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転生姫はお飾り正妃候補。愛されないので自力で幸せ掴みます  作者: 福嶋莉佳
二章

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第14話 綻

投稿遅れまして申し訳ございません。

中庭には、春を思わせる陽が差していた。薄紅の花弁が風に舞い、金の茶器にひらりと落ちる。


「ねえ、聞いた? まだ戦、続いてるんですって」

レイラが蜂蜜を落としながら、ため息まじりに言う。


「市中でも熱や咳の病が流行ってるとか。こわいわね」

アシェラが扇で口元を隠し、涼しい声をこぼした。


「そういえば……王宮の官人にも出たと聞いたわ」

アナヒータが眉をひそめる。


「そうそう。けど後宮は誰も倒れてないのよ。不思議よねぇ」

レイラが首を傾げた。

「祈祷のおかげかしら」


くすくすと笑い声が重なり、すぐに話題は変わった。


「ねえ、この香り――乳香と薄紅の薔薇の精油だって。わたし専用に調合してもらったの」

「ふふ、あの木片だって高貴なものだから、香りも格が違うわ」

「見て、この肌。最近、調子がすごくいいの」


「戦とか病とか、みんな大変そうだけど……女はこういう時こそ綺麗でいなくちゃ」


誰も否定しなかった。


乳香と薔薇の甘い匂いだけが、風に残った。





政務殿の扉が開き、ラシードが巻物を携えて入ってきた。彼は恭しく頭を下げ、低く告げる。


「殿下。市中にて熱と咳の者が急増しております。市場、井戸端、役所の詰所……すでに十箇所を超えました。

死者はまだ正式報告に上がっておりませぬ」


アルシオンは眉を寄せ、地図から視線を外した。

「……もうそこまで広がったか」


廷臣たちがざわめく中、駆け足の靴音が響く。伝令が巻物を掲げ、膝をついた。


「殿下――ルナワの姫君、セレナ殿下より、代官経由にて急ぎの文が届いております! 現地より直筆の指示です!」


「……セレナ、だと?」


アルシオンの指が止まる。


この時期に――戻ってきたのか。


だがすぐ顔を引き締め、封泥を砕いた。視線が紙面を走る。


アルシオンは低く、読み上げた。


「――寝床を分け、水を煮沸し、口元を覆え」


アルシオンは顔を上げた。


「――聞け!」


廷臣たちが背筋を伸ばす。


「市中に触れる役人はただちに徹底せよ! 井戸に見張りを置き、病人と健常者を分けろ。役所には隔ての場を、神殿にも同じ手を打たせよ」


その声音が石壁に響いた。


「恐れが国を蝕む前に、民を守れ!」


廷臣たちが一斉に頭を垂れ、使いが慌ただしく走り出す。


命令が飛び交う中、ラシードは目を細め、アルシオンの横顔を眺めた。





セレナはリサの案内で町外れの家を訪れた。


途中、街道には人影がまばらだった。

放棄された畑の土はひび割れ、井戸の前では女たちが壺を抱えたまま座り込んでいる。

咳をこらえながら荷車を引く男の背が、夕暮れの道に揺れていた。


前世では、戦も疫病も本や画面の向こう側の話だった。

けれど今は――

窓の外から流れ込む荒れた空気と、人々の呻きが、

馬車の中にいても胸に届いた。


石造りの家々が途切れ、丘を越えた先に、リサの実家が見えた。

古い戸口に現れたのは、年を重ねた男女。

リサが駆け寄り、涙ぐみながら声を上げる。


「お父さん! お母さん!」


セレナも一歩進み、静かに頭を下げた。


抱き合う姿を見て、セレナは小さく息をついた。


しばしの語らいのあと、セレナは静かにリサを見つめた。


「……リサ。ここに残ってもいいのよ。

 あなたがいれば、ご家族も周りの人たちもきっと安心できるわ」


リサは目を見開き、すぐに首を横に振る。


「いいえ。私はセレナ様のお傍に仕えたいのです。

お父さんも、『行ってこい』と言ってくれました。

家族のことは……もう、大丈夫ですから」


その言葉にセレナは目を瞬かせ、小さく頷く。


「リサ……ありがとう」

 

セレナはもう一度だけリサの両親に頭を下げた。


「お身体をお大事に」


馬車の扉が閉まり、車輪が石畳を軋ませた。

馬車はゆっくりと町を離れていった。





「……敵、退かぬようです。夜になっても火を絶やしておりません」


副官の報告に、サフィアは城壁の上から平野を見下ろした。

闇の向こう、無数の焚き火が赤く揺れている。


「挑発か、それとも短期で押し潰す構えか……どちらにせよ、こちらは動けない」


槍の柄を軽く叩き、短く息を吐く。

幾度かの衝突を退けたが、敵は退かない。陣を張り続け、夜風の中に炎だけが揺れていた。


兵たちは焚き火の傍らで干し肉をかじり、水を分け合っている。

数日前に届いた物資のおかげで飢えはしのげているが、その袋も次第に軽くなりつつあった。


……あの補給がなければ、砦はもう持たなかった。

だが――まだ終わりじゃない。


耳を澄ませば、咳き込む声が夜風に混じって届く。

戦で傷を負った兵だけでなく、熱を訴える者がわずかに増え始めている。


「熱の者、また出たか」

横に立つ副官が顔を顰めた。

「この砦の寒気のせいでしょうか……」


……向こうの陣からも、ときどき咳の声が聞こえる。

戦場は、誰の兵が倒れているかなど気にしない。


サフィアは視線を焚き火へ落とし、静かに答えた。


「原因は断じられん。だが――兵を怯えさせるには十分だ」


病か、疲れか。

立ち止まる暇はない。


サフィアは槍を握り直した。


殿下。我々はまだ持ちこたえています。

私は――最後まで守り抜きます。


火の粉が夜空に散り、砦の上には重い沈黙だけが降りていた。





政務殿の重い扉が軋み、絹の衣擦れが外から流れ込んだ。

振り向いたアルシオンの前に、ザリーナがゆるやかに歩み入る。

廷臣たちが慌てて頭を下げる中、彼女はまっすぐに進んだ。


「アルシオン。兵糧が砦に届いたと聞きました。本当なの?」


「……はい、王妃陛下。伝令によれば確かに。

 兵の士気も立ち直ったとの報です」


「まあ、それは良いこと。けれど――どうして流れるようになったのかしら?」


アルシオンは言葉を探し、視線を逸らした。


「……理由までは、まだ詳しくは分かりません。

 政務に縛られており、補給路の確認までは手が回らず……」


ザリーナは静かに頷いた。


「そう……理由はともあれ、兵が救われたのなら何よりね」


そのとき、伝令が駆け込んだ。


「殿下! ルナワの姫君、セレナ様が本日、王都にお戻りになりました!」


巻物を整えていたラシードが眉を上げた。


「……遂に戻られましたな」


アルシオンは手を止め、低く呟いた。


「セレナが……」


伝令が続けた。


「王宮へ入らず、市中の隔離所をご視察中にございます。

 寺院で施薬と祈祷の手配をされているとのこと」


廷臣たちがざわめく。


「市中に? この混乱の中で……」

「正妃候補がご自身で……?」

「……あの方は、何をお考えなのか」


ラシードが淡々と告げた。


「あの方らしい動きですな」


アルシオンは眉をひそめた。


ザリーナが口を開いた。


「まあ……なんと無謀なこと。正妃候補が市中に下りるなど前代未聞ですわね」


ザリーナはアルシオンに歩み寄った。


「王宮に留まってこそ威光も守られるものを……危ういこと」


ラシードがふっと口元を歪めた。


「殿下……お呼びになりますか? 

 王宮に戻るように。もっとも――あの方は、言うことを聞かれない気もいたしますが」


「……余計なことを」


「失礼いたしました。……取るに足らぬことでしたかな」


その横で、ザリーナはアルシオンの肩に手を置く。

「そうですよ、アルシオン。

 あの子は――飾りとしてこそ美しいものですわ。

あなたを支えるのは、剣でしょう?」


アルシオンは拳を握り、答えを飲み込んだ。





王都の空気は、どこか濁っていた。

城門をくぐった瞬間、石畳の街路に漂う、汗と薬草と焦げた香の匂いが胸を刺す。

前に訪れた町よりも、人の数が多いぶん、咳と足音が絶えず石畳に響いていた。


咳き込みながら歩く者、

担架に横たわった子どもを抱えて走る父親。

寺院の鐘が重く鳴り、人々は縋るように頭を垂れていた。


隣でリサが怯えた声を上げる。


「セレナ様……王宮へ急ぎませんと。ここにいては危険です!」


セレナは首を横に振った。


「リサは先に戻ってて。私は、少し様子を見るだけだから」


「せ、セレナ様!」


セレナは微笑んだ。


「大丈夫よ。すぐ戻るわ」


——たぶん、ね。


「……どうしてですか?」


「え?」


セレナは目を瞬き、少し驚いたように振り返る。


「セレナ様が……されなくても……」


セレナは苦笑しながら肩をすくめた。


「……少し、いい格好したいだけよ」


「セレナ様……」


セレナは歩きながら、小さく息を吐いた。


結局、私は自分をよく見せたいだけだ。


悪魔祓いを続けていたのも、

崇高な理由があったわけじゃない。


それでも神父は笑って、“そのままでいい”と言ってくれた。

だから私は、今世でもきっと変わらない。


リサが前を見たまま、小さく告げた。


「……私もついていきます」


セレナは困ったように笑った。


「リサ、前の町でも言ったでしょう?

 危ないから、無理して私に合わせなくてもいいのよ」


「それでも……私はセレナ様と一緒にいたいのです」


セレナは目を細め、静かに頷いた。


「ありがとう」


今世も、神父のようにはなれない。

それでも――偽善者を貫いてやる。





巻物に目を落としていたラシードが、顔を上げて口を開く。


「姫様、なかなかお戻りになられませんな。いっそ誰かを迎えに出しましょうか。……もっとも、耳を貸されるとは思えませんが」


周囲の文官たちが顔を見合わせる。

そのざわめきを断ち切るように、アルシオンが椅子を押しやった。


「……ならば俺が迎えに行く」


「殿下、直々に? 市中は危険にございます!」

「どうかお控えくださいませ!」


制止の声が重なり合うなか、アルシオンは外套を取り、迷いなく肩へ掛ける。


「黙れ。王太子が自国の街を歩けぬ道理はない」


その光景を見やりながら、ラシードが目を細めた。


「……さすがでございます」


アルシオンは応えず、扉を押し開けた。

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