第45話 そのスピードで
45.そのスピードで
夜の首都高——湾岸線。
無数のテールランプが流れ、光の帯を作っていた。
空飛はビルの屋上に立ち、首都高を見下ろしている。
「風魔さん……ここら辺でいいですか?」
『あぁ、大丈夫だ。また連絡する』
何度もインカムの位置を調整し、ようやく馴染む位置を見つけた。耳の違和感には、まだ慣れない。
眼下に広がる夜景は美しく輝いているが、空飛の意識はそこに向いていなかった。
「早く始まらないかな……」
空飛は屋上を行ったり来たりしていた。押さえようとしているが、口元が緩むのを完全に抑えることはできなかった。
胃が上がってくる感覚も感じていた。最初の任務だ、失敗は許されない。
長いようで短い時が過ぎ、やがて——
『……トラックが近づいてきたぞ』
風魔の声を聞き、空飛の動きが止まった。
『まもなく予定地点を通過する』
「分かりました!」
『例のポイントで仕留める、そこまで手を出すなよ』
「分かってます」
来た。心臓が高鳴ってくる。
準備運動を始め、いつでも走れるように身体を仕上げにかかる。
身体の芯がじんわり熱くなり、準備が完了したことを認識する。
やがて、目的の車がやって来た。
「あれだっ!」
それを発見した瞬間、空飛はビルから躊躇なく飛んだ——
トラックの車内は、大音量で流れる流行りのJ-POPと、タバコの煙で満たされていた。
「これを届けたら、呑みにいこうぜ」
「だな! 今日は派手にいこう」
「舞子たちも呼んで、朝までコースだな」
若い男二人が、今夜の予定に心を躍らせている。
「にしても、後ろのやつ……偉そうにしやがって」
「しっ! やめとけ、構うな」
「でもよ、あとから入ってきて、幹部候補だなんて……」
助手席の男が、窓の外を見て言葉を途中で止めた。
「聞かれたら面倒だから、止めとけって」
「……」
返事がない。不思議に思い、運転席の男は隣へ視線を送る。
「……おい、聞いて……」
運転席の男も、言葉を途中で飲み込んでしまった。
なぜなら——窓の外で、少年が車と並走して走っていたから。
ありえない光景。
「うそ、だろ……100キロは出てるんだぞ」
「なんだ、これ……幽霊か?」
運転する男は、激しく震える手を無理やり抑えてハンドルを握り直した。不安定な車体を、何とかまっすぐ走らせる。
「あいつ、ヤバすぎだろ……笑ってるぞ」
その無邪気な笑顔を見て、身体中が総毛立つ。
運転手はブレーキを踏みたくなり、サイドミラーを確認する。
「後ろに……車が、いない……」
「は? あんなに走っていたのに?」
車どころか、ライトの灯りも見えない。後ろは真っ暗だ。
コン、コン——
突然、窓をノックする音が聴こえた。少年が窓を叩く音だった。視線を向けると、窓を開けろというジェスチャーをしている。
助手席の男は、恐る恐るながらも素直に従った。
「こんばんは、お兄さんたち」
「あ……ど、どうも」
まともに言葉が出てこない。
「そのままスマホを触らずに、この先のトンネル内で止まってくれる?」
「は、はい」
「素直に従ってくれたら、手荒な真似はしないから」
逆らえるはずなど無い。素直に従う他ない二人は、覚悟を決めるしか無かった。
「……舞子たちを連れて、地元に帰るか……」
「そうだな……真面目に働こう」
「素直でよろしい!」
空飛の指示通りに、トラックはトンネルに入り停車した。不審な動きもなく、無事に確保できたことになる。
トンネル内はすでに風魔の穢場で封界されている。あとはA.Vを回収するのみ。トンネル内に風魔からの指示が飛ぶ。
「よし、確保だ。特事本部に連行しろ!」
だが——
そう簡単にいかないことは、トラックの荷台から溢れている穢力が物語っている。
(失敗したら……主様の顔に泥を塗ることになるな)
空飛は拳に力を込めた。
「荷台には近づくな! それは空飛が対応する」
風魔は目で空飛に合図を送った。空飛が軽く肩を回す。
「さて」
風が流れる。
「出てくるよ」
その風の中に違和感が混じる。そして、ゆっくりと荷台の扉が、中から開いた。
「ふわぁあ……ん? どこだ、ここ」
年は大学生くらい。金髪の男があくびをしながら出てきた。大勢の人間に取り囲まれていても、動じていない。
男は周囲を見渡した。
「なるほど。しくじったんだな……」
あくまでも、男の表情は動かない。
「お兄さん、こんな状況なのに、よく落ち着いていますね」
「あぁ? なんだ、このガキ。家に帰って寝てろよ」
「いえいえ、あなたを捕まえないといけないので」
「……あ?」
男の眉が吊り上がる。
(感情で動くタイプだね)
空飛はそのように推察した。
「お前なんかに捕まるかよ」
「それは、やってみないと、分かりませんよ」
「……やってみろよ」
男の目が細くなる。
そして——男は、ポケットから取り出した錠剤を飲み込んだ。
「これで俺は最強だ……全員ぶっ殺してやるよ」
男から穢れが溢れ出す。ドロドロに濁った穢れ。自然な穢力の流れではない、歪な力。
「これが穢醒者か……なんか」
空飛は左手で鼻をつまむ。
「臭い」
「は?」
男の動きが止まった。こめかみが痙攣し、全身が震えている。今にも空飛に噛み付かんばかりだ。
やがて、男は少し腰を沈ませ、左足を後ろに引いた。
「後悔させてやる!」
「どうぞ」
空飛は笑顔で返し、さらに男を煽った。
「もう——ぶっ殺す!」
言葉と同時に、男がいた場所が弾けた。コンクリートに火花が散る。
(速い!)
空飛はそう感じると同時に、まっすぐ突っ込んでくる男を避けていた。男はコンクリートから煙を出し、ブレーキをかけ止まった。
「よく、避けたな……」
「お兄さんも、なかなか速いじゃないですか」
「次はねえぞ」
男は再び空飛へと目掛け、突進をする。
空飛は問題なく避けた。
だが、今度は止まらずに、そのまま折り返して迫ってくる。
「これで、どうだっ!」
「問題ないです」
男は止まることなく縦横無尽に走り回る。だが、動きが直線的だ。
「なるほど……そこそこ動けるようだな」
「ありがとうございます」
どちらもまだ息も切れていない。
「じゃあ、そろそろ本気を見せてやるよ」
「何でも最初から、本気で挑んだほうがいいと思いますよ」
男は音が聞こえるほど、歯を強く噛み締めた。思ったことを素直に伝えているが、側から見たら煽りにしか見えない。
「てめえは、一生黙ってろっ!」
男の穢れは体全体を覆うように広がった。先ほどより密度が高い。ドロドロしていた穢れが、硬い金属のように黒光りしている。
「死ねぇ!!」
今までのように突っ込んでくるが、空飛は避ける。スピードが上がったようだが、問題はない。
そして、そのまま壁にぶつかって反射する。あり得ないほどの速度で、男の体が弾けた。人間の出来る動きではない。
「なに!」
壁から跳ねて天井へ、天井から地面へ。トンネル内に火花が飛び散る。
そして、地面から——空飛へ一直線。
「潰れろっっ、クソガキ!!」
高速の人間跳弾——
そして、跳弾するほどにスピードを増していた。
空飛は微動だにしない。ぶつかる瞬間に一歩だけ、横にずれた。
その姿はまるで——
(主様、参考にさせてもらっています)
男はそのまま後方の壁に叩きつけられ、再び弾ける。
——そしてまた加速する。
「はっ、逃げることだけは上手いな!」
男は言葉を吐き捨てると、再び跳ねる。その度に加速し、上下の軌道も加わる。
「止まんねぇ……止まんねぇよ……!!」
歪んだ、壊れた声でトンネル内を暴れ回る。壁、天井、トラック、床。その全てが踏み台。もはや人間の動きではない。
そして——その速度が、限界を超え始める。体が軋み、骨が鳴るが、それでも止まらない。
「もっと……もっと速くだ!!」
理性が削れていく。穢れが肉体を侵食していた。
その様を空飛は、ただ立って見ていた。
「はぁ、ホントにだらしがないなぁ」
ため息をつき、腰に手を当てている。
「お兄さんには、鍛錬が足りない!」
「ううううるさいいい! 潰れろおおお!」
もはや理性があるのかも怪しい。
「止めてあげるよ」
空飛は腰に当てていた右手を降ろした。
「駆け抜けろ——天国」
大量の穢れが体から溢れ出す。ただしそれは、美しく制御された穢力。
空気が澄む。穢れが整列するように空飛の周囲に集まる。まるで穢れが喜んでいるよう。
そして、その中心で光が弾ける。空飛が手のひらを開くと、淡い光と共に苦無が現れた。
その瞬間、唸りを上げて男が突っ込んできた。
だが、空飛は——消えた。
「な、なにっ!」
男の攻撃は空をきり、また跳弾する。
「どどど、どこだっ!」
「ここですよ」
空飛は男が跳弾する寸前で現れ、拳を振るった。
——バキッ!
正確に、そこにくる場所に。
男の顔面に拳がめり込む。そしてそのまま地面を転がっていった。
「……は? え?」
体を痙攣させながらも、男は呟く。空飛は、ゆっくりと息を吐いた。
「速くても無駄です」
男は痙攣しつつも、何とか立ち上がる。
「軌道を読まれたら意味ないですよ」
静かな声だが、絶対だった。
男は歯を食いしばる。
「ふざけんな……!」
再び跳ねる。だが、その動きはもう——読まれている。
壁に当たる角度、反射、軌道。次の位置。全てが空飛の中で線になる。
空飛は駆けた。風が弾け、男の軌道に重なる。
そして——
「遅い!」
その言葉と同時に、蹴りが叩き込まれた。
男はその衝撃で壁に叩きつけられ、今度は跳ねることができなかった。
風が収まり、穢場が解除される。
世界に綺麗な音が戻ってきた。
「空飛、よくやった」
「ありがとうございます、風魔さん」
「お前のSB、見事だったぞ」
「……まだまだ、ですよ」
ひとまず、大量のA.Vは押収することができた。作戦の第一歩目は達成したといえる。
「じゃあ僕は、一旦主様のところへ戻ります」
「了解した、後処理は任せておけ」
「お願いします」
「気をつけろよ、このまま終わるとは思えない」
風魔に頷きを返し、空飛は再び走り出した。
静かに闘いの狼煙が上がる。街の静けさは今だけのもの。この夜が明けた後に、何が残るのか——誰にも分からない。
空飛は振り返らず、そのスピードで夜の高速へ風のように消えていった。




