第47話 死神
47.死神
繁華街の夜、ネオンが乱反射している。
煉は雑踏の中を歩いていた。酔っ払いが笑い、客引きが声を張り上げる。
血の匂いが混じる夜になりそうだ。
煉の目的地は、その喧騒から少し外れた場所にある。だが、そこに漂う気配は一般人のものではない。
(ここか)
煉は足を止めた。周りには特事の連中の気配を感じる。それだけ確認すると、躊躇することなく入り口に近づいた。
「よう、邪魔するぜ」
友達のように軽く手を挙げながら、立っていた男たちに声をかける。
「あ? 何だ、ガキ」
「道に迷ったのか? 帰んな」
男たちの目が冷たい。だが、煉は笑っている。
「いや、ここで合ってる」
そう言いながら、煉は男たちの間をすり抜けた。
「おい、待て——」
男は腕を掴もうとしたが、その手は空を切っていた。そして煉はすでに、ビルの中に消えている。
「……は?」
男たちの間の抜けた声が聞こえた。追ってくる気配はない。煉は口元を緩め、そのまま奥に進んだ。
ビルの三階——事務所。お構いなしに煉は、その扉を開ける。
見た目は洗練されたオフィスのようにも見える整頓された事務所だ。ただ、煙草の匂いが充満している。そこにいる者たちもビジネスマンには到底見えない。革張りのソファに座る男たちが眉を上げた。
「誰だ、お前?」
「もちろん客だよ、客」
煉はポケットに手を突っ込んだまま、部屋の中央まで歩いた。
「おい、止まれ!」
若い組員が立ち上がり、煉の前に立ちはだかる。
「ガキが来る場所じゃねえぞ、舐めてんのか!」
煉は目を細めた。
「舐めてるのはどっちかな」
次の瞬間、組員は壁に叩きつけられていた。
「なっ……!」
そこにいる誰もが、何をしたか理解できないだろう。
煉の表情は変わらない。
「さて」
煉は目の前で、ぱん、と両手を鳴らした。
「責任者、出てきてくんない?」
奥の扉が開いた。
現れたのは、六十代ほどの男。
少し小柄なスーツ姿に派手さはないが、纏う空気が違う。
(ふぅん、こいつは……なかなか……)
「子供がこんなところに何の用だ」
低い声。威圧するでもなく、ただ事実を確認するような口調。
「あんたが黒木組組長の黒木さんだね? よろしく」
煉は軽く頭を下げた。黒木は煉を観察するように、口を開かない。
「噂は聞いてるよ。昔は相当、武闘派だったんだって?」
「……何の用だと聞いている」
黒木は煉を見据えたまま動かない。
「単刀直入に言うわ」
声のトーンが僅かに落ちた。
「お前らがケツ持ちしてる半グレども、潰させてもらうから」
「なっ!」
周りが反応するが、煉は気にも留めない。
「あと、ドラッグの流通も止めてもらう」
部屋の空気が凍る。
黒木は薄く笑った。
「お前、何を言っているのか分かっているのか?」
「もちろん」
煉も同じように微笑み返した。
「だから俺が来たんだ」
組員たちが一斉に立ち上がる。
「待てっ!」
黒木が一喝した。
その間も黒木は目線を外さない。
二人の間で、視線が絡み合う。黒木は目に殺気を込めるが、煉は受け流す。
その視線の熱さが、室内の温度を上げていた。男たちの額に汗が滲み始める。
「こ、このガキがぁ!」
室内を支配する沈黙に耐えきれなくなったのか、若い男が懐から拳銃を取り出した。
銃口が煉に向けられる。
「……へぇ」
煉の目がわずかに細くなる。
空気が変わった。
「本気で撃つつもりか?」
その声は軽い。だが、それが逆に異質だった。
「あ、あぁ、やってやるよっ!」
「よせっ」
黒木の静止も聞かずに、男は引き金に指をかける。
「そうか」
煉の微笑みが歪んでいることに、黒木だけが気づいている。
「命のやりとりね——いいよ」
煉の右腕がゆっくりと挙がる。
その時——銃声が響いた。
しかし、煉は立っている。
弾丸が——消えた。
「……は?」
撃った男が、自分の手を確かめる。拳銃が奪われていた。
それは、煉の手の中にあった。
さらに放たれた弾丸さえも、煉の手の中にある。
「飛び道具で俺に向かってくるとは——」
煉は拳銃を指先で回し、床に落とした。
「……面白い冗談だ」
「な、何だ……こいつは……」
男の声が震えている。他の男たちも、指一本動かせない。
煉の目が変わる。
まるで虫を見るような、無慈悲な瞳。
その冷たさに、男たちの足が下がる。
「さて」
煉は一歩踏み出した。
「殺し合いを始めようか」
その歩みは、死神の一歩だった。
この場の全員が、覚悟を求められる。
弱い者には、選択の余地もない。
「お前、一体何者だ」
「ん? 高校二年生だぜ」
黒木の額にも大量の汗が浮かんでいる。
「どう生きたら、そんな殺気を放てる!」
「黒木さんも、同じようなもんでしょ」
穏やかな口調に、滲む殺気。その深さを黒木だけが感じ取る。
額の汗がこぼれ落ちた。
「なるほど……お前も人を——」
「強いね、黒木さん」
煉が言葉で遮った。
「あんたが現役の時にやりたかったよ」
「お前みたいな化け物……ごめんだ」
満面の笑みを、煉は浮かべた。
「もう言葉は要らないよな」
「あぁ、そうだな」
黒木は上着を脱ぎ捨て、軽く構えた。その瞬間だけは、汗も止まる。
隠そうともしない殺気を纏い、黒木の表情が変わった。
恐れもない。
戸惑いもない。
覚悟した者だけが辿り着く——無の境地。
「行くぞ」
黒木が一歩踏み込もうとした——その刹那。
煉の放った殺気が形を持った。
黒木の首筋に、冷たい刃が添えられる。
死神の持つ、断罪の鎌。
それは、黒木だけが感じ取れた幻影だったのかもしれない。
一歩でも踏み込めば死ぬという確信。
そして黒木は理解する。己が一度死んだことに——
「待て……分かった」
煉の右腕が途中で止まる。
「全て要求通りにする。それで手を打ってくれ」
誰も息を吐けずに、地獄のような時間が流れていた。
しばらくした後、煉は目を伏せた。
「OK、いいだろう。俺は別に快楽殺人者じゃないしね」
途端に煉から殺気が消え、室内へ酸素が戻ってくる。全員が深く息をした。
「だが、黒木さんには少し協力してもらうぜ」
「あぁ……何でも言ってくれ」
「助かる」
年相応の無邪気さを見せ、死神は微笑んだ。黒木の汗は止まらないが、口元に笑みが戻る。
「俺は、何をすればいい?」
「情報が欲しい。ドラッグの仲介をしている奴がいるはずだ」
「分かった」
黒木は即答した。煉は窓の外に視線を移す。
「もうすぐ、動くはずだ」
仲介者は必ず来る。煉は確信していた。
「安心しろ、今日この事務所に来ることになっている」
「やっぱね。じゃあ、ここで待たせてもらうわ」
革張りのソファに腰を下ろし、スマホを取り出す。
「制圧完了したぜ。俺はここでターゲット待ってるから」
煉は短い通話を終えた。
他の者が未だ動けない中、黒木だけは煉に近づく。煉の正面に座り、真っ向から対峙する。
「お前……何者だ?」
先ほどと同じ問いかけ。
「……ただの穢祓師だよ」
先ほどとは違う答え。
「そうか、お前が……聞いたことはある……」
黒木の目に好奇の色が浮かんだ。
「まだ、名を聞いてなかったな」
「煉だ」
「煉……怒りや悲しみを内に秘めた名だな」
煉が目を見開く。今日初めて見せる表情だった。
「煉よ、お前は何のために闘うのだ」
「何だよ、急に」
「俺はお前が気に入ったのだ」
黒木の真っ直ぐな視線を外し、煉は立ち上がった。そして窓から外を見渡す。
街のネオンが、闇夜に輝き美しい。
「あの背中に届けるため……何でもやるさ」
その呟きは誰にも届かない。聞かせる気もなかった。
煉はもう一度笑う。
今夜はまだ終わらない。
そして、この街を堕落させた者へ、死神の裁きを与えることを誓った——




