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転生姫はお飾り正妃候補。愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
三章

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第16話 告白

政務室に、ひとりきりの静寂が落ちた。


扉が閉じたあと、アルシオンは動けなかった。

机に置いた指先が、震えている。


胸の奥で何かが軋む。

叫びたい言葉はただ一つだった。


行くな。


だが言えない。

王太子として――

そして、あの別れを抱えた自分として。


視線の先に、セレナが置いた小さな帳面があった。

拾い上げた指が、かすかに震える。


正妃でなければ……ここにいる理由がない、か。


痛みが胸を刺す。


アルシオンは額を押さえ、深く俯いた。


俺は……王太子でさえなければ。


その一言が、初めて胸に落ちた。





政務室の前に立ったとき、ラシードは扉越しに“違和感”を覚えた。


中にあるはずの気配が、妙に静かだった。


……また、何かあったな。


扉を二度、静かに叩く。


「殿下。ラシードにございます」


すぐ返答があると思っていた。

やっと返ってきた声は、低く、かすれていた。


「……入れ」


ラシードは眉をわずかに寄せた。


扉を押し開けると、アルシオンは机に片手をつき、深く俯いていた。

政務に疲弊したというより――心臓を抉られた様子だった。


……やはり。


しかし表情には出さず、

ラシードは机の前で丁寧に一礼した。


「殿下。王妃陛下の“密書”について、対応案をご用意しました」


アルシオンは息を殺すように顔を上げる。


「……聞こう」


その異様な弱さに、ラシードは内心で警鐘を鳴らす。


「まず一案。王妃陛下を後宮の外、離宮に“療養”として退かせる。

 二案目。密書の出所について正式な尋問を行い、動きを封じます。

 三案目は……王妃派の侍女筋を一斉に切り離し、情報網を遮断すること」


殿下は机に視線を落としたまま、返事をしない。


沈黙が落ちる。


ラシードは僅かに目を伏せ、静かに口を開いた。


「殿下。ご判断をいただければ、すぐに動きます」


返ってきたのは、押しつぶされたような声だった。


「……少し……考える時間をくれ」


ラシードは目を細めた。

殿下の決断が鈍るのは、極めて珍しい。


そして気づく。


机を押さえる殿下の手が、僅かに震えていた。


静かに一礼し、背中を向ける。


「かしこまりました、殿下。

 ただし王妃陛下の件は猶予のない問題です。

 ご体調と……お気持ちの整理を、急ぎ願います」


一歩だけ歩み、扉の前で振り返る。


殿下の顔は、深い影に沈んだままだった。


……セレナ様か。


しかしそれ以上考えず、扉を静かに閉じた。


音もなく閉ざされた政務室の向こうで、

殿下の沈黙が、重く、深く落ちていくのを感じながら。





部屋の窓から差し込む夕光の中で、湯気の立つ茶器だけが静かに揺れていた。


セレナは椅子に腰を下ろすと、小さくため息を落とした。


……いけない。あんな顔を見たくらいで、揺らいでどうするのよ。


けれど胸のざわつきは消えない。背を向けたときのアルシオンの表情が、繰り返し脳裏をよぎる。


正面で控えていたリサが、おずおずと湯を注ぎ足した。


「セレナ様……お疲れでしたら、少し甘い菓子でも……」


「……ありがとう、リサ。大丈夫よ」


セレナは手元の湯呑みをそっと包み込む。温もりが指先を助けてくれるようだった。


そもそも……“好き”だなんて、言われてない。


じわりと悔しさが込み上げる。


「……殿下の、ああいう顔……反則よ」


「で……殿下が、ですか?」


リサがほわっと赤くなり、セレナは慌てて茶器を置いた。


「ち、違うの。ただ……少し、困るというか……」


視線が泳ぎ、声がかすかに上ずる。


「あんな声で“行くのか”なんて言われたら……揺らぐに決まってるでしょう!」


「せ、セレナ様……」


「そんな事言って……私を選ぶつもりなんてないくせに!」


ぽた、と湯呑みの縁に涙が落ちそうになり、セレナは慌てて袖で拭った。


も〜……まさか、あの人にこんな心乱されるなんて。


――コツ。


重い靴音が、廊下から近づいてきた。リサの肩がびくりと跳ねる。


「……姫様」


静かな声。振り向くと、扉からラシードが姿を現した。


後宮の私室に踏み込むなど、本来ならあり得ない。それだけで空気が一瞬で引き締まった。


「ラシード様……?」


セレナが立ち上がると、ラシードは深く一礼し、低く声を落とす。


「……急ぎお伝えせねばならぬ事がございます。どうか、こちらへ」


いつもの穏やかな気配ではない。


セレナは胸の奥で小さく息を飲んだ。


「……リサ、席を外していて」


「は、はいっ……!」


リサが退室すると、ラシードは周囲を確認し、懐から羊皮紙を静かに取り出した。


セレナは息を呑む。


「これは……」


「検問所で発見された“王妃の贈与品”の中に入っておりました」


ラシードは羊皮紙を広げた。


「内容は、“神託は偽り。北境を揺らし、戦を再び燃やせ”というもの。そして……王妃陛下の私印が押されています」


「……王妃陛下が……?」


胸が冷たくなる。


「殿下もすでに目を通されました」


「では、殿下が……」


「――動けません」


ラシードの声音が鋭く沈む。


「姫様。王妃陛下に直接手を伸ばせるのは、国王陛下と枢密院のみ。王太子が王妃を糾せば、それは“王権への反逆”と解釈されます」


セレナは息を呑む。


「……殿下が……反逆に?」


「はい。王妃陛下は“后位”。王太子より上の位階です。その后を告発すれば、王妃派の貴族・宗教・後宮筋が一斉に立ち上がる」


ラシードは一歩近づき、声をさらに落とした。


「戦が再燃しかねないほどの内乱になります。そして矛先は――必ず、姫様へ向きます」


セレナの目がわずかに見開かれる。


「……私に?」


「はい。終戦を“神託”によって成立させた象徴が、姫様です。

 だからこそ……最初の標的になりましょう」


セレナは背筋が凍るのを感じる。


「加えて……姫様が正妃となれば、

 王太子殿下の正統性は揺るぎません。


 それは――王妃派にとって、

 最も都合の悪い未来です」


ラシードは視線を逸らさず、静かに告げた。


「殿下は……それを分かっておられる。だから『動かない』のではなく……“動けない”のです。姫様を守るために」


ラシードはさらに言葉を重ねた。


「そして――王妃陛下を止められるのは……姫様だけです」


「……私が?」


「はい。侍女筋、女官長筋、後宮監……後宮を抑えているのは他ならぬ姫様です。姫様が動けば、王妃派の道を塞ぐことができる」


ラシードは深く一礼した。


「どうか……後宮に留まり、我らと共に王妃陛下の動きを封じていただきたい。殿下も、本心では――……姫様に行ってほしくはないはずです」


セレナは胸に手を当て、そっと視線を落とした。


あの人は……。


心の奥が静かに揺れた。





夜の宿舎は、いつもより静かだった。

灯りの下、兵たちが木箱を囲み、杯を傾けている。


サフィアは、少し離れた柱の影から、その様子を目にしていた。


「……こうして飲むの、久しぶりだな」


「凱旋でもねぇのに。不思議なもんだ」


苦笑混じりに、別の兵が杯を揺らす。


「勝ったって胸張れる終わりじゃねぇ。

 負けたわけでもねぇけどよ」


「それでも――」


言葉を切り、杯を見つめる。


「“よくやった”ってことだろ。

 殿下から、わざわざ酒が出るなんて」


誰かが、ぽつりと漏らす。


「……前線に出てねぇ俺らにも、か」


「だからだろ」


別の兵が、低く笑った。


「“戦ってたのはお前らだけじゃねぇ”って」


杯が、静かに合わさる。


「派手な凱旋はまだ先でもさ。

こういうのがあると……」


「見放されてねぇって、思えるよな」


その言葉に、誰も返さなかった。

ただ、酒を飲む音だけが、静かに続く。


柱の影でカリムがぼそりと呟いた。


「……あの姫様、ほんとすげぇな。

 兵のこと、ここまで考えられるなんてよ」


返事はなかった。


いつの間にか、サフィアが前に出ていた。


「……少しは、報われた気持ちになれたのかな」


杯を交わす兵たちから、ふっと視線を外す。


「……よかった」


それ以上、何も言わなかった。


サフィアはそのまま踵を返し、音も立てずに去っていく。


カリムは一瞬だけ、その背中を目で追い――

やがて、小さく息を吐いた。





夜の後宮は、昼よりも静かだ。

外からの風すら届かず、月光だけが回廊に薄く落ちている。


アルシオンは足音を殺しながら歩いていた。

目的の場所など、考えずとも体が覚えていた。


──セレナの部屋。


部屋の前に立った瞬間、胸の奥がきゅっと縮まる。


……来るつもりでは、なかったのだが。


あれほど揺れたくせに。

引き止める言葉すら言えなかったくせに。


指先が扉に触れ、ノックしようとして止まる。


俺は……何をしに来たんだ。


ただ会いたい。

声が聞きたい。

行くなと言いたい。


けれどそれを口にする資格は、王太子にはない。


息を殺した、そのとき――

中から、ふわりと気配が動いた。





セレナは寝台の上で台帳を閉じた。


「……誰かしら」


暗殺未遂のあと、空気の変化に異様に敏くなってしまった。


侍女にしては、静かすぎる気配。


「……殿下?」


セレナは思わず、扉へ近づいた。


ノックも、声もない。


ラシードの言葉がよみがえる。


――殿下は、姫殿下に行ってほしくはないはずです。


……私も、聞かなければならないことがある。


セレナはゆっくり扉を開けた。


「殿下……」


アルシオンは弾かれたように顔を上げた。


月光に照らされたセレナを見るなり、

肩がびくりと震える。


「……セレナ……?」


セレナは静かに言った。


「殿下……どうぞお入りください」


アルシオンは戸惑いながらも、部屋へ足を踏み入れた。


扉を閉めた勢いで、香炉の煙が揺れる。


セレナが胸の前で指を揃え、ゆっくりと向き直る。


「殿下……私の話を、聞いていただけますか……?」


アルシオンは喉を鳴らし、

小さく頷いた。


「……聞かせてくれ」


セレナは深く息を吸い、語りだした。


「私は……入内した時、殿下の正妃候補になれたことが

 本当に嬉しく、誇りでした」


言い切ると、セレナはそっと目を伏せた。


「ですが、殿下に恋人がいて……

 正妃になれないと知ったとき……

 後宮で、どう生きればいいのかと、心が沈みました」


ゆっくりと顔を上げる。


「だけど、今では……自分の力で切り開いてきたことが、誇りになりました」


そこまで告げると、セレナは胸の前で指を軽く揃え、

静かに息を吸い込んだ。


「これからも、私が築いたものを守りたい。

 大切にしたいと思っていました。

 ……ですが、私にはどうしても譲れないものがあります」


月光が、彼女の横顔で揺れる。


「私は……愛されたいのです。

 一人の女性として、見てもらいたい……」


セレナはほんのわずかに、息を整えた。


「それが、この場所で叶わないのなら……」


そして――

声を落とすように、静かに続けた。


「……私は、後宮を去ります」


言い終えると、セレナはそっと視線を伏せる。


静寂を裂くように、

アルシオンの呼吸が乱れた。


彼は顔を上げ、

苦しげに喉を震わせた。


「……それは……

 俺に“お前を失え”と言っているのと同じだ」


一歩、二歩と距離を詰める。


「……そんな未来、耐えられない……」


「セレナ」


名を呼ぶ声は、もう抑えの効かない熱を帯びていた。


「俺は……お前を失いたくない。

 立場も、役目も、何を失うことになろうとも……

 それでも――お前に残ってほしい」


セレナの瞳が揺れる。


アルシオンはさらに一歩寄り、

息が触れ合うほどの距離に立った。


「……言えなかった。

 お前を、危険に巻き込みたくなかった」


セレナの肩がかすかに震えた。


「だが……もう、言わずにはいられない」


アルシオンはそっと手を伸ばした。

だが、指先はセレナの頬のすぐそばで止まる。


ほんの一呼吸のためらい、低く囁く。


「……俺は、お前を愛している。

 セレナ」


セレナの瞳が大きく見開かれる。


「一人の女性として……

 “お前”として、愛している」


震える指先が、そっと頬に触れた。


アルシオンは真っ直ぐに言葉を重ねた。


「……行くな、セレナ。

 俺のそばにいてくれ」


その声音は、王太子ではなく――

ひとりの男の切実な願いだった。


「殿下……」


セレナの声は震えていた。


この人が――私を、見つけてくれた。


こらえていた涙が、

月の光の中で静かに溢れ落ちる。


「もう、一人で、苦しまないでください。

 私が……お支えしますから……」


途切れ途切れの言葉でも、

その瞳には揺らぎがなかった。


「私は……殿下を、一人にはさせません」


アルシオンは言葉を失ったまま、立ち尽くす。


「……セレナ」


名前を呼んだ声が、深く震える。


「ありがとう……」


セレナが瞬きし、涙が頬を伝う。


アルシオンはゆっくりと腕を伸ばし、

セレナの細い肩をそっと抱き寄せる。


「……っ」


セレナは小さく息を呑んだが、

すぐにその胸に身を委ねた。


アルシオンの腕が強くなる。


「離さない……二度と」


耳元に落ちた声は、痛いほど優しい。


セレナもまた、殿下の衣に手を添え、

そっと目を閉じた。


「……はい」


沈黙がゆっくり満ちていく中で、

アルシオンはセレナを抱き寄せた腕に、

もう一度だけ、力をこめた。


「……セレナ」


耳元に、熱い囁きが落ちる。


「正妃は……お前だ」

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― 新着の感想 ―
タイトルから、「皇太子は放置して令嬢がただの飾りから努力して中身を見つけていく物語」と勝手に思って読んでいました(;▽;) これ、サフィアサイドから作ると、それはそれで全く違うなろう小説になるんですよ…
セレナ、ほんとにいいの!?けっこうチョロインだよ?! (ここにきてもまだ、他の人と幸せになって欲しい笑) 読者は王太子がサフィアとイチャイチャしてたの読んでいたので、その腕でセレナに触るな~と思ってし…
良いお話なんですが、優柔不断で他の女性といちゃついてたお花畑のアルシオンより、周囲の男性達の方がそれぞれ魅力的で何とも。
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