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転生姫はお飾り正妃候補。愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
二章

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最終話 黎断

焦げた薬香と汗の匂いが、寺院の空気に貼り付いていた。


セレナは布を絞り、患者の額を拭った。

熱が掌に伝わるたび、反射で肩が強張るのに、手だけは止まらない。

袖口は湯と汗で濡れ、指先はふやけて感覚が鈍い。


隣でリサが水壺を運び込み、息を切らしながら祈り言を唱えていた。

子どもの唇へ、少しずつ水を流し込む。


「セレナ様、こちらも高熱で……!」


「落ち着いて。少しずつ飲ませて――」


その時、扉が軋んだ。


外光が差し込み、逆光の中に立つ影。


「……殿下!?」


セレナは慌てて駆け寄る。


「ここは危険です! どうか王宮へお戻りください」


叱責の言葉が、途中で止まった。


近づいて初めて、アルシオンの顔色に気づく。

頬の色が落ち、目の下に影が差している。


「……殿下、大丈夫ですか。お顔の色が……」


その一言に、アルシオンの瞳がわずかに揺れた。


アルシオンは目を伏せ、低く言う。


「……お前は、本当に」


息をひとつ吐き、続けた。 


「危険を顧みずここまで来ておいて、なお俺の身を案じるのか」


セレナは目を瞬く。 

気まずさを払うように、セレナは話を変えた。


「しかし殿下……どうしてここに?」


「ここは危険だ。すぐに王宮へ戻れ」


「えっ……」


「お前の“やるべきこと”は、もう果たしたはずだ。あとは官人に任せろ」


「で……でも……」 


言い訳を探そうとした瞬間――アルシオンは外套を翻し、手を伸ばした。


「ならば――俺が連れていく」


「きゃっ……!」


強い腕が彼女の手を掴み、軽々と抱き上げる。

声を上げる間もなく、寺院の外に運ばれた。


石段の下には、黒馬が控えていた。


アルシオンは躊躇なく彼女を鞍へ乗せ、自らも跨る。


「で、殿下……! 私、汚いですから……!」


アルシオンは片手で手綱を握り、もう片方の腕で彼女を抱き寄せながら低く囁いた。


「……黙って掴まっていろ。落とすわけにはいかん」


馬が嘶き、地を蹴った瞬間――


「殿下! リサがまだ中に――!」


振り返った一瞬、寺院の入口に立ち尽くすリサの姿が見えた。


「暴れるな。……迎えは後で寄越す」


激しい揺れに、セレナは「ひっ……!」と小さく息を呑み、

思わずアルシオンの胸元にしがみついた。


頬が衣の布地に押し当てられ、外套越しでも伝わる体温と鼓動に、心臓が跳ねる。


アルシオンの腕が、わずかに強まった。


「……っ、馬鹿者。余計に振り落とされるぞ」


低い声が、すぐ耳元に落ちる。


馬の揺れよりも、胸の鼓動の方が激しい。


「……なぜ戻ってきた」


ふいに問われ、セレナは息を詰める。


なぜと言われても……。


リサのこと。

後宮のこと。

正妃候補としての責務……


ああ、そうだ。戻ろうと思ったのは――


「……殿下が、私に居場所を残してくださったからです」


アルシオンの肩が、わずかに動いた。


風の音が遠のき、二人の呼吸だけが重なる。


「……馬鹿な女だ」





石畳を打つ蹄の音が城門に近づくと、王宮前はざわめいた。

衛兵や廷臣たちが頭を下げる。


「殿下が……直々にお迎えとは」

「ルナワの姫君を、馬に同乗させて……?」


セレナはアルシオンの腕に支えられたまま、息を整えきれずにいた。

視線が突き刺さる。


馬を下りると同時に、ラシードが歩み寄り、目を細めて一礼した。


「殿下直々にお迎えとは……珍しい光景にございますな」


「危険な場所に踏み込んでいたからだ。仕方なかろう」


廷臣たちは囁き合い、互いに視線を交わす。


「殿下がそこまで気にかけられているとは……」

「まるで……」


セレナは視線を落とした。


王宮の石段の上に、ひときわ落ち着いた気配があった。

ザリーナが裾を引き、廷臣の間をすり抜けて歩み出る。人々は慌てて頭を垂れた。


「まあ……セレナ。戻られたのですね」


王妃は柔らかく微笑み、セレナへ視線を向けた。


セレナは裾を整え、深く礼を執った。


「王妃陛下、ただいま戻りました」


「殿下直々にお迎えとは……どれほど心配されていたのでしょう」


アルシオンの肩が、わずかに強張った。


「放っておけば、いつまでも民の中に紛れていた……それだけのことです」


「ええ、殿下のお心はよく分かります。

 でも……どうぞお気をつけになって。あなたはこの国の未来そのものですから」


セレナはただ深く頭を垂れた。


背筋に、わずかな冷えが走る。


廷臣のささやきが交わる中、王妃の笑みだけが変わらなかった。





後宮の自室に戻ると、迎えた侍女たちが一斉に頭を下げた。


「姫様、お戻りになられて何よりでございます……!」


セレナは微笑んで頷きながら、問いかける。


「……こちらでは、体調を崩した者は?」


「いえ、誰も。後宮では発熱も咳も出ておりません」


セレナは静かに息を吐いた。


「……戦況は……聞いている?」


侍女のひとりが声を落とした。


「はい……先日までは優勢との報せでした。ですが、その後は……」


「えっ……まだ終わってないの?」


侍女は視線を伏せた。


セレナはその横顔を見つめた。


やがて、裾を翻す。


「殿下にお目にかかります」


「えっ……姫様?」


制止の声を背に、回廊を進み、政務棟へ向かう。


回廊の角で、ラシードが立ちはだかった。


「姫様。殿下は今、軍議に入られています」


セレナは足を止め、眉を寄せる。


「軍議……では、とてもお邪魔できませんね」


「……何か、お伝えになりたいことがあると?」


「……はい」


ラシードはしばし沈黙し、目を細めた。


「そうですか。――でしたら、軍議で申し上げるほかありませんな」


「えっ!」


「お急ぎなのでしょう? ただし、殿下と諸将の前で語るとなれば……甘さや情では通りませんが」


セレナは一瞬だけ目を伏せた。


ゆっくり顔を上げる。


「それでも……今、伝えなければ」


ラシードは、深く頷いた。


「――では、参りましょう」





石壁に囲まれた軍議の間。

卓上の地図には駒が散り、同じ議論が繰り返されていた。

補給、疫病、兵の疲弊。


誰も決め手を打てず、アルシオンはこめかみに手を当てた。


その時、扉の外で足音が止まった。


「姫様をお連れしました」


ラシードの声が落ち、低いどよめきが走る。


「後宮の姫が……?」

「軍議の場に、女が……」


アルシオンは眉を顰め、扉口に立つ少女を見た。


薄衣の裾を握りしめ、息を整えている。だが、瞳は逸らさない。


……来たのか。


胸の奥が、わずかに軋む。


将軍の一人が声を荒げた。


「殿下! この場は国の命運を定める席にございます。後宮の方を入れるなど……!」


アルシオンはゆるりと椅子から身を起こした。


「……彼女を通せ」


低い声に、反論は途切れる。


セレナは歩みを止めない。

視線を浴びながら、卓の前に立った。


「殿下……この戦を、終わらせる道はありませんか……」


その言葉が広間に落ちる。

一瞬、誰も息をしない。やがて怒声が広がる。


「何を――!」

「姫様、それは軽々しく口にする言葉では……!」

「敵を前にして、降伏せよと申されるのか!」


「……静まれ」


アルシオンの声が落ち、再び静寂となる。


セレナは震える声で続けた。


「……各地を通ってまいりました。

流行り病に怯え、苦しみ、命を落とす人々を見てまいりました」


セレナの裾を握る指が白くなる。


「そして、どこも物資が足りません。

このままでは、敵より先に私たちが疲弊してしまうのではないでしょうか……」


セレナは卓上の地図を見つめた。


「だから……どうか、戦を終える道を探っていただきたいのです」


将軍たちの顔に怒りと戸惑いが入り交じる。

アルシオンは沈黙し、地図の上の駒を握りしめた。


……情ではない。

あれは、この国を見てきた目だ。


セレナの声が落ちると、諸将は顔を見交わした。

「……兵の疲弊は、確かにございます」

一人が低く漏らす。


「補給も……万全とは申せませぬ。だが、それは敵も同じこと」

別の将も言いながら、声を濁して黙り込んだ。


アルシオンは卓の端に手を置き、セレナを見据える。


……そこまで見てきたか。


やがてラシードが口を開いた。


「姫様。終戦とは、敗北と紙一重でございます」


セレナは唇を噛んだ。だが、顔を上げた。


「……戦場となっている土地は、血に染まり、疫病も広がっています。

――神託として、“呪われた土地は神に返すべき”と告げられれば……

それは撤退ではなく、神意に従うことになります」


アルシオンはわずかに目を細める。


「神殿を建て、共同領土とするのです。

神のもとに置けば、両国とも退いたとは言われません」


ラシードが静かに続ける。


「神殿を挟んだ“聖地”とすれば、形の上では土地を失わずに済みます。

神の御名を掲げれば、民も収まりましょう。

敵も“神への譲歩”として受け入れやすい」


将軍たちは誰も声を上げない。


アルシオンは深く息を吐き、セレナをじっと見据えた。


……理はある。


その刹那、セレナの声が響く。


「……土地も、名誉も、取り戻せます。取り戻せないのは人の命です。殿下、ご決断を」


一瞬の静寂。


炎が卓上を揺らす。


アルシオンは拳を握り、ゆっくり顔を上げた。

その視線の先に、セレナの瞳がある。


……終戦。

誰も口にできなかった。


アルシオンは立ち上がった。諸将の目が一斉に殿下へ向かう。


父王も、王妃も、廷臣も。

認めぬだろう。


――だが。


「……そうだ。土地も、名誉も、金も取り戻せる。だが、命は戻らぬ」


アルシオンは地図の駒を手に取り、静かに告げた。


「――俺が決断する。この戦、ここで終わらせる」


息を呑む音が誰かの喉から漏れた。

誰も、もう反論しなかった。

ここまで読んでくださり、ありがとうございます!

2章いかがでしたでしょうか?


ブクマや感想・評価など頂けたら、励みになります!



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