きかけた。
「あたしが……」
「駄目だ」
四つの声が。
同時に。
エイリンの顔が、いっぺんにしぼんだ。
「まだ言い終わってない」
アーロンは手綱を少し脇へ寄せた。
「言ってみろ」
「あたし、御者をやってみた……」
「駄目だ」
……
まるで同じだった。
そのあと彼女は、本当に何日も聞かなかった。
……
パフたちは、その馬が大好きだった。
特に子の一匹は、いつからか毎日、馬車を止めるたび馬のそばへこっそり行く。
最初は車輪の後ろに隠れるだけだった。
そのうち、もっと近くまで行く。
最後には、干し草の上へそのまま登った。
馬は気にしない。
ある日、ザカがそばで肉を食べていた。
馬は、ずっと彼のほうを見ている。
ザカも長いこと、馬を見ていた。
最後に肉を少し裂き、差し出す。
あたしはちょうど見ていた。
「そいつは馬だ」
ザカは止まった。
手の肉を見る。
馬を見る。
肉を引っ込めた。
代わりに、そばの草を取る。
馬は顔を背けた。
食べない。
ザカは少し見ていた。
「腹減ってない」
あたしは口を開いた。
でも最後には、もういいと思った。
……
数日の間、何も起きなかった。
少なくとも、悪いことは。
最初の村は小さかった。
あたしたちは水と飼い葉を足すだけで、入った。
村の人は、まだ穀物を干している。
この壊れた馬車を見た誰かが、東から来たのかと聞いた。
アーロンは、そうだと言う。
その人は、それ以上聞かなかった。
前のどの橋が、最近少し崩れたかを教えてくれただけだ。
回ればいい、と。
次の日。
あたしたちは本当に、その橋を見た。
「少し」どころではなく崩れていた。
馬車は、もう少しで渡れないところだった。
最後には皆、降りた。
ザカが片方の車輪を、そのまま持ち上げる。
アーロンが馬を引く。
あたしたちは後ろから押した。
エイリンも、ずいぶん頑張っている。
少なくとも、そう見えた。
ようやく馬車が渡ってから。
あたしは気づいた。
彼女は大半の時間、箱を一つ押さえていただけだった。
「落としたくなかったの」
彼女は言う。
箱の中身は、彼女自身の荷物だった。
……
さらに西へ行くと、景色がまた変わる。
丘は、どんどんはっきりした。
遠くには、長い山の影が見え始める。
まだ薄い。
空の下へ、貼りついたみたいだった。
畑は少しずつ減り、背の低い草がまた道の両脇を埋める。
あたしが知っている低木も、所々にあった。
小さいころ、祖父と薬草を採りに行った。
こういう低木の下で、よく何かを探した。
あたしは車の後ろに座り、ずっと眺めていた。
毛皮の歌は、まだずっと遠い。
でも初めて。
本当に家へ近づいている気がした。
方角だけじゃない。
地面にあるものまで、少し家の近くに似てきた。
……
二つ目の村が見えたのは、夕方だった。
先に見えたのは煙。
一本。
二本。
山のふもとから、ゆっくり昇っていく。
次に屋根が見えた。
大きな村じゃない。
家は小川に沿って、ばらばらに建っている。
川には木の橋があった。
橋のそばでは、誰かが洗濯をしている。
後ろでは子供たちが鶏を追っていた。
黄色い犬が、道の真ん中に寝そべっている。
あたしたちの馬車が通っても、頭を上げる気さえなさそうだった。
野菜を売っている人がいる。
二人の女が、屋台の前で何だかひどく大きな声で言い合っていた。
片方は野菜を二つ、手にしたままだ。
少し聞いてみた。
本当に値段で揉めているだけだった。
なぜだかわからない。
急に、いいと思った。
野菜二つのために喧嘩する力が、まだある。
少なくとも、ここは。
まだ普通に見えた。
アーロンは村を一回りした。
最後に、外の草地へ馬車を止める。
今夜はここだ。
村の中には宿がある。
でも、あたしたちは人数が多い。
馬もいる。
ここで野営したほうが楽だった。
荷を半分も下ろさないうちに、アーロンは立ち上がる。
「少し行ってくる」
ザカは薪を拾っていた。
顔も上げない。
「情報を聞くんだろ」
ヴァンスが言った。
「ついでに補給も」
エイリンは、遠ざかるアーロンを見ている。
「食べに行くのかも」
ザカは止まった。
顔を上げて彼女を見る。
少ししてから、一度うなずいた。
「ありえる」
あたしは二人を見た。
誰が一番、食べ物を気にしているのか。
急にわからなくなる。
……
アーロンが出ていくと。
あたしたちは自然に、それぞれのことを始めた。
ザカは近くへ薪を拾いに行く。
ついでに、どこから取ってきたのか小さな獣を二匹持ち帰った。
ヴァンスは水を汲みに行く。
エイリンは鍋と食べ物を出した。
あたしは残りの野菜と薬草を整える。
誰も分けない。
誰も、誰が何をするか聞かない。
気づいたころには。
火がついていた。
水も火にかかっている。
ザカは肉をさばいていた。
エイリンは、そばで物を切っている。
ひどく遅い。
しばらく見た。
「大きすぎる」
エイリンは下を見る。
「そうかな?」
一つ取った。
彼女の拳の半分くらいある。
「そうだ」
彼女は黙って、もう一度切った。
今度は、同じ大きさが二つになった。
……
もういい。
最後には自分で受け取った。
エイリンは火の番へ追いやる。
少なくとも、そっちは得意だ。
たぶん。
ときどきは、あたしも見ていないといけない。
鍋まで一緒に燃やしそうだから。
……
夕日が少しずつ山の後ろへ落ちていく。
村から、食べ物の匂いが流れてきた。
煮込み。
パン。
煙。
それから、家畜小屋のあまりよくない匂い。
パフの子たちは、鍋の匂いを嗅ぐともう一列に座っていた。
一度見る。
「まだだ」
動かない。
「本当に、まだ」
それでも見ている。
パフまで、そばに座った。
よし。
五匹。
朝と同じだ。
袋に何が残っているか、もう一度見ようとしたとき。
肉が一切れ減っていることに気づいた。
振り返る。
パフが咥えていた。
反対側は、ザカが指二本でつまんでいる。
一人と一匹。
どちらも動かない。
パフが後ろへ引く。
ザカは放さない。
もう一度引く。
それでも放さない。
皆で見ていた。
しばらくして。
ザカが急に手を放した。
パフは二回転がった。
肉は、まだ口にしっかり咥えたままだ。
エイリンは笑いすぎて、手にあった枝を火へ落としかける。
ザカは、別の肉を取った。
何もなかったみたいに。
……
日が落ちきる前。
昼間から聞きたかったことを、とうとう口にした。
「アーロンは大丈夫だと思う?」
焚き火の中で、木がぱんと割れた。
何のことか、誰も聞かない。
皆わかっている。
ザカは、まだ食べている。
エイリンは枝で火をつついていた。
ヴァンスは反対側に座っている。
最初に答えたのは。
意外にも彼だった。
「本人が話した」
「俺たちが聞く」
あたしはヴァンスを見上げた。
彼は視線に気づいた。
「何だ?」
「別に」
少し意外だっただけだ。
前のヴァンスなら、アーロンが話したがるかなんて、気にしなかったと思う。
エイリンが横から身を乗り出す。
あたしへ、片目をつぶった。
「コラ、アーロンのことすごく気にしてる」
「気にしてない」
答えるのが早すぎた。
エイリンは少し笑った。
あたしは睨む。
今度は、それ以上からかわなかった。
ただ枝を火の中へ入れ、ゆっくり何度か混ぜる。
火の粉が飛んだ。
「でも」
「あたしたちにできるのは、これくらいだと思う」
あたしは見る。
「これくらい?」
「生きてること」
普通に言った。
今日の肉がまだ焼けていない、と言うみたいに。
あたしは、すぐには答えられなかった。
ザカが横で鼻を鳴らす。
「お前たちは、俺たちよりできる」
エイリンを見る。
それからヴァンスも一度見た。
二人のエルフ。
何を言っているのか、あたしにもわかる。
エイリンも、もちろんわかっていた。
「そうだね」
下を向く。
枝で焚き火を一周なぞった。
誰も言わない。
数息して。
エイリンが急に手を止めた。
「違う」
ザカが目を上げる。
エイリンは火を見ていた。
「同じだけ」
「どうして?」
あたしは聞いた。
彼女は少し考える。
「あの人は、皆を忘れないから」
……
あたしは固まった。
ザカも、もう食べない。
ヴァンスが少し目を上げる。
火だけが鳴っていた。
アーロンの話した人たちを思い出す。
ティナ。
あの小さなエルフの女の子。
それから、もっとたくさん。
名前すら知らない人たち。
何十年。
百年。
もっと先。
彼が本当に生き続けるなら。
五十年一緒にいても。
五百年一緒にいても。
最後には、同じことになる気がした。
それがいいことなのか。
悪いことなのか。
急に、わからなくなる。
ザカはしばらく黙った。
最後に、肉を一口噛む。
「そうか」
何度か噛んだ。
「なら、お前たちも俺たちだ」
エイリンが顔を上げる。
「最初からそうだよ」
ザカは争わなかった。
それだけで、ずいぶん大きな同意だった。
そのときパフが、ちょうどまた彼のそばへ来た。
手にある肉を見つめている。
ザカが下を見る。
パフが上を見る。
さっきまでの、うまく言えない空気は。
一瞬で消えた。
あたしは、つい笑った。
……
空が完全に暗くなる前に、アーロンは戻ってきた。
手には袋が一つ。
パンが見える。
干し物も少し。
遠くから、あたしたちが火を囲んでいるのを見つけた。
「俺の悪口か?」
エイリンがすぐ言う。
「うん」
あたしは彼女を見る。
アーロンは、まるで気にしていない。
袋を脇へ投げた。
ヴァンスが、まっすぐ聞く。
「聞けたか?」
「ああ」
アーロンは座った。
まず手を出し、しばらく火にあてた。
それから話す。
探している人たちは、たしかに西へ向かった。
その話は、もう少し前のことだ。
最後に見たという者がいたのは、もっと西の山の斜面あたり。
今の速さなら、あと一月くらいかかる。
「一月?」
思わず繰り返す。
もうかなり歩いたと思っていた。
それでも、あと一月ある。
アーロンはあたしを見た。
「遠いか?」
「違う」
家がまた少し遠のいた。
それは言わなかった。
エイリンが、この辺りの様子を聞く。
アーロンは言った。
特に何もない。
村は普通だ。
商道にも人はいる。
家畜が大量に消えたこともない。
近くの狩人も、妙なものは見ていない。
あたしは少し息をついた。
でもアーロンは、少し止まる。
それから一言つけ足した。
「まだ、何もない」
エイリンはすぐ顔をしかめた。
「そんな縁起の悪い言い方、しないで」
アーロンは少し笑う。
「本当のことだ」
あたしは村を見る。
遠くに、まだ灯りがある。
戸口で話している人がいる。
犬がときどき二度吠える。
さっき野菜二つで喧嘩していた人たちも、もう家で飯を食べているころだろう。
たしかに、何もない。
少なくとも、今は。
「ここまで、もうずいぶん遠い」
あたしは言った。
誰も答えなかった。
本当に遠い。
鉄港から遠い。
黄海からも、もう遠くなり始めている。
ザイディエクの出た草原からも。
何日も歩いた。
でも、何かは。
まだ後ろから、ゆっくりついてきている気がした。
本当に追いつくのかは、誰にもわからない。
アーロンが急に手を出す。
「早く食え」
あたしは我に返った。
鍋の中は、もうとっくにできている。
ザカが手を伸ばすより先に。
アーロンが一番大きな肉を取った。
ザカの手が、空中で止まる。
ゆっくり顔を上げた。
アーロンは一口かじる。
まったく彼を見ない。
ザカはまた下を向き、自分の残りの肉を脇へ寄せた。
アーロンから、少し遠くへ。
エイリンは笑いをこらえられない。
あたしも一つ取った。
肉は少し焦げている。
たぶん、エイリンが火の番をしたからだ。
でも食べられる。
アーロンも、自然に食べていた。
あたしたちと同じように。
一番大きなものを取る。
熱すぎると文句を言う。
脇の水を取って、一口飲む。
火の光が、皆の顔を照らしている。
村の音が遠くから届いた。
ひどく普通の音だ。
あたしは急に思った。
今日が、こんなふうならいい。
明日、また進めばいい。
一月後。
次のことを片づける。
もっと北の黄海も。
ここにいるはずのなかったザイディエクも。
今夜は先に置いておく。
アーロンは今、ザカと二つ目の肉を奪い合っている。
少なくともこの瞬間は。
彼も、普通の人に見えた。
アーロンの過去にも、ずいぶん多くの伝説が重なっているようです。
一人で、何百何千もの怪物を相手にしたというのですから。
でも実際のアーロンは、傷一つなく切り抜けるような英雄ではありません。
怪物の腹の中で蘇る場面を、想像できますか?
だいたい、そんな感じです。
特別なコツがあるわけではありません。
ただ、死なないだけです。
……
いつもはしゃいでいるエイリンにも、大人びた一面があります。
そして、アーロンの「皆を忘れない」という言葉……。
何かの伏線なのでしょうか?
どうぞ第六節「大地の目覚め」をお楽しみに。




