第44話 明日も
44.明日も
特事本部の地下は、地上の空気とは違う、乾いた静けさを感じる。通い慣れた訓練室の隣。地下作戦室——今日の目的地だ。
僕は廊下を歩きながら、胸の奥に残るざわつきを、どうしても消せずにいた。
「大祐くん、大丈夫?」
「大丈夫だよ。桜さんこそ、顔色悪くない?」
「えっ、そ、そうかな……」
『緊急招集。Xbladesおよび、この通知を受け取った穢祓師。明日の夕方本部へ』
昨夜届いたメールは、それだけだった。理由も説明もない。
だが、一人ではない——みんなの体温を感じると、ざわつきを押さえてくれる。
僕たちは作戦室の扉の前で足を止めた。
扉の向こうから、いくつもの知らない気配が伝わってくる。
だが——尋常ではなく鋭い気配が一つ混じっていた。心臓の鼓動が早くなる。
僕は息を整えてから、扉を押した。作戦室の光が、視界に広がる。
大型モニター、機材、見慣れた特事の人々。知らない顔の、おそらくだが穢祓師たち。
そして、その奥に——知らない男が立っていた。
壁にもたれ、腕を組んでいる。鋭い目で、どこか楽しそうな微笑。この刺さるような気配を発しているのは間違いなくこの人だ。
僕と目が合うと、その人は口角を上げた。初めて見るはずなのに、どこか懐かしい。
もしかして——
「煉、久しぶりですね」
恭介くんから親し気に声を掛けた。呼び方が距離の近さを示している。
「よう、恭介」
煉と呼ばれた人は、軽く手を挙げ答えた。そして、僕たちの方へ近寄ってきた。
「初めましてが多いな。俺は煉、一応Xbladesの一人だ」
爽やかな笑顔と、ワイルドなルックス。
「あまり表には出てこなかったが……これからよろしくな」
大きく空いた胸元からは、花のタトゥーが覗いていた。
「この人が煉? めっちゃイケメンじゃん!」
「マジで? ありがと、百合ちゃん」
百合さんの目がキラキラしている。
「煉くん、いつもありがとうね」
「桜のためなら、いくらでも」
「ふふっ、またそんなこと言って」
なんとなく桜さんの距離感も近い。
そして煉さんは、こちらを振り向いた。
「大祐と如月、そして空飛。お前たちのことも知ってるぜ」
僕たちは頭を下げ、挨拶を交わした。
「あなたの名前だけは聞いていました。色々と裏で動いていた人ですよね?」
「お、気づいてたのか。大祐」
「えぇ、さすがに色々と都合が良すぎて……」
そのやり取りの途中で、部屋の照明が少し落ちた。前に立つのは、綾瀬川はるかさん。
「全員揃いましたね」
綺麗な声が作戦室に響く。
「まずは急な呼び出しにもかかわらず、お集まりいただいたことに感謝を」
はるかさんは軽く頭を下げた。
「今この街は、かつてない危機に直面しています」
ここで一度言葉を切り、みんなの顔を見渡した。
「その状況を打破するために力を貸してください。そのための緊急招集です」
誰も動かない、静寂——
ほんの数秒待ってから、はるかさんは小さく頷いた。
「では、始めます」
同時に、映像が流れ始めた——
夜の路地——
スマホで撮影されたような、荒く揺れる画面。
そこに一人の男が立っている。
目は虚ろで……口元は笑っている。
「……あ、あぁ、何だこの、気持ち……」
気味の悪いその声は、妙に軽く響く。
次の瞬間——男の周囲の空気が歪む。そして、黒い霧が溢れだす。
……穢れだ。
画面は男の顔にズームで寄っていく。
男は画面の中で笑っている。満面の笑み。だが、普通ではないのは、涙を流していることだ。
笑顔のまま、泣いている。
そして……そのまま映像が止まる。
作戦室の空気は凍り付いていた。
「……これは」
狛人くんが、ぽつりと口にした。
「怖すぎるよ」
僕の顔も強張っていたに違いない。いつの間にか拳を握りしめ、息をするのを忘れていた。胸の奥に、嫌な感覚が残る。
昨日見た男の顔が、頭の中で再生され重なった。
その時——
「……あんな顔」
百合さんが呟く。声が少し震えている。
「……うちもしてたの?」
小さな声だったが、僕は聞こえてしまった。
桜さんが何も言わず、百合さんの肩に手を置く。
そこで照明が元に戻り、はるかさんが再び前に立つ。
「今の映像が——A.Vの症状の一例です」
モニターに錠剤の画像が映る。
「A.V。俗称はアーヴィー」
淡い色の錠剤。
「この薬物は、使用者の穢れを増幅させます」
男の周囲に黒い霧が広がっていくのを思い出す。
「精神の抑制が外れ、穢れが爆発的に増幅する」
はるかさんはあくまでも冷静に、そして静かに語り続ける。
「そして、次の段階として——」
少しだけ言葉を区切られる。
「堕落します」
誰も口を開かない。
「穢れに飲み込まれ、人としての意識は無くしてしまう」
沈黙は続く。
「さらに」
その先の言葉は、衝撃と共に広がる。
「ごく一部の使用者が、能力に目覚めます」
その意味を飲み込むまで、しばらく時間が掛かった。みんな同じような反応になっている。その中で恭介くんだけが、人より先の思考に辿り着いていた。
「……人工的な能力者ですか」
「そうよ」
はるかさんが肯定する。
「穢醒者——そのように我々は呼んでいます」
作戦室の空気が、更に重くなった。
今室内は、静かな騒めきで満たされている。これは、しばらく収まりそうにない。
そして——
初めて、部屋の奥でずっと黙っていた人物が動いた。
小之野雪村。
どんな状況でも変わらない、その佇まい。
(この人は……本当に凄いな)
雪村くんは、モニターから視線を外す。そして、僕たちを見渡した。
「この街に、不純物は要らない」
その一言で、部屋の空気が変わった。さっきまでの重い空気と違い、鋭くて張り詰めた空気だ。
「排除するぞ……全て」
全員の視線が、自然と雪村くんに集まる。誰も反対する様子がない。雪村くんは満足げに笑った。
「作戦を伝える」
雪村くんはモニターの前に立ち、地図を軽く指で叩いた。
東京の地図。その上に、いくつもの赤い点が浮かんでいる。
「流通ルートはある程度掴んでいる」
静かな声だった。
「まずはここだ」
首都高の一点が光る。
「今日の夕方、このルートを通る輸送トラックを押さえる」
モニターにトラックの画像が表示された。見た感じは普通の物流会社のトラックだ。
でも、その中に積まれているのは——
「A.Vだ」
誰もが真剣に話を聞いている。
「トラックを確保した後、同じタイプのトラックを使って、各拠点に乗り込む」
僕は慌てて地図を確認した。赤いポイントは一つではない。いくつもある。
つまり——
「同時に潰すぞ」
みんなの熱気で、部屋の温度が上がった気がした。
「対応は各チームでしてもらう」
その言葉に迷いはなく、僕の心臓が跳ねた。そして、部屋の空気がさらに張り詰める。
「では、チーム分けの発表だ」
どこか楽しむように雪村くんは告げる。彼の視線が動いた。
「恭介、狛人。お前たちは、北地区の倉庫だ」
「わかりました」
恭介くんはすぐに了承する。狛人くんも軽く頷いた。
雪村くんは、恭介くんと狛人くんを交互にみる。
「ゴールデンコンビ、再びだな」
「ふふ、お任せを」
そして、雪村くんの視線は、桜さんに向いた。
「桜と百合は、西地区の公園だ」
百合さんは腕をぶんぶん回した。
「ダーリン、暴れていいよね?」
「必要な分だけな」
百合さんは口を結んで、ふくれっ面をみせた。分かり易くて、僕は笑いそうになった。
一方で雪村くんは冷静だ。
「桜……頼んだぞ」
「分かってる」
さりげなく桜さんに耳打ちしていた。
「大祐、俺たちは南地区だ」
「うん、頑張るよ」
僕は背筋を伸ばした。
次に雪村くんは、煉さんに顔を向けた。
「煉、お前は東地区の繁華街だ」
「おっ、いいね。楽しそうだ」
僕は煉さんが一人なのが引っかかったが、みんな特に何も言わない。
「一人で問題ないな?」
「ねぇよ」
煉さんは肩を鳴らす。
「その方がありがたい」
その声には気負いも強がりも感じなかった。僕は、体全体が震えるような感覚に陥った。
そして、最後に……
「空飛。お前が先陣をきれ」
雪村くんが名を呼び、部屋の端にいた少年が顔を上げた。
猿飼空飛。
Xblades最年少の少年は、短い髪をかき上げながら、にやりと笑う。
「首都高でトラック確保だ」
「任せてください! 主様」
空飛くんは、喜びの表情を隠そうともしない。
雪村くんは最後に、全員を見渡す。
「今呼ばれなかったものは、Xbladesのサポートだ」
静かな視線を送る。
「風魔は空飛のサポートにまわれ」
「かしこまりました」
風魔さんの雪村くんに対する姿勢は、いつも頭が下がる。
そして、雪村くんが前を向く。いつも通り悪役のような笑み。しかし、雪村くんの目の奥に、いつもより強い光がある気がした。
「準備はいいな?」
誰も迷わない。
「じゃあ——」
その声は少し低かった。
「出陣だ」
その言葉を聞いて、僕は高揚した。明日も、またみんなで笑い合うために。
だけど、ほんの僅かに雪村くんは堅い表情をしている。
それが何故なのか。この時の僕には、まだ分からなかった。
だけど——
この作戦が、ただの任務じゃないことは、はっきりと分かっていた。




