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転生姫はお飾り正妃候補。愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
三章

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第11話 呼吸

王妃殿下は……どうして私を敵視するのかしら。


王妃派の正妃候補ではないから?

しかし、それだけなら、ここまで露骨には動かないはず。


アルシオンに向けられた、あの視線を思い出す。


「……冷たすぎでは?」


小さく呟いた声は、回廊の白い石に吸い込まれた。


回廊へ出ると、足音が重なった。


「……姫殿下」


振り向くと、カリムが立っていた。

甲冑は外しているが、立ち姿はいつも通り硬い。


「先日は、ありがとうございます」


セレナは自然に一礼する。


「凱旋延期の件……俺が、サフィアに伝えた」


セレナは目をわずかに見開き、すぐに伏せた。


「……ありがとうございます。

 お辛い役目を……」


「伝えるべきことを、伝えただけだ」


カリムは、視線を逸らした。


「……あいつも、それは分かってる」


そこで言葉を切り、低く続ける。


「分かってるが――

 平気って顔は、してなかった」


「……そうですよね」


セレナの声が、小さく沈む。


「姫殿下」


名を呼ばれ、セレナははっとして視線を向けた。


カリムは少しだけ眉を寄せる。


「前に、姫殿下が俺に言ったことを覚えているか」


「……私が、ですか?」


「サフィアを泣かせない努力をしているのか、って言っただろう」


セレナは息を呑んだ。


「あんたの立ち位置は、分かった。

 姫殿下が悪いわけじゃないことも、分かってる」


「……」


「だから、泣かせるな、なんて言える立場じゃねぇ。

 けどな……」


低い声が、回廊に落ちた。


「泣くって分かってる道を、

 “知らなかった顔”で通るのだけは――やめてくれ」


セレナの指先が、扇をきゅっと掴んだ。


「……はい」


その返事に、カリムはようやく少しだけ肩の力を抜いた。


「なら、いい」


それだけ言って、歩き出す。


すれ違いざま、背中越しに低く続けた。


「殿下は今……

 誰の手も、ちゃんとは掴めてねぇ」


「え……」


「――だからこそ、だ」


言葉の続きを言わず、カリムは回廊の角を曲がって消えた。





机の上には、清務方の印章が押された書簡と、試作品の石鹸が一つ置かれていた。


ラシードが書簡を一読し、指先で机を軽く叩いた。


「……なるほど。後宮から出た“清めの品”を、常の営みとして立てたいと」


セレナは静かに頷いた。


「はい。清めの習慣を、文化として広めるだけでなく――働きの場にもしたいのです。

 そして、後宮の妃候補や女官、侍女にも運営を担ってもらいたくて……いかがでしょう」


ナヴァリスが淡々と問い返す。


「後宮の再構築、というわけですか」


セレナは小さく笑みを浮かべ、首を振った。


「そんな大層なつもりはないのですが……」


扇を軽く傾け、続ける。


「石鹸の調香や包み、記録の扱いは女性にも向いています。

 教育座で培った読み書きや算を、実地に落とせます」


ラシードは机上の石鹸を手に取った。


「……後宮の手を使って、後宮を変えるか。見事な手回しですな」


ナヴァリスは淡く笑みを浮かべる。


「理念としては筋が通っています。問題は、これをどう保護するか――でしょう」


「考えたのですが、王家が初銭と名を出し、清務方が目を配る形……は、どうですか?」


――ルナワの倉庫の国営問題。

あれからヒントを得たのだ。


ラシードの目が細まる。


「民の手も借りながら、利権の集中を避けることができ……元老院にも口を出させず、王妃派にも奪わせない構造、ということですか」


「そして、王妃陛下の名を冠して、名誉は王妃陛下へ、実務は清務方が差配するのは?」


ラシードの指が止まる。

紙の端を押さえたまま、視線だけが細くなる。


ナヴァリスは、ほんのわずかに首を傾けた。


「……これは」


ナヴァリスが静かに言う。


「王妃派に奪わせず、反対派にも触れさせず、

 それでいて、表向きは王妃の功績になる」


ラシードが鼻先で短く笑った。


「よく考えましたな、姫殿下」


セレナは穏やかに微笑んだ。


「お互いに得があっていいでしょう?」


まさに、ウィンウィンの関係ね。


少し間を置き、ふと扇を指先で回した。


「……そういえば」


ラシードが眉を上げる。


「何か?」


セレナは少し迷うように目を伏せ、それから言葉を選んだ。


「あの……王妃陛下と、王太子殿下のご関係は……良好なのですよね?」


一瞬、空気が沈む。


ラシードが書類の端を軽く叩き、ナヴァリスが視線を横に流す。


セレナは戸惑いを隠すように、ぎこちなく笑った。


「あの……母親ですから、息子に厳しくされるのは、当然ですよね」


だが、ラシードもナヴァリスも何も言わなかった。

代わりに、短い沈黙だけが流れる。


そのとき、ラシードが低く息を吐き、慎重に言葉を選んだ。


「――姫殿下。王妃陛下は、殿下の“実母”ではございません」


「……え?」


セレナの手の中で、扇がかすかに揺れた。


「前王妃――殿下の御母堂は、十五年前に崩御されています。

 現王妃陛下は、後に王妃の座に就かれた方です」


「……そう、でしたのね」


セレナはどうにか微笑を保った。


心の奥で、数日前の対話がよみがえる。


――“殿下の御名を掲げた式”を、王妃が勝手に進めていた理由。


ちょっと待って……これは、前世で読んだ小説とかでよくある――。


扇を持つ手が、わずかに汗ばむ。


「……殿下の弟君は、王妃殿下の実子なのですか?」


短い沈黙ののち、ラシードが淡々と答える。


「はい。次男殿下――ガイル殿下が、王妃陛下のご実子です」


「……なるほど」


セレナは小さく息を吸い、扇を胸に戻した。


胸の奥がざわめく。


ナヴァリスが、その様子を観察するように目を細める。


「姫殿下、何かお考えが?」


セレナはかろうじて微笑みを整えた。


「いえ……ただ、王妃陛下は、ガイル殿下を王太子に推薦はされなかったのですか?」


ラシードがわずかに目を伏せる。


「むしろ、王妃陛下自ら“アルシオン殿下を”と推挙されました。

 ――その御言葉があったからこそ、反対派も沈黙したのです」


「……それは、随分と――慈悲深いご判断ですね」


ナヴァリスは視線を横に流し、淡々と付け加える。


「慈悲か、計算か。

 推す者は、“見限る権”も同時に握ります。

 ――王妃陛下がそれをお忘れになる方とは思えません」


「……殿下は。

 王妃殿下の“お考え”を、ご理解されているのでしょうか?」


短い沈黙が落ちた。


ラシードは書簡を伏せ、低く、しかし迷いを含んだ声で答える。


「殿下は……お気づきです。

 ですが――“母の思惑”に触れることを、避けておられる」


「王妃陛下の策を疑えば、王家そのものに罅が入る。

 殿下はそれを避けておられるのでしょう」


セレナは胸の奥がひやりと冷えるのを感じた。


気づいているのに……言えないのね。

でも、それでは殿下は、自分で自分の首を絞めることになるのでは……?


扇を胸に戻し、静かに目を伏せた。





夜の近衛詰所は、静まり返っていた。


サフィアは甲冑を外し、机に両肘を突いて座り込む。

指先には、剣を握り続けた日の名残が、じんと疼いていた。


……今日も、呼ばれなかった。


塔の上、政務殿の灯りはまだ消えていない。

だが、その下から自分を求める声は、一度も届かない。


胸の奥が、きゅ、と小さく縮んだ。


「――サフィア」


低く、聞き慣れた声。


振り返ると、カリムが腕を組んで立っていた。

いつもの軽口はなく、ただ静かにこちらを見ている。


「……何だ」


「寝られねぇ顔だな」


図星だった。

返す言葉が見つからず、サフィアは視線を逸らす。


カリムは一歩近づき、椅子の背に寄りかかった。


「……正直に言うぞ」


「……なんだ、急に」


「今の殿下はな、余裕がねぇ」


サフィアの指先が、強張った。


「お前を遠ざけてるわけでも、

 捨てたわけでもねぇ」


カリムは顎先で、窓の外に灯る政務殿を示した。


「だから――今は、構うな」


「……分かってる」


声が、かすかに震える。


「分かってるけど……

 呼ばれないのは、寂しい」


目を伏せる。


「……恋人、なのに。私」


カリムはすぐには答えなかった。

ただ一度、ゆっくり瞬きをする。


「ああ」


短く頷く。


「寂しいのは、当たり前だ」


「……」


「恋人なら、なおさらだ。

 それを我慢できるほど、お前は出来た女じゃねぇ」


「……じゃあ、どうすればいいのよ」


絞り出すような声だった。


「理解しろ、なんて言わねぇ」


言い切ってから、カリムは短く鼻で息を鳴らす。


「ただ――今の殿下は、寄りかかられると……危ねぇ」


淡々とした言葉だった。


「だから今は、近づきすぎるな。

 離れすぎるな」


カリムは腕を組んだまま、片方の肩をわずかに落とす。


「……剣みたいに立ってろ。

 必要な距離で、だ」


その言葉が、静かに胸に沈んだ。


サフィアはしばらく俯いたまま、動かなかった。

握った拳が、ほどけない。


やがて、小さく息を整える。


「……分かった」


それが、精一杯だった。


立ち上がり、剣を棚に戻す。

金属が触れ合う音が、やけに大きく響いた。


「……今日は、もう寝る」


「そうしとけ。朝は来る」


カリムの声を背に、サフィアは詰所を出た。


灯の下、廊下を歩きながら、

胸の奥には、言葉にならない痛みだけが残っていた。





殿下は……王妃殿下を、どう思っておられるのかしら。


そう考えて、セレナは小さく首を振った。


だからといって、私に何ができるわけでもない。


それでも。


正妃候補だもの。

王家だけの話じゃない。

……私も、関係者に違いないはず。


扉の前で、侍従が控えめに声をかける。

返事はない。


「……中にいらっしゃるとは思うのですが」


「では、少しだけ失礼します」


そう言って、セレナは扉を押した。


「……殿下?」


返事はない。


薄暗い室内。

香炉の煙がゆるやかに漂い、書簡と帳面が机いっぱいに広がっている。


そして――


「……」


椅子に深く腰掛けたまま、アルシオンが眠っていた。


書簡を片手に、頭がわずかに横へ傾き、呼吸だけが規則正しく続いている。


セレナは思わず息を潜めた。


こんな姿……初めて見たかも……。


近づくと、わずかに身じろぎした拍子に、書簡が指先から滑り落ちた。


「あ――」


反射的に手を伸ばす。


同時に、アルシオンの身体が前へ傾いた。


っ、危ない……!


セレナは咄嗟に、その身体を支えた。


腕に伝わる、思った以上の重み。

呼吸が、すぐ近くで触れる。


「……殿下……」


小さく呼びかけた、その瞬間。


彼の額が、セレナの肩に触れた。


ぴたり、と時間が止まる。


……ど、どうしよう……。


すぐに離れるべきだ。

分かっているのに、身体が動かない。


セレナは唇を噛み、慎重に身体を立て直そうとした。


そのとき。


アルシオンの睫毛が、かすかに揺れた。


セレナは息を止める。


「……?」


低く、眠りを引きずった声。


肩に触れていた額が、ゆっくりと離れる。

焦点の合わない瞳が、至近距離でこちらを捉えた。


「……姫……?」


柔らかい声だった。

政務の場で聞くものとは、まるで違う。


「し、失礼しました……!

 殿下が、お休みになっているとは知らず……」


慌てて身を引こうとした、その瞬間。


アルシオンの手が、無意識のようにセレナの腕を掴んだ。


力は弱い。

けれど、振りほどくにはためらう強さだった。


「……待て」


掠れた声。


セレナは動きを止める。


「……すまない。

 少し……眠っていた」


そのまま、アルシオンは額に手を当て、小さく息を整えた。


「政務が……どこまで進んでいたか……」


ね、寝ぼけてる……。


「殿下、無理をなさっては――」


言いかけた言葉が、止まる。


アルシオンが、じっとこちらを見ていた。


「……支えてくれたのか」


「……はい。

 書簡を落とされて……」


アルシオンは、ゆっくりと手を離した。


「……礼を言う。

 助かった」


「い……いえ……」


アルシオンは椅子に座り直し、背を預ける。


「……それで。用件は?」


ようやく、殿下に戻った声。


セレナは一歩距離を取り、深く一礼した。


「は、はい。

 石鹸の件で……追加のご報告がございます」


そう言いながらも、さきほどまでの体温が腕に残っている気がして、胸の奥が静かに熱を帯びていた。


「こちらに資料を……失礼いたします」


机上に資料を置き、セレナは一歩退く。

深く一礼し、そのまま踵を返そうとした――その時。


「……待て」


足が止まる。


振り返るより先に、アルシオンの声が続いた。


「……今の件は、誰にも言うな。

 眠っていたところを見られたのは……不本意だ」


冗談めかしてはいたが、声の奥には苦みが残っていた。


「……承知いたしました」


アルシオンは机に置いた書簡へ視線を落とし、その端を指先で押さえていた。


視線は、もうこちらを見ない。


だが――

耳だけが、わずかに赤い。


「……下がっていい」


そう言われて初めて、この場が終わったことを知る。


「はい……」


セレナは再び一礼し、静かに政務室を出た。

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― 新着の感想 ―
カリムは何様なのかなー 病を収束させ、国民のために奔走している姫に対して、私情で文句を言うなんて。 サフィア大好きなのはわかるけど、そこまで口出す権利があるのか? あと、不敬じゃ!!笑
ヤバいカリム様が素敵過ぎて泣きそう サフィアちゃん自体は悪い子ではないんだけどねー 色々とねー見えてないんよなぁ… 実際その場に行ったら多分私も見えない側では?とも 思うんだけど… だから余計に王太子…
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