↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/10

第3章:母親のポジティブフィルターと、今夜は美味しい石狩鍋

 岡田牧場の端に爆誕した、白亜紀の空の王者プテラノドン。

 それが「キエエエエエエッ!」と甲高い金属音のような大咆哮を上げ、巨大な皮膜の翼をバサバサと羽ばたかせるたびに、突風が吹き荒れて離れのトタン屋根がガタガタと悲鳴を上げる。

 そのすぐ足元には、灰色の巨体を誇るエゾオオカミのウルフが悠然と佇み、その横ではアイヌの美少女リムが、未だにフンスと怒り顔のまま腕を組んでいる。

 完全に世紀末、いや白亜紀。

 三十五歳独身の居候男が、自宅の裏庭で直面していい情報量じゃない。

「おい、良太! 一体全体、何の騒ぎだい!?」

 その時、暗闇を切り裂くように一本の懐中電灯の光が差し込んできた。

 母屋の方から小走りで近づいてきたのは、俺の母親である岡田由里子(おかだゆりこ)だった。

(あ、……やばいっ!!!!)

 俺の脳内に、一気に真っ赤な警告灯がパトランプのように激しく回転し始めた。

 よりによって一番見つかってはいけない、岡田家の家計と家庭環境を牛耳るお袋が登場してしまった。

 冷や汗どころじゃない、嫌な汗が脇の下から滝のようにドバドバと流れ落ちる。

 なんて説明したらいい!?

「ちょっとお隣の遺品整理に行ったら、アイヌのシャーマンの女の子に『変態童貞スケベ野郎』って罵られてビンタされて、その腹いせにうちの雄鶏を魔術でプテラノドンにしちゃいました!」なんて、正気の沙汰と思われるはずがない。一発で精神病院に叩き込まれるか、牧場から永久追放だ。

 俺がパニックのあまり白目を剥きかけていると、リムはすっと怒りの表情を消し、懐中電灯を持った母ちゃんに向けて、おっとりと上品に、そして完璧な所作で深く頭を下げた。

「お初にお目にかかります。私はリムと申します」

「……」

 母ちゃんは、手に持った懐中電灯をリムに向けたまま、完全に動きを止めた。

 目は点になり、開いた口からは言葉も出ない様子で、全身を小刻みにガタガタと震わせている。

 当たり前だ。夜の牧場に、突如として現れたアイヌの伝統衣装を着た刺青の美少女。そしてその後ろに控える巨大なオオカミと、ヘリコプター並みにでかい怪獣だ。ショックで卒倒してもおかしくない。

「りょ、……良太ぁっっ!!!!」

 地を這うような低い声で、母さんが俺の名前を呼んだ。

 ひっ、と短い悲鳴が喉から漏れる。俺はギュッと目を瞑り、すべての終わりを覚悟した。怒髪天を突いたお袋から、どんな怒号が飛んでくるのか――。

「なんて、……なんて可愛いアイヌのお嬢さんなのーーーっっ!!!!」

「……へ?」

 耳を疑うような、黄色い大歓声が夜空に響き渡った。

 俺が恐る恐る目を開けると、母さんは懐中電灯を放り出しそうになりながら、両手を頬に当てて大興奮で身悶えしていた。

「嘘でしょう!? うちの、あのパッとしない、人間関係が苦手で職を転々として優柔不断で居候ニート一歩手前の良太に、こんなに、こんなに可愛いガールフレンドがいたなんて!! 母さん、ちっとも知らなかったわよーーーっ!」

「いや、母さん、待って。ガールフレンドじゃなくて、これはその……」

 俺の必死の弁明など、お袋の耳には一ミリも届いていなかった。

 しかし、まだ残る最大の問題は、リムの後ろで「キエエエ!」と鳴いているこの凶悪な顔つきをしたジュラシック・パークの珍獣だ。いくらなんでも、これを見過ごすわけにはいかないだろう。

 俺が恐る恐るプテラノドンを指差すと、母さんはこれまた信じられないようなポジティブフィルター全開の笑顔でリムに話しかけた。

「リムちゃん、その子たちはあなたのペットかしら? まぁぁ、随分と大きくて立派なシベリアンハスキーだこと! それに、後ろにいるのは……まぁ! なんて立派なオオタカ(大鷹)なのかしらねぇ! ハスキーにオオタカだなんて、本当に素敵な組み合わせだわ! やっぱり、アイヌのお嬢さんはこうでなくっちゃねぇ!」

(オオタカ……!? ハスキー……!?)

 俺は空いた口が塞がらなかった。顎が外れるかと思った。

 どう見ても絶滅したはずの巨大エゾオオカミだし、後ろの奴に至っては鳥類ですらない、白亜紀の爬虫類(翼竜)だぞ。クチバシの形も翼の皮膜もどう見てもプテラノドンじゃねーか!!

 だが、母さんの目は、完全に「可愛い息子の恋人(仮)」という大金星の前に、すべての現実を都合よくねじ曲げて解釈していた。

「リムちゃん、これから夕ご飯なんだけど、一緒に食べていく? 急なことで、特にたいしたご馳走はないんだけれど……」

 母ちゃんの優しいお誘いに、リムはそれまでの俺への冷徹な態度が嘘のような、満開のひまわりみたいな極上の笑顔を咲かせた。

「ありがとうございます! 実は私、お腹がペコペコなんです。……それに、もし許されるのでしたら、これからも良太様のお側において頂けると、とっても嬉しいです。牧場の仕事はあまりお手伝いできないかもしれませんが、家事ならとっても得意ですの」

 首を少し傾げ、健気に微笑むリム。手の甲の刺青すら、今の母ちゃんには高貴なチャームポイントにしか見えていないようだった。

「いいのいいの! 大丈夫よぉ!!」

 お袋は、なんと両目から滝のような涙をジャージャーと流しながら、感動のあまり絶叫した。

「何も問題なんてないわ! リムちゃんみたいな、こんなに素敵で、礼儀正しくて可愛いフィアンセ(婚約者)なら、農作業なんてしなくていいのよ! 良太、お前本当にやったわね! 見直したわ!」

「いや、だからフィアンセじゃなくて……」

「よし、今夜は奮発して石狩鍋よ! 鮭もいくらもたっぷりあるから、みんなで一緒にお腹いっぱい食べましょうね! お風呂も、ちょうど一番風呂が沸いているわよ、さあ入って入って!」

「嬉しいです。お母様、お言葉に甘えさせていただきますね」

 母ちゃんとリムは、まるでもう何年も連れ添った本物の義理の親子かのように、和気藹々と笑顔で腕を組みながら、楽しげに母屋の方へと歩き出してしまった。

 荷台から降りたウルフも、心なしか嬉しそうに尾を振りながら、二人の後ろをトコトコとついていく。

 ぽつんと、別海町の冷たい夜風の中に一人取り残される、三十五歳独身の俺。

 そして、岡田牧場の敷地の端で、外灯に照らされながら「キエェ……?」と寂しそうに首を傾げている、元・雄鶏のプテラノドン。

(……俺の人生、これから一体どうなっちゃうんだ?)

 遠くから、母さんたちの「石狩鍋、美味しいわよぉ」「楽しみです!」という賑やかな声が響く中、俺はただただ、空いた口を塞ぐことができないまま、呆然と突っ立っていることしかできなかった。

(第3章・終わり)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。