18-2 根は覚えている
ようやく、島へ上がれます。
皆は、そこで何を見るのでしょうか?
植物でできた都市?
それとも……そもそも都市などない?
クレイゲンは、すぐには舵輪から手を離さなかった。
水の下の根は、まだ船を押している。
どれも、何につながっているのか想像したくなくなるほど太い。餘暉号を下へ引きずり込むわけでも、強くぶつかるわけでもない。ただ船首があの光る岸を向かないよう、しっかり押していた。
「拒まれている?」
クレイゲンが言う。
「口もないのに、どうやって拒むんだ?」
アーロンは片手を上げた。
「武器を下ろせ」
何人かの水夫が彼を見る。
「悪意はない」
銛はまだ空に上がっていた。一人の水夫は短剣を握っていて、汗で刀の背が光っている。船を押し回す大根の群れを、友好的だと思えないのは当たり前だった。
でもアーロンはそう言ったあと、説明を足さなかった。
クレイゲンはしばらく水面を睨み、最後に小さく悪態をついた。
「しまえ」
あまり納得していない声がした。
「船長――」
「しまえと言った」
銛が一本ずつ下がる。
アーロンは船縁へ歩き、黒い水の中でゆっくり動く影を見る。
「まだ覚えていてくれるといいが」
その言葉の意味をあたしがわかる前に、彼は外套の留め具を外していた。
新しく買った、安い外套だ。
海風にも雨にも怪物の血にも浸され、もう大した品じゃない。
なのに彼はそれを脱ぐと、海へぽんと放った。
外套は水へ落ち、小さな音を立てた。
すぐに闇が飲み込む。
あたしは水面を見つめた。
*まさか、あれも匂いを嗅げるの?*
水面はしばらく静かだった。
それから影が一本、船底からゆっくり浮かび上がってくる。
近づいて初めて、それが海獣ではないとわかった。
本当に、木の幹の一部だった。
湿った濃い色の樹皮が表面を覆い、裂け目には水草が絡み、小さな貝がいくつか貼りついている。水面へ出た部分だけでも、餘暉号のメインマストより太かった。
水夫たちが何人か、思わず後ずさる。
でもそれは、船体へ近寄らなかった。
太い枝先が水の中を少し探り、外套をそっと引っかけて海から拾い上げる。破らないようにしているみたいな、ゆっくりした動きだった。
濡れた外套が船縁まで運ばれる。
アーロンは手を伸ばし、受け取った。
布の端から水が滴り、海へ戻っていく。
巨大な枝は少し止まってから、また沈んでいった。船体を押さえていた周りの根も、一緒に離れる。
エイリンはずっと、そばに立っていた。
彼女はアーロンの外套を見ていない。
少し首を傾け、風の中で誰かの声を聞いているみたいだった。
ヴァンスはその横に立ち、矢筒へ手をかけていたが、矢を取らなかった。
しばらくして、エイリンが言う。
「あの方は、船は入れないって」
ハーンが水面を見る。
「待てよ」
「あの木、話せるのか?」
「木じゃない」
ヴァンスが言った。
「森精霊だ」
エイリンはまだ聞いている。
海風が長い髪を撫で、島の光が瞳へ映る。
「理由は言っていない」
少し止まる。
「ただ、船は入れないって」
あまりに筋の通らない理由に聞こえる。
でも、さっき根が餘暉号を押し出したとき、誰もあれに筋を通せと求める資格があるようには思えなかった。
エイリンは、またしばらく黙った。
「アーロンは同行者を連れていけるって」
船はもともと静かだった。
その言葉が落ちた途端、全員に声が戻った。
「俺が行く!」
「俺もだ!」
「泳げるぞ!」
「泳げてどうするんだよ?」
昨日まで木と草しかないと嫌がっていた者たちは、誰一人としてそんなことを言ったのを覚えていない。餘暉号に立っているだけで、あの島の光が見える。本当に足を踏み入れたら、どんな場所なのか。
あたしまで、尻尾を少し前へ巻き込まずにはいられなかった。
最後にはクレイゲンが、ひとかたまりに騒ぐ連中を押さえ込んだ。
「七人までだ」
彼はアーロンを見る。
「おまえの連れだ。選べ」
アーロンは、あまり時間をかけなかった。
あたし、エイリン、ヴァンス、ザカは、もちろん入っている。ジュミエンは自分の名を聞くと、誰かが気を変えるのを恐れるみたいに画板を胸へ抱いた。
「描けます」
と彼は言った。
反対する者はいない。
外の者がほとんど入れない島だ。餘暉号の大半が船に残るしかないなら、せめて画家を一人入れて、見たものを持ち帰らせた方がいい。
最後の一枠は、水夫たちがその場でじゃんけんをした。
リックが勝った。
最初は拳を空まで振り上げそうなほど、喜んでいた。
「見たか!」
負けた者たちへ叫ぶ。
「今日は風が俺の方についてる!」
ロイが横で舌を鳴らした。
「それは拳で、風じゃない」
リックは相手にしなかった。
船を離れる前、アーロンは先にクレイゲンのところへ行った。
「近くで魚を獲っていていい」
クレイゲンが眉を上げる。
「船長のやり方を俺に教える気か?」
「ここは魔力が濃い。魚も太っている」
アーロンは言った。
「成魚は残しておけ」
クレイゲンの顔が、すぐに暗くなった。
「そんなこと、俺が知らないと思ってるのか?」
海で一生を過ごしてきた彼は、海域の魚を獲り尽くせば、あとには飢えと機嫌の悪い漁師しか残らないと知っている。
アーロンはうなずいた。
「なら、いい」
クレイゲンは罵りたそうにして、最後には苛立ったように手を振った。
「さっさと行って、さっさと戻れ」
あたしたちが船縁へ集まってから、リックはやっと一つ気づいた。
小舟がない。
森精霊は餘暉号の上陸を許さず、あたしたちのために桟橋も用意していない。島と船の間にある浅い海は綺麗だったが、水の下は絡み合う根だらけだ。船を漕いで入ろうとしたら、たぶん船底を薪にするところから始めることになる。
エイリンが小さな黒球を見る。
小さな黒球も、彼女の前へ跳ねてきた。
「大きな鳥」
エイリンが言う。
小さな黒球は一度止まった。
それから、大きくなり始める。
ふわふわの黒い塊だった体が、すばやく膨らみ、伸びた。両側から幅広い翼が現れ、輪郭はどんどん高くなる。最後には甲板の灯りの半分近くを隠していた。
やはり、羽の色はない。
光はその体へ落ち、深い井戸へ落ちたみたいに消える。
それでも背の毛はやわらかく、人がつかまるには十分だった。
リックの笑顔が、すぐ消えた。
レックスが死んで、まだそれほど経っていない。
あたしとエイリンにとって、小さな黒球はもう、魔力を食べ、時々は助けにもなる、ひどく面倒な仲間になりつつあった。
でもリックにとっては、まだ闇の生き物だ。
他人の血肉も、視力も、声も奪っていったものたちと、同じ場所のもの。
ジュミエンは、そこまで考えていなかったらしい。画板を抱えたまま、のろのろ小さな黒球の背へ登り、紙が皺にならない場所を真剣に探している。
ザカは、もう座っていた。
ほかの者たちも、順に乗っていく。
甲板に残ったのはリックだけだった。
エイリンが彼を見る。
「この子は人を食べない」
リックは小さな黒球を見つめた。
「前のあれだって、人は食わなかった」
声が固い。
「別のものを取った」
エイリンは否定しなかった。
「この子が食べるのは魔力」
黒球の首の横の毛を撫でる。
「あたしは、この子を知ってる」
すべての闇の生き物が安全だという意味じゃない。
ただ彼女は、目の前の一匹については保証すると言っていた。
リックは、まだ動かなかった。
後ろからクレイゲンが怒鳴る。
「乗らねえなら、自分で泳いで行け!」
リックは海を見る。
それから、まだ少し距離のある、光る浅瀬を見る。
歯を食いしばり、黒い毛をつかんだ。登る姿は、さっきじゃんけんに勝ったときよりずっと格好悪かった。
小さな黒球が翼を広げる。
翼の下から、風が甲板を押し流した。
餘暉号と、こちらを見上げる何枚もの顔は、すぐ下へ落ちていく。
いつものようにエイリンが黒球の背へ手を置いた。魔力を渡そうとしたのだと思う。でも、急に眉をひそめた。
ヴァンスがすぐ彼女を見る。
「どうした?」
エイリンは目を閉じ、しばらく感じ取っていた。
「この子、あたしの魔力をほとんど食べてない」
小さな黒球の飛び方は安定していた。
至頂群峰を離れたときよりさえ楽そうで、ひと振りの翼で長い海面を越えていく。
エイリンは目を開け、下の島を見た。
「ここ、どこにでも魔力がある」
あたしは鼻をひくつかせた。
空気は相変わらず湿り、花、葉、土の匂いで満ちている。でもその下に、確かにうまく言えない感じがあった。日に干した石が肉球へ触れるような、温かい水をひと口飲んだような感じ。
地竜島に似ている。
ただ地竜島の魔力は重く、眠っている大きな獣みたいだった。ここでは葉の一枚、花の一輪、水気の筋一本から魔力が湧き出していると、エイリンは言う。空を飛ぶ無数の小さな虫みたいに、軽いのだと。
船から見れば、繁茂仙境は光る大地の一片にすぎなかった。
小さな黒球は高く飛ばない。それで初めて、繁茂仙境がそんなものではないとわかった。
海岸が両側へ伸びている。
ずっと遠くまで。
最後には薄霧と夜へ沈み、反対側はまったく見えないほど。
一日で歩き切れる島じゃない。
ここは、一つの世界だった。
岸の浅い海は、ひどく淡い青緑色だ。礁岩と澄んだ水が根の間に入り交じっている。大きな根脈は海底に沿って伸び、餘暉号より太いものさえ何本もあった。
森精霊が船を入れなかった理由が、ようやくわかった。
ここには港がない。
そもそも、港はいらない。
大きな船が根の間へ無理やり入れば、どれだけのものを折ることになるかわからない。
岸沿いには、光る花が広く咲いている。海風が吹くと花びらが幾重にも返り、枝を離れた花びらの中には水へ落ちず、かすかな光に支えられて岸に沿ってゆっくり漂うものもあった。
遠くから見ると、海にもう一つ波が立ったみたいだった。
エイリンは一番前に座り、長いあいだ見ていた。
ジュミエンは後ろで素早く描いている。木炭筆が紙を掻く、しゃりしゃりという音がした。
彼が急に聞く。
「ここは何ていうんです?」
誰も答えなかった。
アーロンも花びらでできた長い波を見ていて、知らないらしい。
エイリンは少し考えた。
「花潮海岸?」
ジュミエンは一目見た。
「いいですね」
そのまま絵の脇へ書き込む。
あたしは彼を見た。
*地名って、こんなふうに決めていいの?*
反対する者はいない。
だからそこは、とりあえず花潮海岸と呼ばれることになった。
空には、いろんなものがいた。
淡く光る小鳥が枝の間をかすめ、翼の下に短い青い光の跡を引く。虫の群れが花むらの上へ昇り、また下りる。葉のように薄い翼をした、名も知らない飛ぶ生き物もいる。通り過ぎても、ほとんど音がしない。
本当にみんなを黙らせたのは、島の奥にある一本の木だった。
周りのどの木よりも、頭一つ高い。
それでも、ちゃんと木だとわかる。
主幹は太く、枝は四方へ広がっていた。ほかの植物が何種類も、枝の上からそのまま生えている。高い枝葉の間には、小さな水たまりまでいくつも溜まっていた。
水が枝の間から、根の間から、岩壁から落ちる。
一本。
二本。
十数本。
滝は巨樹を巡って垂れ、遠くから見ると、流れ続ける白い衣を着せているみたいだった。
一段が、次の一段へ落ちていく。
エイリンは、息をするのも忘れたみたいに見ていた。
「あれは……」
言葉を最後まで言わなかった。
でも、何を思い出したのかはわかった。
彼女たちの故郷にある神樹。
目の前の巨樹にも似た気配がある。ただ、もっと古く、もっと広い。その根はもう島全体へ伸びているようだった。
あたしは薬袋の一番奥へ触れた。
あの生の樹脂は、たぶんあそこへ届けるものだ。
小さな黒球は最後に、少し開けた草地へ降りた。
青紫の微光が、数え切れない小花の間から漏れている。地面は柔らかな草に覆われ、土はほとんど見えない。足を乗せると肉球が少し沈み、とても厚い草の寝床へ踏み込んだみたいだった。
小さな黒球は元の小さな塊に戻り、エイリンの肩のそばへ浮かぶ。
とても気持ちよさそうに見えた。
黒い毛の塊に、気持ちよさそうなんて顔があるならだけど。
エイリンは笑った。
「ここなら、思いきり食べ飲みできるね」
小さな黒球は返事をしなかった。
でも、はっきり反対もしなかった。
あたしには、それどころじゃない。
光る蝶が花の間を飛び、翼から淡い光の粉を少しずつ散らす。どこからか透明な花びらが流れてきて、向きを変えるたび違う色を返す。遠くの森は桃色も紫もある。もっと多いのは、視界の端まで重なって途切れない深い緑だった。
あたしは、何から見ればいいのかわからなかった。
ジュミエンも同じようだった。
着地してすぐ二枚目の紙に替えた。巨樹、滝、花の潮、小さな黒球。草にとまった変な鳥まで描きたがる。
「みなさん、ゆっくり歩いてください」
彼は不満そうに言った。
本気で聞く者はいない。
最後にアーロンが言った。
「行くぞ」
そこでやっと、今回は景色を見に来たんじゃないと思い出した。
あまり歩かないうちに、あたしは見知らぬ植物の前で止まった。
蘭だ。
葉は深い青緑なのに、葉脈の中を赤、紫、青、いくつもの光がゆっくり流れている。小さな色の川を、葉の中に隠しているみたいだった。
あたしはすぐしゃがみ込む。
エイリンも寄ってきた。
彼女は葉には触れず、その上へ手を止める。
「中に、とても濃い魔力がある」
「魔力を戻せる?」
「わからない」
「怪我を治せる?」
「それもわからない」
ちょうど横に、自然に折れた葉が一枚あった。切れ目にはまだ赤紫の光が残っている。でも数息のうちに、ゆっくり消えていった。
エイリンが見る。
「本体から離れると、魔力を留めておけない」
あたしはすぐノートを取り出した。
「名前は?」
エイリンは少し考える。
「虹脈蘭?」
「適当すぎない?」
「さっきの花潮海岸だって、誰も反対しなかったよ」
何も言えなかった。
筆先はすぐに落ちる。
虹脈蘭。
用途不明。
そのまま食べてはいけない。
本体から切り離すと、魔力はすぐ失われる。
ザカはもう少し先へ行っていて、振り返ってから、あたしたちがまたしゃがんでいるのに気づいた。
「ちゃんとついてこい!」
あたしは慌ててノートを腰袋へ押し込んだ。
でも、その先も大して変わらない。
触れると地面の中へ縮む小花。
葉が獣毛みたいな手触りの蔓。
傘が何層にも重なり、綺麗すぎて触りたくない白青の茸。
実が割れると、辛い匂いを散らす低木。
薬を試す時間なんてなかった。
食べられるか確かめる時間さえない。
姿、匂い、生えている場所、それから隣に何が生えているかだけ、まず記すしかなかった。
鳥が低い枝にとまり、あたしたちを見ている。
道の真ん中へ垂れていた蔓は、アーロンが近づくとひとりでにゆっくり引っ込んだ。ザカが通るとすぐ閉じる花も、エイリンが近づけばまた開く。
小さな黒球のそばには、最初、虫が一匹も寄ってこなかった。
しばらくして、何もしないとわかると、光る蝶が戻ってきた。黒い毛の塊を何度も何度も回る。小さな黒球はまるで気にせず、毛にまとわりつきそうなほど濃い魔力の中にいるだけだった。
少し歩いてから、あたしは変だと思い始めた。
繁茂仙境は、たしか樹精の場所だ。
それなのに、一人も見ていない。
歩く木がたくさんいると思っていた。なのにずっと森だけで、顔みたいに見える樹皮の一枚すらない。
ザカが、ひどく密な林の前で止まるまでは。
「入るのか?」
アーロンは動かなかった。
「いや」
林の奥を見る。
「もう着いた」
あたしは彼の視線を追う。
何もない。
木。
やっぱり、木。
少しだけ苛立ってきた。
ここで立って木を見るだけなら、あの茸を調べに戻った方がいい。
そのとき、低い知らない声が響いた。
「また来たな」
全身の毛が一気に逆立った。
声は、どこか一つの方向から来たんじゃない。
葉の間、樹皮、土、周りの根から、一緒に滲み出してくる。ずっと昔から吹き始めていた風みたいに、遅い。
前の巨木が動いた。
根を抜いたわけじゃない。
枝だけが、とてもゆっくり動く。
幹のいくつかの割れ目が少しずつ開き、人とは似ても似つかない顔の形になった。本当の目も、口もない。
でも、アーロンを見ているのがわかった。
「どれほど経った?」
アーロンは少し考える。
「百年くらいだ」
樹精は長いあいだ答えなかった。
数えているのかと思うほど、長く。
「まだ……百年か?」
あたしは少し驚いた。
自分が百年まで生きられるか、あたしにはわからない。
でも、あれにとっては、まだ、なのだ。
思わずアーロンを見た。
彼はそこに立ち、特に表情を変えていない。百年は彼にとって長いのか、短いのか。急に知りたくなった。
いつの間にか、隣の別の木の枝もこちらを向いていた。
もっと遠く。
また一本。
風は弱い。
それでも森じゅうの葉が、順に動き始めた。
一本。
十本。
もっと。
樹皮の裂け目を目のようにわずかに開く木もある。枝をこちらへ向けるだけの木もある。地下の根がかすかに盛り上がり、土を眠る獣の背中みたいに上下させるものもある。
ようやくわかった。
あたしたちは今、樹精を見つけたんじゃない。
ずっと前から、樹精の真ん中に立っていた。
目の前の森全体が、ほとんどみんなそうだった。
アーロンは昔話をしなかった。
ただあたしの手から薬袋を受け取り、一番奥の水晶瓶を出した。
金色の生の樹脂が、夜の中で静かに光っている。
「これを届けに来た」
あの樹精が枝を一本伸ばす。
ゆっくり水晶瓶を受け取った。
でも、樹脂を枝の上に置いたままにはしない。
近くの地面が細く裂け、黒土から細い根が一本のぞいた。小さな手のように水晶瓶へ絡みつく。
その金色の光を連れ、少しずつ地下へ沈んでいった。
続いて淡い緑の光が、根を伝って遠くへ流れる。
木から木へ。
もっと深いところへ消えていく。
滝に囲まれた巨樹のある方角だった。
樹精は長く黙っていた。
「ありがとう」
それから、もう一度言う。
「母も、あなたに感謝している」
アーロンは、うなずいただけだった。
母が誰なのか、聞かなかった。
あたしも、今は聞かなかった。
用事が済むと、彼はかえって少し笑った。
「島を見て回るか?」
樹精は拒まなかった。
「ご自由に」
少し止まり、枝を横へ向ける。
「それが、おまえたちについていく」
そちらを見る。
小さな木が一本あるだけだった。
あたしの半分くらいの背丈。細い幹に丸い葉が何枚か生え、普通の苗木とあまり変わらない。
次の瞬間、土がゆるんだ。
小さな木が、自分の根を一本ずつ抜く。
立ち上がる。
少し揺れた。
それから脚みたいな根で、ぺた、ぺたとあたしたちの前まで歩いてきた。
梢はうれしそうに、左右へ揺れている。
樹精が好きにしろと言ったなら、あたしにはすぐ別の言葉に聞こえた。
今なら薬草を採っていい。
数歩も行かないうちに、さっきの白青の茸を見つけた。
何段もの傘が重なり、食べられる物とは思えないほど綺麗だ。これまでの経験では、綺麗なものほど大抵、人を殺したがっている。
少し観察し、根ごと抜こうと手を伸ばす。
小さな樹精が細い枝を一本出し、あたしの手を押さえた。
「根のあるものは、取っちゃだめ」
あたしは止まった。
森の樹精たちより早口だけど、やっぱり話を覚えたばかりみたいな遅さがある。
「じゃあ、どうやって採るの?」
小さな樹精は枝を伸ばし、茸の傘の端をそっと一片だけ折って、あたしへ渡した。
茸は丸ごと、そこに残っている。
その小さな傘の欠片を受け取る。
「でも、薬草には根が大事なものもある」
小さな樹精は梢を少し傾けた。
考えたらしい。
それから横へ歩き出した。
「来て」
ぺた、ぺたと進み、細く痩せた草の前へあたしを連れていく。茎は細く、先には白い花がたくさん咲いている。特に変わったところはない。
小さな樹精はしゃがんだ。
まず熟した花を一つずつ潰し、細かな種を枝の手のひらへ落とす。それから種を隣の土へ揉み込み、押さえた。
最後になって根で土を掘り、その草を丸ごと抜いた。
そこで初めて見えた。
地上の茎は細いのに、地下の根は驚くほど太い。栄養のほとんどが、そこに隠れていた。
小さな樹精は根をあたしに渡した。
「わかった?」
手のひらにある根を見る。
それから、さっき土へ戻された種を見る。
そしてノートを取り出した。
立派なことは何も書かなかった。
一つだけ書く。
根を採る前に、先に種を残す。
それから付け足した。
一部だけ取れるなら、株ごと抜かない。
繁茂仙境があたしに最初に教えたのは、それだった。
薬の効き目じゃない。
不思議な調合でもない。
どうやって、受け取るかだった。
いつの間にかジュミエンが近くへ来て、木炭筆で小さな樹精を描いていた。
小さな樹精は気づくと、梢全体を傾けて彼を見た。
「何してるの?」
「君を描いている」
ジュミエンが言う。
「どうして?」
年寄りは少し考えた。
「持って帰るためだ」
小さな樹精も、長く考えた。
「ぼく、行かないのに」
ジュミエンの手にある筆が、一瞬止まった。
結局、彼は何も説明しなかった。ただうつむき、また描き続けた。
あたしは、もう次の植物へ向かっている。
茸。
花。
根。
果実。
樹皮。
数歩進むごとに、見たことのないものが一つあった。
遠くには、紫の森が広がっている。
そのもっと奥には、数え切れない滝に囲まれた巨樹がある。
この島は、端が見えないほど大きい。
今日見たものなんて、その身の葉一枚にもならないのかもしれない。
紙の隅まで文字で埋まったノートを見る。
それから、周りを見る。
小さな樹精はまだそばに立ち、梢をかすかに揺らしていた。次の問いを待っているみたいに。
遠くから誰かが呼ぶ。
「コラ、行くぞ!」
あたしは、到底覚え切れない植物を見る。
それから、残り少ない紙を見る。
最後に残った考えは、一つだけだった。
今夜は寝られない。
生の樹脂は、無事に届けられました。
これで今回の任務も、ひとまず正式に完了です。
少し時間があるなら、島の中を見て回りましょう。
ついでに、繁茂仙境にしかない特別な素材も探してみます。
今回は、ちょっとしたつなぎの節として読んでいただければと思います。
あまり多くは語りません。
どうぞ第三節「残していく場所」をお楽しみに。




