第48話 罪と罰
48.罪と罰
西地区——巨大な倉庫地帯の一画で、桜と百合がその時を待っている。
人気のない区画に、夜の静けさだけが沈んでいる。等間隔に並ぶ街灯が、無機質な光を落としていた。
二人は、目的の倉庫を遠くから見つめている。
「そろそろ、ダミーのトラックが着く頃ね」
「空飛のやつ、次会った時褒めてあげよ」
百合の明るい声が、周辺に響き渡る。
「百合、慎重にね」
「えー、一気にいこうよ」
ぐるぐると腕を回す百合に、桜はため息をついた。
「ダメよ。まずは私が中を確認するから」
「はーい」
百合は不満そうに眉間に皺を寄せるが、従った。
桜は頷いて、静かに倉庫へと近づく。壁に背をつけ、気配を探った。
(これは……中に……百人以上いる。外にも何人か)
桜は百合に合図を送った。
「外は任せるね」
「オッケー!」
百合の目が輝いた。
しばらくすると、ほぼ予定時刻通りに、ダミーのトラックが到着する。トラックが倉庫に近づくと、シャッターが開いた。
その隙を狙って、桜は音もなく倉庫内に侵入した。
ここまでは順調だ。
中は薄暗く、積み上げられたコンテナが視界を遮っている。その中の一つを試しに開けてみると、大量のA.Vが無造作に置かれていた。
(これだけの量、一体何人が……)
桜の表情は固くなり、胸から熱いものが込み上げてくる。
その時——
「誰だ!」
「女? 何してんだ」
二人組の男たちが、桜を見咎める。
桜は静かに目を閉じた。呼吸を整える。
そして——
「——穢場封界」
空気が変わった。
桜が素早く近づき、男たちの動きが止まる。
「そこにいて」
その言葉と同時に、男たちは崩れ落ちた。
「さてと」
桜はもう自分の感情を隠す気がなかった。堂々と倉庫の中央に歩を進める。
「咲き誇れ……夜櫻」
怪しく光る黒い刃が、桜の顔を映している。
その目に灯る炎。
この夜が怯えるほど、美しき感情の発露——
「何だ、あの女」
「ガキかよ……」
「いや、こんな所に一人で来るか?」
百人ほど屯していた男たちが、桜に気づき始めた。男たちは舐めた態度で騒ぎ立てる。
桜を中心に、百人が取り囲んだ。男たちの下卑た笑みが見える。
「あなたたちの更生を信じます」
けれど、今は止める——
桜は夜櫻と共に、罪と対峙する。
「四夜目——」
空間に小さな光が煌めき、桜の花びらに変化していった。
「——幻夜」
闇夜を覆う雪のように、音を無くした花びらが舞う。
「心の霧を晴らしてあげる」
桜は一度だけ夜櫻を振るった。
すると、舞っている花びらが吹雪のように激しさを増していった。
「な、なんだこれ……」
「動けねぇ……!」
世界が一色に染まり、甘い香りに包まれる。誰もが目を開いているのかさえ分からなくなる。
そして、花びらに触れた男たちの意識が、闇へと堕ちていく。
それは抗うことのできない、女神の囁き。
(眠りなさい——)
その言葉が耳元で聴こえる……
やがて吹雪が収まり、視界が開けていく。男たちは全員残らず、床に伏していた。
「心の霧はまだ晴れない——」
花びらが弾けて光に還る。その輝きだけが淡く残った。
「自分たちの罪と向き合いなさい」
夜櫻が少しずつ溶けていく。
桜は顔を上げ、百合がいる方を見た。
「でも——それは、私たちも……」
桜は最後の言葉を飲み込んだ。
一方、外では——
「な、なんだ! この女!」
百合が暴れていた。
「えいっ!」
拳が男の顎を捉える。もう一人が背後から襲いかかるが、振り向きざまに蹴りを繰り出した。
「遅いっての!」
次々に倒していく。
百合の動きは軽やかで、笑みを浮かべる余裕すらある。
「次は誰?」
十人ほどいた男たちは残り三人。残った男たちは顔を見合わせて、ジリジリと後退していく。
「あー、つまんない」
百合は肩を落とす。
そのタイミングで、桜が倉庫から出てきた。顔を見て、百合は胸を撫で下ろす。
「桜、大丈夫だった?」
「うん、こっちも大丈夫そうね」
「あとはこいつらだけ……」
『!』
——百合と桜は同時に顔を向けた。
シャッターとは違う扉から気配が近づいてきた。
「……まだいたの」
現れたのは一人の男。その男から、歪んだ穢れが溢れている。
「おいおい、随分と好き勝手やってくれたな」
男は笑っていた。だが、その笑みは醜く歪んでいる。
「お前らが噂の穢祓師か? 女二人とはね」
男は二人を舐めるように見回した。
「しかも、二人とも美味そうじゃねえか」
百合の背中に悪寒が走った。
男はゆっくりと歩いてくる。
「俺はBlackLineの鷲尾。この倉庫を預かってるもんだ」
おそらく穢醒者——百合の肌が粟立つ。
「百合、気をつけて」
「分かってる」
百合の目が鋭さを増した。
「まったく……部屋で楽しんでたら、この有様だ」
鷲尾は懐からA.Vを取り出し、飲み込んだ。
「お前たちが、代わりに楽しませてくれよ」
穢れが膨れ上がる。そして、鷲尾はスタンガンを取り出した。
「そんなのお断りだよ」
「いいね! 気の強い女は嫌いじゃない」
舌なめずりしながら、鷲尾は取り出したスタンガンを自分の首筋に当てた。そして、スイッチを入れる。強烈な電圧により、電流が身体中を駆け巡っている。
だが鷲尾は陶酔した顔で——笑っている。
「何、してるの?」
「こいつ……キモい」
たっぷりと十秒ほど電流を流して、スイッチを切る。
「ふぅーー。効いたぜ……」
鷲尾の両手から、バチバチと電気が走った。
「これが俺の能力だ。すげえだろ?」
「……」
よだれを拭きながら、鷲尾はまだ笑っている。
「スタンガンより強い電流も流せるぜ。痺れさせる、動けなくする」
百合は、自分の心が冷えていくのを感じていた。
「——心臓を止めることも、な」
「ふーん」
鷲尾は醜く顔を歪める。言葉を発する度に、バチバチと身体から電流が迸る。
「痺れてる時ってさ……本音が出るんだよ」
百合の眉が動いた。
「泣きながら許してって言う顔……最高なんだよな。特に女は!」
雲の動きが変わる。
百合の目が、一瞬だけ揺れた。
「百合……」
桜が声をかける。だが、百合は応えない。
「お前らも、良い顔してくれよ」
鷲尾が一歩踏み出してくる。
「特に——そっちの金髪」
百合を指差す。
「お前、いい顔で泣きそうだな」
「……あんた、何がそんなに楽しいの?」
「あん? 男は金、女は身体。それで十分楽しいだろ?」
「この……クズがっ」
百合が一瞬で距離を詰める。拳を振り上げた。
だが——
「遅いね」
鷲尾は百合の拳を難なく避ける。そして、華奢な腕を掴んだ。
バチッ——
「っ……!」
電撃が百合の身体を貫いた。
「弱いな。俺とは格が違うんだよ」
その瞬間——
百合の中で、何かが弾けた。
「強者は何をしても許されるんだよ」
記憶が蘇る。
あの頃の自分。
いつも独りだった。
独りよがりの正義。
それでも、一緒にいてくれた。
その、ひなのを自分が追い詰めた。
寄り添えなかった後悔。
動けなかった。声も出せなかった。
だけど、曲げることができなかった。
ひなの——そのせいで、あなたを。
それが弱かった自分の——罪。
(あの時、うちは……)
百合の拳が震える。
「……うるさい」
低い声が出る。
「何だ? 聞こえねえよ」
「うるさいって言ってんの!」
百合はそれでも、拳を振るう。だが、勢いのないその腕を再び鷲尾に掴まれる。
バチッ、バチッ——
「あぁっ……!」
「ほら、そういう顔」
鷲尾は顔を近づける。百合は歯を食いしばり、視線だけは逸さなかった。
「もっと見せてよ」
百合は歯を食いしばる。身体中が針に刺されたように、悲鳴を上げている。
痺れている。
上手く動かせない。
「百合っ!」
桜の声が聞こえる。
「おっと動くなよ。お前は後だ」
桜の気配が膨れあがった。だが動く様子はない。
「にしても、俺のところに女を送るなんてな」
周りの男たちの笑い声が、耳に届く。
「相性は最高だろ? 俺と百合ちゃん」
百合は電撃に耐えながらも、鷲尾を睨みつけた。
「まだそんな目ができるのか」
感心したように、鷲尾は目を見開いた。
「でも、もうすぐ折れるよ。みんなそうだったぜ」
さらに電流が強くなる。
「ぐっ……!」
百合の膝が折れそうになった、その時——
「百合」
桜の声が響いた。
「なんで電撃を受けてるのかは聞かない」
「あん?」
静かな声。だが、はっきりと届いた。
「けど、もういいんじゃない?」
心に染み込む、優しい響き。百合の目の奥が熱くなる。
しかし、それは悲しみではなかった。もっと、胸が熱くなるもの。
「怒っていいよ」
百合の目が見開く。
「でも——飲まれちゃダメ」
桜はまっすぐに百合を見つめていた。
「あなたは、あの時のあなたじゃない」
百合の目から、一筋の涙が溢れた。
そして——
「……分かってる」
穢力が内から満たされるのを感じ、百合は笑った。
「うちは、もう弱くない」
その瞬間、百合の身体で、穢れが爆発した。体内に残っている電流を吹き飛ばす。
「なっ……!」
鷲尾が百合を放し、後退する。
「何だ、この穢力……!」
百合は立ち上がった。身体も心も……
その目に、まっすぐな想いだけ乗せて。
そして、右手を突き出し、手に入れた強さを呼ぶ。
「もう逃げられないよ——ラブニードル」
光が収束し、百合の右手にラブニードルが現れた。
「な、何だよ、それはっ!」
もう鷲尾の言葉は、意味をなさない。
「確かに、あんたとうちじゃ格が違うね」
射抜く視線に言霊を乗せて、百合は世界を操る。
「証明してあげる——鳴神」
——空の怒りが、轟音と共に地上に降ってきた。
「うちは背負う……罪と罰を」
百合の右手に自然の脅威が宿る。
収束する雷光は、スタンガンなど比較にもならない。骨の芯まで震わせる轟きが、感情ごと大気を震わせている。
「あ、あ……そんな、雷って」
「どう? 弱者の気分は」
「……卑怯だぞっ!」
今度は百合から間合いを詰める。鷲尾は上手く動けず、尻餅をついた。
「卑怯? 強者は何をしても許されるんでしょ?」
「ひいっ……」
「だから、うちは——」
百合は鷲尾を立ったまま見下ろす。
「うちの心が枯れるまで——正義を曲げない」
「ひっ……」
雷鳴を轟かせながら、最初で最後の一撃が振り下ろされる。
「ぐはっっ!」
遥か彼方まで吹っ飛び、鷲尾は動かなくなった。
「あんたの言う通り、相性は最高だったね……ビビッときた?」
束の間の静寂が訪れた。
穢場を解除するまでの、僅かな平穏。
(百合、やっと自分を許せたのね……)
桜は涙が溢れそうになるのを我慢した。
百合は肩で息をしている。
「……百合、大丈夫?」
「うん!」
百合は力なく微笑んだ。もう目からは激しさが消えている。
「ごめんね、桜。ちょっと熱くなっちゃった……」
「ううん、よく頑張ったね」
桜は初めて百合の頭を撫でた。百合は少し口を開き、目を見張った。しかし、すぐにいつもの笑顔になる。
穢場を解除すると現場には特事の職員が雪崩れ込み、男たちとA.Vの確保に大忙しだ。ほかの場所へ応援要請もしているようだった。
「桜、とりあえずダーリンのとこに行かない?」
「そうだね、そうしよう」
二人は移動用の車に乗り込み、移動を開始した。
「桜、ありがとね」
「どうしたの、急に?」
「桜の声で落ち着いた。あのままだったらヤバかったかも……」
桜はそっと百合の手を握った——
それから、間もなく百合は眠りに落ちていた。
百合の寝顔を見ながら、桜は雪村の言葉を思い出す。
(頼んだぞ——その意味、こういうことだったのね)
雪村は分かっていた。百合の危うさを。だから、桜を同行させたのだ。
(ありがとう、雪村さん……)
桜は小さく微笑んだ。それにしても、と桜は考える。
穢醒者——
今回は確かに相性が良かった。それに他のXbladesでも、それほど苦労はしないだろう。
だが、他の穢祓師ならどうだろう。そもそも戦闘ができる者は、どれほどいるだろうか……
穢醒者はA.Vがある限り、無限に増えていく。
(まだまだ、仲間が必要ね……)
不安な夜は、まだ続いている——




