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転生姫はお飾り正妃候補。愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
三章

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第15話 選択

政務室の扉を押し開けると、室内には重い空気が沈んでいた。


机の前に、ラシードとナヴァリスが並んで立っている。

どちらも、いつになく表情が硬い。


アルシオンは胸の奥の痛みを押し殺し、ゆっくりと歩み寄った。


「……呼んだのは、何の件だ」


ラシードが一歩前に出て、深く頭を下げる。


「殿下。検問所より、緊急の報告です。

 後宮から外へ出る“私的贈与品”の一件が、規定不一致により開披されました」


ナヴァリスが、静かに小箱を差し出した。


外装は簡素だが、上質な造りだ。

封泥は割られ、紐は切られている。


「王妃陛下の私的贈与として登録されていました。

 しかし“王命物”ではない以上、検問免除は適用されません。

 区分と重量を照合し、規定に従い開披されています」


アルシオンは無言で箱を受け取り、蓋を開けた。


中に収められていたのは、一巻きの羊皮紙。


樹脂香が、かすかに鼻を衝く。

後宮で用いられる文書特有の匂いだった。


嫌な予感が、指先から背筋へと走る。


「……文か」


ラシードが低く頷く。


「はい。殿下に直接お目通しいただくべき内容と判断しました」


アルシオンは紐を解き、羊皮紙を広げる。


――息が、止まった。


『“呪われた地”の神託は作り物だ。

 神の声など降りていない。

 いまこそ奪い返す時――神託は、あなた方を縛る枷ではない。

 動くなら、今だ。

 ――ザリーナ』


ナヴァリスが淡々と告げる。


「文面に押された印章は、王妃陛下の私印と一致します。

 ……偽装の余地はありません」


アルシオンは、羊皮紙から視線を離さずに言った。


「……再戦を、起こさせる気か……」


ラシードが声を落とした。


「おそらく……そうなれば国政は混乱します。

 さらに“神託が偽りだった”と広まれば、

 終戦を導いた判断そのものが揺らぐでしょう」


一拍置き、続ける。


「混乱の矛先が向かうのは、神託を受け入れた王と……

 それを勧めた、王太子殿下です」


ナヴァリスが静かに補足する。


「王妃陛下が望まれているのは、戦そのものではありません。

 戦によって生じる“混乱”です」


政務室に、重い沈黙が落ちた。


羊皮紙を握るアルシオンの拳が、白くなるほど強く締め上げられる。


「責を王と……俺に被せる。

 ――王太子の座を、引きずり下ろすために」


ラシードは目を伏せ、静かに頭を垂れた。


「軽々しくは申せませんが……

 状況から見れば、そうとしか読めません」


ナヴァリスもまた、表情を変えぬまま告げる。


「殿下。これは国家の根幹を揺るがす重大事です。

 慎重に、しかし――迅速なご判断を」


アルシオンの胸の奥に、

サフィアの涙と、王妃の署名の重さが折り重なって沈んでいく。


――逃げ場は、用意されていなかった。





訓練場裏の回廊は、闇に沈みかけていた。風もなく、石壁に落ちる影が細く揺れている。


サフィアは壁に背を預け、肩を震わせていた。アルシオンと別れた後、抑えたはずの涙がまた頬を伝って落ちる。


「……情けない」


強く息を吸っても、胸の奥の痛みは消えなかった。


そのとき、荒々しい足音が近づいてきた。


「……泣くときくらい、自分を責めるな。サフィア」


聞き慣れた声に、サフィアは顔を上げる。暗がりでもはっきり分かる、カリムのまっすぐな目。


「……見てたの?」


カリムはゆっくり首を横に振った。


「見ちゃいねぇ。でも……お前が泣いた理由くらい分かる」


その言葉だけで、サフィアの胸がまた震えた。カリムが一歩近づくと、張りつめていたものがほどけそうになる。


「……殿下が……私を、選ばなかった。それだけだ……」


平静を装った声はひどく揺れていた。


カリムは小さく息を吐く。


「“それだけ”じゃねぇよ。お前がどれだけ殿下を支えてきたか……俺は全部見てきた」


その優しさに、サフィアは唇を噛む。


「……やめてよ。今、そんな言い方……されたら……」


声がつまる。もう涙を堪える力なんて残っていなかった。


カリムはそっとサフィアの前に立ち止まり、ゆっくり腰を落とした。


「泣けよ、サフィア。殿下の前じゃできねぇ顔……ここでしろ。俺の前なら、恥じゃねぇ」


その瞬間、サフィアの肩がふるりと揺れ、大粒の涙が目から溢れた。


「……っ、悔しい……!好きだった……!ちゃんと……見てほしかったのに……!」


抑え込んできた痛みが、一気に崩れ落ちる。


「が、頑張ってきたのに……!隣にいられるよう、ずっと……耐えてきたのに!」


カリムは何も言わない。


「本当に……好きだった……」


泣き声が少しずつ静まっていく。カリムがただそこにいるだけで。


「……カリム……ごめん……」


涙で濡れた声だった。


カリムは静かに首を横に振った。


「謝るな。お前が立ち直るまで……何度でもここにいる」


暗闇の回廊に、二人の影がそっと並んだ。


誇りのために殿下の前では泣けなかったサフィアが、

唯一弱さを見せられる幼馴染にだけ――静かに心を預けていた。





セレナが襲われたという話は、いつの間にか後宮中に広まっていた。


朝になると、侍女たちが部屋の前をそわそわ行き来し、

落ち着かない視線を扉へ向けている。


……この様子じゃ、放っておく方がかえって心配させてしまうわね。


ここしばらく事件続きで教育座も開けていなかった。

いい機会だと判断し、久々に小広間を開くことにした。


扉を開けた途端、侍女たちが一斉に駆け寄ってくる。


「姫様! 本当に大丈夫なんですか……!」

「怪我はありませんか?」

「昨夜は眠れましたか……?」


まるで嵐のようだった。


セレナは苦笑しながら両手を上げて制する。


「もう大丈夫よ。落ち着いて。

 サフィア殿が助けてくださったもの」


侍女たちは息をつき、


「さすがサフィア様……!」

「勇ましいのに優しい方ですし……」

「昨日の救出、見たかったですわ……」


と、頬を染めて盛り上がっている。


……サフィア、侍女に人気だったのね。


机に薄板を広げつつ、ふと胸がひりつく。

その感情の源は――昨日見かけた光景だ。


訓練場で、アルシオンと寄り添うように立つサフィア。


――あれは、長い時間を共にした者だけが持つ距離だ。


痛みは鋭かったが、セレナは表情に出さず、帳簿に視線を落とした。


教育座は、セレナが後宮で初めて

“自分の手で作った場所”だった。


思っていた以上に、大切なものになっていた。


……ここを去るのは、寂しいな。


侍女が顔を上げる。


「姫殿下、この字で合っていますでしょうか」


「ええ、とても丁寧に書けています。上出来ですよ」


胸に沈む痛みを押し込めながらも、声は穏やかだった。


しばらくすると、そっと近くの女官が耳元で囁いた。


「姫殿下。殿下より、お時間のあるときにお越しくださいとのことです。

 教育座が終わられてからで構いません、と」


セレナは小さく頷いた。


……私も、殿下に伝えないといけないことがある。


心の奥にある“切なさ”と“覚悟”が静かに重なっていく。


彼女は再び侍女たちへ向き直り、いつもと変わらぬ声で続けた。


「さあ、次はこの字を練習しましょう。ゆっくりでいいのよ」


小広間には柔らかな空気が戻った。

だがセレナの胸の奥では、別の波が静かに満ち始めていた。





教育座を終え、侍女たちを見送りながら廊下へ出ると、

柱の影からナヴァリスが静かに姿を現した。


「……姫様。清務方より、いくつか進捗のご報告を」


セレナは足を止め、軽く礼を返す。


「ナヴァリス殿、お願いします」


「教育座で試作された石鹸、三種。

 外市へ回す準備が整いました。

 ――すべて、姫様の指示どおりの“包装”で」


わずかに、空気が緩む。


「布地を二重にし、紐は色分け。

 香りごとに包みを変える必要があるのか、と

 現場では首を傾げる声もありましたが……」


セレナは一瞬、記憶を辿る。


――『しょぼい』

――『だっさ』


妃候補の辛辣な声が脳裏をよぎり、

思わず、心の中で苦笑した。


「……贈り物ですから。

 華やかにしないと」


「まぁ、一理あります」


ナヴァリスは書面に目を落とす。


「なお、その“拘り”が評判になりつつあります。

 布屋と紐職人の動きが、ここ数日で活発になっています」


セレナは小さく目を瞬いた。


「……そうなんですか?」


「はい」


短く応え、話題を切り替える。


「侍女たちの識字率ですが……

 教育座の開設以降、顕著に向上しています。

 清務方としては、あの座を今後も定常の場として扱いたい考えです」


セレナは、思わず息を呑んだ。


報告を終えると、ナヴァリスは書類を閉じる。

ほんの一拍を置いてから、顔を上げた。


「……姫様」


その声は静かで、逃げ場がなかった。


「後宮が動き始めたのは、姫様が“ここにおられる”からです」


セレナの胸が、わずかに締めつけられる。


ナヴァリスはそれ以上言葉を重ねない。


「どうか……

 これからも、ここにいてくださいますよね」


それは問いというより、

“事実の確認”だった。


その静けさこそが、最も強い釘となる。


セレナは返事をしようとして――

言葉が詰まり、そっと目を伏せた。


そして、ふと気づく。


私、前世と同じ立ち位置にいる――。


呪術師として、

使命を優先し、

誰かを救い、

その結果――命を落とした。


後悔は、していない。


でも……。


死に際に望んだのは、

“普通”だった。


愛する人と一緒に生きること。

それを、今度こそ手に入れたかった。


なのに――


気づけばまた、

私は“役に立つ場所”に立っている。


やりがいがあり、

必要とされ、

離れれば誰かが困る場所に。


……無責任、なのかしら。


ふと、遠い記憶が胸をよぎる。


『責任感があるのは、いいことです』


神父は、いつもそう言って笑った。


『ですが――

 あなたの人生を生きるのは、

 あなただけですよ、美月』


……あの言葉が、胸に染みる。


責任と、

自分の人生は、

同じじゃない。


私は――

どんな生き方を望んでいるのだろう。





夕陽が差し込む政務室に、硬い沈黙だけが落ちていた。


アルシオンは、扉が開く気配にゆっくりと顔を上げた。


そこに立つのはセレナ。

静かに一礼する姿が視界に入った瞬間、胸の奥が強く軋んだ。


「……殿下」


落ち着いた声音。

その奥に、いつもより深い距離がある。


「来てくれたのか、セレナ」


声は平静を装ったが、自分でも震えが分かった。


セレナが深く礼を執る。

言葉を探すように唇が動いては止まり、アルシオンもまた声を飲み込む。


刃のような沈黙が、互いを囲む。


「殿下。実は……私のほうからも、お伝えしたいことがございます」


その一言で、背筋が強張った。


「……申せ」


声が自然と低くなる。

胸に溜まる予感が、嫌な形を取り始めていた。


「私……ルナワへ、一度戻ろうかと考えております」


空気が止まった。


「……今、なんと言った?」


思考より先に声が漏れた。


「……ルナワに戻る、と申し上げました」


机の縁を掴む指先に力が入り、白くなる。


「……理由は」


「父王から文が届きました。“戻れ”と」


そこでセレナは一拍、息を整えた。


「……“国へ帰り、結婚を考えよ”と」


一瞬、音が消えた。


「……結婚、だと」


顔を上げるまでに、時間が必要だった。

セレナの静かな表情が胸に刺さる。


「相手は……すでにいるのか」


「私を望んでくださる方がいるようです。父は“考えろ”と」


「……セレナ。それは、お前自身の望みなのか」


問いかけながら、答えを恐れた。


「……まだ決めておりません。ですが……」


短い沈黙ののち、セレナは穏やかに言った。


「正妃に……なれないのであれば。

 私は『ここにいる理由がない』と、ルナワの姫として考えております」


その瞬間、指先から力が抜けた。

机を支えにしていた手が震え、空気が揺れる。


「……セレナ」


名を呼ぶ声は、かすれた囁き。


抑えても抑えても、滲み出る叫びがある。


――行くな。


ただそれだけを言えば、きっと手を伸ばしてしまう。


しかし王太子は

“引き止める権利を持たない”。


その言葉だけは、どうしても飲み込むしかなかった。





アルシオンの指先が震えているのが、はっきり見えた。


最近、弱った表情を見ることは増えた。

けれど今の殿下は、そのどれよりも脆く見えた。


胸の奥がきゅっと痛む。


セレナは姿勢を整え、静かに問いを置いた。


「殿下……ご要件を伺ってもよろしいでしょうか?」


その一言に、アルシオンはわずかに肩を揺らした。


「……いや……その……」


王太子らしからぬ濁し方だ。


セレナは胸の前で指を揃え、静かに待つ。


長く、重い沈黙が落ちる。


やがて殿下は視線を彷徨わせ、

小さく、絞り出すように言葉を続けた。


「……呼んだ理由は……確かにあったのだが……

 今は……どう言えばいいのか……分からなくなった」


その声音に、胸がまた痛む。


殿下……そんな表情をされると……。


けれど——。


殿下が選ぶのはサフィア殿。

私がここに寄り添う理由は、もう……。


セレナはそっと目を伏せる。


「……そうでございますか。

 では、一度失礼させていただきます」


静かに礼をして、

背を向け、静かに歩き出す。


あと数歩で扉に届く──そのとき。


「……行くのか」


あまりに小さい声が、背後から漏れた。


セレナの足が、わずかに止まる。


殿下……。


扉に手をかけながら、セレナはそっと目を伏せた。

そのまま静かに息を吸い、迷いを胸に押し込む。


「……失礼いたします」


扉が閉じる直前、

背後で、机に落ちる小さな音が聞こえた。


苦い呼吸の音だった。

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― 新着の感想 ―
サフィアちゃんはやっぱり、全部の感情を出しても受け止めてくれる幼馴染とのほうが幸せになれると思います。 サフィアちゃんが幸せ~と思える未来がきますように。 そして、殿下よ・・・・・ セレナちゃんが行…
『好きな男の前では泣けなかった』がサフィアが選ばれなかった最大の理由だなぁ…立場的に仕方なかったとは雖も。 味方が軍だけなのもね。 智略を尽くせなければ立ち回ることは難しかったよね。
そこは漢を出すとこやろ…!!殿下!!!!!!! なんでや…
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