第41話 素晴らしき日常
41.素晴らしき日常
「大祐先輩、穢力の流れが固いですよ」
特事の地下訓練室は、いつもと違い騒がしかった。
「ご、ごめん。まだ慣れなくて……」
「狛人先輩は優秀です」
「……ありがと」
腕を組んで立っているのは空飛くん。目は真剣そのものだ。広い訓練室の真ん中で、僕は一人だけ、汗をかいていた。
「溜めちゃ駄目です、流す感じです。基本ですって」
「その感覚が難しいんだよ……」
みんなに見られているのも、上手くいかない原因の一つだと思う。やりにくい。
「大祐。先生にしっかりと基礎から叩き込んでもらえよ」
雪村くんが、空飛くんを煽る。
「主様、大丈夫です! 僕が大祐先輩を立派な穢祓師に育てます」
「まかせたぞ」
「はっ!」
空飛くんの声量が一段上がった。命じられて、従う。その距離感に、迷いがない。それどころか満面の笑みを浮かべている。
僕はもう一度、自分の内面に深く潜ろうとする。基本にして奥義である穢力のコントロール。自分の負の感情と向き合い、己の力に変換する。
「いいですね……静かに、それでいて力強い穢れの波」
空飛くんの声が、遠くに聞こえた。まるで水中にいるような感覚。
さらに深く沈み込む——
「大ちゃーん、頑張れ! 上手くいったら、うちがいいことしてあげる!」
百合さんの声が聞こえた瞬間、僕の足元で穢れが弾けた。
「……失敗ですね、でも、同情します」
「うん……」
耳が赤くなっているのを自覚し、僕は顔を上げることができない。
「百合っ! 邪魔したら駄目でしょ!」
「ははは、ごめーん」
桜さんが僕の代わりに怒ってくれる。となりで爆笑している雪村くんも、ついでに怒っておいてほしい。
「失敗しましたが、元々大祐先輩の穢力って安定しているんですよ」
「えっ、そうなの?」
「はい、それに尋常じゃないくらい多いです」
初めて言われたことだった。もちろん認識もしていない。
「そうですね、大祐くんの穢力は膨大です」
恭介くんも同意する。二人が同じことを言うなら納得するしかない。
「純粋な穢力の量なら、一番じゃないですかね?」
「そ、そんなに? 雪村くんよりも?」
信じられない思いで聞いた。
「んー、僕では主様の穢力を測れないので、分からないんです」
「分からないって……そんなことがあるんだ」
天才と言われた、空飛くんでも測れない。つまり、雪村くん以外では一番だということか。僕はしばらく呆然としてしまった。
「大祐は、いつも背負いすぎなんだよ」
雪村くんがポケットに手を入れたまま、楽しそうに見ている。
「そうなの、かな」
「何もかも一人で守ろうとすんな。みんな助けてくれる」
「そんなつもりは……」
みんなは、僕にブレーキをかけてくれる。気持ちが暴走しても、誰かが駄目だと言ってくれる。気持ちに安心があるから、僕は進めるのかもしれない。
「大ちゃんは、真面目すぎるんだよ」
「百合さん……」
「大祐くん、肩の力を抜いて」
桜さんは微笑む。
「大祐くん、深呼吸してみてください」
恭介くんに言われ、僕は素直に従う。二度深呼吸をしたら、穢力の波が穏やかになった。
「どう、落ち着いた? これ飲んで」
「ありがとう」
狛人くんから、ペットボトルを受け取り、ゆっくりと時間をかけて、水を流し込んだ。喉を通る冷たさがありがたい。
ようやく、心と体の静けさを取り戻せた。
これなら——
「ふぅ……もう一度、やってみるよ」
「大祐、力を抜け。それから……沈め」
「——分かった」
僕は目を閉じた。
もう一度、水の中へ沈む感覚を思い出す。そのまま、どこまでも深く……深く……海の底まで。
自分の鼓動だけが聞こえる、静寂な世界——
そして、穢力が広がる。今度は弾けない。柔らかく、ゆっくりと円を描くように流れる。
「もう大丈夫ですね、数値も安定しています」
モニターを確認する恭介くんの声がした。
「大祐先輩、ようやく穢力の流れを捉えましたね」
「……ありがとう。やっと、分かってきたよ」
ゆっくりと目を開け、現実に戻る。
「綺麗な流れだったね」
狛人くんが褒めてくれた。
「やれば出来るじゃん!」
「百合、あなたは何で上から目線なの……」
桜さんは溜息まじりで呟く。正反対の二人なのに、リズムは同じで微笑ましい。
「じゃあ次の段階にいくか」
雪村くんが手を叩いた。
「え? 何、それ?」
「対人でやってみろよ」
対人訓練なんて初めて聞いた。何をするのか想像できない。
「桜、ちょっと相手してくれ」
「私? え、何すればいいの?」
桜さんも戸惑っている。どうやら、雪村くんの思いつきの訓練らしい。
「大祐の邪魔してくれ」
「そういうことね、分かったわ」
桜さんは、困ったように笑いながら、僕の正面に立つ。何だか心臓の鼓動がうるさくなってきた。
そんな僕の状態はお構いなしに、桜さんの足元から、霧のような穢れが広がってきた。
「うわっ、何?」
「大丈夫だよ、攻撃したりはしないから」
そう言われても、穢れが迫ってきて、更に鼓動が速くなる。
「大祐、穢れで体を覆え」
返事をする余裕もないが、慌てて言われた通りにしてみる。だが、僕の穢れは、桜さんの霧に阻まれて動かない。密度が高い。
「何だ、これ!」
力を入れたつもりでも、穢れはいうことを聞かない。さっきまでの流れるような動きをしない。
「大祐……力を抜けって言ってるだろ」
しかし、今脱力したら、桜さんの穢れに押さえつけられそうだ。
「お前は歩くときに、意識的に力を入れてるか?」
意識して……いや、無意識だ。
「何も意識しなくても歩けるはずだ」
肩の力を抜く。足裏が地面に張り付く感覚。呼吸が整う。
「そう、それが自然体だ」
僕の穢れが、桜さんの穢れをすり抜け体を覆う。力での押し合いにならない。
「もう……大丈夫だね」
桜さんが微笑んだ。
「で、できた……」
思わず声が出る。ふと、後ろを見ると空飛くんは控え目に拍手していた。
「さすが、大祐先輩!」
「天才に、そう言われるのくすぐったいな」
「今のは上手くいったよね」
「狛人くんまで、拍手するのはやめてよ」
僕の気持ちも顔も緩む。
「ホントに大ちゃんは、愛されキャラだねー」
百合さんの頬も緩んでいる。
「じゃあ、次は走り込みでもしますか!」
「えー!」
僕は自分でも驚くほどの、大声を出してしまった。
「じ、冗談ですよ……」
「お前が言うと、冗談に聞こえねえ」
「主様……」
地下訓練場に、みんなの笑い声が広がる。
汗をかきながら笑う。くだらないことで言い合う。
そして——誰かが支えてくれる。
響く足音と声。
そんな時間が、当たり前のように流れていく。
まだ、誰も知らない……
この素晴らしき日常が、どれほど尊いものだったのかを。




