第7章:タラワの硝煙、海軍陸戦隊の着剣、そして変態どスケベ英霊
――ガコンッ、ガバチョッ!!
日産80型トラックの、重厚なスチール製運転席のドアが、内側から激しい力で蹴り開けられた。
車内から溢れ出してきたのは、現代の北海道には存在し得ない、凍りつくような「戦場の死臭」と、炸薬の燃えカス、そして人間の強烈な焦げた汗の臭気だった。
ステップに軍靴をかけ、地面へと力強く飛び降りてきたのは、一人の若い男だった。
その頭上には、帝国海軍を象徴する「丸に錨」の肉厚な真鍮製徽章がハッキリと刻まれた、九〇式鉄帽。鉄帽の表面には、激戦地タラワ環礁のサンゴ礁の白い粉塵と、茶色い泥がこびりついている。
身にまとっているのは、南洋戦線特有の薄手ながら頑丈な、海軍陸戦隊用三種軍服だ。擦り切れた階級章には、確かに縦の一本線に桜星が一つ――『水兵長』の階級が示されていた。
「誰だ貴様はッッ!!!!」
鼓膜を破らんばかりの怒号。
男の顔は、南洋の強烈な紫外線によって真っ黒に日焼けし、乾いた血と汗、そして火薬の硝煙でドロドロに汚れていた。だが、その奥にある双眸は、ギルバート諸島で数倍もの米海兵隊を迎え撃った地獄を生き抜いてきた者だけが持つ、刺すような、痛いほどの殺気を放っている。
ガシャリ、と金属の冷たい噛み合わせ音が響く。
男が構えたのは、全長1,276ミリメートルにも及ぶ、帝国軍人の魂――三八式歩兵銃だった。
その銃口の先端には、長さ40センチメートルを超える三十年式銃剣がガチリと着剣されており、裸電球の薄暗い光を反射して、ぞっとするような鈍い銀色の輝きを放っている。その切っ先が、寸分の狂いもなく俺の喉元へと突きつけられた。
(ひっ……! こ、これが、俺のひいおじいさん……!?)
お仏壇の上で優しく微笑んでいた遺影の面影はどこへやら、そこにいるのは紛れもない、戦場という狂気の中で生きる「カチコチの皇軍兵士」そのものだった。
俺は全身が強烈な冷や汗で粟立ち、喉がカラカラに干からびて、誰何されても何と言っていいか分からず戸惑うことしかできなかった。三十五歳の引きこもりニート男が、実戦帰りの海軍陸戦隊の殺気に勝てるわけがない。
緊迫が極限に達し、ひいおじいさんの指が三八式歩兵銃の引き金にかけられた、その時。
「はじめまして。私はリムと申します」
リムがすっと俺の前に進み出た。
彼女は鋭い銃剣の刃先を恐れる風もなく、むしろ迷子をあやすかのような、どこか物悲しくも温かい笑みを浮かべて、その黒髪を夜風に揺らした。
「岡田竹蔵様。どうか銃を収めてください。ここはあなたが戦っていた南洋の島ではありません。あなたの故郷、北海道の別海町ですよ」
「な……な、何だと……!? 別海だと……!? ここは横須賀でもタラワでもないというのか!?」
ひいおじいさん――竹蔵水兵長は、銃剣を構えたまま口をポカンと開けた。
その隙を逃さず、リムは優しく、だが残酷な現実を諭すように言葉を重ねる。
「ええ。現在は大東亜戦争が終結してから長い年月が流れた、2025年。戦後八十年が経った世界です。竹蔵様……あなたは、あの赤道直下の激戦地タラワ環礁で、米軍の猛攻の前に玉砕され、戦死されたのです。本当にお気の毒でした……」
「わしが、……戦死……? 玉砕……?」
「はい。ですが、あなたが祖国を守るために戦ったその血筋は、現代でも死に絶えることなく、こうしてきちんと繋がっていますわ。……ほら、こちらにいるのが、あなたの血を引く、ひ孫にあたる良太さんです」
リムが俺を指差す。俺はただ、コクコクと激しく首を縦に振ることしかできなかった。
「きっと、お辛い軍隊生活だったのでしょう。異郷の灼熱の砂の上で、水も食料も尽き、艦砲射撃の雨に晒されて、どれほど苦しかったことか……。竹蔵様、あなたのその行き場のない、苦しかった思いを、どうか今、私たちにぶつけてください。私たち岡田の家族も、私も、全力でそれを受け止めますから」
リムの、シャーマンとしての慈愛に満ちた聖母のような言葉が、八十年間、タラワの冷たい砂の底で凍りついていた英霊の心を溶かした。
三八式歩兵銃の銃口が、がくりと地面に落ちる。
次の瞬間、静まり返った岡田牧場のガレージに、雷鳴のような大声が木霊した。
「……大日本帝国海軍、横須賀鎮守府所属、岡田竹蔵水兵長でありますッッ!!!!」
自分の生きた証を証明するかのように絶叫した直後、竹蔵は大粒の涙をボロボロと流し、その場に膝をついて項垂れた。
八十年間、誰も褒めてくれなかった。誰もその死を看取ってくれなかった。その無念の感情が一気に決壊し、彼は子供のように嗚咽を漏らして肩を震わせる。
その細く、傷だらけの背中を、リムが「よし、よし」と優しくさすってあげる。
俺もまた、意を決して地面に膝をつき、ひいおじいさんの肩にそっと手を触れた。
「ひいじいちゃん……」
触れた肩は、現代の飽食の時代を生きる俺たちとは違い、驚くほど小柄で、骨張っていて、痩せ細っていた。この小さな身体で、あの地獄の戦場を国のために戦い抜いたのだ。
胸の奥から熱いものが込み上げてくる。
「ひいじいちゃん……やっと、やっと会えたね……」
俺の言葉を聞き、竹蔵はゴシゴシと軍服の袖で涙を拭うと、ガバッと顔を上げた。
「……すまなんだ。皇軍の兵士たる者が、みだりにおなごの前で涙を流すなど、恥ずべき醜態であった」
「いいえ、大丈夫ですわ。それほどお辛かったのでしょう」
リムが微笑む。
涙を拭った竹蔵は、月明かりと裸電球の下で、改めてリムの姿をじーーっと見つめた。その目が、涙の潤みから徐々に、何か別のギラギラとした輝きへと変化していく。
「……しかし、驚いたな。わしが子供の時分、この別海の地ではよくアイヌの子供たちと泥にまみれて遊んだものだが……これほど、これほどのべっぴんさんのアイヌのお嬢さんは、生まれて初めて見たぞ……」
「え……?」
リムが小首を傾げる。
竹蔵の呼吸が、徐々に荒くなっていく。汗と硝煙にまみれた顔が、ジワジワと歪み、何とも言えない下品で不名誉な「変な表情」へと変貌していくのを、俺は見逃さなかった。
(ま、まさか……この流れ、デジャヴ(既視感)が凄すぎるんだけど……!?)
俺が焦って冷や汗を流した、次の瞬間だった。
あろうことか、召喚されたばかりの英霊・岡田竹蔵水兵長は、海軍仕込みの恐るべき電光石火の機敏さをもって、両手をワシッと突き出した。
そして、リムが借りて着ていたお袋のスウェットの上から、彼女の豊かなおっぱいと、プリッとしたお尻を、これ以上ないほど見事な手つきで同時に鷲掴み(わしづかみ)にしたのだ!!
「おおおお! なんという柔らかさ! なんという弾力! 素晴らしい! お国の為に戦った兵隊だしな、わしは……ぐへへ、もうわしは今すぐタラワに逆戻りして死んでもいいッッ!!!!」
満面のゲス顔で歓喜の雄叫びを上げるひいおじいちゃん。
一瞬の静寂。
そして、リムの二重瞼の瞳の奥で、さっきの良太の時を遥かに凌駕する、超新星爆発級の怒りの暗黒物質が炸裂した。
「この、……変態どスケベ英霊がーーーーーーっっっっ!!!!」
――ドバッッッッキョォォォーーーンッッッ!!!!
夜の別海町に、さっきの軽トラの前をも凌駕する、音速を超えた凄まじい大爆音のビンタが炸裂した。
リムの神速の右ストレート気味のビンタを喰らった竹蔵水兵長は、九〇式鉄帽を遥か彼方へと吹っ飛ばされながら、ガレージの壁まで肉弾戦車のように吹っ飛んで激突した。
「あぶばばばばっ!?」
壁にめり込んだひいおじいちゃんは、完全に白目を剥き、アイヌの呪いでもかけられたかのように口からブクブクと白い泡を噴き散らしている。
ピクピクと痙攣する足。戦後八十年の奇跡の召喚は、わずか三分でランジェリー好きのシャーマンの手によって物理的に粉砕された。
竹蔵は、泡を噴きながら、最後に残った僅かな意識で、同じく全裸つなぎ姿のひ孫(俺)の方を弱々しく見つめ、ガクリと首を落としながら力なく呟いた。
「……全く……岡田家の男は、どいつもこいつも……女にだらしがねえな……」
「お前が言うなあああああああああっっっ!!!!」
ガレージの奥で、ひいおじいちゃんのゲスな遺伝子を100%引き継いでしまっていたひ孫の、これまた悲痛なツッコミが響き渡る。
隣では、リムが「フンスッ!!」と肩で息をしながら、手の甲の刺青を真っ赤に怒らせて腕を組んでいた。
帝国海軍日産80型トラックのラジエーターからは、まるでこの岡田家の不条理なドタバタ劇に呆れるかのように、プシューと白い蒸気が虚しく立ち上るだけだった。
(第7章・終わり)




