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19-1 帰ってきた

皆さん、こんにちは。黑稻相癸です。


お久しぶりです。『孤旅』の連載を再開します。


どうぞ第一節「帰ってきた」をお楽しみください。

繁茂仙境(はんもせんきょう)を離れてから。


餘暉号(よきごう)は、また本当の海へ戻った。


光る森はない。


歩く木もない。


あるのは海だけ。


それから空。


一日目は、そんなだった。


二日目も同じ。


何日経っても。


やっぱり海だった。


最初のころは毎日、水夫を捕まえに行った。


「あとどれくらい?」


最初に聞かれたのはハーン(ハーン)だ。


彼は帆を一度見上げた。


それから海を見る。


「この風なら、二十日ちょっとだな」


あたしはうなずいた。


次の日。


「あとどれくらい?」


ハーン(ハーン)は縄を結んでいた。


「二十日ちょっと」


眉を寄せる。


「昨日も二十日ちょっとだった」


「昨日は風が速かった」


「じゃあ今日は、かえって遠くなったの?」


ハーン(ハーン)の手の縄が止まった。


「そこまで細かく聞く必要あるか?」


三日目。


あたしが近づいたばかりで、ハーン(ハーン)は先に手を上げた。


「遠い」


「まだ聞いてない」


「顔に書いてある」


さらに二日後。


甲板の反対側で薬草を整えていると、今度はハーン(ハーン)の方から叫んだ。


「コラ!」


顔を上げる。


「何?」


「まだ遠い!」


近くの水夫たちは、すぐ笑い崩れた。


あたしは目を落とす。


もう二度と聞かないことにした。


船は、いつか着く。


海の上の日々も、また似たようなものへ戻っていった。


帆を上げる。


帆を下ろす。


当番を替える。


縄を繕う。


甲板を洗う。


風があれば少し速く進む。


なければ海の上で、ゆっくり揺れる。


時々、雨。


時々、漁。


時々、朝から晩まで何も起きない。


前なら、こんな日々は退屈だと思っていた。


今は、けっこういいと思う。


少なくとも、誰かが急にこう叫ばない。


「海が割れた!」


とか。


「あの山が動いてる!」


とか。


エイリン(エイリン)は、そうは思っていないらしかった。


あの海龍王の祝福を受けてから、彼女は前に見落としたものを、一度に全部見ようとしているみたいだった。


今の彼女には、前よりずっと多くのものが見えているらしい。


だから餘暉号(よきごう)は、少し困ることになった。


「ヴァンス(ヴァンス)」


「ん」


「餘暉号(よきごう)の右側にある魔力の流れ、ちょっと曲がってるの、知ってた?」


「知らない」


「あたしなら、たぶん――」


「駄目だ」


「まだ何をするか言ってない」


「だから先に駄目だ」


エイリン(エイリン)が彼を睨んだ。


ヴァンス(ヴァンス)は弓を整え続ける。


まるで動じない。


結局エイリン(エイリン)は、別のものを観察しに走った。


船板。


縄。


銘文。


水夫が持つ小さな魔具。


煮炊き用の鍋にだって、彼女はそばへしゃがんで長いこと見ていられる。


あるときには、クレイゲン(クレイゲン)の船室の外に立っていた。


壁を、ずっと見ている。


ちょうど後ろからクレイゲン(クレイゲン)が来た。


「何をしてる?」


エイリン(エイリン)は振り返らない。


「調べもの」


「俺の壁を?」


「どうしてベッドの下に酒が三本あるの?」


静かになった。


クレイゲン(クレイゲン)は彼女を見る。


ようやくエイリン(エイリン)も振り返った。


「そのうち一本、あなたのじゃなさそう」


いつの間にか横にいたヴァンス(ヴァンス)が、彼女の肩へ手を置く。


そのまま、ぐるりと半回転させた。


「行くぞ」


「でも――」


「行く」


それから水夫たちは、エイリン(エイリン)が自分の部屋を見つめていると、先に扉を閉めるようになった。


ザカ(ザカ)には、そんな困りごとはない。


彼の暮らしは、誰より規則正しい。


食べる。


寝る。


また食べる。


時々、魚を獲る。


最初は手伝いたいのだと思っていた。


ある日の午後、ザカ(ザカ)が一人で、自分の半分ほどもある魚を釣り上げるまでは。


魚はまだ甲板で跳ねていた。


すぐ近くの水夫二人が寄ってくる。


「こりゃまた」


「今夜は食うものがあるな」


ザカ(ザカ)は魚の尾を片足で踏んだ。


「これは俺のだ」


水夫が彼を見る。


「何がおまえのだ?」


「俺が釣った」


「船の糸でな」


「俺の手で引いた」


「餌も船のだ」


ザカ(ザカ)は少し考えた。


「頭ならやる」


「頭だけかよ?」


「でかい頭だ」


結局、水夫二人とはかなり長く揉めた。


クレイゲン(クレイゲン)が来たころには、ザカ(ザカ)はもう三分の一を渡すところまで退いていた。


話を聞いたクレイゲン(クレイゲン)は、一言だけ言う。


「次は自分で海へ飛び込んで、獲らせろ」


ザカ(ザカ)は、少し考えた。


パフ(パフ)の一家は、とうに船の暮らしへすっかり馴染んでいた。


あたしより、よくわかっているくらいだ。


小さなリスたちは、どの水夫が一番騙しやすいか、もう知っていた。


午後になると、一匹ずつその年老いた水夫のそばへ座る。


何もしない。


ただ見る。


パフ(パフ)が先頭に座る。


小さい四匹は後ろに並ぶ。


年老いた水夫は、五匹を長いこと見下ろした。


「ないぞ」


五組の目は見続ける。


「今日は本当にない」


まだ見る。


最後に年老いた水夫は、ポケットから小さな干し果物のひとつかみを出した。


「海賊どもめ」


パフ(パフ)はすぐ受け取り、尻尾を嬉しそうに高く振った。


あたしは横で、最初から最後まで見ていた。


「もう餌をあげないで」


年老いた水夫は、あたしを睨む。


「なら自分で、あいつらを行かせろ」


パフ(パフ)を見る。


パフ(パフ)は食べていた。


あたしをまったく見ない。


もういい。


あたしにも、することがある。


繁茂仙境(はんもせんきょう)から持ち帰ったものは、あまりに多かった。


葉。


種。


根。


菌。


樹脂。


まだ名前すら考えていないものもある。


島を離れると、光っていたところがすぐ暗くなる植物もあった。


ほとんど変わらないものもある。


もともと甘い匂いだった植物もあった。


三日干すと。


くしゃみをしたくなるほど、苦い匂いになった。


だから一つずつ記す。


離島、四日目。


光が弱まる。


五日目。


葉が巻き始める。


七日目。


匂いが変わる。


エイリン(エイリン)が時々、横へしゃがんだ。


「これは?」


「まだわからない」


「これは?」


「まだわからない」


エイリン(エイリン)は次の瓶を指す。


「じゃあ、これは?」


筆を置く。


「自分で書く?」


エイリン(エイリン)の目が光った。


「うん!」


「駄目」


「コラが言ったのに――」


「今、後悔した」


一番変わっていたのは、水珠だった。


前は、長く静かにしていた。


目を閉じる。


意識を全部そこへ向ける。


そうしてようやく、ときどき水珠の中のあの方を感じられた。


今は違う。


手が触れるだけで、わかることがある。


嬉しい。


静か。


好奇心がある。


あるいは、嫌がっている。


ある午後、持ち帰った青白い菌を切り開いていた。


酸っぱく、鼻を刺す匂いが急に立つ。


あたしまで鼻に皺を寄せた。腰の水珠も、急に少し冷たくなる。


見下ろす。


「どうしたの?」


水珠の水は、ゆっくり反対側へ寄った。


菌を近づける。


水はもっと遠くへ縮んだ。


手を止める。


また近づける。


水はまた逃げた。


しばらく見てから聞いた。


「おまえも臭いと思う?」


水面が、かすかに揺れた。


返事みたいに。


思わず笑った。


「匂い、わかるんだ?」


今度は反応がない。


でも中の水は、菌から一番遠いところへ張りついていた。


もっと笑ってしまう。


水珠の中のあの方と、一緒に過ごしていると感じたのは、あれが初めてだったと思う。


海の上の日々は、そうして一日ずつ過ぎた。


長く続くと、ときどき魚のスープを持ったまま、昨日もこれを飲んだか思い出せなくなる。


隣の水夫に聞く。


「昨日、何食べた?」


「魚」


「一昨日は?」


「魚」


「その前は?」


水夫は少し考えた。


「もっとでかい魚」


もう聞かなかった。


鉄港(てっこう)を出てから数えれば、この航海は前も後ろも合わせて、もう半年近くになる。


でも最後の数週間は、覚えておくような大きなことが、ほとんど何も起きなかった。


あたしは、少しも困らない。


……


あの日の朝。


あたしは甲板の隅で目を覚ました。


昨夜は植物を整えるのが遅くなった。


結局、帆布の束へもたれて寝ていたらしい。


目を開ける。


空。


海。


帆。


昨日と同じだ。


起き上がる。


伸びをする。


それから、鼻が動いた。


匂いがある。


とても薄い。


海風に、ほとんど消されそうなほど。


動きを止めた。


石炭。


魚。


日に焼かれた木。


何かを焼く油。


家畜。


泥。


汗。


それから、大勢がぎゅうぎゅうに詰まって暮らしているときだけする、あの雑多な匂い。


立ち上がる。


もう一度嗅ぐ。


間違いない。


「鉄港(てっこう)だ」


声は大きくなかった。


ちょうど船尾から来たクレイゲン(クレイゲン)が聞き、遠くを見た。


水平線はまだ平らだ。


何もない。


「どこだ?」


「前」


「見えたのか?」


首を振る。


「匂いで」


クレイゲン(クレイゲン)は少しあたしを見た。


すぐ笑い出す。


「ははは!」


近くにいた年老いた水夫が言った。


「もう家の近くなのに、ほかの奴の鼻を頼るのかよ」


クレイゲン(クレイゲン)は振り返る。


「少なくとも、俺の船は道を間違えてない」


「それは舵手のおかげだ」


「今日は泳いで帰りたいらしいな?」


甲板は、すぐまた騒がしくなった。


ほどなく、最初の船が現れた。


小さな漁船。


もう少しして、二隻目。


三隻目。


そして、どんどん増える。


漁船。


商船。


小舟。


荷を引く艀。


この半年。


十日以上、ほかの帆を一枚も見ないことさえあった。


今は顔を上げれば、海じゅうに人がいる。


船縁に立ち、長いこと見ていた。


あれほど船が詰まっているのに、きれいだと思った。


さらに進む。


水平線に、細いものが生え始める。


帆柱。


一本。


何本か。


何十本。


最後にはびっしりつながって、一面になる。


それから屋根。


塔。


煙。


港。


鉄港(てっこう)。


帰ってきた。


……


波止場は、やっぱりうるさい。


記憶より、もっとかもしれない。


荷を運ぶ者が怒鳴る。


泊める場所を奪い合う者がいる。


魚を売る者と買う者は、通り半分を隔てても喧嘩を始める。


横ではドワーフが紙を一枚つかんでいた。


顔は酒を三樽飲んだみたいに赤い。


「十二箱だと言っただろう!」


向かいのゴブリンは、もっと大声だった。


「おまえが書いたのは十一だ!」


「おまえの目が小さすぎるんだ!」


「小さいのはおまえの字だ!」


別のところでは、ゴブリンが作った昇降機が空中で止まっていた。


上の者も叫んでいる。


下の者も叫んでいる。


唯一叫んでいないゴブリンは歯車のそばにしゃがみ込み、自分には関係ないという顔をしていた。


餘暉号(よきごう)の船縁に立ち、しばらく眺める。


うるさい。


でも、口元が勝手に上がった。


いい。


---


餘暉号(よきごう)は、すぐ見つけられた。


誰かがまず船を見て。


次に、鉄鯨の旗を見た。


次の瞬間。


「クレイゲン(クレイゲン)!」


波止場で誰かが叫ぶ。


「あの野郎が帰ってきやがった!」


クレイゲン(クレイゲン)はまっすぐ船首へ行った。


「残念だったな!」


下から、すぐ悪態が返る。


鉄鯨の古い水夫たちが何人か走ってきた。


船がまだ完全に着いていないのに、もう飛び乗ってクレイゲン(クレイゲン)の肩を叩く者がいる。


「ご先祖さまのどこまで行ってたんだ?」


「遠くだ」


「どれだけ遠い?」


「今は話したくないくらい遠い」


別の者はしゃがみ、餘暉号(よきごう)へ新しく継いだ板を見ていた。


「これが船を走らせに行った姿か?」


「俺には、海と喧嘩しに行ったようにしか見えない」


クレイゲン(クレイゲン)は船縁を叩いた。


「勝った」


「船はそう見えないが」


「帰ってきた」


海龍王のことを聞く者がいた。


巨大群礁(きょだいぐんしょう)のことを聞く者もいる。


クレイゲン(クレイゲン)は人に囲まれ、とうとう手を振った。


「あとで聞け!」


「まず船を停める!」


「俺の船の魚に触る馬鹿がいたら、そいつも一緒に塩漬けにするぞ!」


ザカ(ザカ)は、ちょうど船を下りようとしていた。


魚、という言葉を聞き。


また後ろを見た。


あたしは彼を引っ張る。


「行くよ」


ザカ(ザカ)は少し惜しそうだった。


あとで知ったけれど、彼の袋にはもう一匹入っていた。


……


石畳へ、また足をつけた瞬間。


あたしは止まった。


地面は動かない。


なのに体が揺れていると思う。


左へ。


それから右へ。


自分の足を見下ろした。


横をエイリン(エイリン)が通る。


あたしの様子を見て、言った。


「陸酔い?」


すぐ顔を上げる。


「違う」


エイリン(エイリン)は笑い、前へ歩く。


一歩。


二歩。


三歩目で急に横へ傾いた。


ヴァンス(ヴァンス)が、すぐ腕をつかんで支える。


エイリン(エイリン)はすぐ立ち直った。


あたしは彼女を見る。


彼女もあたしを見る。


沈黙。


最後にエイリン(エイリン)が言った。


「さっき、地面が本当に動いた」


あたしはうなずく。


「うん」


「あたしもそう思う」


二人とも、もう何も言わなかった。


……


本当に鉄港(てっこう)へ入ると、最初は何も変わっていないように見えた。


家は、前にあった家のまま。


道も相変わらず乱れている。


ドワーフの石の家の隣が、人間の木造の建物だったりする。


エルフが植えた蔓は二階から垂れ、ゴブリンの店の看板にまでかかっている。


露店は、どうして道の真ん中に出せるのかわからないまま、そこにある。


焼き肉を売る一軒の店まで覚えていた。


匂いは、まったく同じだ。


ザカ(ザカ)も覚えていた。


もうそちらを見ている。


「帰りに買う」


アーロン(アーロン)が言った。


ザカ(ザカ)が聞く。


「いつだ?」


「すぐだ」


ザカ(ザカ)は、あまり信じていないらしい。


少し歩いてから、あたしは変なことに気づいた。


通りにいる衛兵が増えている。


たまに一人見る、という話じゃない。


ずっといる。


二人組で。


大きな道を歩いている。


何かの角には、簡単な木の柵も増えていた。


横に机が置かれている。


町の外から来た人は、呼び止められた。


「名前」


「どこから来た?」


「何をしに来た?」


聞き終えると、書きつける。


通す。


剣を抜く者はいない。


荷をひっくり返す者もいない。


衛兵の声さえ、きつくなかった。


でも覚えている。


半年前、初めて鉄港(てっこう)へ入ったときには、誰もあたしが誰かなんて聞かなかった。


もう少し先には、壁の告知が増えていた。


前より、きちんと揃っている。


似た形の札を下げる店もある。


大きな倉庫の何軒かには、数字まで書かれていた。


前には、どちらへ行けばいいのかわからないほど乱れていた分かれ道。


今は、方向を示す柱が一本立っている。


あたしは止まって見た。


エイリン(エイリン)も止まる。


「どうしたの?」


「前はこれ、なかった」


「前は何があった?」


少し考えた。


「曲がった柱」


エイリン(エイリン)があたしを見る。


「そこまで覚えてるの?」


「ぶつかりそうになった」


「ああ」


たしかに覚える理由になる。


アーロン(アーロン)たちは、もう少し先へ行っている。


二人で慌てて追いついた。


誰も、特にそんなものを話題にしない。


通りの人たちも、立ち止まって見たりしない。


もともと、そこにあるべきものみたいだった。


半年離れた者だけが、町に前はなかったものが増えたと、急に感じる。


……


人も増えていた。


最初は、最近の港は忙しいのだと思った。


でも町の外側へ進むほど、道端に天幕が出てきた。


最初は数張り。


その先は、小さな一帯になる。


しっかり作られたものもある。


木の骨組み。


傷みのない帆布。


横には排水の溝まで掘ってあった。


二本の木と、破れた布一枚だけのものもある。


脇を石で押さえて。


道には荷車もたくさん止まっていた。


最初は商隊かと思った。


近づくと違う。


荷はない。


結んであるのは鍋。


椅子。


毛布。


農具。


木箱。


ある一台には、扉まで結ばれていた。


本当に扉だった。


枠まで半分外されている。


何度か見てしまった。


一人の老人が、大きな荷物にもたれて寝ている。


横では女の人が、子供の髪を梳いていた。


別の子供は泥の上にしゃがみ、半分のパンで線を描いている。


何人かが話をしていた。


言葉の一部は、あたしにはわからない。


訛りも知らないものだった。


エイリン(エイリン)の足が少し遅くなる。


「あの人たち……」


言葉を最後まで言わなかった。


アーロン(アーロン)を見る。


彼も一度、あの人たちを見た。


何も言わず、ただ歩き続ける。


その先には木組みで作った小屋がいくつかあり、列ができていた。


水を配っている。


衛兵も手伝っていた。


水を受け取った女の人は、衛兵へ何度も礼を言う。


衛兵はもう次の桶をすくっていた。


「後ろがいる」


女の人は急いでどいた。


血はない。


火もない。


誰かが泣き叫んでもいない。


少なくとも、今ここで起きている災いは見えない。


ただ、人が多い。


前より、ずっと多い。


鉄港(てっこう)は狭くなっていた。


……


中心へ近づくと、前から大きな打つ音が響いてきた。


ちん。


どん。


ばん。


鋸が木を引く音。


石を引きずる音。


それから、ずっと怒鳴る声。


「もう少し上だ!」


「そっちじゃない!」


「その梁は置くな!」


最初に思ったのは、ドワーフの工房だった。


でもエイリン(エイリン)が急に止まる。


「え?」


別の通りを見る。


あたしもつられて見る。


半年前、そこは広い空き地だったはずだ。


今は木の足場で埋まっている。


高い。


何層もある。


真ん中の巨大な石造りの建物は、もうだいたいの輪郭が組み上がっていた。何層かの壁はできている。屋根はまだない。両側は太い石柱と、壁の骨組みが並ぶだけだった。


工事場には人があふれている。


ドワーフが下で大きな石を整え、何人かのゴブリンは管のまわりで手振りを交えながら揉めていた。人間の働き手は荷車を押し、竜人は高いところで縄をつかみ、そのまま飛んでいく。


下にいるドワーフが叫ぶ。


「左だ!」


上の竜人が顔を出す。


「どっちのだ?」


「左だ!」


「俺はおまえの上にいる!」


「左は左だ!」


「おまえの左か、俺の左か!」


ドワーフは、手の槌を上へ投げそうだった。


エイリン(エイリン)は見て笑い、それから聞いた。


「あれ、何?」


アーロン(アーロン)が止まり、一目見る。


「学院」


エイリン(エイリン)は少し固まり、何かを思い出したらしい。


「本当に建て始めたの?」


「ああ」


「出るときには、決めたばかりだったのに?」


アーロン(アーロン)は、もう何層もできている本館を見上げた。


「半年だ」


エイリン(エイリン)は小さく繰り返す。


「半年……」


あたしも、少し見た。


学院。


彼女は知っている。


たぶん、たくさんの人が一緒に学ぶ場所だ。


先生がいる。


生徒がいる。


本もたくさんあるのかもしれない。


何を教えるのか聞こうとした。


先に、別の匂いが鼻へ来る。


肉。


工事場の反対側で、働き手たちが食事をしていた。何の肉を煮ているのかわからない。でも、とてもいい匂いだ。


ザカ(ザカ)も止まる。


二人で同時に、そちらを見た。


あたしはザカ(ザカ)を見る。


ザカ(ザカ)はあたしを見る。


アーロン(アーロン)は振り返りもしなかった。


「行くぞ」


ザカ(ザカ)が言う。


「まだ早い」


「さっき食べただろう」


「さっきはさっきだ」


「行く」


仕方なくついていく。


振り返ると、巨大な建物はまだ足場に包まれていた。


槌の音が続いている。


止まらない。


……


七賢(しちけん)のいる議事堂も、前より忙しそうだった。


入口には、見覚えのない衛兵が二人増えている。


そのうち一人はアーロン(アーロン)を知っているらしい。あたしたちを見ると少し固まり、それからすぐ背を向けて知らせに行った。


ほどなく中へ通される。


扉を開けても、待っている人はいなかった。


机の上は物だらけだ。


地図。


書類。


手紙。


帳簿。


建築の図。


ほかにも、あたしにはわからない紙が何枚か。


賢者が二人、何かを話している。


ギブス(ギブス)は反対側に座り、うつむいて書いていた。


あたしたちが中に入ってから、ようやく顔を上げる。


一度、みんなを見回す。


最初の言葉は。


「まだ生きてたか」


アーロン(アーロン)が言う。


「そうでない方が難しい」


ギブス(ギブス)の筆を持つ手が止まった。


顔を上げて彼を見る。


「半年会わなかったのに」


「相変わらず、腹が立つな」


アーロン(アーロン)は少し笑う。


「おまえも変わらない」


そこでようやく、ほかの者たちも本当にこちらへ目を向けた。


「餘暉号(よきごう)は?」


「港だ」


「クレイゲン(クレイゲン)は?」


「いる」


誰かがうなずく。


「ならいい」


年老いたエルフは、ずっとエイリン(エイリン)を見ていた。


正確には、彼女の目を。


エイリン(エイリン)は目の端に触れた。


「何かある?」


「いや」


相手はしばらく見ていた。


何かに気づいているのは、あたしにもわかった。


エイリン(エイリン)は少し笑う。


「この旅では、いろいろあった」


老エルフは、うなずくだけだった。


横の書記はヴァンス(ヴァンス)を見る。


腕のあたりで、少し視線を止めた。


ヴァンス(ヴァンス)も気づいた。


自分からは話さない。ただ少しだけ、うなずく。


相手も聞かなかった。


あたしは横で、少し待っていた。


次はきっと、こうなると思った。


海龍王は?


白礁(はくしょう)はどうなった?


どうして至頂群峰(しちょうぐんぽう)まで行った?


繁茂仙境(はんもせんきょう)には何があった?


でもギブス(ギブス)は、ただ聞いた。


「海龍王には会えたか?」


アーロン(アーロン)が言う。


「会えた」


「用は?」


「ひとまず片づいた」


ギブス(ギブス)はうなずく。


「よし」


それから下を向き、また書類を見た。


あたしは二呼吸、待った。


続きがない。


*それだけ?*


ほかの人を見る。


みんな、また自分の仕事へ戻っている。


少しだけ、不公平だと思った。


あたしたちは冥翳(えいえい)に食われた。


海賊にも追われた。


白礁(はくしょう)へ入った。


海龍王に会った。


天地の向きさえおかしい穴へ落ちた。


最後には、歩く木だらけの島へ行った。


帰ってきて。


「よし」


一言だけ。


この半年、あたしは何のために生きたり死にかけたりしたんだ。


エイリン(エイリン)は、そんな不満をまったく持っていなかった。


もう一枚の図面へ寄っている。


「これ、さっきの学院?」


近くの賢者が、すぐ図面を自分の方へ引いた。


「触るな」


エイリン(エイリン)の手が宙で止まる。


「見るだけ」


「見るのも駄目だ」


「どうして?」


「船での話を聞いた」


エイリン(エイリン)はすぐヴァンス(ヴァンス)を振り返った。


「言いつけたの?」


ヴァンス(ヴァンス)が言う。


「俺じゃない」


船より、話の方が速いらしい。


海の話を少しだけしてから、アーロン(アーロン)は座らなかった。


「明日、出る」


ギブス(ギブス)がまた顔を上げる。


「帰ったばかりだろう?」


「ああ」


「どこへ?」


「風息谷(ふうそくこく)」


机のそばが少し静かになった。


みんな、手を動かすのを少し止めただけだ。


ギブス(ギブス)は横の手紙を何通かめくった。


「西か?」


「ああ」


「最近、あっちは歯車が緩んでる」


アーロン(アーロン)が彼を見る。


「どういう意味だ?」


ギブス(ギブス)は一枚取った。


「わからない」


「わかってたら、緩んでるなんて言わない」


紙を置く。


「獣が増えたと言う者がいる」


「いくつかの集落の人が、急に移ったと言う者もいる」


「今年の作物が悪いだけだと言う者もいる」


モラ(モラ)が付け加えた。


「あちらから鉄港(てっこう)へ来る人は、たしかに増えている」


すぐ、町の外の天幕を思い出した。


アーロン(アーロン)も、たぶん同じことを思った。


顔は変わらない。


「ほかは?」


「商隊が減った」


「道が悪い」


「行くなら大きな駅路を通れ」


「近道をするな」


横でザカ(ザカ)が聞く。


「怪物はいるのか?」


賢者は彼を見る。


「わからない」


ザカ(ザカ)はうなずく。


かえって納得したようだった。


少なくとも、本当にわからない。


アーロン(アーロン)も、もう聞かなかった。


「わかった」


みんなが出ようとする。


扉のところで、アーロン(アーロン)が止まった。


振り返る。


「セレス(セレス)」


一番奥に座るエルフが、目を上げた。


セレス(セレス)は、さっきからあまり話していない。


目の前にも、書類はそれほど積まれていなかった。


そこにあるのは、とても古い本一冊だけ。


「一つ、聞きたい」


「ああ」


アーロン(アーロン)は立ったまま。


小さな黒球を出さない。


先にティナ(ティナ)の名も出さない。


永生のことも。


至頂群峰(しちょうぐんぽう)から説明を始めることもない。


ただ聞いた。


「遺器(いき)」


セレス(セレス)が彼を見る。


「知っているか?」


静かになった。


セレス(セレス)は、すぐには答えない。


目を少し伏せる。


考えているみたいだった。


しばらくして、その指が古い本の表紙を軽く叩く。


「遺器(いき)か……」


その二文字を、とてもゆっくり読んだ。


それから少し笑う。


「その言葉を聞くのは、ずいぶん久しぶりだ」


アーロン(アーロン)の目が少し動く。


エイリン(エイリン)もすぐ振り返った。


「では、あなたは――」


でもセレス(セレス)は首を振る。


「残念だが、子供よ」


彼はアーロン(アーロン)を見る。


「何も知らない」


エイリン(エイリン)が固まる。


「でも、今……」


「聞いたことはある」


セレス(セレス)は片手を上げ、自分の額を軽く叩いた。


「だが、ここには何も残っていない」


「どこで聞いたんですか?」


セレス(セレス)は少し考え、それでも首を振る。


「わからない」


「誰が言ったの?」


「それもわからない」


エイリン(エイリン)でさえ、すぐには続けて聞かなかった。


どれほど生きたかわからないエルフだ。


その言葉を知っている。


でも残っているのは、知っているということだけ。


アーロン(アーロン)は少し黙った。


無理に思い出させようとはしない。


「わかった」


背を向ける。


でもセレス(セレス)が、また口を開いた。


「ただ」


みんなが止まる。


その目はアーロン(アーロン)を越え、エイリン(エイリン)を見た。


正確には、彼女の肩にいる小さな黒球を。


小さな黒球は、入ってからずっと静かだった。


小さく丸まり、誰とも話す気のない黒い鳥みたいだ。


セレス(セレス)はそれを見ていた。


「おまえたちは、珍しいものを連れて帰った」


エイリン(エイリン)が下を見て、またセレス(セレス)を見る。


「小黒のことを知ってるの?」


小さな黒球も、ゆっくり顔を上げた。球にしか見えないけれど。


年寄りと小さいのが、議事堂の半分を隔てて見つめ合う。


聞こうとした。


でもセレス(セレス)は、もう目を落としていた。


「何でもない」


エイリン(エイリン)が口を開く。


「でも――」


セレス(セレス)は机の本を開き、本当に読み始めた。


少し立っていて、急にわかった。


アーロン(アーロン)が言葉を途中までしか話さないのを、どうして好きなのか。


長く生きる人は、たぶん皆こうなる。


すごく嫌だ。


……


議事堂を出て、階段を下りる。


頭にはまだ、あの言葉が残っていた。


ずいぶん久しぶりに聞いた。


セレス(セレス)は聞いたことがないわけじゃない。


二文字を知らないわけでもない。


知っている。


ただ、何も覚えていない。


一度、後ろを見る。


アーロン(アーロン)は前を歩いていた。


聞こうとしたとき、彼は振り返らずに言った。


「俺もわからない」


あたしは止まる。


「まだ聞いてない」


「顔に書いてある」


この言い方、ひどく聞き覚えがある。


「それで?」


「それで、何もない」


「でもセレスは聞いたことがある」


「ああ」


「変じゃない?」


「変だ」


「じゃあ、どうしてそんなに落ち着いてるの?」


アーロン(アーロン)は、ようやく振り返った。


「戻って、あいつを揺さぶるか?」


その姿を考えた。


「……やめとく」


セレス(セレス)は年を取りすぎている。


ばらばらになりそうだ。


後ろからエイリン(エイリン)が追いついた。


「あたしは小黒の方が気になる」


肩の小さな黒球をつかみ、顔の前へ持ち上げる。


「あんた、いったい何なの?」


小さな黒球は首を傾げ、体を揺らした。


エイリン(エイリン)は目を細める。


「絶対、知ってるでしょ」


小さな黒球が首を振っているのは、あたしにもわかった。


「誤魔化さないで」


ヴァンス(ヴァンス)が横を通る。


「半年聞いても答えは出ない」


小黒には今、声がないからだ。


エイリン(エイリン)はすぐ後を追う。


「なら七か月聞く」


ヴァンス(ヴァンス)は答えなかった。


……


次は、遺器(いき)のような得体の知れない話ではない。


金。


馬。


道。


そして、どうやって風息谷(ふうそくこく)へ行くか。


鉄港(てっこう)には長い道の馬車や商隊を取り決める場所がある。


前に来たときは、特に気にしていなかった。


今度入ってみると、波止場の一部より中が乱れていた。


壁には木札がいっぱい下がっている。


行き先。


日付。


車隊。


荷。


護衛があと何人いるか。


どの道が閉じたか。


どの橋は小さな車しか通れないか。


入口では誰かが叫んでいた。


「石門鎮(せきもんちん)! 明朝出発!」


「護衛、あと二人!」


「干し飯は自分で持て!」


反対側では馬が鳴きやまない。


空気は干し草、革、馬の糞、汗でいっぱいだった。


一度息を吸う。


急に海が少し恋しくなった。


アーロン(アーロン)は窓口を見つけた。


「風息谷(ふうそくこく)」


係の者は書き物をしていて、顔も上げない。


「どこだ?」


「風息谷(ふうそくこく)」


筆が止まる。


その人はゆっくり顔を上げた。


「西の、あれか?」


アーロン(アーロン)が言う。


「二つ目があるとは思わない」


係は少し彼を見てから、後ろのあたしたちを見る。


「どれほど遠いか、知ってるんだろうな?」


「知っている」


「知ってて、俺に聞くのか?」


「歩きたくない」


係は、これほど堂々と言う人を初めて見たらしい。


少し黙り、最後には横の道図を引き寄せた。


「直通はない」


指が道に沿って西へ進む。


「まず大きな駅路を行く」


「ここで馬を替える」


「次の駅で車を替える」


「その先は、商隊と一緒がいい」


「最近、この辺の道はよくない」


「ここを越えたら」


指はさらに西へ動く。


「車に乗り続けられるかは、向こう次第だ」


その指を見つめた。


ずいぶん先まで行ったのに、まだ着かない。


「どれくらい?」


係は少し考える。


「うまくいけば」


「一か月半」


「普通なら」


「二か月」


「雨」


「道が切れる」


「橋が壊れる」


「最近のあの訳のわからないものに出くわす」


肩をすくめる。


「わからん」


エイリン(エイリン)がすぐ聞く。


「訳のわからないものって何?」


「知ってたら情報屋に商売替えしてる」


エイリン(エイリン)はまだ聞きたそうだったが、ヴァンス(ヴァンス)がもう後ろへ引いていた。


ザカ(ザカ)は、さっきからずっと静かだった。


そこで急に聞く。


「飯はつくのか?」


係にはわからなかった。


「何?」


「車だ」


ザカ(ザカ)は道図を指さす。


「二か月」


「肉はつくか?」


係は彼を見る。


「つかない」


ザカ(ザカ)が眉を寄せる。


「パンは?」


「それもつかない」


ザカ(ザカ)はアーロン(アーロン)を見る。


「高い」


アーロン(アーロン)が言う。


「まだ値段も知らない」


「飯がつかないなら高い」


係はザカ(ザカ)をしばらく見た。


「おまえ一人の方が、馬より養いにくそうだ」


あたしもそう思う。


最後に、翌朝の最初の駅馬車の席を取った。


風息谷(ふうそくこく)まで行くものではない。


次の大きな駅までだ。


そこから乗り換える。


……


今回鉄港(てっこう)へ戻っても、丸一晩を休みに使えなかった。


干し飯を足す。


衣服を足す。


薬を買う。


装備を整える。


海ではいらず、陸ではいるものを、また探し出す。


薬屋へ行った。


買ったのは、全部ありふれたものだ。


血止めの葉。


苦根草(にがねそう)。


虫除け草。


干した小さな薬草を何包みか。


袋へ入れ、知っている匂いを嗅ぐ。


かえって少し安心した。


繁茂仙境(はんもせんきょう)のものは、いい。


珍しい。


綺麗だ。


まだ誰も名づけていないものもあるだろう。


でも長い道を歩くときには、こういう普通のものが一番役に立つ。


帰る途中、建てている学院をまた通った。


もう夕方だ。


工事場はまだ完全には止まっていない。


道具を片づける者がいる。


石を覆う者がいる。


高いところでは、最後の光のうちに木組みを留める者もいた。


槌の音は昼よりずっと少ない。


それでも、一つずつ聞こえる。


エイリン(エイリン)は少し歩みを遅くし、見上げた。


「できたら、どんな形になるんだろう」


横でヴァンス(ヴァンス)が言う。


「建物だ」


エイリン(エイリン)が彼を見る。


「建物なのは知ってる」


「なら、何を聞いた?」


「つまらない」


ヴァンス(ヴァンス)は何も言わず、そのまま歩く。


エイリン(エイリン)が急にまた言った。


「大きな魔法の研究室ができるかも」


ヴァンス(ヴァンス)が一目見る。


「鍵をちゃんとかけてほしい」


「どうして?」


「おまえよけだ」


エイリン(エイリン)は、すぐ追いかけた。


あたしとザカ(ザカ)は後ろに残る。


ザカ(ザカ)は昼間、工事場で食事をしていた場所の匂いをもう一度嗅いだ。


肉の匂いは、とっくに消えている。


それでも一度見た。


「明日、自分で買えばいい」


あたしは言った。


ザカ(ザカ)は、とても真面目にうなずいた。


……


翌朝早く、みんなで駅へ行った。


空が明るくなったばかりなのに、城門の近くにはもう車がいっぱいだった。


商隊。


旅人。


荷を運ぶ車。


人を運ぶ車。


荷を結ぶ者。


逃げた馬を追う者。


箱が一つ足りないと怒鳴る者。


衛兵は板を持ち、一台ずつ確かめていた。


「どこへ?」


「石門(せきもん)」


「何人だ?」


「四人」


「次」


「どこへ?」


「北」


「どの町だ?」


「まだ決めてない」


衛兵が顔を上げる。


「決めてない?」


「まず出てから考える」


通り過ぎるとき、その車を一度見た。


荷はそれほどない。


寝具の巻き。


鍋。


袋。


農具が一本。


まだ眠そうな子供が二人。


昨日見たあの種類の車だ。


今日は、もっと多い。


立ち止まらなかった。


あたしたちの馬車も、もう来ている。


最初の道のりは、豪華なものじゃない。


屋根のついた長い道の車。


後ろは荷物でいっぱい。


前に人が座る。


まずパフ(パフ)の一家を、安全そうな場所へ入れた。


パフ(パフ)はすぐ毛布へ潜る。


小さい四匹も続く。


船でも馬車でも、寝る場所さえあれば、あいつらに文句はないらしい。


エイリン(エイリン)が最初に登り、奥へ座る。


ヴァンス(ヴァンス)は荷を留める縄を、一つずつ引いて確かめた。


ザカ(ザカ)は最後に現れ、大きな包みを抱えていた。


匂いがする。


肉。


たくさんの肉。


「どれだけ買ったの?」


ザカ(ザカ)は下を見る。


「足りる」


「二か月?」


ザカ(ザカ)が顔を上げる。


「今日」


あたしは黙る。


もういい。


少なくとも自分のことは、わかっている。


アーロン(アーロン)が最後に乗り、外側の席へ座った。


御者が振り返って確かめる。


「全員いるか?」


「ああ」


手綱が鳴る。


馬が歩き出す。


車輪がゆっくり回る。


石畳を踏んで。


あたしは車の後ろに座り、駅が少しずつ後ろへ行くのを見ていた。


あれほど大きな町なのに、戻ったのは一日だけ。


途中で船を下り、物を買い、少し話を聞いて、また歩き出すみたいだった。


馬車は町の外へ出る。


半年前にはなかった木の柵をいくつか越えた。


衛兵は通行札を一目見て、手を上げる。


車は通った。


振り返る。


最初に見えたのは衛兵。


木の柵。


当番の机。


その向こうは、鉄港(てっこう)のごちゃごちゃの屋根。


町から煙が上がる。


帆柱がびっしり並ぶ。


もっと遠くには、高い木組みが何本か、家の間から出ていた。


あの学院だ。


まだ建ち終わっていない。


ここからは、一部しか見えない。


町の外の反対側には、低い天幕が広く続いている。


そこからも煙が上がった。


もう朝の食事を煮ている人がいる。


一人の子供が道端に立ち、通る馬車を見る。


数歩、追いかけてきた。


走っているうちに、後ろから名前を呼ばれる。


止まり、振り返り、そちらへ走って戻った。


馬車は止まらない。


鉄港(てっこう)の音が、ゆっくり遠ざかる。


先に波止場が聞こえなくなる。


次に通りの売り声。


最後に残るのは、車輪。


蹄。


草を抜ける風の音。


魚。


石炭。


熱い油。


汗。


鉄港(てっこう)だけの、混じり合った匂いもゆっくり薄れていく。


あたしはずっと後ろを見ていた。


町で一番高い建物まで、道の横の坂に隠れるまで。


鉄港(てっこう)へ戻ったら、きっと。


やっと着いた、という感じがすると思っていた。


本当に着いたら、一日しかいない。


それから、また出た。


車へもたれ、前の道を見る。


長い。


ずっと内陸へ続く。


風息谷(ふうそくこく)まで、あと一、二か月。


その先に、部族がある。


祖父。


族長。


昔寝ていた場所。


薬草を干す棚。


小さいころから見ていた木。


風が部族を抜けるときの、土、毛皮、煙、干し草が混じる匂い。


もう、ずいぶん嗅いでいない。


急に、恋しくなった。


アーロン(アーロン)を見る。


「あとどれくらい?」


アーロン(アーロン)が振り返る。


あたしが先に少し固まった。


この言葉は、海の上で何週間も聞いていた気がする。


アーロン(アーロン)は少し考えた。


「遠い」


耳が後ろへ伏せる。


「みんな、打ち合わせでもしたの?」


アーロン(アーロン)は少し笑った。


答えない。


馬車は、前へ進み続けた。

お待たせしました。


このところ本当に忙しく、なかなか腰を据えて書く時間が取れませんでした。


ようやく第十九章を書き終えることができました。


そして、これが『孤旅』の最後の章になります。


でも、心配しないでください。


あくまで前日譚の最後の章です。


本編の執筆も、すでに進んでいます。


少しだけ予告すると、本編ではオーデラスの魔法をもっと深く扱い、物語の主な舞台は学院になります。


ただ、もう少しお待たせするかもしれません。


よりよい形でお届けしたいので、挿絵や漫画など、視覚的な見せ方も考えています。


そのために、私自身まだ学ぶことがたくさんあります。


ご意見やご提案があれば、ぜひコメントで教えてください。


どうぞ第二節「また道へ」をお楽しみに。

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