第2章:変態童貞スケベ野郎と、別海町の空を舞うプテラノドン
佐藤家からの帰り道。ガタゴトと揺れるスズキの白い軽トラの車内で、俺はぽつりぽつりと自分自身のことを話し始めていた。
三十五歳にもなって実家の牧場に居候していること。専門学校を出て介護福祉士や保育士の資格を取ったものの、とにかく生まれつき人間関係、対人関係が苦手で、どの職場に行っても長続きせずに逃げ出してしまったこと。
そんな情けない、俺のこれまでの冴えない経歴を、助手席のリムは「うん、うん」と静かに相槌を打ちながら、ただ黙って聞いてくれた。
(……なんか、少し嬉しいな)
普段、岡田家の中では「居候のニート同然」として扱われている俺だ。親父や兄貴からは小言ばかり言われるし、自分の話をこんな風に優しく、真剣に聞いてもらえるなんて何年ぶりのことだろう。狭い車内に漂うリムの微かな植物のような香りが、俺の張り詰めた心を少しだけ解きほぐしていくようだった。
やがて軽トラは、岡田牧場の敷地の端にある、小さな平屋の建物の前に到着した。
元々は牧場で働いてくれていた従業員たちに貸し出していた離れなのだが、今は空き家になっているため、肩身の狭い俺の独身寮兼シェルターとして使っている場所だ。
サイドブレーキを引き、エンジンを切る。夜の静寂が降りる中、俺はハンドルを握ったまま、少し言いづらそうに助手席のリムへと向き直った。
「あのさ、リム。君を頭から疑うわけじゃないんだけど……やっぱり、まだ初対面だし、正直なところ完全に信用するっていうのは厳しいかな。俺、目に見えないスピリチュアルなものって、なかなか信頼できないタチだしさ。まあ、しばらくここに泊まるくらいなら構わないんだけど……」
俺の言葉を聞いた瞬間、リムはあからさまに「シュン……」と肩を落とし、悲しそうな表情を浮かべた。長い睫毛が伏せられ、口元の刺青が心なしか寂しげに見える。
(あちゃー……ちょっと言い方が直球すぎたか? 傷つけちゃったかな……)
気まずさに俺が身をよじる中、リムは大きな二重瞼の瞳を潤ませながら、俺を真っ直ぐに見つめてきた。
「……どうしたら、私を信頼していただけるのですか? これでも伝統あるシャーマンですから、やたらみだりに魔術や奇跡をお見せするわけにはまいりませんわ。良太様、何がお望みなのですか? 私は……ただ、私をお世話してくださる方の幸せを、一番近くでお手伝いしたいだけなのです」
まっすぐな、純粋すぎる言葉だった。
だが、そんな健気な美少女の姿を見て、三十五年間まともに恋愛をしてこなかった俺の汚れた脳細胞が、最悪の方向にバグを起こしてしまった。
俺の口元が、だらしなくニヤニヤと歪む。
「……ってことはさ、これから俺とこの離れで、二人きりで暮らすってことだよね? え、じゃあさ、俺がしてほしいこと、なーーんだって、何でもしてくれるの……?」
我ながら、最低に下卑た顔をしていた自覚はある。ちょっとした冗談のつもりだった。ほんの少し、男としての優位に立ちたかっただけなんだ。
だが、次の瞬間。
リムの表情から、一切の感情が消え失せた。
ゾクッ、と背筋が凍るような冷気が車内に走る。
リムは、文字通り「汚物」か「害虫」を見るかのような、圧倒的な軽蔑と侮蔑の表情で俺を睨みつけていた。その二重瞼の大きな瞳の奥には、ドス黒く激しい怒りの炎がパチパチと燃え盛っている。
「ひっ……」
あまりの恐怖に、俺の額から大量の冷や汗が噴き出した。引きつった笑いを浮かべたまま固まる俺に向けて、リムは氷点下の声で言い放った。
「信じられません。そんないやらしい方だとは思いませんでした。……女性は、あなたの性のはけ口ですか?」
「いや、あの、これはその、冗談で――」
「この、変態童貞スケベ野郎っっ!!!!」
――パパーーーーーンッッッ!!!!
夜の別海町に、乾いた強烈な破裂音が響き渡った。
リムの華奢な右腕から繰り出されたとは到底思えない、神速かつ超重量級のビンタが俺の左頬に炸裂する。凄まじい衝撃波と共に軽トラのドアが勢いよく開き、俺はそのまま運転席から地面へと上下逆さまに吹っ飛んで、無様に尻餅を着いた。
「いっ、いってえええええ!?」
火を吹いたように熱い頬を押さえ、涙目で地面に転がる俺を見下ろし、リムは冷酷に言い捨てた。
「ウルフ、行きましょう。別のお宅を探しますわ。こんな不潔な男のそばには一秒たりとも居たくありません」
リムが軽トラの助手席から降り、荷台から音もなく飛び降りた巨大オオカミのウルフを従えて、すたすたと歩き出す。夜の闇へ消えようとするその背中を見て、俺はパニックになった。ここで彼女を逃したら、俺の人生は本当にただの暗黒居候ニートで終わってしまう!
「ごめん! ごめんなさい! 今のは完全に俺が悪かった! 冗談なんだ、ちょっと調子に乗っただけなんだよ! もう二度と、絶対にそんな下品なことは言わないから! お願いだから許してくれ、置いてかないでくれーーーっ!」
三十五歳の男が、地面に額を擦り付けんばかりに必死の土下座で謝罪する。
その見苦しい姿を見たリムは、足を止め、感情の消えた無表情のまま、ぽつりと呟いた。
「……私を信用できない、ただの頭のおかしい女だと思っているのでしょう?」
「違う! 信じたい! 君の力を、本当は信じたいんだ!」
俺は必死に周囲を見回した。たまたま、離れの横にある鶏小屋からトボトボと歩き出てきていた、実家で飼っている一羽の雄鶏が目に留まる。俺はその雄鶏をガシッと両手で掴み上げ、リムに見せるように差し出した。
「じゃ、じゃあさ! 少し試すみたいで悪いんだけど……こいつ、この雄鶏をさ、何か凄い感じにでかくできるか!? もしできたら、俺、何がなんでも君を信じるし、一生全力で養わせてもらうから!」
藁にもすがる思いの、必死の提案だった。
リムは怒りの表情を崩さないまま、冷たい目で俺と雄鶏を交互に見つめ、コクリと頷いた。
「……分かりました。大きくしたら、私を養ってくださるのですね?」
「ああ! 男に二言はない! 大きくしてくれ!」
俺が大きく頷いた、その直後だった。
リムは怒りに燃える顔のまま、両手を天へと突き上げ、アイヌの神秘的な呪文を夜空に向かって鋭く叫んだ!
「――カムイ・オプシレ・ピリカ!!」
一瞬、目の前が真っ白な閃光に包まれた。
気がつくと、俺が両手で持っていたはずの雄鶏の感触が、いつの間にか綺麗さっぱり消え失せていた。手の中は空っぽだ。
「え? 消えた……? どこ行ったんだ?」
呆然としながら、俺はなんとなく上空を見上げた。
夜空の向こう、満月の光を遮るように、上空から巨大な「影」が猛烈な勢いで降下してくるのが見えた。
バサッ! バササササササッッ!!
激しい突風が吹き荒れ、離れの屋根がガタガタと鳴る。
「なんだ!? ヘリコプターか!? それとも、もの凄く巨大なオオワシか何かか!?」
俺が目を見開く中、その「影」は凄まじい風圧と地響きを伴って、岡田牧場の敷地の端へとダイナミックに着地した。
外灯の明かりに照らし出されたのは、あまりにも異常な、現代の地球上に存在してはならない生き物の姿だった。
巨大な、航空機並みの翼幅を持つ漆黒の皮膜の羽。長く尖った凶悪なクチバシ。頭部の後ろへと長く伸びた独特のトサカ。それは全身を荒々しく震わせながら、まるで断末魔の悲鳴のような、甲高い金属音めいた鳴き声を夜空に轟かせた。
「キエエエエエエエエエエエオオオオオオオッッッ!!!!」
その姿を見た俺は、顎が外れるかと思うほど口を開き、自分の左頬のビンタの痛みを完全に忘れて絶叫していた。
「って、プテラノドンじゃねーか!!!!」
ただの田舎の雄鶏が、まさかの白亜紀の空の王者へと超絶進化。
別海町の穏やかな酪農地帯に、絶滅したはずの巨大オオカミに続き、今度は恐竜まで爆誕してしまった。
俺は、隣で未だにフンスと怒り顔のまま腕を組んでいるアイヌの美少女シャーマンを、恐怖と戦慄を込めて見つめることしかできなかった。この女、本物どころの騒ぎじゃない、文字通りのバケモノだ――!!
(第2章・終わり)




