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第7話:広がっていく灯

駅前での救助から、数か月が過ぎていた。


剛志の日々は、任務と訓練で埋まっていた。


現場へ向かい、誰かを支え、帰って眠る。


その繰り返しは、今の剛志にはありがたかった。


立ち止まると、春の駅前で言えなかった言葉が戻ってくる。


左手首のブレスレットに触れていた藍子の指。


「ありがとう、剛志」と言った声。


祝福した言葉に嘘はなかった。


それでも、痛みが消えたわけではない。


あの日、救助を終えて部屋へ戻れたのは、日付が変わる頃だった。


着替えようとした拍子に、ポケットから財布が落ちる。


床へぶつかった財布が開き、内側に挟んでいた小さな写真が見えた。


高校一年の夏休み、ゲームセンターで藍子と二人で撮ったプリクラ。


最後の一枚には、肩を並べて自然に笑っている二人がいた。


写真の端には、藍子が書いた日付と、小さな星。


『高校に入って最初の夏休み』


剛志は財布を拾い上げ、プリクラへ指を触れた。


『なくさないでね』


あの時の声が、耳の奥に蘇る。


約束どおり、一度もなくさなかった。


あの頃は、まだ時間があると思っていた。


強くなれば、いつか胸を張って気持ちを伝えられると思っていた。


けれど、もう伝えることはできない。


剛志はプリクラを持ったまま、床へ座り込んだ。


喉の奥から、息とも声ともつかない音が漏れる。


俯いた視界の中で、写真の二人がゆっくりと滲んでいった。


どれほどそうしていたのかは分からない。


やがて剛志は目元を拭い、プリクラを財布の元の場所へ戻した。


捨てることなど、できなかった。


だから剛志は、次の現場へ向かった。


誰かを支えている間だけは、自分がまだ前へ進めている気がした。


その日も、剛志は任務を終えて協会へ戻っていた。


昼下がりの柔らかな陽射しが、インサイダー協会ロビーの大きなガラス窓から床へ流れ込んでいた。


受付前ではクエストを終えたインサイダーたちが任務報告を行い、事務職員が書類を抱えて行き交っている。


帰還した隊員たちの戦闘服には土埃や泥が残り、回復班の担架が廊下を通り過ぎていった。


剛志も任務報告を終え、報告書へ最後の署名を書き込む。


「ありがとうございました」


受付係が書類を受け取り、頭を下げた。


それから、少し困ったように笑う。


「岩山さん。最近、話題になっていますね」


突然そう言われ、剛志は首を傾げた。


「え?」


「動画、見ました」


「動画?」


「駅前の地震の時のです」


その言葉に、崩れた駅前の光景が蘇る。


両腕へ落ちた瓦礫の重さ。


粉じんの苦さ。


助けを求める声。


あの日は、それ以外のことを考える余裕などなかった。


「誰かが撮っていたみたいですよ。今、かなり話題になっています」


剛志は苦笑した。


「そうなんですか……。全然知りませんでした」


「興味ないですか?」


「……あまり」


剛志は視線を落とした。


仕事を終え、帰って眠り、翌日にはまた現場へ向かう。


それだけで毎日が過ぎていた。


動画やSNSを見る時間も、ほとんどない。


受付係は表情を緩めた。


「岩山さんらしいですね」


その時、ロビーの自動ドアが開いた。


小学生くらいの男の子を連れた若い夫婦。


杖をついた老人。


会社員らしい男性。


どこか見覚えのある顔ぶれに、受付係が顔を上げ、そのまま剛志を見た。


「あっ、岩山さん。少しだけ、お時間ありますか?」


「はい?」


剛志が振り向く。


親子は緊張した様子で立ち止まっていた。


男の子は母親の後ろへ半分隠れている。


母親が、その背中を優しく押した。


「ほら。ありがとうって」


男の子は頷き、一歩だけ前へ出る。


両手で画用紙を抱え込み、指先へ力を込めていた。


「……あの」


小さな声だった。


剛志は自然と腰を落とし、目線を合わせる。


「どうした?」


男の子は画用紙を差し出した。


そこには、色鉛筆で描かれた絵があった。


大きな瓦礫の下で泣いている人々を、一人の戦闘服姿の男が両腕を広げて支えている。


線は少し不格好だった。


それでも、一生懸命描いたことだけはすぐに分かった。


絵の上には、大きな文字。


『ありがとう』


剛志の指が止まった。


男の子が、照れくさそうに笑う。


「あの時……助けてくれて、ありがとうございました」


母親も深く頭を下げた。


「あの日、この子は建物の中にいました。あなたが支えてくださらなければ……」


声が震え、続きは言葉にならなかった。


剛志は画用紙を受け取ったまま、何も返せない。


その後ろから、杖をついた老人が一歩前へ出た。


「あの時、わしも助けてもらいました。家族にもう会えないと思っておりました」


ゆっくりと頭を下げる。


「命の恩人です」


会社員の男性と若い夫婦も、それに続いた。


「おかげで、今も元気です」


「本当に、ありがとうございました」


礼の言葉が重なるたび、ロビーのざわめきが少しずつ遠のいていく。


剛志は立ったまま、目の前の人たちを見つめていた。


あの日は必死だった。


藍子のこと。


崩れ落ちる建物。


助けを求める声。


次はどこだ。


それだけを追って走り続けていた。


誰を助けたのか、振り返る余裕などなかった。


けれど今、その一人ひとりが目の前に立っている。


男の子が、画用紙を渡したまま嬉しそうに言った。


「ぼくね。将来、インサイダーになる」


剛志は目を見開く。


「お兄ちゃんみたいになりたい」


その声が、剛志の中へまっすぐ届いた。


高校一年の春。


駅前の大型スクリーンを見上げながら、藍子が言った。


『守れる男って、かっこいいよね』


あの日から、剛志は一人のために走り続けてきた。


藍子を守れる男になりたい。


ただ、それだけだった。


けれど、目の前には今も生きている人たちがいる。


自分を見上げ、同じ道を目指そうとしている子どもまでいる。


(……守れた命は、一人じゃなかった)


ロビーの外で街路樹が揺れ、ガラス越しの光が画用紙へ落ちた。


剛志は受け取った絵を、両手で大事に抱えた。


「……こちらこそ」


剛志は男の子へ笑いかけた。


「生きていてくれて、ありがとう」


画用紙を持つ腕へ、わずかに力が入った。


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